不協和音の四重奏 Ⅲ
──翌朝。
アルベルトは、ゆっくりと目を覚ました。
ぼんやりと天井を見上げる。
身体は休まっているはずなのに、どこか重い。
ふと、隣へ視線を向ける。
──いない。
ユーリの姿が、なかった。
(もう起きてるのか⋯⋯?)
その時──
──カンッ!!
外から、乾いた音が響いた。
剣戟の音。
アルベルトは身を起こし、窓へと歩み寄る。
外を覗いた瞬間──その目が、わずかに見開かれた。
そこには──ユーリとシャルロットの姿があった。
向かい合い、手合いをしている。
「はぁっ!」
シャルロットが踏み込み、レイピアを振るう。
速い──迷いのない連撃。
だが、ユーリは、すべてを見切っていた。
紙一重でかわす。
一歩も無駄にしない最小限の動き。
そして──
シャルロットの隙を突き、いつの間にか背後へ。
気配を読む。
魔力の流れを捉える。
振り向きざまに、反撃。
──ギィン!!
ユーリの鞘をレイピアで受け止める。
以前なら、反応すら出来なかった一撃。
だが今は──届く。
ユーリが、わずかに目を細める。
(対応できてる⋯⋯?)
アルベルトは、息を呑んだ。
手合いは、しばらく続き──やがて終わる。
その時だった。
ふわり、と影が落ちる。
視線を上げると──リリアーナが、空から降りてきた。
どうやら、上空で観戦していたらしい。
「シャルロット、朝から元気」
淡々とした声。
「えへへ、やっぱり、朝の鍛錬は格別だよね!」
汗を拭いながら、屈託なく笑うシャルロット。
「ユーリとの手合いの前にも、二時間くらい動いてた」
リリアーナが見ていた限りでは、ランニング、筋トレ、素振り⋯⋯。
見ているだけで、少し疲れる内容だった。
「うん!習慣になっちゃったから、やらないと何だか落ち着かなくて⋯⋯」
「⋯⋯鍛錬バカ」
リリアーナが、呆れたように呟く。
そのやり取りを──
アルベルトは、窓越しに見つめていた。
(なんで、そこまで出来る⋯⋯?)
昨日まで、同じ場所にいたはずなのに。
気づけば──自分だけが、置いていかれている。
アルベルトは、拳を強く握りしめた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
空は澄み渡り、草原には穏やかな風が流れていた。
一行は、牧羊の村『パストール』を出発し、再び街道を進んでいた。
アルベルトは、いつも通りの表情だった。
姿勢も、歩幅も、何一つ変わらない。
昨夜のことなど、なかったかのように。
「今日もいい天気だね!」
昨日から続く重い空気を払拭するように、シャルロットが明るく声を上げる。
「⋯⋯そうだな」
アルベルトも、普段通りに応じる。
声色も、違和感はない。
だが──
その明るさが、どこか浮いていた。
ユーリも、リリアーナも、何も言わない。
気づいている。
だが、触れない。
その沈黙の中で──
(どうしよう⋯⋯)
シャルロットだけが、落ち着かずに視線を泳がせていた。
──その時。
「⋯⋯あっ」
シャルロットの足が止まる。
「前方に、魔獣の気配!」
視線が鋭くなる。
「⋯⋯数は?」
「十⋯⋯いや、それよりも⋯⋯一匹、魔力の高い個体がいる」
草をかき分ける音。
次の瞬間──
茂みの中から、緑色の影が飛び出した。
「ゴブリン⋯⋯!」
さらに──その後ろ。
一回り大きい個体。
筋肉質な体躯、赤黒い皮膚。
「ホブゴブリンか⋯⋯!」
アルベルトが低く呟く。
ゴブリンの上位種。
他のゴブリンとは、存在感が違う。
「アルベルト、準備はいい?」
シャルロットが声を飛ばす。
アルベルトも頷き、一歩前へ出る。
「任せろ」
いつもの軽い笑顔は──ない。
「──アサルガ!」
シャルロットの魔弾が、次々と放たれる。
──ドンッ!ドンッ!!
「⋯⋯!」
アルベルトが、わずかに目を見開く。
シャルロットが放つアサルガが、ゴブリン達の頭部を正確に撃ち抜いていく。
昨日とは違う。
速い充填。
魔術と魔術の間に隙がない。
ゴブリンが次々と倒れていく。
戦況が、一気に傾く。
その時──
(来る!)
ホブゴブリンが踏み込む。
「ウォルス!」
目の前に、防御結界が展開される。
ホブゴブリンの巨大な棍棒が直撃する。
──バチィィッ!!
「っ⋯⋯!」
サイクロプスほどではないが、一撃が重い。
「シャル!そっちは任せた!」
「うん!」
シャルロットが魔弾を連射し、次々とゴブリンを撃ち倒していく。
一方のアルベルトは単騎、ホブゴブリンと対峙する。
踏み込み、棒を突き出しながら突進。
ランパード流棍術──猪突。
高速の突きが、ホブゴブリンの腹部に直撃する。
──ゴスッ!!
皮膚に食い込む手応えはある。
だが──
(硬い⋯⋯!)
焦りが、胸に広がる。
一度距離を取り、もう一撃。
さらに一撃。
だが、決定打にならない。
その間にも、シャルロットがゴブリンを殲滅していく。
やがて──
残ったのは、ホブゴブリン一体。
シャルロットが、構える。
「アサル──!」
「待て!」
アルベルトが、手で制した。
「⋯⋯アルベルト?」
「⋯⋯俺が、やる!」
静かな声。
だが、力強い。
アルベルトは、ユーリへ視線を向ける。
「⋯⋯頼む」
縋るような顔。
ユーリは一瞬だけアルベルトを見た。
その表情を、確かめるように。
「⋯⋯好きにしろ」
ユーリの言葉を受け、シャルロットが一歩、下がる。
アルベルトが棒を構え、飛び出す。
──振るう。
──打ち込む。
──叩き込む。
だが──
ホブゴブリンは怯まない。
(何でだ⋯⋯!)
力を込める。
速度を上げる。
だが、変わらない。
攻撃が、通らない。
焦りが、膨らむ。
(くそっ⋯⋯くそぉっ⋯⋯!)
思考が乱れ、動きが雑になる。
その瞬間──
ホブゴブリンの腕が振り上がった。
「──!」
回避も、ウォルスの発動も、間に合わない。
その時──
空気が、歪んだ。
──ズゥン。
ホブゴブリンの体が、地に沈む。
「なっ⋯⋯!?」
アルベルトは目を見開き、実行者へと視線を向けた。
宙に浮かび上がったリリアーナが、手をかざして魔術を発動させている。
ホブゴブリンが、みるみる地面へと押し潰されていく。
骨が軋む音。
抵抗できない。
そして──
──グシャッ。
完全に潰れた音と共に、ホブゴブリンが霧散する。
リリアーナが、ゆっくりと手を下ろした。
すぅっと音もなく着地するリリアーナに、アルベルトが、物申す。
「何で、手を出したんだよ⋯⋯」
アルベルトはリリアーナに歩み寄る。
「こいつは俺が倒すって⋯⋯」
「無理」
切り捨てるようなリリアーナの返答。
自然と、棒を握る手にぐっと、力が入った。
「何十回、何百回やっても、同じ」
それでも、リリアーナは続ける。
「時間の無駄」
「──っ!!」
リリアーナの辛辣な言葉が、アルベルトの心を抉る。
アルベルトは、ぐっと奥歯を噛みしめた。
「俺は、勇者になるんだ⋯⋯これくらいの困難、乗り越えなきゃ⋯⋯」
絞り出すような声だった。
自分に言い聞かせるように、言葉を並べる。
「勇者って──何?」
リリアーナの問いは、静かだった。
だが、その一言で空気が変わる。
「え⋯⋯?」
アルベルトの動きが、止まる。
「何でもひとりでやる人が、勇者?」
淡々と続けられる言葉。
そこに、感情はない。
ただ、事実を確かめるように。
「そうじゃない。世界を救うもの──それが勇者だ」
即答だった。
だが、その声には、わずかな揺らぎが混じる。
「魔獣をひとりで倒すことが、世界を救うことと関係があるの?」
返す言葉が、出ない。
アルベルトの思考が、一瞬だけ止まる。
繋がらない。
自分の中で、上手く結びつかない。
「⋯⋯っ!それはっ⋯⋯」
言葉を探す。
だが、出てこない。
「俺にだって、プライドってものが⋯⋯」
ようやく出た言葉は、答えになっていなかった。
「それは、勇者になるために必要なものなの?」
静かに、重ねられる。
逃げ道を塞ぐように。
ゆっくりと、確実に。
「⋯⋯⋯っ」
何も言えない。
言い返せない。
否定できない。
だが、認めることもできない。
喉が、詰まる。
その沈黙を見て──
リリアーナは、ほんのわずかに首を傾げた。
「アルベルト、何をしたいの?」
その問いに──
答えは、出なかった。
何かを言おうとして、口が開く。
だが、言葉にならない。
思考がまとまらない。
胸の奥にあるはずの“何か”に、手が届かない。
「⋯⋯っ」
奥歯を噛みしめる。
視線が揺れる。
耐えきれなかった。
──次の瞬間。
アルベルトは、踵を返して走り出した。
「アルベルト!」
シャルロットが、反射的に声を上げる。
返事はない。
そのまま、草原の奥へと消えていく。
一瞬だけ、迷う。
だが──
「待って!」
シャルロットも駆け出した。
その背を追うように、風が草を揺らす。
残されたのは──二人。
ユーリと、リリアーナ。
しばらく、誰も口を開かなかった。
風の音だけが、静かに流れる。
やがて──
「ユーリ」
リリアーナが、ぽつりと呼ぶ。
「なんで、アルベルトに戦い方、教えないの?」
視線は、アルベルトが消えた方向へ向けられている。
ユーリは、わずかに目を細めた。
「あいつが、望まないからだ」
即答だった。
「強くなりたいのに、強くなる方法、教わりたくないって、矛盾してる」
リリアーナの言葉は、純粋な疑問だった。
「言ってただろ。それがアルのプライドだ」
ユーリは、短く答える。
「⋯⋯よく、分かんない」
リリアーナは、首を傾げる。
アルベルトの行動は、非効率かつ不合理だ。
それを続けようとする理由が──どうしても理解できない。
その様子に、ユーリはわずかに目を細めた。
「理屈じゃないってことだ」
短く、断ち切るように言う。
そして、視線を遠くへ向ける。
「別に、理解する必要はない」
それだけ言って、ユーリはアルベルトの走り去った方角へ、ゆっくりと歩き出した。
リリアーナは、その背中を見つめる。
ほんのわずかだけ──
考えるように、視線を落とした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アルベルトを探して、シャルロットは草原を駆ける。
(アルベルト⋯⋯どこ!?)
シャルロットは、必死に周囲へ意識を広げた。
広い草原の中に捉える、覚えのある魔力。
──アルベルトのものだ。
だが──それだけじゃない。
(これって⋯⋯)
複数の反応。
しかも、どれも近い。
嫌な予感が、胸を締め付ける。
(まさか──)
シャルロットは、走る速度を上げた。
視界の先、草を掻き分けた瞬間──
アルベルトの姿を捉える。
その周囲には──
「あれは⋯⋯コボルト!」
灰色の毛並み、鋭い牙。
低く唸りながら、群れで取り囲んでいる。
すでに戦闘は始まっていた。
アルベルトの棒が、振るわれる。
叩き、払う。
だが──
(いつもと、違う⋯⋯)
シャルロットは、違和感を覚えた。
動きは悪くない。
むしろ、速い。
だが──余裕が、ない。
呼吸が荒い。
踏み込みが深く、力任せだ。
何かに追われるような、鬼気迫る動きだった。
「アルベルト!」
シャルロットが叫ぶ。
一瞬だけ、視線がこちらに向く。
だが、すぐに戻る。
「来るな!」
アルベルトが強い拒絶を言い放つ。
「でも──!」
その瞬間──空気が、変わった。
群れの奥から、一体が現れる。
他よりも一回り大きい。
筋肉質な体躯、鋭く細い眼、そして手に持つ巨剣。
「⋯⋯っ!」
シャルロットの背筋に、冷たいものが走る。
「コボルト・ロード⋯⋯!」
次の瞬間──
コボルト・ロードが、消えた。
(速い!!)
アルベルトの横へ、一瞬で回り込む。
──ギィン!!
コボルト・ロードの巨剣を、アルベルトが棒で辛うじて受け止める。
「っ⋯⋯!」
重い衝撃。
だが、それ以上に──
(見えてない⋯⋯!)
アルベルトの反応が、遅れている。
焦りが、判断を鈍らせている。
「アルベルト!下がって!」
「来るなって言ってるだろ!」
振り返らないまま、怒鳴る。
「俺のことは放っておいてくれ!」
その言葉に──
シャルロットの中で、何かが切れた。
「──いい加減にして!!」
怒声が、草原に響いた。
アルベルトの動きが、一瞬止まる。
「何で、一人で抱え込もうとするの!?」
シャルロットが、手をかざす。
視線はコボルト・ロードに向けたまま、言葉を続ける。
「仲間でしょ!?」
──ドォン!!
巨剣を構えるコボルト・ロードを、シャルロットの魔弾が牽制する。
そして、しっかりとアルベルトを見る。
逃がさないように。
「⋯⋯リバーグレイスで、アルベルト、言ったよね。『俺は、この街を守りたい』って」
その言葉に、アルベルトの肩が、わずかに揺れる。
「あの時のアルベルトは、神獣を倒すことよりも、街の人達を守ることを選んだ」
だからこそ、シャルロットは覚えている。
──あの判断を。
──あの覚悟を。
「私は、すごいと思った。強い敵を倒すことだけが強さじゃないって、アルベルトに教えられた」
コボルト・ロードが、低く唸る。
シャルロットはレイピアを抜き、鋭く構えた。
「なのに今のアルベルトは、自分のプライドを守ることばかり考えてる」
「⋯⋯っ!そ、それは⋯⋯」
アルベルトの声に動揺が広がる。
「ねえ、アルベルト」
シャルロットは、アルベルトを真っ直ぐに見た。
「それは⋯⋯アルベルトの目指す勇者の姿なの?」
その問いに──アルベルトは、息を呑んだ。




