破滅の魔女 Ⅴ
村へ戻った瞬間、誰もが言葉を失った。
そこにあったのは──大地にめり込むようにして鎮座する、巨大な赤い果実だった。
「っ──!」
シャルロットが息を呑む。
「間に合ったか⋯⋯!」
アルベルトが歯を食いしばる。
まだ──生まれていない。
「急いでください!!避難を最優先に!!」
リオの指示が飛ぶ。
騎士達が一斉に動き出す。
泣き叫ぶ子供。
混乱する村人。
その時──始まりの音が。
──ピキッ。
絶望の音が、響く。
「⋯⋯ひ、ひぃぃ⋯⋯」
誰かが小さく悲鳴をあげる。
次の瞬間──
──バキバキバキィッ!!
果実に亀裂が走る。
空気が凍りついたように、誰も動けない。
恐怖が、全てを縛り付ける。
そして──
──ドォォンッ!!!
果実が、内側から弾け飛んだ。
現れたのは──
巨大な亀。
山のような甲羅、地を踏みしめる四肢。
その一歩で、大地が震える。
「あれは⋯⋯神獣──『ザラタン』⋯⋯!!」
リオが声を絞り出す。
ザラタンが、ゆっくりと一歩踏み出す。
──ズシン。
その衝撃で、家屋が傾く。
「きゃああああ!!」
「逃げろぉぉぉ!!」
悲鳴が連鎖した。
反射的に、シャルロットが踏み込む。
「はぁっ!!」
レイピアに魔力を乗せ、突き出す。
──ギィン!!
剣が弾かれた。
傷一つ、つかない。
「くっ⋯⋯!」
「これが、神威⋯⋯!」
アルベルトが呟く。
神獣の全身を覆う、超高密度の魔力装甲。
通常の攻撃では、決して破れない。
「それでも、止めるしかない!」
シャルロットが再び踏み込む。
アルベルトも、リオも、攻撃を重ねる。
通じないと分かっていても。
時間を稼ぐために。
(来て⋯⋯ユーリ!!)
信じている。
あの男なら──
そんな中、
「全部、あの魔女のせいだぁぁぁ!!」
村長の叫びが、響いた。
「破滅の魔女が!村を滅ぼすために怪物を呼び寄せたんだ!!」
「⋯⋯何言ってるのよ!!」
シャルロットが怒りを露わにする。
「あれは神獣よ!そんな──」
「黙れぇ!!」
村長の目は狂っていた。
「全部あいつのせいだ!!あいつさえいなければ!!」
(この人っ⋯⋯!)
シャルロットは、歯を食いしばる。
その時──
ふと、風が止んだ。
「⋯⋯?」
シャルロットが、わずかに視線を動かす。
森の奥から、二つの人影が現れた。
ゆっくりとした足取りで。
「⋯⋯ユーリ」
アルベルトが、息を呑んだ。
その隣には──銀髪の少女、リリアーナ。
村長が振り返り、驚きの声をあげる。
「なっ──!?」
だが、その声は続かなかった。
二人が、一歩、踏み入れた瞬間。
空気が、変わる。
重く、沈むように。
言葉が、出なくなる。
ユーリは、一度も村長を見ない。
視界にすら、入れていないかのように。
ユーリの到着に、シャルロット、アルベルト、リオの表情に、安堵が広がる。
だが──
「おい!貴様ら!!」
村長が叫ぶ。
「この神獣が、貴様らの差し金じゃないって言うならなぁ!!」
指を突きつける。
「今すぐ証明してみろ!!さっさと神獣を殺してみろぉ!!仲間じゃないなら──やってみせろぉ!!」
狂気の叫び。
だが──
ユーリは、動かない。
リリアーナへ視線を向け、一言。
「好きにしたらいい」
「⋯⋯え?」
シャルロットが目を見開く。
「倒すか、放っておくか」
ユーリは淡々と続ける。
「お前が決めろ」
村を守る義理など、ない。
迫害され、殺されかけた相手だ。
助ける理由など、一つもない。
「俺は手を出さない」
その言葉に、シャルロットの胸がざわつく。
(まさか⋯⋯)
村を、村の人を、見捨てるの──?
それが、ユーリの選択なの?
一方のリリアーナは、ユーリを見つめた。
脳裏に、ユーリの言葉が蘇る。
──「竜人族は、俺の人生観を変えた」
──「仲間のためなら決して背を向けない、見捨てない。──その矜恃が、とても眩しく、好きだった」
胸の奥が、熱を帯びる。
「⋯⋯神獣、倒す」
小さく、だが確かな声。
「いいのか?」
「うん。でも、村のためじゃない」
リリアーナは、ザラタンを見据える。
「ユーリは言った」
その瞳に、揺らぎはない。
「竜人族の誇りが好きだって」
拳を、ぐっと握る。
「その誇りを──守りたいから」
ユーリが、小さく笑った。
リリアーナも、つられるように微笑む。
そして──
宙へと、浮かび上がった。
宙を舞う人間を目の当たりにし、周囲に騒めきが広がる。
リリアーナは、ザラタンと対峙する。
「グォォォォォォ!!」
神獣が咆哮をあげた。
──警戒している。
リリアーナを危険だと、本能で理解していた。
「ユーリ、あの子の援護を──」
シャルロットが動こうとした瞬間。
「必要ない」
「えっ⋯⋯?」
ユーリの一言で、止まる。
「見てろ」
言われるまま、シャルロットらはリリアーナへと視線を向けた。
リリアーナが、静かに手をかざす。
その瞬間──
ザラタンの巨体が──沈んだ。
「なっ──!?」
地面に、めり込む。
まるで、上から押し潰されているかのように。
これは──『重力』だ。
圧倒的な力が、ザラタンを縛る。
「グォォォッ!?」
必死にもがく。
だが、立ち上がれない。
さらに──
ミシッ──
甲羅に、亀裂が走る。
「っ──!」
シャルロットが息を呑む。
神威で守られていた甲羅が──砕けた。
さらに、容赦なく押し潰す。
常識を超えた魔力制御。
ザラタンの全身に、ひびが走る。
バキッ──
メキッ──
ゴキィッ──
破壊音が、連続する。
「ギィィィィィィ!!」
断末魔が周囲に響き渡る。
だが、止まらない。
逃げられない。
抗えない。
そして──
──グシャッ。
完全に、潰れた。
巨体が崩壊し、霧散していく。
──静寂だけが残る。
誰も、言葉を発せない。
ただ、理解した。
今、何が起きたのかを。
「⋯⋯」
シャルロットは、喉を鳴らした。
アルベルトも、言葉を失っている。
リオでさえ、目を細めたまま動かない。
目の前に立つ、銀髪の少女。
その存在が、改めて定義される。
(これが──破滅の魔女⋯⋯)
リリアーナは、ゆっくりと高度を下げた。
──すっ、と。
ユーリの前へ、静かに着地する。
「⋯⋯倒した」
小さな声。
「上出来だ」
短い一言。
それだけでも、リリアーナの心は満たされていた。
だが──
「見ただろう!!」
村長の叫びが、空気を引き裂く。
「あの化け物の力を!!あれが『破滅の魔女』だ!!」
ざわめきが、広がる。
「そうだ⋯⋯!」
「神獣を触れもせず殺すなんて⋯⋯」
「やっぱり化け物だ!!」
「この村も、ああやって壊す気だろう!?」
歪んだ恐怖が、連鎖する。
そして──
「殺せ!!」
「殺せ!!」
声が、重なる。
「殺せ!!殺せ!!殺せ!!」
止まらない。
狂気が、膨れ上がる。
神獣を倒した存在へ向けられるのは、感謝ではない。
ただの──排除。
やがて、その矛先は──
「その男も同罪だ!!」
「そいつも殺せ!!」
「魔女の味方は罪人だ!!」
さらに──
「あの魔女の母親みたいにな!!」
空気が凍りつく。
「まさか⋯⋯」
リオが、低く呟く。
「この子の母親を⋯⋯」
拳が、ぎり、と音を立てた。
その背後で──
リリアーナの身体が、震えていた。
視界が揺れる。
音が遠ざかる。
蘇る──あの日の光景。
血に染まった母の姿。
向けられる憎悪。
逃げ場のない視線。
涙が、溢れて止まらない。
「⋯⋯ユーリ」
掠れた声。
「ユーリと⋯⋯一緒にいた時間、楽しかった⋯⋯」
震える唇で、言葉を紡ぐ。
「でも⋯⋯これ以上、迷惑かけられない⋯⋯」
首を、振る。
「私のせいで⋯⋯ユーリを傷つけたくない⋯⋯」
ぎゅっと、拳を握る。
「私は⋯⋯破滅の魔女⋯⋯」
視線を落とす。
「でも、ユーリだけは──破滅させたくない⋯⋯」
その瞬間──
ふわりと、何かが触れた。
頭に、手。
──温かい。
リリアーナが、顔を上げる。
そこには──
いつも通りの、あの男。
そして、ほんのわずかに浮かんだ、不敵な笑み。
「破滅の魔女?」
ユーリが、呟く。
「それがどうした」
「⋯⋯え」
「俺は──『死神』だ」
静かに、名乗った。
リリアーナは目を見開いた。
濡れた紫水晶の瞳が、揺れる。
頭から手がすっと離れ、ユーリの背中が遠ざかる。
ユーリは、村人達の前で立ち止まる。
────ズン
空気が、変わった──。
大気が震える。
地面が、軋む。
家屋の壁に、細かな亀裂が走る。
「っ──!?」
村人達の、息が詰まる。
ユーリの周囲から、溢れ出す圧倒的な“何か”。
──殺気。
それはもはや、“気配”などではない。
実体を持った暴力だった。
「ひっ⋯⋯!」
誰かが、悲鳴をあげる。
ユーリの“眼”を見た瞬間。
理性が、壊れる。
「やめろぉぉぉ!!」
「ああああああ!!」
飛び交う発狂。
腰から崩れ落ちる者。
その場で失神する者。
恐怖に耐えきれず、失禁する者さえいる。
村長もまた──
「ひっ⋯⋯ぁ⋯⋯」
腰が砕けたように、その場にへたり込んだ。
その背後で──
シャルロット達ですら、動けなかった。
(これが⋯⋯)
肌を刺す。
呼吸が、重い。
立っているだけで、押し潰されそうになる。
(ユーリの⋯⋯本気の殺気⋯⋯)
──死神。
初めて聞いた、その異称。
あまりにも相応しい、不吉な名。
だが、
(それでも──)
シャルロットは、目を細める。
その奥にあるものを、感じ取っていた。
(やっぱり、ユーリはユーリだった)
圧倒的な殺気の中に。
確かに存在する、ひとつの意志。
リリアーナを蝕む、心の枷を打ち壊すために。
それは──守るための力。
その男は──
何ひとつ、変わっていなかった。




