不協和音の四重奏
ニブルヘイム王国へと続く街道。
──ニーズヘッグ草原。
広大な草原が広がり、道はどこまでもまっすぐに伸びている。
風が、静かに草原を撫でる。
サラサラと心地よい音を奏で、揺れる草が波のように連なっていた。
空の青と、流れる雲の白。
草原の緑が溶け合い、目の前に広がる風景は鮮やかで、どこまでも穏やかだ。
遠くまで見渡せる視界。
遮るもののない開けた大地。
危険の気配すら感じさせないその道は、まるで──
平穏であることを約束されているかのようだった。
気候も安定しており、絶好の旅日和──
──になるはずだった。
シャルロットの足が、ぴたりと止まる。
「⋯⋯っ」
空気が、わずかに張り詰める。
シャルロットは、ゆっくりと視線を上げた。
「⋯⋯右前方に、魔獣の気配だよ!」
シャルロットが警戒を促す。
視線は、草原の茂みへ。
「──八、九、十⋯⋯全部で十五匹」
ちらりと、ユーリを見る。
答え合わせを求めるように。
ユーリは、何も言わない。
ただ、小さく頷いた。
その瞬間──
シャルロットの表情が、ぱっと明るくなる。
(合ってた⋯⋯!)
日々の鍛錬が、確かに実を結んでいる。
「シャル、剣は使うなよ」
余韻を断ち切るように、ユーリの声が落ちる。
シャルロットは、小さく頷いた。
直後──茂みが揺れる。
飛び出してきたのは──小柄な影。
緑色の皮膚、濁った黄色の眼、歪んだ笑み。
「ゴブリン⋯⋯!」
シャルロットが構える。
ゴブリン達の手には、短剣や棍棒など、様々な武器が握られていた。
「こいつら⋯⋯旅人を襲って、武器を奪ったんだな?」
アルベルトが低く呟く。
放っておけば、更なる被害は避けられない。
アルベルトも棒を構える。
「シャル、アル。二人でやれ」
「へ⋯⋯?」
アルベルトが怪訝な顔をした。
「俺とリリーは、手を出さない」
シャルロットは一瞬だけ息を呑み──
そして、頷く。
「⋯⋯分かった!」
前へ踏み出す。
「アルベルト、フォローお願い!」
「ああ、任せろ」
二人が構える。
ゴブリンの群れが、一斉に襲いかかってきた。
「──アサルガ!」
放たれる魔弾。
狙いは正確に、ゴブリンの頭部を撃ち抜いた。
──ドンッ!!
一体、撃破。
だが──
次弾までに、間が空く。
「シャルロット!」
その隙を突くように、別のゴブリンが距離を詰める。
振り上げられる棍棒──
直前、アルベルトの棒が横から叩き込まれた。
ゴブリンの体が、弾けるように吹き飛ぶ。
「あ、ありがとう⋯⋯!」
「気にしなくていいから、集中!」
落ち着いた声。
アルベルトは前に出過ぎず、間合いを維持したまま周囲を見ている。
シャルロットは息を整え、再び魔力を練る。
「──アサルガ!」
放たれた魔弾が、別のゴブリンの胴を撃ち抜く。
──ドンッ!!
確実に仕留めている。
だが──やはり、遅い。
魔力を練り直す、わずかな時間。
その隙を埋めるように、アルベルトが踏み込む。
振り抜かれた一撃が、ゴブリンを叩き伏せる。
連携は成立している。
だがそれは──アルベルトのフォローがあってこそだった。
少し離れた位置で、ユーリとリリアーナは、戦況を静かに見ていた。
「⋯⋯魔術の発動、遅い」
リリアーナが、小さく呟く。
「ああ。まだ未熟だ」
ユーリは短く答える。
リリアーナは、隣にいるユーリの横顔を見上げた。
その視線は、戦場へ向けられている。
わずかに──楽しんでいるようにも見えた。
「⋯⋯ユーリ、何だか楽しそう」
「そうか?」
ユーリは視線を外さずに答える。
「ん⋯⋯何か、悔しい」
ぽつりと零れる。
「悔しい?何がだ?」
「⋯⋯何でもない」
小さく首を振る。
ユーリは一瞬だけリリアーナを見るが、深くは追及せず、再び戦場へ視線を戻した。
やがて──
最後の一体が、アルベルトの一撃で吹き飛ぶ。
「はぁっ⋯⋯はぁ⋯⋯」
シャルロットが、その場に崩れ落ちた。
「つ、疲れた⋯⋯」
肩で息をする。
アルベルトも、軽く息を吐いた。
「でも、どうにか片付いたな」
「うん⋯⋯でも⋯⋯」
シャルロットは、悔しそうに視線を落とす。
「数で言えば、私⋯⋯半分も倒せてない」
ぐったりと地面に手をつく。
分かってしまう。
自分はまだ、戦力として未熟だということが。
二人の元へ、ユーリが歩み寄る。
「休憩だ」
「⋯⋯うん」
シャルロットは小さく頷いた。
街道脇の開けた場所。
一行はそれぞれ腰を下ろし、小休憩を取っていた。
しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。
風が草を揺らす音だけが、静かに耳に残る。
シャルロットは地面に座り込んだまま、ゆっくりと呼吸を整えていた。
まだ体の奥に、鈍い疲労が残っている。
アルベルトは少し離れた位置で立ち、周囲に目を配っている。
呼吸はすでに落ち着いていた。
その時──
「アルベルト」
不意に、リリアーナが口を開いた。
「ん?」
アルベルトが振り返る。
「神威、使えないんだよね」
「⋯⋯ああ、そうだな」
あっさりと肯定する。
「修行⋯⋯しなくていいの?」
一瞬、間が空いた。
「⋯⋯どういう意味だ?」
声音は変わらない。
だが、ほんのわずかにだけ、空気が引き締まる。
「勇者になるんだって、言ってた」
淡々と、事実だけを並べる。
「でも、そのための努力⋯⋯してるように見えない」
静かな言葉。
だが、辛辣。
シャルロットが、思わず顔を上げた。
(リリアーナ、どうしたの?急に⋯⋯)
アルベルトは数秒だけ黙り──
ふっと、小さく息を吐いた。
「⋯⋯容赦がないな」
苦笑する。
だが、それ以上は崩れない。
「一応、やってはいるんだけどな」
短く答える。
「ただ、わざわざ人に見せるものでもないだろう」
視線を外し、水筒を口に運ぶ。
それ以上は語らない。
「そう」
リリアーナはあっさりと頷いた。
興味を失ったように、視線を戦場の跡へ戻す。
会話は、そこで終わった。
沈黙が再び落ちる。
誰も、その話題を掘り返そうとはしなかった。
ただ──
アルベルトの手に握られた水筒が、わずかに軋んだ。
休憩を終え、一行は再び歩き出す。
隊列の最後尾をアルベルトは歩いていた。
表情はいつも通り。
背筋も伸びている。
だが──
(努力してるように、見えない、か⋯⋯)
小さく、息を吐く。
リリアーナの言葉が、頭の中で反芻される。
(──やっているつもりだ)
時間を見つけては、こっそり鍛錬もしている。
魔術も、体術も。
だが──足りない。
シャルロットは、確実に伸びている。
ユーリの修行を受けて、目に見えて。
それに対して、自分は──
(⋯⋯どうすればいい?)
拳が、無意識に握られる。
進み方が、分からない。
何が足りないのか、分からない。
その時──
前方を歩くユーリの背中が、視界に入った。
何も語らない背中。
振り返りもしない。
だが──
(⋯⋯知ってるんだろうな)
妙な確信があった。
あの男は、全部見ている。
自分の停滞も、焦りも。
それでも、何も言わない。
だから──
アルベルトは、口を開かない。
ただ、前を向いて歩き続けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夕陽の光が、草原を赤く染めていく。
しばらく続いた街道の先に──その彼方に、小さな集落が見えてきた。
──牧羊の村『パストール』。
草原の中にぽつんと佇むその村は、周囲を低い柵で囲われているだけの、素朴な造りだった。
柵の内側には、ゆったりと草を食む白い群れ──羊達の姿。
のどかな鳴き声が、風に乗って届いてくる。
「わぁ⋯⋯!」
シャルロットの表情が、ぱっと明るくなる。
「見て、リリアーナ!羊だよ!」
張り詰めた空気を振り払うように、指差しながら、声を弾ませる。
「⋯⋯ん」
リリアーナも、小さく頷く。
その瞳は、興味深そうに羊達を追っていた。
「⋯⋯近くで見ても、平気?」
「大丈夫だと思うよ。ほら、あんなに大人しいし」
二人は顔を見合わせると、そのまま柵の方へと駆けていく。
柵越しに身を乗り出し、羊に手を伸ばすシャルロット。
最初は警戒していた羊も、やがて大人しくなり、鼻先を寄せた。
「ふふ⋯⋯かわいい」
嬉しそうに撫でる。
リリアーナも、そっと手を伸ばした。
恐る恐る触れた毛並みの感触に、わずかに目を見開く。
「⋯⋯あったかい」
ぽつりと呟く。
その様子を、少し離れた場所からアルベルトは眺めていた。
楽しそうな二人。
穏やかな光景。
戦いとは無縁の、静かな時間。
だが──
(⋯⋯努力しているように、見えない、か)
ふと、胸の奥に沈んでいた言葉が、浮かび上がる。
表情には出さない。
ただ、腕を組み、視線を細めるだけ。
その目は、二人ではなく──もっと先を見ていた。
その横を、ユーリが何事もないように通り過ぎる。
ほんの一瞬だけ、アルベルトへ視線を落としたまま。
「宿を取る」
短く、それだけ告げて。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
村の中央にある、木造の建物へと足を向けた。
入口には、簡素な看板が掲げられている。
この村で唯一の宿屋らしい。
扉を開けると、内部はこぢんまりとしていた。
奥から現れたのは、がっしりとした体格の中年の男だった。
「おう、旅人か?」
「ああ。四人で一泊できるか」
「空いてるぞ。⋯⋯だが」
店主は、ちらりとユーリを値踏みするように見た。
「ただ泊まるだけじゃ──もったいねぇな」
口元に、にやりとした笑みを浮かべる。
「どうだ、ひとつ頼まれてくれねぇか?」
ユーリは何も言わず、先を促す。
「近頃、この辺りに大型の魔獣が出るようになってな。夜になると、羊を狙って来やがる」
店主の視線が、外の羊達へと向く。
「村の周りの柵には、王国自慢の魔獣撃退の術式が施されてるから、何とか撃退出来ているが⋯⋯ああやって毎晩諦めずに来られると、俺らも羊も不安で仕方ねぇ」
店主は深いため息をつく。
「羊はこの村の命だ。退治してくれるなら──宿代はタダにしてやる」
ほんのわずかの間。
ユーリは、無言で店主を見ていた。
そして──
「分かった」
即答だった。
「助かる!」
店主が、ぱっと表情を明るくする。
「それじゃあ──頼んだぜ」
「⋯⋯ああ」
ユーリはそれだけ答え、踵を返した。




