不協和音の四重奏 Ⅳ
シャルロットが、地を蹴る。
一気に間合いへと踏み込む。
「はぁぁっ!!」
渾身の突き。
──ザシュッ!!
レイピアが、コボルト・ロードの大腿部へと深々と突き刺さる。
「グァァァッ!!」
初めて、悲鳴が上がった。
巨体が、わずかによろめく。
「⋯⋯!」
アルベルトが、目を見開く。
(通った⋯⋯!)
だが──
「ガァァァァッ!!」
響く咆哮。
コボルト・ロードの視線が、シャルロットへと向けられる。
巨剣を振りかざし──飛びかかった。
(来る!)
魔力の流れを読み、軌道を捉える。
だが──
(──遠い!?)
間合いの誤認、ほんの一瞬のズレ。
振り下ろされる巨剣──
(避けきれな──)
巨剣が、視界を埋める。
──その瞬間。
「ウル・ウォルス!!」
アルベルトの声が、響いた。
──バチィィィッ!!
シャルロットの目の前に、強固な結界が展開される。
巨剣が弾かれ、コボルト・ロードは、反動で体勢を崩した。
その隙に──
シャルロットが、振り返る。
視線の先には、アルベルト。
その顔つきは──さっきとは、違っていた。
焦りではなく、覚悟が宿っている。
「──ふぅっ」
アルベルトは、深く息を吐き、そして──力強く踏み込む。
狙うのは──
シャルロットが突き刺した、大腿部。
「はぁっ!!」
棒に遠心力を乗せて、薙ぎ払う。
──ゴォンッ!!
重い衝撃が走る。
「グォォォォ!?」
コボルト・ロードの体勢が、大きく崩れる。
バランスを失い──
──ドォンッ!!
巨体が、地に倒れ込んだ。
刹那、二人の視線が交わる。
言葉はない。
だが──通じている。
同時に地を蹴り、距離を詰める。
シャルロットが、剣を突き出し、加速する。
神速の突きが、コボルト・ロードの目を貫いた。
「ガァァァッ!!」
視界を奪ったその隙に──
アルベルトが、跳躍した。
棒に、魔力を込める。
『結界』の特性を、叩き込むように。
──全てを乗せる。
「おおおおっ!!」
一気に、振り下ろす。
ランパード流棍術──鹿威し!
──ズドォォンッ!!
脳天へ、直撃。
頭蓋が砕ける音。
コボルト・ロードの巨体が、揺れ──霧散した。
──流れる静寂。
風が、草を揺らす。
シャルロットとアルベルトが、互いに息を整える。
やがて──
「⋯⋯やったね!」
シャルロットが、笑う。
アルベルトも、少しだけ遅れて──笑みを浮かべた。
──わずかな沈黙の後。
「⋯⋯悪かった」
アルベルトが、ぽつりと呟いた。
「え?」
「さっきのこと⋯⋯その前も、全部」
視線を逸らす。
アルベルトの拳が、わずかに震えていた。
「俺⋯⋯たぶん、嫉妬してたんだ」
絞り出すように、言う。
「ユーリに⋯⋯」
シャルロットは、何も言わずに聞く。
「勇者に憧れて、家を飛び出した」
だが現実は、その理想をあまりにも簡単に打ち砕いた。
「なのに⋯⋯神獣には、何も出来なかった」
唇をきゅっ、と噛む。
「そこに、ユーリが現れて⋯⋯あっさり倒して」
自分が何も出来なかった相手を、迷いもなく斬り伏せた。
「すごいって思った。正直に」
あの時は、ただ純粋に憧れてた。
自分もいつか、その領域に到達できると信じて。
「だから、仲間にしたかった。勇者一行に⋯⋯欲しいって」
少しだけ、笑う。
だが──すぐに消える。
「王都ヘイムダルで、アルヴィンさんから聞いただろ」
アルベルトは、低く言った。
「神獣の上には、神がいる。ユーリの旅の目的は、その頂点──神帝だって」
シャルロットは、小さく頷く。
あの時の研究所の空気を、今でも覚えている。
「それを聞いて⋯⋯現実を受け入れたつもりだった」
アルベルトは、苦く笑う。
「でも、本当は違ったんだと思う」
棒を握る手に、力が入る。
「俺が仲間に欲しいと思ってた剣士は──俺が憧れてた『勇者』なんて言葉じゃ、届かない場所を見てた」
一度、言葉が止まる。
「そう思ったら⋯⋯分からなくなった」
声が、少しだけ震える。
「俺が目指してた勇者って、どこにあるんだろうって」
視線を落とし、俯いた。
「そう考え始めたら、その晩は眠れなかった」
そういえば、とシャルロットは思い出した。
翌朝、アルベルトの起床が遅かったことに。
──「ああ。流石に疲れたんだろう。眠らせてやれ」
あの時のユーリの言葉。
それは、単に身体の疲労を指していたわけではない。
ユーリは──あの時すでに、アルベルトの迷いに気づいていたのだ。
「それだけじゃない」
ぽつりと、続ける。
「シャルロットにも⋯⋯嫉妬してた」
「え⋯⋯?」
シャルロットの目が、わずかに見開かれる。
「最初は、俺の方が上だった」
静かな声だった。
「魔力特性も、魔術も、戦い方も⋯⋯だから、余裕があった」
不意に、視線がシャルロットへ向く。
「でも⋯⋯気づいたら、距離が縮まってた」
ふとした瞬間に、それを嫌でも思い知らされる。
「一つ一つは小さいのに、確実に差が詰まっていく」
次第に背後へと近づいてくる。
その感覚が、頭から離れなかった。
「リリアーナに言われただろ。『そのうち追い抜かれる』って」
無機質に言われたあの言葉。
「図星を突かれて、言葉が出なかった」
心の奥に隠してたものを、抉られた気がした。
「嫉妬してる相手に、教えてほしいなんて言えなかった⋯⋯」
プライドが許さなかった。
「でも、シャルロットは──違った」
止まらなかった。
どこまでも真っ直ぐだった。
「分からないことがあれば、すぐ聞いてた」
躊躇なく、相手が誰かなんて、関係ないみたいに。
「俺にも、リオにも⋯⋯年下のリリアーナにだって」
それが特別なことだとも思ってない様子で。
「強くなるためなら、何でもやるって顔で」
ただ、前だけを見ていた。
「⋯⋯怖かったんだ。このままじゃ、置いていかれるって⋯⋯」
言い終えて、ようやく息を吐いた。
俯くアルベルトを見て、シャルロットは返す言葉が無かった。
アルベルトが、そんな苦悩を抱えていたと、気づけなかった。
それでも、何か言わなくては。
そう思い、口を開こうとした。
──その時だった。
──ゾクッ。
空気が、変わる。
全身の毛が逆立つような感覚。
息が、詰まる。
神獣とは、比べものにならない。
──死の気配。
それを、理解させられる重圧だった。
「⋯⋯っ」
反射的に、空を見上げる。
そこに──いた。
ゆっくりと、降りてくる“何か”。
人の形をしている。
だが、人ではない。
背中には、純白の翼。
その存在を見た瞬間──
思考よりも先に、理解していた。
──あれは。
シャルロットの喉が、震える。
「あれが⋯⋯神?」
──父を、殺した憎き存在。
それが現実として、重くのしかかった。
シャルロットの身体が、震える。
理屈ではなく、本能が理解していた。
──コイツは、ヤバい。
降りてきたそれが、口を開く。
「我が広大な大地に、ネズミが二匹、迷い込んだか」
声音に、感情はない。
「穢される前に、駆除せねばな」
言葉の意味は理解できる。
だが──理解が、追いつかない。
分かるのは、ただ一つ。
自分たちに向けられている、明確な“殺意”。
身体が、動かない。
次の瞬間──
神の姿が、視界から消えた。
「っ!?」
気づいた時には、目の前にいた。
神が無機質に唱える。
「アサルガ」
「っウォルス!!」
シャルロットの前へ、アルベルトが割り込む。
防御結界が展開される。
だが──
──バキィィィッ!!
──ドォォォンッ!!
一瞬で砕ける結界。
同時に巻き起こる爆発。
魔術の威力の桁が、違う。
二人はそのまま吹き飛ばされ、地面へ叩きつけられる。
「⋯⋯っ、が⋯⋯」
体中が流血し、動けない。
呼吸すら、ままならない。
神が、ゆっくりと歩み寄る。
逃げられない。
抗えない。
──死が迫る。
その時──
「ネズミは二匹じゃなく、四匹だったか」
視線が、別の方向へ向く。
その視線の先に──ユーリと、リリアーナが立っていた。
「羽、生えてる。あれ、なに?鳥人族?」
リリアーナの声は、いつも通りだった。
「口を慎め、ネズミめ」
わずかに、神の眉が動く。
「私は十神官がひとり、ガムビエル。混血の劣等種と同列に語るな」
「⋯⋯混血の、劣等種?」
リリアーナの瞳が、わずかに揺れる。
「獣でも人でもない、出来損ない──存在そのものが穢れだ」
──間に流れる沈黙。
やがて、リリアーナは一歩踏み出し、口を開いた。
「⋯⋯ユーリ。コイツ、私がやる」
その声は、低い。
「お父さん、侮辱した。絶対に、許さない」
あまり感情を見せないリリアーナが見せる、静かなる怒気。
ユーリが小さく頷く。
「⋯⋯好きにしろ。ただしまだ殺すな。貴重な情報源だ」
「ん」
リリアーナは頷くと、ふわりと浮かび上がる。
ガムビエルを上空から見下ろし、手をかざす。
「──グラビトン」
重力が、落ちる。
ガムビエルの身体が沈む。
だが──潰れない。
「⋯⋯くっ、重力魔術か。小賢しい」
わずかに、表情が歪む。
「ネズミが──私を見下ろすな。不快だ」
重力を押しのけ、跳躍する。
リリアーナよりも高い位置で止まる。
「そんなに見下ろすの、好き?心、狭い」
挑発するようなリリアーナの言動。
ガムビエルが、一気に距離を詰める。
「耳障りな音で鳴くな。その喉、潰してやろう」
そう言いながら首を掴もうとする、その手を──
──バシン
リリアーナの手が、弾いた。
「なっ⋯⋯!?」
ガムビエルの目が、初めて見開かれる。
「触るな」
リリアーナが、淡々と告げる。
「私に触れていいのは、ユーリだけ」
空中で体を捻り、踏み込む。
そして──
──ダァンッ!!!
リリアーナの拳が──突き刺さる。
「──がはっ!!?」
ありえないはずの、痛み。
──神威を纏った、この身体に。
内部へと走る衝撃。
ガムビエルの身体が波打つ。
口から血を吐き、内側から、破壊される。
そして──
──ドォォォンッ!!
ガムビエルが、天より大地へと叩きつけられた。
「⋯⋯っ、が⋯⋯」
ガムビエルの身体は、草原の大地にめり込んでいた。
「なに⋯⋯今の?」
シャルロットは、言葉を失った。
「り、リリアーナって⋯⋯魔導士じゃ、なかったのか⋯⋯?」
アルベルトは、目を疑った。
今、リリアーナが見せたのは、明らかに武術。
付け焼き刃などではない、熟練の武術家の動きである。
「竜刻拳」
リリアーナが、ゆっくりと地へ舞い降りながら答える。
「お父さんに教えてもらった、竜人族の極意」
拳を軽く握り、小さく掲げる。
それが誇りであるかのように。
「今のは、哮爆衝」
淡々と続ける。
「自分に来る衝撃ごと、叩き込む技」
リリアーナが小さく微笑む。
「魔術より、こっちの方が得意」
ガムビエルの元へ、ユーリがゆっくりと歩み寄る。
草原にめり込んだままの神は、辛うじて意識を繋いでいた。
「ぎ⋯⋯貴様ら⋯⋯何者だ⋯⋯?」
血を吐きながらガムビエルは問う。
だが、ユーリは答えない。
ただ一歩、距離を詰める。
「アースガルドへの道を教えろ」
単刀直入だった。
ガムビエルの目が、わずかに細まる。
「聞いて⋯⋯どうする?」
「それは、お前の知る所じゃない。黙って答えろ」
冷たい声だった。
ガムビエルは、じっとユーリを見つめる。
その容貌、黒衣の外套、漆黒の刀──。
やがて、何かに気づいたように、小さく笑った。
「そうか⋯⋯きさま⋯⋯『死神』か⋯⋯」
かすれた声が、続く。
「同胞の⋯⋯バキエルを⋯⋯殺した⋯⋯」
ユーリは、何も言わない。
ただ、視線だけが鋭くなる。
「ふっ⋯⋯無駄だ⋯⋯」
ガムビエルの口元が歪む。
「きさまは⋯⋯アースガルドに⋯⋯たどりつけ──」
言葉が、途切れた。
何かを言いかけたまま──
ガムビエルの身体は、霧散していく。
跡には、何も残らない。
「⋯⋯ちっ」
ユーリが、舌打ちをした。
それだけだった。
リリアーナが、ゆっくりと二人のもとへ歩み寄る。
手をかざし、回復魔術を展開する。
「ヒルリア」
淡い光が、シャルロットとアルベルトを包み込む。
痛みが、少しずつ引いていく。
何とか、身体を起こせる程度まで回復した。
「⋯⋯っ、はぁ⋯⋯」
アルベルトが息を吐く。
そして、ゆっくりと立ち上がると──
ユーリとリリアーナの前に向き直った。
「⋯⋯ごめん」
頭を下げる。
何が、とは言わない。
しかし、ユーリとリリアーナには、充分に伝わった。
アルベルトは、ゆっくりと顔を上げる。
その目には、もう迷いはなかった。
「リリアーナの言う通りだ」
静かに言う。
「俺は弱かった。劣等感に振り回されて、自暴自棄になってた」
その言葉は、自分自身を切り裂くようだった。
まずは、己の弱さを認めること──それにアルベルトはようやく気づいた。
「それで、どうするの?」
リリアーナが単刀直入に尋ねる。
「どう、って?」
「アルベルト、プライドがどうとか言ってた。でも、これから先は、そんな小さなこと、言ってられない。なりふり構わず強くならないと⋯⋯死ぬよ」
その言葉に、アルベルトはゴクッと喉を鳴らした。
しかし、目は決して逸らさない。
リリアーナの言葉の真意が、今なら理解できる。
先の、神との戦い。
逃げることすら叶わない圧倒的戦力差。
ユーリとリリアーナが来なければ、確実に死んでいた。
もはや、プライドがどうとか、言ってられない。
本気で強くならないと、待っているのは、死だけである。
「分かってる。だから──もう逃げない」
逃げ場を断つように、強く言い切る。
「強くなるために⋯⋯そして、俺の目指す勇者になるために」
揺れていた視線が、まっすぐ前を向く。
「何だってやってやる!」
その瞳には、もう迷いはなかった。
一歩、踏み出す。
その覚悟を聞き、ユーリは、ほんのわずかに口元を緩める。
アルベルトは、深く息を吸い──
「そこで、頼みがある」
そう言って、リリアーナへと向き直った。
「⋯⋯私?」
首をかしげるリリアーナ。
アルベルトは、勢いよく頭を下げる。
「俺を⋯⋯弟子にしてくれ!!!」
草原に響く、大声。
──一瞬の静寂。
「⋯⋯やだ」
即答だった。
「な、なにぃぃぃぃ!!?」
アルベルトの叫びが、空に響く。
断られるなど、微塵も想定していなかったのだろう。
顔を引きつらせ、目を見開いている。
その様子を見て──
シャルロットは、思わず小さく笑ってしまった。
さっきまで、死を覚悟していたはずなのに。
こんな風に、笑っている自分がいる。
突如現れた、人類の天敵──神。
今思い返しても、あの恐怖は消えていない。
それでも──
視線の先には、ユーリの背中。
神すら畏怖する、漆黒の剣士。
シャルロットは、そっと拳を握る。
(もっと、強くならなきゃ⋯⋯!)
その想いが、確かにあった。
(そして、いつか必ず──)
追いつくと、決めた。




