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RAGNARΦK  作者: 竜胆
第1話
4/16

光芒の白百合 Ⅲ

 森を抜けた瞬間、違和感が走った。

 空気が、重い。

 淀んでいる。

 胸の奥がざわつく。

 

「⋯⋯な、なに?この感じ⋯⋯」

 

 足を止め、視線を上げる。

 校舎の方角に、煙が上がっていた。

 

「⋯⋯っ」

 

 次の瞬間、走り出していた。

 門をくぐる。

 その光景に、息を呑む。

 石畳が割れている。

 壁が崩れている。

 焦げた跡。

 そして──血。

 倒れて動かない生徒、教官。

 

「⋯⋯嘘でしょ」

 

 喉が乾く。

 だが、足は止まらない。

 すぐそばに倒れている女子生徒へ駆け寄る。

 

「しっかりして!」

 

 肩を抱き寄せる。

 わずかに、反応がある。

 血に濡れた唇が、震える。

 

「シャ⋯⋯ル⋯⋯に⋯⋯げ⋯⋯」

 

 かすれた声。

 それだけを残して、脱力した手が地面に落ちた。

 もう、呼吸の音も聞こえない。

 

「⋯⋯っ」

 

 シャルロットは唇を噛んだ。

 

 雄叫びが、響く。

 低く、重い。

 地面を震わせるような咆哮。

 反射的に顔を上げる。

 中庭の奥。

 音の出どころは、そこだ。

 一瞬だけ、視線を落とす。

 先程まで元気に言葉を交わしていた姿が脳裏によぎる。

 もう二度と、その声は聞こえない。 

 シャルロットはゆっくり立ち上がり、走り出す。

 音のする方へ。

 

 中庭へ抜ける道中、シャルロットは思わず足を止める。 

 地面に、巨大な赤い殻が、めり込んでいた。

 歪んだ楕円。

 ひび割れ、内側から弾けるように裂けている。

 砕けた破片が、周囲に散らばっていた。

 内側は、まだ湿っている。

 ぬめるような光沢。

 何かが、ここから出てきた。

 そうとしか思えない形だった。

 

「⋯⋯何、これ⋯⋯」

 

 思わず、声が漏れる。

 見たことがない。

 だが、直感的に分かる。

 これは、触れてはいけないものだ。

 

 その時、雄叫びが再び響いた。

 はっとし、止めていた足を動かす。

 走る──。

 無我夢中で。

 近づくたびに、凶々しい気配が肌に刺さる。

 全身に、嫌な汗が滲む。

 それでも、止まらない。

 

 目的の場所に──

 それは、いた。

 巨大な影。

 牛の頭。

 歪に膨れ上がった筋肉。

 手には、巨大な斧。

 ──ミノタウロス。

 

「これが⋯⋯神獣⋯⋯!」

 

 授業で習ったはずの存在。

 遠征課目で何度も討伐した魔獣とは──格が違う。

 

 その足元には、教官達が倒れていた。

 血が飛び散り──ぴくりとも動かない。

 

「⋯⋯っ」

 

 息が詰まる。

 全身に、寒気が走る。

 勝てる相手じゃない。

 本能が、告げている。

 逃げろ、と。

 それでも──

 剣を抜き、構える。

 真正面から、対峙する。

 ミノタウロスが、ゆっくりとこちらを見る。

 目が、合う。

 殺意──それだけが、そこにあった。


 ミノタウロスが動くよりも速く、踏み込む。

 全速力の突き。

 だが──

 刺さらない。

 剣先が、止まる。

 硬い。

 まるで、鋼鉄を突いたかのように。

 

「っ!?」

 

 衝撃が腕を駆け上がる。

 突き刺す手応えが、ない。

 ──あり得ない。

 距離を取る。

 もう一度、踏み込む。

 高速で突く。

 何度も、何度も。

 だが、通らない。

 

「なんで⋯⋯!」

 

 思わず、声が漏れる。

 動揺したその一瞬。

 ミノタウロスの拳が、直撃した。

 背中から、壁に叩きつけられる。

 体に激痛が走る。

 視界が、霞む。

 一瞬、意識が飛んだ。

 

「かはっ⋯⋯!!」

 

 肺の空気が、一気に押し出される。

 呼吸が、できない。

 動けない。

 それでも──

 剣は、離さない。

 指に力を込める。

 歯を食いしばる。

 逃げる、という選択肢は──ない。

 逃げられないのではない。

 逃げない。

 ミノタウロスが、ゆっくりと近づいてくる。

 一歩。

 また一歩。

 巨大な影が、覆いかぶさる。

 ──怖い。

 本能が、叫ぶ。

 逃げろ、と。

 それでも、目は逸らさない。

 震える体で、剣を構える。

 ──来る。

 斧が、振り上げられる。

 ──悔しい。

 涙が、こぼれる。

 そして、斧が振り下ろされた。 

 

 ──痛みは、来ない。

 ゆっくりと、顔を上げる。

 そこに、鞘に収まったままの細い刀一本で、巨大な斧を受け止めている男がいた。

 

「⋯⋯ユー⋯⋯リ⋯⋯さん⋯⋯?」

 

 その姿を、認識した瞬間。

 時間が、止まったように感じた。

 ユーリが、わずかに腕を動かす。

 刀で斧を払うと、ミノタウロスの巨躯が、大きくよろめく。

 ミノタウロスが威嚇するように、雄叫びをあげる。

 次の瞬間、ユーリとの間合いを一気に詰め、巨腕が突き出された。

 圧倒的な質量。

 圧倒的な速度。

 ユーリは、微動だにしない。

 対抗するように、拳を突き出す。

 衝突する拳と拳。

 空気が、震える。

 弾かれたのは──

 ミノタウロスの拳だった。

 

「⋯⋯え⋯⋯」

 

 シャルロットの声が、かすれる。

 

 ミノタウロスが、後ずさる。 

 ユーリは、静かに刀の柄に手を添える。 

 ──刹那。

 見えなかった。

 気づいた時には、ユーリはミノタウロスの背後に立っていた。

 刀が、わずかに抜かれている。

 そして──納める。

 チン、と澄んだ音が、静かに響いた。

 同時に、ミノタウロスの体が、ずれた。

 一拍の静止。

 次の瞬間、両断。

 巨躯が、崩れ落ちる。

 そして──霧のように、消えた。

 

 残ったのは、静寂だった。

 シャルロットは、その場に崩れ落ちたまま、動けなかった。

 震えが、止まらない。

 

 ユーリが、ゆっくりと歩み寄る。

 シャルロットの前で止まると、手を差し出した。

 

「⋯⋯来るのが遅くなった」

 

 短く、言う。

 シャルロットは、何も言えない。

 その手を見つめ、促されるまま握った。

 その温かさに触れ、次の瞬間、ユーリにしがみついた。

 

「⋯⋯っ⋯⋯ぅあぁああああ!!」

 

 声が、崩れる。

 涙が、溢れる。

 止まらない。

 怖かった。

 悔しかった。

 何もできなかった。

 全部が、一気に溢れ出す。

 ユーリは、何も言わない。

 ただ、ずっとそこにいた。


 どれくらい、そうしていただろう。

 ようやく、涙は少しずつ収まっていった。

 呼吸を整え、ゆっくりと体を離す。

 

「⋯⋯ご、ごめん⋯⋯」

 

 顔を赤らめ、小さく謝る。

 ユーリは何も言わない。

 その時──

 遠くから、複数の足音が響いてきた。

 統制された動き。

 

「⋯⋯来たか」

 

 ユーリが、ぽつりと呟く。

 やがて、騎士たちが姿を現す。

 白銀の鎧。

 統一された装備。

 ミッドガル王国、国王直属部隊──四聖騎士団(クローバーナイツ)

 その先頭に立つ老爺(ろうや)が、歩み寄ってくる。

 

「無事か、シャルロット」

「⋯⋯クレメント、先生⋯⋯」

 

 クレメント・ホーキンス。

 一番隊隊長にして、騎士学校校長。

 そして──亡き父の元同僚。

 

「遅くなった」

 

 短く言い、周囲を見渡す。

 

「総員、生存者の捜索を優先しろ!」

「はっ!」

「負傷者を見つけ次第、救護に当たれ!」

「了解です!」

 

 即座に指示が飛び、騎士たちが動き出す。


 

「シャルロット、体の具合は?」

「⋯⋯ちょっと、痛いかも」

 

 そう言って、少しだけ笑う。

 

「治療を」

 

 指示を受け、隊員が前に出る。

 

「──ヒルリア」

 

 淡い光が、体を包む。

 痛みが、ゆっくりと引いていく。

 クレメントは、その様子を確認すると、視線をユーリへ向けた。

 

「お陰で助かった。礼を言う」

 

 ユーリは、わずかに肩をすくめる。

 

「やるべき事をやっただけだ」

 

 二人のやり取りに、首を傾げる。

 

「⋯⋯知り合い?」

 

 シャルロットが小さく聞く。

 

「何度か戦場で顔を合わせてな」

 

 クレメントは、それ以上語らない。

 そうしているうちに、治療が終わる。

 体が軽い。

 シャルロットが回復したのを見届けると、ユーリが背を向けた。

 

「⋯⋯じゃあ、そろそろ行く」

 

 あまりにも自然に。

 

「あ⋯⋯ま、待って!」

 

 反射的に、声が出る。

 ユーリの足が止まる。

 

「⋯⋯何だ?」

 

 短い問い。

 シャルロットは、一歩踏み出す。

 

「私を⋯⋯弟子にしてください!」

 

 深く頭を下げて懇願する。

 

「私に、神獣との戦い方を、教えて欲しい」

 

 声が、震える。

 

「もう⋯⋯なにも失わないように」

 

 拳を握りしめる。

 視線は逸らさない。

 わずかな沈黙。

 

「⋯⋯無理だ」

 

 ユーリは、短く答えた。

 

「どうして!?」

 

 食い下がる。

 ユーリが、わずかに振り返る。

 

「先を急ぐ。止まって教える暇はない」

 

 淡々とした事実。

 シャルロットは、息を詰まらせる。

 だが──引かない。

 引くわけにはいかない。

 

「⋯⋯じゃあ」

 

 一歩、踏み込む。

 

「私も連れてって⋯⋯!」

「⋯⋯⋯⋯は?」

 

 空気が止まる。

 

「あなたのそばで、あなたの戦いを見るから。覚えて⋯⋯盗んで⋯⋯強くなる!」

 

 真っ直ぐに言い切る。

 沈黙──

 やがて、クレメントが、口を開く。

 

「頼めるか」

「正気か⋯⋯?」

「どうせ、この子は止まらん。突き放しても、勝手に付いていくぞ」

 

 ユーリは、しばらく黙る。

 そして──

 

「⋯⋯好きにしろ」

 

 短く言った。

 

 それで、十分だった。

 

「よろしくお願いします!」

 

 シャルロットは歓喜を抑えて、深く、頭を下げる。

 ユーリは何も言わない。

 そのまま、歩き出す。

 

「あ⋯⋯待って!」

 

 シャルロットは、慌てて追いかける。

 その背中に、希望を見た。

 今はただ、前へ進む。

 ──強くなるんだ。

 この黒衣の剣士のように。

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