破滅の魔女 IV
村へ辿り着いた頃には、空は赤黒く染まり始めていた。
森を切り開くようにして作られた、小さな集落。
古びた木造家屋が並び、地面は泥濘み、空気は重い。
──妙に、静かだった。
村人達は、遠巻きにシャルロット達を見ている。
だが、その視線に歓迎の色はない。
怯え、警戒、そして──どこか、淀んだ感情。
(⋯⋯嫌な感じ)
シャルロットは、無意識に肩へ力を入れた。
子供ですら笑っていない。
村全体が、薄暗い空気に沈んでいた。
「こっちだ」
村長に案内され、一行は村の中央にある一際大きな家へ入る。
全員は入れないため、中へ入ったのはリオ、シャルロット、アルベルト、そして護衛の騎士数名のみ。
残る騎士達は、外で待機となった。
家の中も薄暗い。
窓は小さく、空気も淀んでいる。
シャルロットは、何となく落ち着かない感覚を覚えた。
村長が椅子へ腰を下ろす。
その向かいへ、リオ達も座った。
「⋯⋯話とは?」
リオが、単刀直入に切り込む。
村長は、しばし沈黙した後──低い声で言った。
「この森には、『破滅の魔女』が潜んでいる」
空気が、わずかに張り詰めた。
「──そいつを、殺して欲しい」
シャルロットが、目を見開く。
「魔女⋯⋯?」
村長の顔は、本気だった。
冗談や迷信を語る人間の表情ではない。
リオが、冷静に問い返す。
「その『破滅の魔女』とは、何者ですか」
「⋯⋯化け物だ」
即答だった。
「七、八年前から、この森に住み着いた」
村長の顔に、露骨な嫌悪が浮かぶ。
「空を飛び、触れもせず人を殺す妖術を使う」
「妖術⋯⋯」
「氷みたいに冷たい目をした、銀髪の女だ」
シャルロットは、思わずリオと視線を交わした。
「いつか、あれはこの村を滅ぼす」
村長の声音が、徐々に熱を帯びていく。
「だから、その前に殺さなきゃならねぇ」
拳が、ぎりっと音を立てた。
「⋯⋯あの魔女を殺して欲しい」
アルベルトが、わずかに眉を顰める。
(なんか⋯⋯気味が悪いな)
恐怖というより、執着に近い感情だった。
一方で、シャルロットは別の事を考えていた。
(空を飛ぶ⋯⋯?)
普通の魔導士ではない。
しかも、“触れずに殺す妖術”。
脳裏に浮かぶのは──神々の存在。
(まさか⋯⋯神と関係してる?)
あり得なくはない。
神の軍勢に属する存在なら、人智を超えた力を持っていても不思議ではない。
リオも同じ結論に至ったのだろう。
小さく息を吐き、シャルロットへ視線を向けた。
「⋯⋯調査は必要ですね」
「うん」
シャルロットも頷く。
「もし本当に神関連だったら、放置できない」
「ですが、ユーリさんや隊長不在で対処可能かは未知数です」
リオの声音は冷静だった。
「まずは情報収集を優先しましょう」
シャルロット達は立ち上がる。
「なら、もう一度森を調べます」
「待て」
不意に、村長が口を開いた。
「私達も行く」
「え?」
シャルロットが目を瞬かせる。
「危険です」
リオが即座に否定した。
「相手の実力も不明。民間人を連れて行ける状況ではありません」
「それでも行く」
村長は譲らない。
付随する村人達も力強く頷いている。
「魔女が死ぬところを、この目で見なきゃ安心できねぇ」
「そうだ、そうだ!」
「あの魔女の死に様を目に焼きつけるんだ!」
騒ぎ立てる村人達の様子に──シャルロットは、ぞくりとした。
──狂気。
それに近い色が、そこにはあった。
まるで、魔女を殺すことだけが支えになっているような。
アルベルトも、それを感じたのだろう。
表情から笑みが消えていた。
重苦しい沈黙が流れる。
やがて──リオが静かに口を開いた。
「⋯⋯同行中は、絶対に我々の指示に従ってください」
村長が、ぎらつくような目でリオを見返す。
「⋯⋯分かった」
村長は、低く答えた。
だが、その目はなお、暗く濁ったままだった。
シャルロット達は、得体の知れない不気味さを抱えながら、再び森へと足を踏み入れるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
木苺のパイを食べ終えた後、ユーリとリリアーナは再び森の中を歩いていた。
空は既に夕暮れ色へ染まり始めている。
赤黒い光が、木々の隙間から差し込んでいた。
森の中は静かだ。
魔力感知で魔獣の気配は感じられるが、その数が異常だった。
そして、普通の森では有り得ないほど、マナが濃い。
その魔力感知が阻害されるほどに。
「⋯⋯やっぱり変」
リリアーナが、小さく呟く。
ユーリは周囲を見回しながら、ゆっくり地面へ視線を落とした。
「森じゃなく、地表か」
「⋯⋯?」
「確認してみるか」
そう呟くと、ユーリは片膝をつき、静かに地面へ手を当てた。
瞬間──
──ビリッ。
大気が、大地が──微かに震えた。
「っ⋯⋯!」
リリアーナが目を見開いた。
肌を刺すような感覚。
ユーリから放たれた魔力が、地中深くまで浸透していくのを感じる。
(なに⋯⋯今の魔力)
異常なまでの精度と密度。
リリアーナは、無意識に息を呑んでいた。
やがて、ユーリが立ち上がる。
「分かった」
「⋯⋯原因?」
「ああ」
ユーリは、静かに森を見渡した。
「ユグドラシルの根が、地表スレスレまで伸びてる」
「え⋯⋯」
リリアーナの瞳が揺れる。
「だから高濃度マナが地上へ漏れ出してる」
「それじゃあ⋯⋯」
「そこに何かしらの負のエネルギーが混ざった」
ユーリは、淡々と続けた。
「その影響で、魔獣が爆発的に増加したってところか」
リリアーナは、呆然とユーリを見つめた。
あまりにも早い。
しかも、確信を持って断定している。
(この人⋯⋯)
さっき感じた魔力。
もしかしたら、自分よりも──
そこまで考え、リリアーナは思考を止めた。
不意に、ユーリへ視線を向ける。
「⋯⋯ユーリ」
「何だ?」
「色んな場所、旅してるって言ってた」
「ああ」
「色んな種族にも、会った?」
ユーリは、少し考えるように視線を上げた。
「まぁな」
そして、指折り数えるように言う。
「水棲族、獣人族、鳥人族、鬼人族⋯⋯色々とな」
「そんなに⋯⋯」
リリアーナは、小さく目を見開いた。
森の外には、人間しかいないと思っていた。
だが、世界には自分の知らない種族が数多く存在している。
少しだけ──胸が高鳴った。
そして、おずおずと尋ねる。
「⋯⋯竜人族とは、会ったことある?」
ユーリは、短く頷いた。
「ああ。一度だけ」
「⋯⋯!」
その言葉に、リリアーナは息を呑む。
「竜人族は、俺の人生観を変えた」
ユーリが淡々と、しかし重みを含めた声色で話す。
「仲間のためなら決して背を向けない、見捨てない──その矜恃が、とても眩しく、好きだった」
その瞬間。
リリアーナの胸の奥が、熱くなった。
「⋯⋯ぁ」
視界が、滲む。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
「どうした」
ユーリが、不思議そうに尋ねる。
リリアーナは、涙を拭おうともせず、小さく呟いた。
「ユーリ、竜人族を⋯⋯好きって、言ってくれた」
震える声。
リリアーナは、ゆっくりと語り始める。
「私のお父さん⋯⋯竜人族なの。私は、人間のお母さんと竜人族のお父さんの間に、生まれた」
夕暮れの風が、銀色の髪を揺らした。
「お父さんの故郷、神の軍勢に襲われた」
ユーリは、静かに耳を傾ける。
「お父さんは、私とお母さんを逃がすために、神と戦って⋯⋯死んだ」
リリアーナは、拳を握る。
「それで、お母さんと二人で、この森へ逃げてきたの」
「⋯⋯そうか」
返ってきたのは、それだけだった。
だが、リリアーナには分かった。
ユーリは、自分を“竜人族の血を引く怪物”として見ていない。
ひとりの、リリアーナとして、見てくれている。
それが──どうしようもなく、嬉しかった。
胸の奥が、じんわりと温かい。
湧き上がる安心感と信頼感。
──そんな感情を抱いたのは、いつ以来だろうか。
リリアーナは、小さく笑った。
「⋯⋯ユーリ、ありがとう」
夕暮れの森の中。
その声は、とても優しかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
森の奥へと進んでいくにつれ、空気が変わっていった。
濃いマナの気配に混じり、どこか淀んだ気配が漂っている。
「この辺り⋯⋯」
村長が足を止めた。
視線の先──
木々がわずかに開けた場所に、それはあった。
ぽつん、と佇む一軒の小屋。
集落ではない。
生活圏から切り離されたような、孤立した存在。
(⋯⋯ここが?)
シャルロットは違和感を覚えた。
“魔女の住処”と呼ぶには、あまりにも静かで──普通すぎる。
「これが、『破滅の魔女』の隠れ家だ」
村長が低く吐き捨てる。
その目は血走り、歯をぎり、と鳴らしていた。
憎悪と殺意が、隠しようもなく滲み出ている。
「村長と村の皆さんはここで待機を」
リオが短く指示する。
「中を確認します」
村長は不満げに舌打ちしたが、やがて頷いた。
シャルロット、アルベルト、リオは視線を交わし──
ゆっくりと小屋へ近づく。
軋む扉を、慎重に開けた。
──中は、静かだった。
人の気配は無い。
だが、生活の痕跡は確かにある。
整えられた机。
使い込まれた食器。
そして──微かに残る、甘い香り。
(⋯⋯ここで、暮らしてる)
シャルロットは、息を呑んだ。
想像していた魔女の住処とは、あまりにも違う。
「誰もいませんね」
リオが淡々と確認する。
その時──怒声が、外から響いた。
「この化け物がぁぁぁッ!!」
「っ!?」
三人は同時に振り返る。
「外だ!」
アルベルトが叫ぶ。
シャルロット達は一斉に小屋を飛び出した。
外では──
村長が、ひとりの少女へ罵声を浴びせていた。
銀色の髪。
透き通るような白い肌。
そして──地面から、わずかに浮いている。
「こいつが魔女だ!!」
村長が叫ぶ。
その言葉に、シャルロットの心臓が強く跳ねた。
(この子が⋯⋯?)
確かに一致している。
村長の言っていた特徴と。
だが──
(本当に⋯⋯?)
「さぁ、こいつを殺せ!!」
村長の声は、もはや理性を失っていた。
「そのために来たんだろうがぁぁぁ!!」
狂気に満ちたその姿に、シャルロットはぞくりと背筋を震わせる。
「ま、待って⋯⋯!」
思わず前へ出ようとした、その時。
少女が、すっと後ろへ下がった。
近くにいた男の背後へ、身を隠すように。
──その輪郭に、見覚えがあった。
「ユーリ!?」
シャルロットが目を見開く。
「今まで、何してたんだよ!?」
アルベルトが叫ぶ。
ユーリは、いつもの無表情で立っていた。
その背に、少女を庇うように。
「⋯⋯知り合い?」
少女──リリアーナが、小さく尋ねる。
「ああ」
ユーリは、短く答えた。
それだけで十分だった。
村長が、激昂する。
「お前もこの騎士達の仲間なんだろう!?」
指を突きつけ、怒鳴り散らす。
リリアーナは、ユーリの背に隠れたまま、震えていた。
視線を向けることすら、できない。
「なら!その魔女を、早く殺せぇぇぇ!!」
狂気的な殺意が、突き刺さる。
──ビクッ!!
リリアーナの身体が、小さく跳ねた。
(やめて⋯⋯)
耳を塞ぎたくなる。
逃げ出したくなる。
視界の端に、村人達の顔が映る。
忌避、嫌悪、憎悪。
そして──明確な殺意。
その全てが、自分へ向けられている。
存在の否定、否定、否定──
今、目の前で浴びせられている言葉と、過去の声が重なる。
(あ⋯⋯あ⋯⋯)
胸が、締め付けられる。
呼吸が浅くなる。
心臓が早鐘のように鳴る。
足に力が入らない。
頭では分かっている。
──目の前の人間など、力でねじ伏せられる。
それが出来ることも、分かっている。
(でも──できない)
思考が、そこで止まる。
浮かんだイメージが、別の記憶に塗り替えられる。
村人達から隠れるような生活。
──「ごめんね、リリアーナ」
謝罪の言葉を紡ぐ、悲しげな母の横顔。
そして──森で見つけた、血まみれで倒れている、母の姿。
(はっ⋯⋯はっ⋯⋯)
呼吸がさらに浅くなる。
鼓動が激しい。
全身が、震える。
気づけば──
ユーリの服を、掴んでいた。
ぎゅっと、離れないように。
その小さな動きに、ユーリは何も言わない。
ただ、一歩前に出る。
リリアーナを、射殺す様などす黒い悪意から守るように。
ユーリは、村長を一瞥した。
そして──
「断る」
迷いのない返答。
「なっ──」
村長の顔が歪む。
「貴様、魔女の眷属かぁぁぁ!!」
「お前ら!あの二人を殺せ!!民を守る騎士だろうが!!」
村人達から怒号が飛び交う。
夥しい殺意が、一手にユーリへと集中する。
しかし、ユーリは揺るがない。
村人達に、低く重い言葉を放つ。
「やる気なら──相手になるぞ」
その一言と同時に──
空気が、震えた。
見えない圧力が、場を覆う。
「っ⋯⋯!」
村人だけではない。
騎士達でさえ、思わず息を呑む。
肌が粟立つ。
本能が、警鐘を鳴らす。
(これが⋯⋯ユーリの⋯⋯)
言葉にならない恐怖が、場を支配する。
──その時だった。
ドォォォンッ!!
遠くから、轟音が響いた。
同時に──大地が、大きく揺れる。
「なっ⋯⋯何だ!?」
騎士達が体勢を崩す。
「今のは⋯⋯!」
リオが即座に村の方角へ視線を向ける。
木々の隙間から、わずかに見えた──赤い、曲線。
「まさか⋯⋯」
アルベルトが息を呑む。
「あ、あれは⋯⋯!」
理解した瞬間、血の気が引いた。
──神獣の果実。
村のすぐ近くに、落ちた。
「まずい⋯⋯このままだと村が──!」
──壊滅する。
リオが即座に声を張る。
「緊急事態です!!」
その声で、騎士達の意識が切り替わる。
「全員、村へ向かいなさい!村民の保護、及び避難誘導を最優先に!!」
「はっ!!」
騎士達が一斉に動き出す。
混乱と緊張の中、シャルロットは、一瞬だけユーリを見た。
ユーリは動かない。
神獣の果実を、一瞥すらしない。
村人達はユーリの威圧に怯み、後ずさりする。
やがて村人達は、村の救援という建前のもと、踵を返した。
(ユーリ⋯⋯)
あの時ユーリが放った殺気──。
初めて、ユーリが“怖い”と思った。
ユーリが垣間見せた、見たことの無い一面に戸惑いつつ──シャルロットは後ろ髪を引かれる思いで、リオ達の背中を追った。
──その胸のざわめきを、秘めながら。




