破滅の魔女 Ⅱ
少女が名乗った瞬間、森に静寂が落ちた。
湿った風が、銀色の髪をわずかに揺らす。
紫水晶の瞳は、警戒するようにユーリを見つめていた。
逃げるでもない。
だが、近づいてくる様子もない。
一定の距離を保ったまま、じっと様子を窺っている。
そんな少女を見ながら、ユーリは静かに口を開いた。
「さっきの魔術、魔力特性か」
「⋯⋯!」
リリアーナの目が、わずかに揺れる。
普通なら、怯える。
あるいは警戒する。
だが、ユーリの声音には恐怖も嫌悪も無かった。
ただ事実を確認しただけ。
「重力系統か。珍しいな」
それだけ言って、ユーリは周囲へ視線を巡らせた。
まだ微かに残っているトレントの気配を探っているのだろう。
リリアーナは、小さく目を見開く。
(⋯⋯何で)
こんな反応をされると思わなかった。
もっと警戒されると思っていた。
力を見た瞬間、距離を取られると。
──いつものように。
だが、目の前の男は違う。
まるで特別な事ではないかのように、平然としていた。
「⋯⋯あなた、怖くないの?」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。
「何がだ」
「私の力」
その瞬間、周囲の空気がわずかに軋む。
無意識だった。
感情に反応して、重力が漏れ出している。
地面へ細かな亀裂が走った。
しかし──ユーリは眉一つ動かさない。
「別に」
あまりにもあっさりした返答だった。
リリアーナは、言葉を失った。
今まで出会った人間とは、何もかも反応が違う。
恐れない。
拒絶しない。
気味悪がらない。
むしろ──
「あの規模の空間干渉の魔術は、魔力制御が桁違いに難しいはずだ」
ユーリは、淡々と続ける。
「かなり優秀な魔導士だ、とは思った」
「──っ」
リリアーナの瞳が揺れる。
褒められた。
初めてだった。
この力を見て、そんな言葉を向けられた事など無い。
「⋯⋯おかしい」
小さく呟く。
「何がだ」
「⋯⋯あなたが」
リリアーナは、じっとユーリを見つめた。
「普通じゃない」
「神を殺すんだ。普通でいられるか」
ユーリが平然と返す。
一瞬だけ、リリアーナが呆気に取られた。
そして──。
「⋯⋯ふふ」
ほんのわずか。
小さな笑みが零れた。
「⋯⋯ついてきて」
「ん?」
「⋯⋯木苺のパイ、作ったから」
リリアーナの体がふわっと浮く。
重力を操作して、浮遊させているようだ。
「便利だな」
「⋯⋯ん」
ユーリの軽い感想に、リリアーナは頬を染めて小さく頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
──その頃。
シャルロット達も、トレントの群れに囲まれていた。
「ギギギギギッ!!」
不快な軋み音を立てながら、木々が動き出す。
周囲の樹木に紛れていたトレント達が、一斉にその姿を現した。
「数、多くない!?」
シャルロットが思わず声を上げる。
だが、そんな彼女とは対照的に、二番隊の騎士達は冷静だった。
「前衛、迎撃!!」
「後衛、前衛の動きに合わせて援護!」
騎士達が連携しながらトレントへ斬り掛かる。
アルベルトも棒を振るい、次々と魔獣を吹き飛ばしていた。
「はぁっ!!」
──ドゴォッ!!
重い一撃が、トレントの幹を粉砕する。
だが、シャルロットだけは動けなかった。
(剣を使うなって言われても⋯⋯どうすればいいの!?)
腰のレイピアへ手を伸ばしかけ──止める。
ユーリの言葉が脳裏を過った。
──「今回の戦闘では、剣を使うな」
理由は説明されていない。
だが、あの人が意味も無くそんな事を言うはずがない。
(でも、じゃあ何を⋯⋯)
考える──。
その間にも、トレント達は襲い掛かってくる。
「っ!!」
シャルロットは、咄嗟に後方へ跳んだ。
──ブォンッ!!
巨大な枝腕が、先程まで彼女のいた場所を薙ぎ払う。
(魔力感知⋯⋯!)
慌てて意識を集中する。
森中に漂うマナの流れ。
魔力を宿すトレント達の位置が、感覚として脳裏へ流れ込んでくる。
右──後ろ──左上──
次々と迫る攻撃を、シャルロットは回避し続けた。
「はぁっ⋯⋯!」
枝をかわす。
根を飛び越える。
幹の突進を横へ転がって避ける。
まるで嵐の中を走っているようだった。
一方──
リオが手をかざす。
直後、前方に無数の水弾が発射された。
「──アサルガ」
──バシュゥゥゥッ!!
高速で放たれた水弾が、遠方のトレント達を次々と撃ち抜く。
「ギャァァァァッ!!」
幹へ風穴が空き、魔獣達が崩れ落ちた。
(あ、あれが⋯⋯アサルガ!?)
シャルロットが目を見張る。
アサルガ──魔力を弾丸の様に圧縮し発射する、基礎攻撃魔術。
騎士学校で何度も見てきたそれとは、形状も威力も違っていた。
魔力の弾丸ではなく、どう見ても水の弾丸である。
だが、リオの攻撃はそれだけでは終わらない。
一体のトレントが背後から接近した瞬間、リオは静かに短剣を抜いた。
その刃へ、水が絡み付く。
──ギュゥゥゥッ。
圧縮された水が、刃の形を変えていく。
やがて短剣の周囲へ、鋭利な水刃が形成された。
リオが、一閃。
──ズバァァッ!!
巨大なトレントの胴体が、滑るように両断された。
「す、凄い⋯⋯」
思わず、シャルロットは呟く。
遠距離では水弾。
接近されれば水刃による斬撃。
まるで隙が無い。
シャルロットは、枝を回避しながら叫んだ。
「リオさん!それって、魔力特性ですか!?」
「はい」
リオは、淡々と頷く。
「私の魔力特性は『水源』です」
「水源⋯⋯」
シャルロットは、息を呑む。
魔力特性──天性の素質。
ユーリが言っていた、“気づく事”が重要な力。
リオはアサルガに『水源』を付与させていたのだ。
(じゃあ今回の課題って⋯⋯)
ユーリが、自分に求めているもの。
(魔力特性を使えるようになれって事⋯⋯?)
だが、違和感があった。
ユーリは言っていた。
──『魔力特性は、生まれ持った素質だ』
──『気づく事、それ自体が才能』
なら、剣を使うなという指示と結びつかない。
(違う⋯⋯?)
考える──考える──
──しかし、答えが見えない。
その瞬間、魔力感知が一瞬遅れた。
「っ!?」
背後から、巨大な枝腕が迫る。
「しま──」
避けられない。
そう思った瞬間。
「──アサルガ」
──ドォンッ!!
圧縮された水弾が炸裂し、トレントの幹を吹き飛ばした。
「ギャァァッ!!」
トレントが崩れ落ちる。
リオがシャルロットへと歩み寄る。
「戦闘中に考え込み過ぎです」
淡々とした声音。
だが、その視線はわずかに鋭い。
「す、すみません⋯⋯」
シャルロットが慌てて頭を下げる。
──その時だった。
(⋯⋯待って)
不意に、シャルロットの思考が止まる。
今の魔術──
リオが使ったのは、基礎攻撃魔術『アサルガ』。
騎士学校でも習った魔術だ。
だが──
(魔具を使ってない⋯⋯?)
シャルロットは、目を見開いた。
リオの手元から魔術が放射されている。
だが、その手には魔具らしき物が無い。
アルベルトも同じだ。
魔具を全く使っていない。
それでも当然のように魔術を発動している。
「⋯⋯あ」
そこで、ようやく気づく。
剣を使わない。
つまり──
(魔術を使えって事⋯⋯!?)
シャルロットは、はっと顔を上げた。
騎士学校で、基礎魔術は学んだ。
基礎回復魔術──ヒルリア。
基礎防御魔術──ウォルス。
基礎攻撃魔術──アサルガ。
だが、それは全て魔具を介した発動だった。
自分の魔力だけで魔術を発動した事など一度も無い。
シャルロットは、意を決して叫ぶ。
「リオさん!アルベルト!!」
二人が同時にシャルロットへ視線を向ける。
「魔具を使わずに魔術を発動する方法──教えてください!!」
シャルロットの叫びに、アルベルトが真っ先に反応した。
「よし、任せろ!」
「ほんと!?」
「ああ!まず魔力をこう、ぐわーっと集めるだろ?」
「ぐ、ぐわー?」
「それを前に出して、ドンッ!だ!」
「全然分からない!!」
シャルロットが即座に叫ぶ。
アルベルトは本気だった。
だが、あまりにも感覚派だった。
「アルベルトさんは、講師には向いていませんね」
リオが淡々と言った。
「え⋯⋯」
固まるアルベルトを放置し、リオはシャルロットへ向き直る。
「騎士学校で、“魔術のいろは”は学んでいますね?」
「はい。魔力は精神力。魔術はイメージ。魔術は、思い次第で強くも弱くもなる。そして、イメージが定まらなければ、魔術は発動しない──です」
「結構です」
リオは頷く。
「では、アサルガを発動する場合、まず何をイメージしますか?」
「魔力の弾丸を撃ち出すこと、です」
「正解です。ですが、それだけでは足りません」
リオが手をかざす。
「次に必要なのは、魔力を空間に“置く”こと」
「空間に⋯⋯置く?」
その言葉に、シャルロットの目が見開かれる。
「武器へ魔力を置く感覚の応用です。あなたは既に、それを習得しているはずです」
「あっ⋯⋯」
脳裏に、ユーリとの修行が蘇る。
魔力を流すのではない。
そこにあると決める。
剣に、最初から魔力が宿っているとイメージする。
「それを、今度は武器ではなく空間上で行います」
リオの掌の前に、淡い光が集まる。
「そして最後に、脳内でアサルガの術式を構築します。術式は騎士学校で学んでますね?」
「は、はい!」
座学で、術式の構築はノートに何度も書いて反復練習し、頭に叩き込んである。
「魔術のイメージ、空間への魔力制御、そして術式構築──この三つを同時に成立させるんです」
リオの手元に、水を纏った魔力弾が形成される。
「これが、魔術発動の基本構造です」
「三つを⋯⋯同時に」
シャルロットは息を呑む。
基礎の応用──それを実戦の中で、魔具に頼らず、自分の魔力だけで成立させる。
その難しさを、今ようやく理解した。
「では実践です。アサルガを思い描いてください」
「はい⋯⋯!」
シャルロットは小さく頷くと、手を虚空へとかざした──。




