破滅の魔女 Ⅲ
リリアーナに導かれ、ユーリは森の奥を進んでいた。
鬱蒼と生い茂る木々の合間を、二人は無言で歩く。
不思議と、魔獣の気配は近づいてこない。
いや──正確には、近づけないのだろう。
二人の異質な存在感が、魔獣達に対し本能的な『死』を察知させていた。
やがて──木々が開ける。
そこには、小さな木造の小屋が佇んでいた。
魔獣が蔓延る森の中とは思えないほど、静かな場所だった。
周囲には小さな花畑があり、裏手には木苺らしき赤い実が実っている。
「⋯⋯ここ」
リリアーナが、小さく呟く。
ユーリは周囲を見回した。
「一人で住んでるのか?」
「⋯⋯今は」
一瞬だけ、沈黙。
だがユーリは、それ以上聞かなかった。
リリアーナは小屋の扉を開け、中へ入る。
「座って」
促されるまま、ユーリは木椅子へ腰を下ろした。
小屋の中は、綺麗に整頓されている。
決して広くはないが、どこか温かみのある空間だった。
リリアーナは、すぅっと滑るようにキッチンへ飛び、皿やお茶を用意していく。
「⋯⋯お家に来たの、あなたが初めて」
そう言いながら、テーブルへ木苺のパイと紅茶を置いた。
甘い香りが、ふわりと広がる。
差し出された皿を受け取り、切り分けられた木苺のパイを一口食べた。
「⋯⋯うまいな」
率直な感想だった。
リリアーナが、ぴくりと肩を揺らす。
そして──ほんの少しだけ、頬を染めて笑った。
「⋯⋯昔、お母さんに教えてもらったから」
その笑みは、どこかぎこちない。
あまり笑い慣れていないのだろう。
小屋の中に、穏やかな静寂が流れる。
やがて、リリアーナが小さく口を開いた。
「⋯⋯ユーリは、何しにこの森へ来たの?」
ユーリは、フォークを置いた。
「知り合いの変態研究者に頼まれた」
「⋯⋯変態研究者?」
「変態研究者だ」
即答だった。
「最近、この森周辺で魔獣被害が増えてるらしい。それの調査と討伐だ」
リリアーナは、静かに視線を落とす。
「⋯⋯確かに、最近変」
「やっぱりか」
ユーリは、森へ視線を向けた。
「この森、マナ濃度が異常に高い」
「⋯⋯ん」
「そのせいで魔力感知が鈍る。トレントに気づくのも少し遅れた」
リリアーナも、小さく頷く。
「私も⋯⋯探知、しにくい」
「やっぱり違和感あるか」
ユーリは短く息を吐いた。
自然発生にしては、濃度が高すぎる。
しかも、森全体に偏っている。
何か原因があるはずだった。
「リリアーナ」
名前を呼ばれ、リリアーナが顔を上げる。
「この森に詳しいんだろ」
「⋯⋯ん」
「原因を探る。協力してくれ」
一瞬、リリアーナは固まった。
頼まれた──人から。
──自分に。
そんな事、今まで一度も無かった。
人は、自分を恐れた。
拒絶した。
──殺意を向けられた。
なのに、この彼は違う。
怖がらない。
拒絶しない。
そして今──必要としてくれている。
胸の奥が、じんわりと熱を帯びる。
(⋯⋯あ)
思い出した。
これは──嬉しい、んだ。
「⋯⋯ん」
気づけば、小さく頷いていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
シャルロットは、目の前の虚空へ意識を集中していた。
周囲では、今なおトレント達が暴れ回っている。
枝が唸り、根が地面を砕き、騎士達の怒号が飛び交う。
だが──シャルロットは、そこへ意識を向けない。
「ギギギギッ!!」
一体のトレントが、シャルロットへ枝腕を叩きつける。
──ガァンッ!!
「おっとぉ!!」
アルベルトの棒が横から振り抜かれ、枝腕を弾き飛ばした。
「今はそっちに集中してていいぞ、シャルロット!」
「う、うん⋯⋯!」
直後、別方向からトレントが迫る。
「──アサルガ」
リオの水弾が、正確に幹を撃ち抜いた。
──ドォンッ!!
崩れ落ちるトレント。
シャルロットを中心に、アルベルトとリオが自然に防衛線を作っていた。
その時、アルベルトがぽつりと呟く。
「⋯⋯なるほどね」
「何ですか?」
リオが視線だけ向ける。
「ユーリが言ってた『後は任せた』って、こういう事か」
シャルロットの修行のフォロー。
恐らく、最初からあの黒衣の剣士は、この状況を見越していた。
剣を封じ、戦場へ放り込む。
自身で考えさせ、気づかせる。
そして──実戦の中で、覚えさせる。
無茶苦茶だ。
だが、理に適っている。
「全く、あの人は⋯⋯」
リオが、小さく呟いた。
呆れたような声音。
だが──その口元は、わずかに緩んでいた。
──一体、どこまで未来が見えているのだろうか。
リオから見ても、ユーリという男は異質だった。
アルヴィンとは、また違う。
あちらが“知識”で世界を解く天才なら──
ユーリは“戦場”そのものを読む天才なのだろう。
戦場で人の才を見抜き、必要な課題を与え、最短距離で成長へ導く。
不器用で、説明不足で、そして時に理不尽。
それでも──不思議と、その在り方に目を奪われる。
「⋯⋯リオさんって、ひょっとして⋯⋯」
ふと、アルベルトが何かに気づいたように呟く。
「⋯⋯何ですか?」
瞬時に、リオの表情がいつもの冷静なものへ戻る。
声音も、先程より一段低かった。
「いえ、何でもないです」
アルベルトは即座に視線を逸らした。
余計なことを言えば、水弾の一発くらい飛んできそうな気がした。
一方──
シャルロットは、完全に周囲の音を遮断していた。
(イメージは出来てる⋯⋯!)
魔術のイメージ。
脳内での術式構築も問題ない。
だが──
(難しい⋯⋯!)
空間へ放出した魔力が、維持できない。
ふわりと霧散する。
圧縮しようとしても、形が崩れる。
固定しようとしても、すぐに揺らぐ。
改めて理解する。
これが──魔力制御。
魔力を空間に置き、形を保ち、術式へ乗せる。
魔導士達が当然のようにやっている事が、どれほど難しいのか。
そして、その遥か先に──
昨日、アルヴィンから聞いた言葉が脳裏を過る。
──「神威とは、魔力制御の極致だよ」
ユーリが、アルヴィンが、そして神獣が扱う領域。
自分が今苦戦している魔力の固定や圧縮を、さらに異常な精度で突き詰めた先にある力。
(こんな所で、止まっていられない⋯⋯!)
シャルロットは、さらに意識を沈めていく。
放出──
維持──
圧縮──
維持──
何度も、何度も。
失敗しても、繰り返す。
そして──
「⋯⋯!」
空間に留まった、小さな、小さな光。
シャルロットの掌の前に、淡い魔力弾が浮かんでいる。
「で⋯⋯出来た!ちっちゃいけど⋯⋯!」
シャルロットの顔が、ぱっと明るくなる。
「おっ、マジか!」
アルベルトが振り向いた。
その瞬間。
「アルベルト、伏せて!!」
「へ?」
咄嗟にアルベルトがしゃがむ。
シャルロットが、震える手で魔力弾を撃ち出した。
「──アサルガッ!!」
──バシュッ!!
小ぶりな魔力弾が、一直線に飛ぶ。
直後──
──ドォンッ!!
アルベルトの背後から迫っていたトレントの枝腕が、粉砕された。
「ギャァァァッ!!」
トレントが悲鳴を上げる。
シャルロットは、目を見開いた。
「やった⋯⋯!」
確かに、自分の魔術だ。
魔具を使わず、自分自身の力だけで発動した。
リオが、小さく頷く。
「上出来です」
だが、そのまま続けた。
「ですが、今のままだと発動に時間が掛かりすぎです」
「っ⋯⋯!」
確かにその通りだった。
実戦で使うには、遅い。
発動もアルベルトとリオが自分を守ってくれていたからだ。
「後は反復練習です。イメージと同時に、魔術が発動するくらいが理想ですね」
「はいっ!!」
シャルロットは、力強く頷いた。
その後も──
戦闘が終わるまで、シャルロットは、ひたすら魔力制御の訓練を続けるのだった。
トレント討伐が終わった頃には、森は静けさを取り戻していた。
折れた枝、抉れた地面、漂うマナの残滓。
激戦の痕跡だけが、そこに残っている。
「はぁっ⋯⋯はぁ⋯⋯」
シャルロットは、その場にへたり込んだ。
全身に力が入らない。
呼吸が重い。
「な、なにこれ⋯⋯」
全身の倦怠感、疲労感。
今まで感じた事のない感覚だった。
「体が⋯⋯重い⋯⋯」
その様子を見たリオが、静かに口を開く。
「魔力枯渇ですね」
「魔力⋯⋯枯渇?」
シャルロットが顔を上げる。
「魔術を使い続けた事で、体内の魔力が不足している状態です」
リオは淡々と説明を続けた。
「魔力は、精神力そのもの。つまり今のあなたは、精神的にも消耗している状態です」
「精神力⋯⋯」
言われてみれば納得だった。
肉体的疲労とは違う。
頭の奥がぼんやりするような、妙な脱力感。
「だから、疲労感や倦怠感が出るんです。酷い場合は、意識を失うこともあります」
「こ、怖っ⋯⋯」
シャルロットが顔を引きつらせる。
隣ではアルベルトが苦笑していた。
「最初はみんなそうなるよ。俺も昔、丸一日寝込んだ」
「えぇ⋯⋯」
シャルロットはげんなりした表情になる。
「回復方法は、基本的には精神力の回復です」
リオが続ける。
「睡眠、食事、休息。後は過度に魔力を使わないことですね」
「つまり、ちゃんと休めって事かぁ⋯⋯」
シャルロットは、そのまま地面へ大の字になりそうになる。
その時だった。
──ガサッ。
森の奥から、複数の足音が聞こえた。
アルベルトとリオの表情が変わる。
騎士達も即座に警戒態勢へ入った。
「誰だ!」
二番隊の騎士が声を張る。
やがて、木々の隙間から数人の男達が姿を現した。
粗末な麻布の服。
手には農具や斧。
武装というより、森で生活する人間の格好だった。
その中央にいた初老の男が、一歩前へ出る。
「⋯⋯あんたら、王国の騎士か?」
低い声、警戒と探るような視線。
リオが、一歩前へ出た。
「ミッドガル王国四聖騎士団二番隊副隊長、リオ・マーリンです」
簡潔な名乗り。
男達の間に、ざわめきが走る。
「やっぱり⋯⋯騎士か」
中央の男が、小さく息を吐いた。
「私は、この近くの集落の村長だ」
村長は、無愛想な表情で周囲を見回した。
森の戦闘跡を見つめ、そしてシャルロット達へ視線を移す。
「⋯⋯あんたらに、頼みたい事がある」
「頼み?」
アルベルトが首を傾げる。
村長は、重々しく頷いた。
「詳しい話は、村でする。ここじゃ落ち着かねぇ」
その言葉に、シャルロットはふとアルヴィンの話を思い出す。
──「その森の奥に、古い風習を持った村があるんだけどね」
──「かなり排他的で、不用意に干渉すると厄介だから気をつけなよ」
(この村のこと⋯⋯?)
シャルロットは、わずかに警戒心を強めた。
リオとアルベルトも同じだったのだろう。
視線は冷静に村人達を観察している。
「⋯⋯リオさん、どうする?」
アルベルトが小声で問う。
リオは少し考え、そして周囲の森へ視線を向ける。
「あのトレントの異常な数⋯⋯その原因について、何か知ってる可能性はありますね」
「⋯⋯だな」
アルベルトが頷く。
シャルロットも、小さく立ち上がった。
「分かりました。村までの案内、よろしくお願いします」
「⋯⋯ついて来い」
そう言って、森の奥へ歩き出す。
シャルロット達は互いに視線を交わしながらも、その後を追うのだった。




