黒のまにまに
目的地へ続く街道を、二つの影が進む。
乾いた土を踏みしめる音だけが、静かに続く。
迷いのない足取りで前を行く黒衣の剣士──ユーリ。
シャルロットは、その背中に置いていかれないように続く。
道中、二人の間に会話は無い。
正確には、シャルロットが何度か会話を試みているのだが、ユーリは「ああ」だとか「いや」といった返事のみであるため、続かない。
半ば強引に、旅に同行しているため、文句を言える立場でないのだが。
分かれ道に差し掛かる。
立て札も、地図もない。
しかしユーリは、躊躇なく左の道を選んだ。
その後も、分岐点に当たるたびに、迷うことなく道を進んでいく。
不意に疑問を投げかける。
「ユーリさんは、ここを通ったことがあるの?」
「いや」
短い返答。
「そ、そうなんだ⋯⋯」
適当に歩いているのだろうか?
そんな考えが、頭をよぎる。
ユーリの背中をしばらくついて行くと、ふと空気の変化に気がつく。
音が減る。
風が、止む。
胸の奥が、ざわつく。
「⋯⋯っ」
思わず足を止める。
忘れるはずもないこの感覚──。
騎士学校の時と同じだ。
ユーリも足を止める。
視線は、前。
その瞬間。
地面が爆ぜ、現れたのは──神獣。
二本の大きな角を生やした巨大な馬の姿をしている。
「あ、あれは⋯⋯バイコーン!」
脳内の知識を掘り起こし、呟く。
同時に、バイコーンが激しく嘶いた。
圧が、空気を押し潰す。
肌に刺さるような殺気。
息が、浅くなる。
「っ⋯⋯!」
反射的に剣を抜き、構える。
体が、震える。
恐怖を抑え込み、一気に踏み込む。
全力の突き。
だが──
「っ!?」
刃は、皮膚の手前で止まった。
突き込んだはずの力が、すべて弾き返される。
ミノタウロス同様に、鋼鉄のように硬い。
シャルロットの隙を突き、バイコーンが巨大な角を振り払う。
直撃する──!
刹那、体をぐいっと引かれ、紙一重で回避する。
「ユーリさん!」
「引いてろ」
ユーリが刀の柄に手を添える。
無音──
次の瞬間、視界から──消えた。
ユーリはバイコーンの背後に立っていた。
──チン。
鍔鳴りと同時に、バイコーンの長い首が、落ちた。
あまりにも静かに。
あまりにも、あっけない。
言葉が出ない。
◆◆◆◆◆
日が沈み、街道は闇に包まれた。
目的の街までまだ距離があるらしく、今夜は野営をすることになった。
シャルロットにとって、初めての野営だ。
先の戦いでは、足手まといでしかなかった。
せめて今は、別のところで役に立たなくては。
薪集めと食料探しに勤しんだ。
火が、揺れる。
焚き木の弾ける音が、静寂に響く。
シャルロットは、膝を抱えて火を眺める。
隣では、ユーリが串に刺した焼きキノコを食べている。
おもむろに、シャルロットが口を開く。
「ユーリさんの剣術⋯⋯すごかった」
ユーリは黙々とキノコを咀嚼している。
構わずシャルロットが続ける。
「流派名はあるの?」
「⋯⋯黒刃流」
「くろはりゅう⋯⋯ミノタウロスやバイコーンを両断したのも、その黒刃流の剣術なの?」
「⋯⋯壱式・影斬。瞬時に敵との間合いを詰める無音の居合術だ」
初めて会話が続いたことに驚く。
ここぞとばかりに、シャルロットは続ける。
「すごいよね。動きが洗練されてるっていうか、速さと鋭さが卓越してるっていうか⋯⋯」
上手く伝えられない。
「すごい」としか表現できない語彙の少なさが恨めしい。
それほどまでに、ユーリは、黒刃流は、常軌を逸していた。
「⋯⋯そろそろ休め。明日に響くぞ」
食べ終わった串を焚き火に放り投げ、ユーリは地べたに寝転がった。
シャルロットも促されるままに横になる。
──耳が、勝手に音を拾う。
葉の擦れる音。
火の燃える音。
虫の声。
(眠れない⋯⋯)
緊張、不安、恐怖──
色々な感情が胸の中で渦巻く。
ユーリが不意に口を開く。
「十匹、来るぞ」
「⋯⋯えっ?」
起き上がり、ユーリを見やる。
ユーリは目を閉じたまま微動だにしない。
耳を澄ます。
──草を踏み鳴らす音。
──かすかに聞こえる唸り声。
シャルロットは帯剣し、立ち上がる。
遠方に、闇に光る魔獣の目を確認。
月明かりでその姿が照らされる。
──ヘルハウンドの群れだ。
呼吸を整え、間合いを測る。
一対複数の戦い方は心得ている。
焦らず、突っ込まない。
まずは敵の数を減らすことを優先。
痺れを切らしたのか、ヘルハウンドの一匹が飛びかかる。
爪と牙に注意して回避。
隙をついて反撃。
レイピアの剣先が、ヘルハウンドを貫く。
確かな手応え。
神獣とは違う。
ちゃんと、戦えてる。
一体、また一体。
確実に減らしていく。
最後の一体を斬り伏せる。
辺りに静寂が戻る。
深く息を吐く。
それが、安堵からなのか、疲労からなのかは分からない。
ユーリは、何も無かったかのように眠っている。
ユーリは、気づいていた。
ヘルハウンドが近づいていることも。
その数までも。
シャルロットは、気づけなかった。
音が聞こえて、ようやく分かった。
──遠い。
あまりにも、遠い。
シャルロットは再び横たわる。
しかし、いつまた襲われるかもしれないこの状況で、眠りにつけるはずも無かった。
◆◆◆◆◆
翌日、街道を進んだ二人は、市場の街──エルードに到着する。
多くの人が行き交い、活気がある。
通りには、様々な商店が並び、物珍しい品物が興味を惹く。
「うわぁ、すごいねぇ!」
シャルロットが思わず感嘆の声をあげる。
物心ついた頃から、騎士学校の中が世界の全てだった。
その殻から抜け出し、シャルロットは今、この世界について学んでいるのであった。
「ここは、何か用事があるの?」
「物資の調達だ」
ユーリが言う。
「あっ、なるほど」
そこで、素朴な疑問が生まれる。
「そういえば、ユーリさんって⋯⋯お金、持ってるの?」
「いや、ない」
「えっ?無いって⋯⋯それじゃあどうやって買い物するつもりなの!?」
「当てがある」
ユーリの後を追って辿り着いたのは、何やら立派な佇まいの建物。
「ここ⋯⋯なに?」
「商工会」
「ギルドって、確か⋯⋯」
ギルド──職業組合。
様々な依頼を管理する組織だと聞いている。
「依頼を受けてお金を稼ぐってこと?」
「いや、用があるのは換金所だ」
「換金所って⋯⋯売るものなんか持ってたっけ?」
シャルロットの疑問にユーリは答えない。
(まさか、刀を売るとかじゃ⋯⋯ないよね?)
そんなシャルロットの不安を他所に、ユーリは扉を開け、中へ入った。
ギルド支部の屋内は、多くの人で溢れていた。
依頼窓口で仕事を探す人。
事務窓口で登録手続きをする人。
換金窓口で素材の売買をする人。
目的は、様々だ。
ユーリは真っ直ぐに、換金窓口へと向かう。
窓口の女性が小さく頭を下げた。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
「こいつを換金してほしい」
懐から取り出したのは革袋。
袋の口を開けると、宝石のような物体が見えた。
色鮮やかで、妖しく鈍い輝きを放っている。
「魔石の換金ですね。鑑定しますので、待合室へどうぞ」
窓口の女性は、革袋を受け取ると、二人を店の奥へと案内した。
鑑定結果を待つ間、シャルロットはユーリに尋ねる。
「ユーリさん。魔石って?」
「魔物や神獣が宿す魔力が結晶化したものだ。加工すれば、魔具に活用できる。だから、原石は高く売れる」
「へぇ⋯⋯」
騎士学校では教わらなかった知識に、シャルロットは感嘆の声を漏らした。
しばらくして、店員が戻ってきた。
その手元を見て、シャルロットは──固まる。
「全部で八十万Nになりますが、よろしいですか?」
──がちゃん
カウンターに置かれた瞬間、山積みの金貨がぶつかり、重く鈍い音が響く。
(き、金貨⋯⋯八十枚⋯⋯?)
現実感がない。
騎士学校で使っていた金額とは、桁が違う。
そもそも──
(そんな量、見たことない⋯⋯)
ちらりとユーリを見る。
「問題ない」
「では、ここにサインを」
慣れた様子で淡々と手続きを済ませる。
迷いも、驚きも、ない。
金貨入りの革袋を二つ携え、「行くぞ」と一言。
その言葉に、はっと我に返る。
「え、えっと⋯⋯ありがとうございました!」
慌てて頭を下げ、シャルロットも後を追う。
「ち、ちょっと!何あれ!?」
ギルド支部を出たところで、シャルロットが堪らず訴える。
「何がだ」
「何がって⋯⋯その金貨!」
思わず声が大きくなる。
「八十枚って⋯⋯普通じゃないよ!?」
ユーリは肩をすくめる。
「魔石が溜まってたからな」
淡々とした返答。
(そういえば⋯⋯)
ふと思い出す。
森で倒れていた時のこと。
空腹で動けなかった、と言っていた。
(あの時⋯⋯お金、無かったんだ)
視線が、ユーリの持つ革袋に向く。
今はこれだけ持っているのに。
(旅をして、お金が尽きて、それで⋯⋯)
森に入った。
食料を求めて。
それでも──
この男は、立ち止まらない。
神獣を狩り続けている。
ユーリの目的も、素性も、何も分からない。
けれど、ユーリの人となりだけは、分かったような気がした。




