破滅の魔女 VI
村を離れた森の外れ。
簡易の野営地で、焚き火が静かに揺れている。
シャルロットは、火を見つめながら口を開いた。
「⋯⋯あれで、良かったのかな」
ぽつりと零れた本音。
アルベルトが、肩をすくめる。
「良いも悪いもないだろ。あいつら、完全にライン越えてたしな」
軽く言うが、その表情はどこか硬い。
「ですが⋯⋯」
リオが静かに言葉を継ぐ。
「あの恐怖は、消えることはないでしょう。村そのものが、もう正常には戻らない可能性が高いですね」
淡々とした分析。
だが、そこに否定の色はない。
「因果応報──」
ユーリが口を開く。
「自分達の行ないが、自身に返っただけだ」
そう断じた。
それに反論する者は、いない。
彼らの、リリアーナに対する仕打ちを目の当たりにしては、擁護の言葉も見つからない。
それが、正しいのか、間違っているのかも、分からない。
ただひとつ、確かなのは──
(ユーリがいなかったら⋯⋯)
あの少女は、確実に壊れていた。
それだけは、分かる。
シャルロットはリリアーナへと視線を向ける。
リリアーナは、隣に座るユーリの肩に、そっと寄りかかるようにして眠っていた。
安心し切った穏やかな寝息。
あの戦場にいたとは思えないほど、静かな表情。
それは、『破滅の魔女』ではない。
ひとりの──リリアーナという少女だった。
その日、深淵の森『リントヴルム』にひっそりと佇む村落は、死神の手によって、崩壊した。
もう、誰も『破滅の魔女』の事など口に出さない。
その口から漏れるのは、『死神』の一言。
恐怖に支配され、会話もままならない。
夜は悪夢にうなされる。
目を閉じると、あの死神の“眼”が見える。
寝ても起きても恐怖に押し潰される毎日──まさに生き地獄である。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
リリアーナは一人、小屋の前に立っていた。
今思うのは、ユーリの言葉。
──「俺は──『死神』だ」
静かに、名乗った。
リリアーナは目を見開いた。
濡れた紫水晶の瞳が、揺れる。
──『破滅の魔女』
そう呼ばれ続けてきた自分。
忌み嫌われ、恐れられ、否定されてきた名前。
──だが、ユーリの言葉を聞き、
(⋯⋯あ)
胸の奥で、何かがほどけた。
ユーリは、否定しなかった。
肯定もしなかった。
ただ──並べた。
『破滅の魔女』と、『死神』を。
世界から忌避される異名を、まるで取るに足らないもののように、並べてみせた。
その瞬間──
自分に貼り付いていたその言葉が、意味を失った。
(⋯⋯どうでも、いい)
初めて、そう思えた。
『破滅の魔女』でもいい。
そう呼ばれても、構わない。
だって、この人は──
そんなものを、最初から見ていない。
見ているのは、『リリアーナ』だけだ。
──胸の奥が、熱い。
もう、何も怖くない。
代わりに満ちていくのは──
どうしようもないほどの、安心と信頼。
そして──
気づけば、願っていた。
この人の隣に、いたいと。
そこへ、ゆっくりと歩み寄るユーリの姿。
リリアーナは、振り返らずに話しかける。
「ユーリ」
「何だ?」
「私⋯⋯ユーリの力になりたい」
ユーリは静かにリリアーナの言葉に耳を傾ける。
「ユーリが、救ってくれた。今の私があるのは、ユーリがいたから」
リリアーナは振り返り、ユーリを見つめる。
「私の全部は──ユーリがくれたもの」
凛とした、強い意志を宿した瞳。
「だから、ユーリのためにこの力を使う」
覚悟を乗せた、強い意志を宿した言葉。
「神を殺す旅──私も行く」
その言葉に、迷いはなかった。
ユーリは一歩近づいて、小さく笑う。
「行くぞ、リリー」
リリアーナは目を見開く。
新たな呼称。
心が温かい感情で満たされていく。
リリアーナは一度、住んでいた小屋を振り返った。
母と過ごした思い出の場所。
「お母さん⋯⋯いってきます」
そう告げて、ユーリの背中を追うために一歩踏み出したその時──
──(リリアーナ、いってらっしゃい)
耳に聞こえた、母の声。
慌ててリリアーナは振り返る。
しかし、母の姿はない。
空耳──そう思った。
それでも⋯⋯
(安心して、お母さん⋯⋯私は、もう大丈夫)
リリアーナがユーリへと顔を向ける。
ユーリが足を止め、待ってくれている。
その奥には、シャルロット、アルベルト、リオを含む騎士団達の姿もある。
(ユーリと一緒に、前に進む)
リリアーナは、すっと静かに浮かび上がる。
そして、風に乗るようにユーリの元へと飛んで行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一行は、魔導科学研究所へと帰投した。
待っていたアルヴィンに、リオが事の顛末を報告する。
「⋯⋯なるほどねぇ。それは大変だったね」
そう一言。
さすがのリオも、わずかに眉を顰めた。
だが、アルヴィンは気にする様子もなく、くるりと視線をユーリへ向ける。
「それにしても、さすがユーリ君だね!ユグドラシルの根が地表付近まで伸びてるか⋯⋯実に興味深い!!」
さらに、その矛先はリリアーナへ。
「君もいいねぇ!重力の魔力特性か!実に珍しい!!しかも、神獣を一撃で屠るとは⋯⋯君は神威も使えるんだね!?いいねぇ、いいねぇ!新たな神威使いの誕生だ!!」
身を乗り出す勢い。
「なに、この人⋯⋯」
リリアーナがユーリの背後に隠れながら、引いた声で呟く。
「変態研究者だ」
ユーリが即答する。
「変態研究者⋯⋯」
こいつのことか。
そんな目で、リリアーナはユーリの背後からアルヴィンを見た。
「怖がらなくても大丈夫ですよ、リリアーナさん」
リオが声を掛ける。
「所長は、倫理には反した存在ですが、人道に反した存在ではないので」
さらりと酷いことを言う。
「いやぁ、そんな褒められても何も出ないよ?」
──しらける空間。
「褒めてないだろ、それ」
アルベルトが苦笑いして呟いた。
「そんな事より」
アルヴィンが気にする様子もなく言葉を続ける。
「問題はユグドラシルだね。ユーリ君の見立て通りだったと仮定すると、非常にまずいねぇ」
「ああ」
ユーリも同調し頷く。
「まずいって⋯⋯何がですか?」
シャルロットは首を傾げて尋ねる。
「ユグドラシルは、マナを生み出し、循環させ、取り込む存在だ。──要するに、巨大なマナの塊だね。その濃度は、僕達生物が宿す魔力なんて足元にも及ばない」
不意に、アルヴィンがユーリに話を振る。
「ユーリ君、君はユグドラシルを斬ろうとしたんだよね」
「ああ」
「は、はぁぁぁ!?ユグドラシルを斬るって、何考えてるの!?」
思わずシャルロットがツッコむ。
「上への行き方が分からなかったからな。幹を斬ったら、上にいる神をまとめて地上に落とせると思ってな」
発想が、ぶっ飛んでいる。
しかし、ユーリなら出来かねないという不思議な説得力があった。
「でも、斬れなかった」
アルヴィンの一言に、皆が息を呑んだ。
「ああ。傷一つつかなかった」
「つまり、ユグドラシルも神威を纏っているんだ。しかも、ユーリ君の神威が通らない程の高い密度の、ね」
それはもはや『纏っている』という表現すら適切ではない。
ユグドラシルそのものが、神威と同質の存在へと変質していると言った方が近かった。
「これで分かったかい?ユグドラシルに傷をつけられない、ということは、森の地表に伸びたユグドラシルの根も、排除することは不可能ってことさ」
──重い沈黙が流れる。
切り出したのは、アルベルトだった。
「じゃあ⋯⋯魔獣の増加は止められないってことか?」
悔しそうにアルベルトが拳を握りしめる。
しかし、アルヴィンは笑みを浮かべて指を横に振った。
「ふっふっふ⋯⋯甘いね、アルベルト君。まずいとは言ったが、対処できないとは言ってないよ」
「えっ!?」
皆がアルヴィンへと視線を向ける。
「ユグドラシル自体をどうにもできないのなら、放っておけばいい。問題なのは、溢れ出るマナの方なんだからね。それさえ何とかすれば、魔獣の増加は抑えられるよ」
周りから、「おぉ⋯⋯!」という感嘆の声が漏れる。
「構想は大体出来ている。その気になれば、すぐにでもマナ濃度を薄める装置の開発に取り掛かれるよ」
「すごいじゃないですか!」
シャルロットは素直に賞賛した。
魔導科学技術の天才。
こういう時、この上なく頼りになる。
しかし──
「ただ、問題があってねぇ」
「まだ何かあるんですか!?」
アルヴィンは、わざとらしく間を置いた。
その口元には、どこか楽しげな笑みが浮かんでいる。
嫌な予感が、じわりと場に広がった。
「単純な話、材料が足りないのさ」
「材料って?」
アルベルトが首を傾げる。
「必要なのは、『モリオン』と呼ばれる黒水晶。魔力を吸収する特性を持つ鉱石だ」
アルヴィンがわざとらしく溜息をつく。
「だけど、隣国『ニブルヘイム王国』の鉱山でしか採取できない貴重な石でねぇ」
皆が何となく察した。
アルヴィンの次の一言を。
「君達、ちょっと行って取ってきてくれない?」
「「やっぱり!!」」
シャルロットとアルベルトが揃ってツッコむ。
リオは一拍置き、状況を整理するように視線を上げた。
通常であれば、この手の案件はギルドに回されるはずである。
「ギルドに依頼はしないんですか?」
リオの質問に、アルヴィンが拗ねたように口を尖らせて答える。
「依頼したけど、断られたんだよ」
「何故です?」
「目的の鉱山に行くためには、鬼人族の集落を通っていく事になるんだけど⋯⋯ギルド所属のとあるクランが、鬼人族と揉めちゃってね。それ以来、ギルド関係者の通行許可が降りなくなっちゃったみたいなんだよ」
アルヴィンが深い溜息をつく。
しかし、顔を上げると、そこには満面の笑顔。
「というわけで⋯⋯よろしく!」
思わず、引きつる。
しかし、宿と食事の弱みを握られている以上、断るという選択肢は存在しない。
「しょーがない、行くか!」
アルベルトが割り切ったように答える。
「そうだね。どのみち、その鉱石が無いと森の異変は解決しない訳だし」
シャルロットも同意するように頷いた。
「リリーも異論ないか?」
ユーリが背後にいるリリアーナに尋ねる。
「ん⋯⋯ユーリが行くなら、どこへでも」
リリアーナは小さく微笑んで、頷く。
「ユーリはニブルヘイム王国への行き方は知ってるよね?」
「ああ」
「うん、じゃあ、頼んだよ」
アルヴィンは笑顔で手を振って見送る。
リオは、静かに頭を下げた。
目的地を目指し、一行は魔導科学研究所を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
四人分の物資を買い揃え、ニブルヘイム王国へ続く街道側の城壁へと辿り着く。
守衛に声を掛け、出門の手続きを済ませると、鉄門が音を立てて開き出す。
「そういえば⋯⋯」
不意にシャルロットがユーリに声を掛ける。
「シルヴァトーアのギルド支部で、ユーリ伝言受けてなかった?」
発信者は確か、ギルドのグランドマスター。
伝言の内容は──『王都で待ってる』だったはず。
「会わなくていいの?」
ユーリはあの時と変わらず、露骨に嫌そうな表情をしていた。
「⋯⋯行くぞ」
シャルロットの問いに答えることなく、ユーリは歩き出した。
ユーリにこんな反応をさせるグランドマスターの存在が気になりつつ、新たにリリアーナを加えた一行は、ニブルヘイム王国に向けて出発した。




