家族って何だろ◇家族って何だろ
※若干刺激が強い描写が含まれています。
「僕が父上の傍を離れるのって珍しいんだよ。父上は腹心の中では一番僕を信頼してくれているし、こんな僕でも傍にいれば嬉しいみたいだしね」
兄弟は次々と酒瓶を空にして、その酒の力を借りながら会話を続けていた。
「ユウ、父上をそこらの〔組織〕の総裁と同じように見たらダメだよ。父上は」
「本当は弱い人間だ、だろ?」
そうだよ、とシュウはやわらかく微笑む。
「で、俺にどうしろって?」
「うん…。一番いいのは、このまま僕と一緒に蒼へ帰ることなんだけどねぇ…」
「だッ…、誰が帰るかッ!!」
「だよねぇ…」
血管が浮き上がるほど強く拳を握り締めて怒鳴られ、シュウはため息をついてグラスに口をつける。
「俺はな、誰になんと言われてもアイツが大ッッキライなんだよ! 今だってお前にアイツの話されて、すッッッげぇ不愉快なんだよッ!」
「…父上はお前が大事なんだ。そう頭ごなしに『嫌い!』って決め付けないで」
「決め付け!? 俺はアイツの話を聞くだけで――口に出すだけでも虫酸が走る! 今だってほら、鳥肌立ってんだよ…!
もう嫌だ…ッ、俺をほっといてくれよ…!」
「………」
グラスの氷を弄ぶシュウの瞳に宿る悲しげな光。ジークはその光を見て、顔を逸らす。
気まずい間。
「…僕はねユウ、お前が羨ましかった。待遇はどうであれ、お前は父上にとってかけがえのない存在だった。
父上はお前が大事で、可愛くて、大切で」
「俺を塔に閉じ込めたから、大事になるのかよ。俺に休みなく剣術叩き込んだから、可愛いになるのかよ。毒に慣れさせるために無理矢理毒飲ませて、大切になるのかよ。
…ふざけんじゃねぇよッ!」
後半…、弟の声は震えていた。
その痛々しい悲鳴の声音にとても顔を向けることができず、シュウは両手に抱えたグラスを見つめて続ける。
「…自分が弱い人間だからこそ、父上はお前を力だけでなく精神的にも強くしたかったんだ」
「俺にとっては迷惑なだけだ」
「父上は…、自分が持つ力の全てをお前に、と願った。だからお前を徹底的に鍛えた」
シュウはグラスを手前に傾けた。
「僕は父上から剣術を習った記憶があまりない。クレン――覚えてる? 父上の側近だ。彼にほとんど習ったんだよ。彼は父上以上の使い手だから、父上は彼を僕につけたんだ」
――…でも僕は…、本当は父上に教わりたかった…。
シュウは小さく呟いた。
「子供ながらお前に嫉妬したよ。確かに父上は『稽古して』って頼めば相手をしてくれたけど、お前は毎日毎日父上が相手。
…羨ましくて、泣いたこともあった」
「俺は毎晩泣いていたさ。誰もいない塔の中でな」
「…お前は西の塔で暮らしていたね。塔の入り口と部屋には鍵が掛かっていて、鍵は父上だけが持っていた。僕は塔の出入りを禁じられていた。
ほんの少しだけど、お前が自由になれる時間があったろう? 父上が決めた時間まで自由に遊べる時間がさ…。毎日変わるあの時間を必死に見計らって、僕はお前と遊んでいた」
――…少し、酔いが回ってきた。
ジークはカウンターに腕を組み、その上に顔を伏せて目を閉じる。
「ねぇユウ…、僕はお前と遊ぶ時間が大好きだった。小さいユウが『にーちゃんっ』って僕の後ろをちょこまかついてくるのがすごく可愛くて、嬉しくて。ずっと一緒にいたかった。
――…でも」
少しでも約束の時間を過ぎれば、父はジーク――ユウガを叱りつけた。
門限を破った子供を叱る、それは普通の家庭でもある光景だ。
だが…。父の叱り方は、普通では、なかった。
「…あの日のこと、僕はよく覚えてる。
僕はユウと遊んでいる間ずっと幸せだった。一緒に走り回って、木登りして、葉っぱの船を水路で競争させたりして。時間が経つのが本当に早くて――…門限はとっくに過ぎてて…。
それに気づいたユウが突然泣き出した。尋常じゃない泣き方だった。
僕もわからないなりに『ユウが父上に叱られちゃうんだ』ってことはわかったから、必死に言ったんだ」
『ユウは悪くないんです。ぼくがユウを連れまわしていたんです。だから父上、ユウをしからないで! おねがい…!』
――静かな表情の父に、シュウは泣きながら必死に訴えた。怯えて震えている弟を後ろに庇いながら。
それでも父は『どきなさい』とシュウを手の甲で優しく押し退け――…代わりにユウガの腕を強くつかんで塔に連れ込んだ。施錠の音。ユウガが凄まじい泣き方で『ごめんなさい』と叫んでいる声が微かに聞こえていたが…、塔の奥へと連れて行かれる間に、その声は聞こえなくなった…。
「………」
ジークは額を腕に押し付けた。思い出したくない。
…思い出したくなどない。抵抗できないように縛られて、意識を失うまで鞭打たれたことなど。
どんなに泣いても、詫びても、二度としないと言っても――…、アイツは許してくれなかった…。
「僕はユウが心配で、塔の入り口の近くで父上が出てくるのをずっと待っていた。日が暮れて、暗くなり始めて…、父上はやっと出てきた。
…父上がすごく後悔してるのが、子供の僕でもわかった。苛立って髪を掻き乱して、自分が憎くて仕方がないように両手を睨んで、歯を食いしばって、目を強く閉じて…。
僕は…、父上に話かけられなかった…」
翌日。塔から出て鍵を開けたままにした父を見つけ、ユウガの自由時間だとシュウは気が付いた。謝りたくて、シュウは弟が出てくるのを待った。
だが…、ユウガが塔から出て来ない…。
「僕はやっと気づいたんだ。今日はユウが父上と稽古していない、ユウが今日はまだ一度も塔から出てきてないって…」
心配で心配で…、シュウは塔に入ってはならないという禁忌を破ろうとした。鍵を壊そうとした。
――それを止めたのは、そっと肩に置かれた父の手。
「…父上は『ここにいなさい』と言って、塔に入っていった」
「………」
「しばらくして父上が帰ってきて、今日は無理だ、って言うんだ。
ユウが心配だって訴えると、ユウは熱を出していて寝込んでいるんだ、って…」
「…俺、覚えてる。その日のこと」
カウンターに伏せたままジークは呟いた。
――…背中の鞭の傷が痛くて、深夜から酷い高熱にうなされた。誰もいない孤独な塔の中でずっと苦しんでいた。今このまま死んでも朝までは気づかれないんだと思うと、涙があふれた。
翌朝…。父が来たのは、いつもよりずっとずっと早い時間。窓の外にはまだ月が浮かび、星が瞬いていた。
自分の姿を見たあの人がどんな顔をしたのか…、熱と涙で歪んだ視界ではよくわからなかった。
それでも覚えているのは――…、父が抱き起こして冷たい水を飲ませてくれたこと。少しずつ粥を口に運んでくれたこと。蜂蜜で解いた薬をひと匙ずつ飲ませ、気遣いながら傷の手当てをしてくれたこと。
その後しばらく夢と幻と現実の間をさまっていたが…、ふいに優しく前髪を撫でられた。目を開けると、ベッド脇に座るあの人の姿。
動かない体でぐったりと見つめると、汗で湿った不快な髪だというのに、あの人は大きな手で撫でくれた。
何度も、優しく。
――…酔いのためだ。こんなことを思い出したのは。
「僕はユウの看病がしたいって言ったけど、父上は即却下。そして僕に、もうお前を時間外まで連れ回すなと言って、去った。
僕は…、父上を憎めなかった」
…前日のあの姿を見ていなければ、僕は父上を憎むようになっていたかもしれない。
シュウはそう呟いた。
「…アイツはメシ残しただけでも俺を叩いた。稽古中に斬られたこともある。
部屋の鍵が開いたままだったことがあってさ、俺はちょっと塔の中を探検してさ…。そしたらアイツがいて『勝手に部屋を出るな』って殴った」
「…。確かに父上がお前にしてきたのは…、虐待の域だ。
でもね、ユウ…。父上は歪んだ愛情でこそはあるけれど、理由のない叱咤をしなかったはずだ。自分の苛立ちを晴らすためを目的にお前を傷つけはしなかったはずだ。お前の人格や存在を否定する言葉は言わなかったはずだ。
食事を残したユウを叱ったのは、生まれながら体が弱かったお前の成長を心配したから。部屋から出たユウを叱ったのは――」
「…自分の鍵のかけ忘れを認めたくなかっただけだろ」
「父上は前から『勝手に部屋を出るな』って言っていたんだろう?
なら、鍵の有無は関係ない。勝手に出たから叱った、単純なことだ」
「全部俺が悪い、ってか」
「そうじゃなくて…」
「稽古中に斬られたのも、覚えが悪い俺のせいかよッ」
「父上に焦りがあったのか――…でも、おかしいな。父上がそんなことをお前にするはずない。
深く斬られたの? どこを? どれくらい?」
「そんなの…。どこって…、どれくらいって……」
――…どこをどれくらい斬られたのだろう…?
動けないほどではない。その後も稽古したのだから。つまり、動きに支障のない程度。本当に軽く。だが、どこを…?
確か――…。
『どうして集中できないんだ』と言われて、あの人は地面にへたり込んだ自分に剣を振り上げて、怖くて目を閉じて…、剣の軌跡を感じて――…、そして……?
…目を開けると、何の痛みもなかった。血も出ていなかった。
あの人が斬ったのは、自分にはまだ少し大きくて邪魔だった――服の袖口にある紐の飾り。
キョトンと見上げる自分に『これで集中できるな?』とあの人は少し笑って――…そしてすぐに表情を切り替えると、早く立つように促した。
…ただ、それだけのことだった。
ジークは狼狽して自分の両手を見下ろしている。一方シュウは、ようやく弟と目を合わせることができた。
少し、苦笑しながら。
「ユウ、落ち着いて過去を思い出してみようよ。父上はお前に無意味な虐待はしなかっただろう?」
「……………した」
「なにをしたの?」
「…俺を塔で育てたのはどういう意味だよッ!?」
感情の高ぶりに震える声。
しかし、シュウは何故か優しく笑ってみせた。
「それこそ単純だ。お前をなくしたくなかったから、だよ」
「………は?」
「だから『は?』じゃないよ。
いいかい? お前がいなくなることが怖かったから、父上はお前を閉じ込めていたんだ。だから入り口の鍵も部屋の鍵も父上だけが持っていて、その鍵を誰にも渡さなかった」
「………。俺は金庫の宝石かよ…」
突っ伏したままの弟のぼやき。
シュウは優しくその後頭部を見つめる。
「父上は素直じゃない上に不器用で頑固だ。僕は何度も何度も訴えたんだ。
『ユウはいなくなったりしない。だから、一緒に暮らそう』って」
素直でない上に不器用で頑固な父は、息子の諫言を実行できなかった。
そして本当はとても弱い人間である父は――…、自分のせいで我が子がいなくなったことに、酷く打ちのめされた。
「ユウ。父上はお前が大事で、可愛くて、失いたくなくて…。だからあんなことをしたんだ。素直じゃないから、本来の優しさをユウには素直に見せられなかっただけ。
でも、父上はお前の存在を見ていたじゃないか」
「…」
「素直じゃないのはユウも同じ。もう一度思い出してみようよ。記憶の混乱を見直してみようよ。素直に心を緩めてさ…」
「………」
「ユウガ、お前は父上の愛子なんだよ。ねじ曲がっているカタチだけれど、お前は僕以上にしっかりと父上の愛情を受けているんだよ」
「………」
ふと――、キオウの言葉を思い出した。
『俺とお前のことは確かに違う。でもな、全てが違うとは思わない』
なんだろう…? シュウの話の中で、父以外の誰かを見た気がする。
誰だろう…?
『なぁ…、誤解もあるんだ』
誤解、か…。
俺は…、誤解していた?
シュウが言うように本当に優しい人で、俺には素直に愛情表現ができないだけで――…。
そうだったらいいな…、と。ぼんやりと、そう感じた…気がした。
…俺は、羨ましかった。
シュウも――…も……。