寿家の裏側
『かくまってほしいの』
澄は美菜穂の言葉に一瞬色を失った。
「と、とりあえず中に入りなよ」
澄は美菜穂を中に入れ自分がいた和室に案内した。
あれ、この人右ほおが赤いような。誰かにたたかれたのか。
「なんか右ほおが赤いけど大丈夫?」
澄の問いに美菜穂は安心したかのように泣き始めた。
「どうした!?」
声に気付いた銀次郎とトキが別室から来た。
「み、美菜穂ちゃん!どうしたのかい?」
トキは膝を折って右ほおをなでた。
「また両親にやられたのか…」
銀次郎は小さくつぶやいた。
「両親にやられた…?」
澄は銀次郎に問い返した。
「そうだ。やられたら夜中にここに来るんだよ」
「それって、もしかして」
暴力じゃないか。
「私ね、両親に嫌われてるの」
*
話は三十分前にさかのぼる。
美菜穂は二階の自分の部屋で寝ていた。
「美菜穂!」
突然電気をつけるなり、父の源治が美菜穂を一階のリビングに連れ込ませた。
リビングに行くと母の綾乃が腕組みをしてソファーに座っていた。
「今日の晩飯まずかった。これはどういうことだ」
源治は肉じゃがを指差して問い詰めた。
「いつも通りに作ったんだけど」
突然源治は美菜穂の右ほおに大きく平手打ちをした。
美菜穂は腰が抜けてしまって動けなくなった。
畳み掛けるかのように綾乃が続けた。
「志望校一つでも碌に合格できないような人が肉じゃがなんて作れるわけないよね。――あんたなんか産むんじゃなかった。このまま捨てておけばよかった」
綾乃の言葉に美菜穂は泣きそうになったが、今はこらえた。
源治はまた右手を構えた。
「お前がいるとこの家に不幸を呼ぶだけだ、疫病神が。寿家の親戚全員そう願っている」
危機を感じた美菜穂はわずかな力を振り絞って立ち上がり、外へ逃げた。
後ろから源治が追いかけてくる。
外には月明かりと田んぼのあぜ道があるだけだった。電灯は二台置いてあるだけ。
美菜穂は全力疾走であぜ道を走った。
少しずつ呼吸が苦しくなっていく。
気付いたら一軒の家が見えた。追手とはだいぶ距離があるから今のうちにかくまってもらおう。
*
「怖かったんだね、よくこらえたね」
澄は美菜穂の背中を優しくさすった。
「澄、美菜穂ちゃん。お茶とお菓子を持ってきましたよ。美菜穂ちゃん、ゆっくりしていってね」
トキは美菜穂が説明している間にお茶菓子を用意しに行っていた。
「私たちは、茶の間にいるから二人でゆっくりしてくれ。若いもん同士の方がいいだろう」
銀次郎とトキは和室を後にした。
「それにしても美菜穂の両親ってひどいなぁ」
澄は顔を渋面にした。
肉じゃががまずかったから平手打ち。おそろし。
澄は趣味で料理をするのでこういうのに非常に共感できた。
「私が『いい子』じゃないからこんなのになったのかなぁ…」
「いい子じゃない?」
「ここに来てから、両親があのような感じになったの。そう、三年前ぐらいから」
*
美菜穂は中学受験をした。
桜坂女学院を志望しており、小学校の低学年の時から必死に勉強した。
源治と綾乃はかなり期待していた。
桜坂女学院は有名どころの学校で小学校から大学まである学校である。
中学校から入学してくる人が多い。
源治と綾乃はもともと住んでいた花房町の中学校には進学してほしくなかった。
荒れているからである。
警察は日常茶飯事、危なっかしい人たちの巣窟だった。
比較的に裕福な人は中学受験するか、小学校卒業と同時にほかの所へ引っ越しをするのが多かった。
そこで源治の実家がある見野山町に引っ越し、見野山中学校に進学した。
美菜穂が中学生になってから源治と綾乃の美菜穂に対する態度は豹変した。
小学校の時は優しい母が冷たくなり、娘に溺愛だった父が厳しくなった。
たとえ学校でいい成績をとっても「調子に乗るなよ」「偶然だろ」と一蹴。
美菜穂は中学の時は学年でも五本の指に入るほど成績が良かった。
高校受験の時にもう一度、桜坂女学院受験をしたが失敗。
今は見野山高校に在籍している。
ちなみに見野山高校も地元でも優秀な人たちが集まっている。
*
「美菜穂の両親がひどくなったのは中学生の時からかぁ。本当に恐ろしいや」
澄はお茶を一口すすった。
「おじいさんとおばあさんは優しくしてもらってるの?」
「えぇ、でも父様がおばあ様たちを会わせないようにねじ伏せているの」
「じゃぁ、近所の人は?」
「近所の人も父様に逆らえないの」
「だいたい、こういうのって近所の人が通報するもんだし、行政も何やってるんだ!」
澄は怒りでいっぱいだった。
「私、こんなに自分のこと他人に話したことがないわ。澄に話したら心が軽くなったわ」
美菜穂は肩をすくめた。
「そうなんだ…」
「それに同年代の男子ともなかなか話すことがなかったの」
「えっ、美菜穂こんなに美人でかわいいのに?」
もったいない。もしかしたら今はフリーということか。
澄の中で美菜穂の彼氏になれるかもしれないという淡い希望を抱いた。
「ねぇ、私今は家に帰りたくないの。しばらく泊めさせて」
「うーん、僕はいいけど。ちょっと、じいちゃんとばあちゃんに相談するから」
澄は祖父母のいる茶の間に向かった。
「じいちゃん、ばあちゃん。美菜穂をここに泊めさせてあげたいんだけど。帰りたくないみたいなんだ」
「さっきその話をちょうどしていたんだ」
銀次郎はナイスタイミングといわんばかりの顔だった。
「美菜穂ちゃんが帰りたくないのならねぇ、布団を用意しましょう。美菜穂ちゃんは澄と同じ部屋に寝てもらいましょう」
「えっ、ばぁちゃん、今なんて言った?」
「澄と同じ部屋に寝てもらうのよ」
まてまて、そりゃねーぜ。だいたいうら若き男女が一緒の部屋に寝るってまずくないですか。
なにか変な方向に言っているような気がするー、あると思います!
何、数年前にはやったネタで締めくくってるんだろう。
「澄。お前、美菜穂ちゃんに惚れているだろ?」
銀次郎がぼそっと小声で尋ねた。
澄は苦い顔でうなづいた。
「やっぱりなぁ。帰ってきたときからうれしそうな顔してたし、美菜穂ちゃんと話しているとやけに楽しそうだからさぁ。今からでも告白しちゃえ」
銀次郎はにまにましている。
じいちゃん、僕たちのやり取りをふすまからのぞいてたんですか?
話していて全然気づかなかった。
「澄、これ布団一式だよ」
トキが少し重そうに布団一式を持ってきた。
澄は布団一式を和室に持っていき、自分の布団の隣に置いた。
「泊まっていいの?というか澄の隣で寝るの?」
「…うん…」
内心はうれしいが、澄は極力表に出さないように努めた。
「わかったわ」
人様の家だからあまり贅沢は言えない。
澄は和室の電気を消し、自分の布団に戻った。
「美菜穂、おやすみ」
「うん、おやすみなさい」
結局澄が寝たのは十二時半だった。




