弑神の騎士 IV
その言葉が落ちた瞬間、研究室の空気が凍った。
「か⋯⋯神?」
シャルロットが、呆然と呟く。
アルベルトも、信じられないものを見るような顔をしていた。
「ま、待ってくれ⋯⋯神って⋯⋯あの神か?」
「他に何があるんだい?」
アルヴィンが、当然のように返す。
「世界樹ユグドラシル上層域に住まう存在──それが『神』だよ」
あまりにも自然に告げられたその言葉に、シャルロットの思考が追いつかない。
神──神話や伝承の中にしか存在しないと思っていたもの。
人々が祈りを捧げる、遥か遠い存在。
それが──実在する。
「じゃ、じゃあ⋯⋯今までの神獣って⋯⋯」
シャルロットの声が震える。
「神が地上へ落とした果実から生まれた、尖兵に過ぎないのさ」
アルヴィンが、淡々と告げた。
「本当の脅威は、遥かその上にいる」
術式図を再び形成し、説明する。
世界樹ユグドラシルが更に上空へ伸びていく。
雲を突き抜け、空の果てへ。
「ユグドラシル上層域──神の国『アースガルド』と呼ばれている場所だ」
シャルロットは、息を呑む。
世界樹の上──そこに、神々が存在している。
「人類の敵は神獣──世界中の誰もがそう思っている。⋯⋯だが実際は違う」
アルヴィンの声が、静かに響く。
「神こそが、人類の真の敵なんだ」
「⋯⋯そ、そんな⋯⋯」
シャルロットの顔が青ざめる。
今まで命懸けで戦ってきた神獣。
あれですら、本隊ではない。
その事実は、あまりにも重かった。
──研究室が静まり返る。
その沈黙の中で、シャルロットは、ゆっくりとユーリへ視線を向けた。
彼は、微動だにしない。
まるで、最初から全部知っていたように。
「⋯⋯ユーリ」
シャルロットが、小さく名前を呼ぶ。
「何だ?」
「ユーリの旅って⋯⋯」
そこで、一度言葉が詰まる。
だが、それでも聞いておきたかった。
「旅の目的って⋯⋯何なの?」
研究室の視線が、静かにユーリへ集まる。
彼は数秒だけ沈黙し──やがて、淡々と口を開いた。
「目的地は、世界樹ユグドラシル」
その瞬間、空気が変わった。
「その頂上だ」
静かな声だった。
だが、その言葉には、絶対に揺るがない意志があった。
「そこにいる、“全ての元凶”を殺すために」
シャルロットの鼓動が、大きく跳ねる。
「元凶⋯⋯?」
ユーリの瞳が、静かに闘志に燃えている気がした。
「神の軍団を統べる者──『神帝』」
研究室の空気が、張り詰めた。
──神を殺す。
しかも、その頂点を。
そんなもの、正気の沙汰じゃない。
だが──
「⋯⋯それが、俺の旅の目的だ」
ユーリは、あまりにも自然に言い切った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
──翌朝。
柔らかな陽光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
「ん⋯⋯」
シャルロットは、ゆっくりと目を開ける。
身体を起こした瞬間、ふかふかの感触が背中を包み込んだ。
「⋯⋯あ」
昨日泊まったのが高級宿だった事を思い出す。
しかも一人一室だ。
室内にはキングサイズのベッド。
いまだかつて泊まったことのないほどの広い部屋。
正直、少し落ち着かない。
ぼんやりと天井を見上げて、昨日の事を思い返す。
神威のこと、父のこと、神という存在のこと。
そして──
──「そこにいる、“全ての元凶”を殺すために」
ユーリの言葉が、脳裏に蘇る。
「⋯⋯神帝」
小さく呟く。
未だに実感が湧かない。
神なんて、昨日まで伝承の中の存在だった。
それが実在していて、しかもユーリは、その頂点を殺そうとしている。
(情報量、多すぎるよぉ⋯⋯)
シャルロットは、ぱたりと再びベッドへ倒れ込んだ。
父が四聖騎士団の副隊長だった事も衝撃だった。
神威を扱えていたこと。
クレメントが次期隊長に推すほどの騎士だったこと──。
そんな父を殺したのが──『神』。
頭の中が、まだ整理しきれていない。
ゆっくり身体を起こす。
昨日、ユーリの旅の目的を聞いた時、怖いと思った。
あまりにも危険で、壮大で。
だけど同時に──
(やっぱり、凄い)
とも思ってしまった。
神帝を殺す──。
そんな途方もない目的へ、本気で辿り着こうとしている。
あの人は、ずっと一人で。
シャルロットは、静かに胸元を押さえた。
(⋯⋯もっと、知りたい)
ユーリの事を。
彼が進もうとしている世界を。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
着替えを済ませ、部屋を出る。
廊下は静かだった。
階段を降り、一階の食堂へ向かう。
「起きたか」
既に、ユーリが席についていた。
「あ⋯⋯おはよう」
窓際の席、朝日に照らされながら、紅茶を飲んでいる。
相変わらず、朝から妙に落ち着いていた。
シャルロットは向かいへ座る。
「アルベルトはまだ寝てるの?部屋にいるみたいだけど」
「ああ。流石に疲れたんだろう。眠らせてやれ」
「そうだね⋯⋯」
少しだけ沈黙が落ちる。
シャルロットは、テーブルへ視線を落としながら、ユーリへと話しかける。
「ねえ、ユーリ」
「何だ」
ユーリが、静かに視線を向ける。
「ユーリって⋯⋯いつから旅してるの?」
その問いに、ユーリは少しだけ考え──
「八年前からだ」
短く答えた。
「八年!?」
シャルロットが思わず声を上げる。
「そんなに!?」
「ああ」
「ゆ、ユグドラシルって、そんなに遠いの⋯⋯?」
すると、ユーリは静かに首を横へ振った。
「いや。ユグドラシル自体には、もう何度も到達している」
「⋯⋯え?」
シャルロットが固まる。
「じゃ、じゃあ何で⋯⋯」
「頂上への行き方が分からない」
あまりにも予想外の答えだった。
「分からない⋯⋯?」
「ユグドラシルの頂上、アースガルドへの行き方がな」
ユーリは淡々と続ける。
「地上から見えているのは、ほんの一部に過ぎない。内部構造も不明。上層域へ続く道の入口も、いまだ見つかってない」
シャルロットは、静かに息を呑む。
──世界樹ユグドラシル。
世界の中心に存在する超巨大樹。
だが、その実態は誰も知らない。
「だから、世界中を回って情報を集めていた」
「情報⋯⋯?」
「ああ」
ユーリは、静かに紅茶を口へ運ぶ。
「神獣を討伐し続ければ、そのうち神が現れる可能性がある」
昨日聞いた、『神』という存在。
それを、ユーリはずっと追っていた。
「神から、上へ行く方法を探れればと思ってな」
「そんな事⋯⋯」
シャルロットは、言葉を失う。
気の遠くなるような話だった。
それを続けていたというのか。
八年間、ずっと。
たった一人で──。
「今も、まだ見つかってないの?」
「ああ」
ユーリは、静かに頷く。
「それを聞いたアルヴィンが協力したいと申し出てきた」
「アルヴィンさんが?」
「あいつは、ユグドラシルについての研究にも興味があるらしい」
なるほど、とシャルロットは思う。
あの研究オタクなら、確かに世界樹そのものへ興味津々でもおかしくない。
「いつも高笑いしながら楽しんで研究している」
「何か⋯⋯想像つくかも」
思わず苦笑する。
“未知”という言葉を聞いただけで、目を輝かせていそうだ。
シャルロットはユーリを見つめる。
八年間、世界中を巡り、神獣を狩り続け、神を追い続けている。
その果てにあるのが──神帝。
(⋯⋯本当に、遠いなぁ)
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ沈んだ。
ユーリの背中は、どこまでも遠い。
自分とは、見ている景色が違いすぎる。
「⋯⋯私、本当に追いつけるのかな」
ぽつりと、そんな言葉が漏れた。
ユーリは、紅茶のカップを置く。
「何だ、急に」
「だって⋯⋯ユーリの目的って、想像してたよりずっと遠いから」
シャルロットは、膝の上で拳を握る。
「神獣だけでも、あんなに脅威なのに。その上には神がいて、さらに神帝がいるなんて⋯⋯私、まだ神獣にまともに勝つことすら出来ないのに⋯⋯」
言葉にすると、余計に遠く感じた。
強くなりたい──その思いは変わらない。
しかし、目指す場所があまりにも高すぎる。
シャルロットが俯く。
──流れる沈黙。
そこへ、ユーリが口を開く。
「俺は、無意味な事をする主義じゃない」
「⋯⋯うん、知ってる」
シャルロットは小さく頷く。
「コカトリス戦を覚えてるか」
「え⋯⋯?」
不意に出された名前に、シャルロットの意識が引き戻される。
市場の街エルード。
突如、落ちてきた神獣の果実。
人々を守るために、たった一人でコカトリスの前に立ったあの日──。
「お前は、あの時コカトリスに一撃を入れた」
あの時と同じ言葉を、ユーリは繰り返す。
「偶然では、神獣に傷一つ付けられない」
まるで、シャルロットに当時を想起させるかのように。
「あの一瞬、お前は神威に届いていた」
「え──」
シャルロットの呼吸が一瞬止まる。
「私が⋯⋯神威を?」
「一瞬だけだがな」
ユーリは、静かに続ける。
「だがあの瞬間、シャルの生きようとする意志、必ず守るという覚悟が、お前の眠れる素質を引き出したんだ」
シャルロットは目を見開いた。
次第に胸が、熱くなる。
「だから、俺はお前に戦い方を教えると決めた」
ユーリの翠玉色の瞳が、真っ直ぐにシャルロットを捉える。
「俺は、お前に可能性を見た。──“弑神”の可能性を」
その一言で、シャルロットの中にあった不安が、音を立てて崩れていく。
ユーリは、見ていてくれた。
ただの足手まといじゃなく。
ただ守る対象としてでもなく。
シャルロットが、そこへ辿り着ける可能性を。
「⋯⋯っ」
視界が滲む。
「何で泣く」
ユーリが、わずかに困ったような顔をする。
「だって⋯⋯」
シャルロットは、両手で目元を押さえた。
それでも、涙が止まらない。
「嬉しいんだもん⋯⋯」
遠いと思っていた。
届かないと思っていた。
けれど、ユーリは最初から、自分の中にある可能性を見ていた。
「ありがとう、ユーリ」
震える声で、そう告げる。
「私を、見つけてくれて」
ユーリは少しだけ黙った後、視線を逸らした。
「⋯⋯大袈裟だ」
ぶっきらぼうにそう言う。
けれど、その声はほんの少しだけ柔らかかった。




