不協和音の四重奏 Ⅱ
外に出ると、夕陽はすでに地平線へと沈みかけていた。
赤く染まっていた草原は、ゆっくりと色を失い、群青へと移り変わっていく。
シャルロットとリリアーナは、まだ柵のそばで羊と戯れている。
戻ってきたユーリの姿が見え、アルベルトが声を掛ける。
「ユーリ、宿は取れた?」
「ああ。宿代の代わりに魔獣退治も引き受けた」
「あ⋯⋯そうなんだ⋯⋯」
アルベルトが苦笑いする。
ユーリは村の外へと視線を向けた。
「付いて来い」
短く告げる。
ユーリの声を聞いたシャルロットとリリアーナも戻ってきた。
四人は、柵の外へと回り込んだ。
踏み荒らされた草。
抉れた土。
そして──
「⋯⋯何、この大きな足跡」
シャルロットが息を呑む。
足跡は深く、広い。
一歩ごとに地面が沈み込んでいる。
「⋯⋯相当な重量だな」
アルベルトが膝をつき、指でその跡をなぞった。
「真っ直ぐ、ここに来てる」
リリアーナが淡々と告げる。
ユーリは無言で周囲を見渡し──
小さく頷いた。
──情報は、集まった。
夜の戦闘に備え、一行は宿へと向かって行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
──夜が来る。
風が、低く草原を渡っていた。
村の灯りは、頼りなく揺れている。
柵の内側では、羊達が不安げに身を寄せ合っていた。
鳴き声が、ない。
不自然なほどに──静かだった。
──ズシン。
大地が、わずかに揺れる。
──ズシン。
重い足音。
ゆっくりと、確実に近づいてくる。
闇の中に、影が浮かび上がった。
ゆっくりと──その巨体が、夜の中から滲み出る。
一つ目──。
巨大な体躯。
岩のような皮膚。
手にした金棒を、地面に引きずっている。
「⋯⋯来たな」
アルベルトが低く呟く。
大型魔獣──サイクロプス。
ただ立っているだけで、空気が重い。
「シャル」
ユーリが呼ぶ。
「基本は魔術でやれ」
いつも通りの指示。
だが──
「⋯⋯危ないと思ったら、抜け」
一拍置いて、続ける。
「命を優先しろ」
「⋯⋯分かった」
シャルロットが、小さく頷く。
「──アルベルト」
「分かっている」
シャルロットの声掛けにアルベルトは頷き、一歩前に出る。
ユーリとリリアーナは動かない。
「行くよ⋯⋯!」
シャルロットが踏み込んだ。
「──アサルガ!」
放たれた魔弾が、一直線に飛ぶ。
──ドンッ!!
確かに捉えた。
だが──
煙の向こうで、サイクロプスは止まらない。
「⋯⋯効いてない!?」
皮膚の表面が、わずかに焦げただけ。
「下がれ!」
アルベルトが前に出る。
振り抜かれた棒が、巨体へと叩き込まれる。
──ゴンッ!!
確かな手応え。
だが──
「っ⋯⋯!」
弾かれた。
まるで岩だ。
サイクロプスの腕が振り上がる。
──ブォンッ!!
空気を裂く一撃。
「ウォルス!」
防御魔術が展開される。
──バチィィッ!!
障壁が軋む。
「くっ⋯⋯!シャルロット、今のうちに!」
「うん!」
シャルロットが再び手を掲げる。
その時──
「⋯⋯シャルロット」
リリアーナが不意に声を掛ける。
「さっき言ったとおりに、やってみて」
「⋯⋯うん!!」
シャルロットが手元に意識を集中する。
気がつくと、魔弾が出来上がっていた。
今までとは、段違いの速さである。
「──アサルガ!」
放った魔弾が胴に直撃する。
だが、サイクロプスは怯まない。
重い足取りで、確実に近づいてくる。
シャルロットは諦めない。
すぐに魔力を練り直し、発射する。
それを何度も繰り返す。
気づくと、シャルロットの課題であった魔術と魔術の間の隙は、克服されていた。
アルベルトはシャルロットの変化に疑問を抱きつつ、まずは目の前の敵に集中し直す。
しかし──削れない。
シャルロットの魔術発動速度が上がろうと、威力は変わらない。
時間だけが、削られていく。
アルベルトの額に、汗が滲む。
呼吸が、わずかに乱れる。
押し返せない。
倒せない。
このままでは、ジリ貧だ。
その時──
「⋯⋯時間だな」
ユーリの声が、落ちた。
次の瞬間──
サイクロプスの巨体が突如、沈んだ。
「⋯⋯え?」
地面へと押し潰す、見えない力。
「グォォォッ!?」
サイクロプスは抵抗しようともがく。
だが、動けない。
ミシッ──
骨が軋む。
バキッ──
肉が裂ける。
そして──
──ベキンッ
完全に、潰れた。
──静寂。
リリアーナが、ゆっくりと手を下ろす。
「終わり」
淡々と告げた。
風の音だけが、遅れて戻ってくる。
シャルロットは、言葉を失ったままその場に立ち尽くしていた。
アルベルトもまた、動かない。
目の前で起きた出来事が、現実としてうまく飲み込めない。
あれほど苦戦していた相手が──
たった一瞬で、消えた。
まるで──
最初から敵などいなかったかのように。
リリアーナは、何事もなかったかのようにユーリの元へと戻る。
「倒した」
繰り返すように、小さく告げた。
「ああ」
ユーリは短く頷くだけだった。
それ以上、何も言わない。
評価も、称賛もない。
それが逆に──当たり前であるかのように思えた。
シャルロットは、ゆっくりと拳を握る。
(勝てなかった⋯⋯)
怯ませる事すら、出来なかった。
悔しさが、胸の奥で静かに燻る。
アルベルトは、わずかに視線を落とす。
無言で、ただサイクロプスが潰れた地面を見つめている。
そこにあったはずの“壁”が、あまりにもあっさりと踏み潰された。
圧倒的過ぎて、笑えてくる。
自分が、どれだけ足掻いていたのかが、急に滑稽に思えた。
二人の様子を、リリアーナが静かに見つめる。
ほんのわずかな間。
「アルベルト」
リリアーナが、不意に口を開いた。
視線が向く。
「弱い」
静かな声。
だが、重みがある。
「⋯⋯っ」
一瞬、空気が止まる。
「リリアーナ!そんな言い方──」
シャルロットが咄嗟に声を上げる。
「事実」
迷いはなかった。
「でも、それを言ったら、私の方が⋯⋯」
シャルロットが言葉を詰まらせる。
自分の方が足を引っ張っていた。
それは、分かっている。
だが──
「シャルロットは、強い」
リリアーナは、はっきりと言った。
「⋯⋯え?」
シャルロットが目を見開く。
リリアーナの視線が、ゆっくりとアルベルトへ向く。
「この意味、分かんないなら」
ほんの一瞬の沈黙。
リリアーナの脳裏に浮かんでいたのは──
先ほど、何の躊躇もなく自分に教えを乞うたシャルロットの姿だった。
「アルベルト──」
その紫水晶の瞳が、アルベルトの心を見透かすように、見つめる。
「すぐに、シャルロットに追い抜かれる」
「──っ!!」
言葉が──鋭く、深く、刺さる。
アルベルトは、何も言わない。
言い返すことも、否定することも。
ただ──
「⋯⋯本当に、容赦ないな」
小さく、苦笑した。
いつも通りの声音。
いつも通りの表情。
だが、その奥で──
確かに、何かが軋んでいた。
それはまだ、音にならない亀裂だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
宿に戻ると、依頼を達成したユーリ達に感謝した店主が、豪華な夕食を振舞った。
「すごい⋯⋯!」
シャルロットが目を輝かせる。
「こんなに食べていいのかな⋯⋯?」
「遠慮すんな。全部お前らの分だ」
店主が笑う。
その顔には、心からの安堵が滲んでいた。
「ありがとう!」
シャルロットは素直に頭を下げると、すぐに食事へと手を伸ばした。
リリアーナも、隣で静かにスプーンを取る。
「⋯⋯おいしい」
小さく呟く。
その声には、どこか驚きが混じっていた。
四人で囲む食卓。
穏やかな時間。
戦いの緊張が、ゆっくりとほどけていく。
だが──
アルベルトは、ほとんど口数がなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
食事を終え、それぞれ部屋へと分かれた。
ユーリとアルベルトが部屋に入る。
扉を閉めると広がる静寂──。
重い空気が、そのまま部屋に落ちたようだった。
ユーリは何も言わない。
ベッドに寝そべり、ただ静かに目を閉じている。
アルベルトも、何も言わない。
言葉を探しているのか。
それとも──最初から出す気がないのか。
沈黙だけが続く。
やがて──
「⋯⋯少し、外の空気を吸ってくる」
アルベルトが口を開いた。
それだけ言って、立ち上がる。
手には、棒を握ったまま。
ユーリは、目を開けない。
「⋯⋯ああ」
ただ一言だけ、返した。
それ以上は、何も言わない。
アルベルトは扉を開け、そのまま外へ出て行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
シャルロットとリリアーナが部屋に入る。
ベッドに腰を下ろしたシャルロットが、少し迷うように口を開く。
「ねえ、リリアーナ」
「なに?」
「さっきの⋯⋯アルベルトに言ったこと」
視線を落とす。
「あれって、どういう意味?」
少しの間。
リリアーナは何も言わなかった。
──やがて、ぽつりと答える。
「アルベルト、弱い」
「⋯⋯私よりは強いと思うけど」
「力の事じゃない」
シャルロットが顔を上げる。
「心」
短い言葉。
「アルベルト、強くなりたいって思ってる。でも、誰にも聞かない。一人でやる」
淡々と、続ける。
「だから、行き詰まってる」
その言葉に、シャルロットは小さく息を呑む。
「シャルロットは違う」
リリアーナの瞳が、シャルロットを映し込む。
「すぐ聞く。誰にでも」
シャルロットは思い出す。
羊と戯れていた時、不意にリリアーナに問いかけた時の事──。
──「リリアーナ⋯⋯どうやったら、もっと速く魔術を発動できるの?」
「強くなるためなら、何でもやる」
まるで、スポンジのようにどんどん吸収していく。
「だから、強い」
シャルロットは、言葉を失った。
胸の奥に、じんわりと何かが広がる。
そんなシャルロットを見つめ、リリアーナが不意に尋ねる。
「シャルロット」
「ん?」
「ユーリのこと、好き?」
「へあっ!?」
思わず変な声が出た。
「な、ななな何!?急に!?」
顔が一気に熱くなる。
心臓の鼓動が急激に激しくなる。
「何となく、気になったから」
まっすぐな瞳。
その裏表のない想いを、リリアーナは紡いだ。
「私は、ユーリが好き」
はっきりと告げる。
「ユーリと、ずっと一緒にいたい」
シャルロットは、息を呑んだ。
「シャルロット、ちょっと羨ましい」
「え?」
「シャルロットが強くなると、ユーリ、楽しそう」
「そ、そうなの⋯⋯?」
あの時の横顔。
戦闘中の、わずかな変化。
「私は、そこに立てない」
わずかにリリアーナの表情が沈む。
その声には、ほんのわずかに──悔しさが混じっていた。
「でも──」
しかし、すぐに顔を上げて、声に熱を宿す。
「ユーリの力になりたい」
リリアーナは拳をきゅっと握った。
「ユーリの隣だけは、譲れない」
一瞬だけ、視線がぶつかる。
「たとえ、シャルロットでも」
空気が、止まる。
その言葉の重さに、シャルロットは何も返せなかった。
ただ──圧倒されていた。
そして、ほんの少しだけ──
胸の奥に、言葉に出来ない感情が引っかかった。




