光芒の白百合 Ⅱ
校舎が見えてきた。
森を抜け、石畳の道に出る。
ようやく、人の気配が戻ってくる。
息が、わずかに乱れる。
肩にかかる重みは、変わらない。
ずる、と。
足が石畳を擦る音が響く。
数人の生徒が、こちらを見る。
「え⋯⋯何、あれ⋯⋯」
「誰?」
視線が集まる。
見知らぬ男を支えながら歩いているのだから、無理もない。
気にせず、歩き続ける。
寮の入口が見えた。
そのまま中へと入る。
「シャルロット?」
顔見知りの女子生徒が声をかけてくる。
「どうしたの、それ⋯⋯」
「森で倒れてて⋯⋯動けないみたいで」
「えぇ⋯⋯?」
戸惑いの声。
「それじゃ」
シャルロットは歩き始めた。
部屋は、二階。
階段を一段ずつ、のぼる。
ようやく、自分の部屋の前に辿り着いた。
扉を開け、中へ入ると、ベッドへと倒れ込ませる。
どさり、と音がした。
「⋯⋯ふぅ」
ちらりと、男を見る。
やはり、静かだった。
呼吸はしている。
生きている。
なのに、そこにいる感じが、薄い。
「⋯⋯ちょっと待ってて」
小さな冷蔵庫を開け、中から器を取り出す。
昨日の残りのシチューを軽く温める。
それを持って、ベッドへ戻る。
「持ってきたよ」
皿を差し出すと、男は匂いにつられるように、ゆっくりと、体を起こした。
動きに、無駄がない。
スプーンを手に取り、一口。
続けて、もう一口。
静かに、皿の中身が減っていく。
一定の速度で、淡々と食べ続けている。
──思わず、見入っていた。
最後の一口を飲み込む。
動きが止まる。
「⋯⋯ごちそうさま。うまかった」
その言葉に、シャルロットは笑みを浮かべた。
「よかった」
ほんの少しだけ、肩の力が抜ける。
「⋯⋯あ、そうだ」
思い出したように口を開く。
「まだ名乗ってなかったね」
姿勢を正し、言葉を続ける。
「私、シャルロット・L=アストライア。王立騎士学校の生徒だよ」
男は、真っ直ぐにシャルロットへと視線を向ける。
「ユーリだ」
それだけだった。
「ユーリさん、ね」
小さく繰り返す。
ふと、視線が自然と流れる。
ベッドの脇に立てかけられている、それへ。
剣とは違う形。
黒い鞘。
黒い柄。
黒い鍔。
華美ではない。
だが、目を引く。
理由は分からない。
ただ、気になる。
「それ⋯⋯」
ユーリが、そちらを見る。
「その剣⋯⋯見たことない形だね」
「これは刀だ」
ユーリは、短く答えた。
「かたな⋯⋯」
聞き慣れない響き。
だが、不思議としっくりくる。
しばらく、見つめる。
「ちょっと、触っても、いい?」
一応、確認する。
「⋯⋯ああ」
短い許可。
そっと、手に取る。
──重い。
想像より、ずっと。
重心も、独特だった。
レイピアとも、片手剣とも違う。
まったく別の武器。
鞘から刀をわずかに抜いてみる。
刃も黒い。
その妖艶な美しさに魅入られる。
そして、理解した。
これは──
斬るための剣だ。
シャルロットが刀を鞘に収める。
「ありがとう」
そう言って、ユーリへ刀を返した。
そして、一瞬だけ、言葉を選ぶ。
「あの⋯⋯」
口ごもるも、やがて意を決したように、言葉を続ける。
「手合わせして⋯⋯くれない、かな?」
真っ直ぐに、ユーリを見る。
純粋な興味──それだけ。
ユーリは、数秒だけ黙り、
「⋯⋯いいぞ」
小さく頷いた。
◆◆◆◆◆
再び、森へ。
いつもの鍛錬の場所。
シャルロットは剣を抜く。
構え、呼吸を整える。
対するユーリは、立っているだけ。
刀は、抜かない。
鞘に収まったまま。
シャルロットは深く息を吐く。
そして、踏み込む。
最速の突き。
狙いも、間合いも、完璧だった。
だが──手応えが、ない。
確かに届いていたはずの剣先が、空を切っていた。
「⋯⋯え?」
視界が、わずかにずれる。
目の前にいたはずのユーリの姿が、消えている。
気づいた時には、すぐ隣に立っていた。
反射的に剣を振るう。
だが、当たらない。
最小限の動きで、全てかわされる。
すべて、紙一重。
無駄のない回避。
──見切られている。
自分の動きが、すべて。
「⋯⋯っ!」
もっと⋯⋯速く──!
連続で突きを放ち、斬り上げ、切り返す。
だが、当たらない。
──違う。
当てさせてもらえない。
呼吸が乱れる。
思考が追いつかない。
どうすればいいのか、分からない。
それでも、体は止まれない。
止まれば終わると、本能が理解していた。
次の瞬間──
目の前に、いた。
いつの間にか、距離が消えている。
刀は、抜かれていない。
鞘に収まったまま。
だが、その先端が、喉元に触れていた。
「⋯⋯っ」
動けない。
理解する。
これは──終わっている。
すでに、斬られている。
膝が震え、力が抜ける。
その場に崩れ落ちた。
「⋯⋯負けた」
小さく、呟く。
最初の一撃で、分かっていた。
届かないと。
勝てないと。
それでも──
ここまでとは、思っていなかった。
何も、できなかった。
完全な、敗北だった。
森の中。
風が、静かに吹く。
しばらくの沈黙。
シャルロットは、ゆっくりと立ち上がる。
「⋯⋯強いね」
ぽつりと、こぼす。
ユーリは、何も答えない。
「ありがとう」
笑顔で礼を言う。
「気にするな」
短い返答。
「⋯⋯飯の礼だ」
押しつけでも、遠慮でもない。
シャルロットは、わずかに目を見開き──
「⋯⋯そっか!」
小さく笑った。
「⋯⋯じゃあ、そろそろ行く」
ユーリが、そう言って歩き出す。
あまりにも自然に。
何事もなかったかのように。
「あ⋯⋯」
声が、漏れる。
もう少しだけ、何か聞きたかった気がする。
だが、引き止める理由はない。
「⋯⋯うん」
小さく頷く。
「またね」
それだけを告げる。
ユーリは振り返らない。
立ち止まることもない。
しかし──
片手を、軽く上げて応じてくれた。
やがて、その背中は木々の奥へと消えていく。
シャルロットは、しばらくその背中を見送っていた。




