陰森の奥にて Ⅱ
物資の買い出しを終えた頃には、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。
シャルロットは、大きな紙袋を抱えながら宿へ戻る。
保存食、包帯、携帯食料、水袋──旅に必要な物は一通り揃えた。
「ただいまー」
部屋に戻るも、ユーリの姿はない。
ちょうど同じタイミングでアルベルトも帰ってきた。
「あ、シャルロット」
「アルベルトも今帰り?」
そう言いかけて──シャルロットの動きが止まる。
「⋯⋯ん?」
ふわり、と。
甘い香りが鼻を掠めた。
花のような、どこか大人っぽい香り。
明らかに、女性物の香水だった。
シャルロットの視線が、じとーっと細くなる。
「⋯⋯へぇ」
「え?」
「何か、すごーく楽しんでたみたいだね?」
「な、何が⋯⋯?」
「香水の香り、してるよ」
シャルロットの言葉の意味を悟り、アルベルトは慌てふためいた。
「ち、違っ!?ご、誤解だよ!!」
「ふーん」
「いやほんとに!!」
シャルロットの目が完全に冷めている。
「別にいいんだよ。アルベルトってモテるんだろうし」
「なんでそんな呆れた目なの!?」
「香水のにおい、右と左で違うよ?ひとりじゃなくて、二人も侍らせたんだ?」
「不可抗力なんだって!!」
アルベルトは必死に弁明する。
しかし、弁明すればするほど事態は悪化していく。
「街歩いてたら女性二人に急に絡まれて!」
「ふーん、そうなんですね。やっぱりモテるんですね、スゴいなーランパードさんは」
「お願いだから、敬語やめてっ!」
アルベルトが頭を抱える。
その時──
「部屋の入口で何をしている?」
言い合う二人の後ろから、ユーリが現れた。
「あ、ユーリ!聞いてよ。ランパードさんが⋯⋯」
「お願いだから苗字で呼ぶのやめてっ!」
騒ぐ二人を一瞥。
気にする様子もなく、シャルロットに言葉をかける。
「シャル、ついて来い」
「え?」
「今から模擬戦をする」
「っ!」
シャルロットの表情が、一瞬で引き締まる。
「うん!」
即答だった。
部屋を出ていくユーリの背中を、シャルロットがついて行く。
部屋に一人残ったアルベルトは、疲れたようにベッドに突っ伏した。
「た、助かった⋯⋯」
あの凍りついた空気を、いつもの戦闘のごとく華麗にぶった斬ってくれたユーリに、アルベルトは感謝した。
◆◆◆◆◆
宿から少し離れた、街外れの空き地。
周囲には木々が並び、人影も少ない。
模擬戦をするには丁度いい場所だった。
ユーリが静かに振り返る。
「今回は、俺が攻撃、シャルが防御だ。俺の攻撃を防ぎきれ」
「⋯⋯うんっ!」
シャルロットが、剣を抜き、構える。
思えば、ユーリと初めて出会ったあの日も、このように手合わせしてくれた。
──あの時とは違う自分を、見せたい。
その思いを、この試合に込める!!
「いくぞ」
ユーリが、地面を蹴る。
同時に、鞘に納めた刀を、振るう。
シャルロットは、レイピアでユーリの攻撃を受け止めた。
連続で打ち込むユーリ。
シャルロットは必死で防御する。
対応出来ないスピードではない。
カンッ
カンッ
カンッ
徐々に、ユーリの攻撃スピードが上がっていく。
シャルロットも集中力を高め、何とか食らいついていた。
しかし次の瞬間──
ユーリの姿が、消えた。
「え──」
気づいた時には、既に首筋へ鞘が添えられていた。
──完敗だ。
シャルロットは、背後のユーリに反応すら出来なかった。
悔しそうに唇を噛む。
拳を握りしめる。
(まだ⋯⋯全然足りない)
強くなったと思った。
だが、ユーリとの差は、まだ遥か遠い。
◆◆◆◆◆
宿へ戻る頃には、すっかり夜になっていた。
「お、帰ってきた」
アルベルトが手を振る。
「どうだった?」
「⋯⋯完敗」
「ははっ、まあユーリ相手だしなぁ」
──分かっている。
今日の模擬戦、ユーリは実力の一割も出していなかった。
それだけの圧倒的戦力差。
それでもやっぱり、敗けるのは悔しいのだ。
ふと、シャルロットの前にユーリが立つ。
「背後に立たれるまでは、悪くはなかった」
不意に掛けられた言葉に、シャルロットが顔を上げる。
「⋯⋯え?」
ユーリは、淡々と続けた。
「途中で打ち込みの速度を上げても、冷静に俺の太刀筋に対応していた」
シャルロットは、一瞬きょとんとする。
それから、じわりと胸が熱くなった。
(⋯⋯見て、くれてたんだ)
ただ負けただけじゃない。
ユーリはちゃんと、自分の成長を見ていた。
だが──
「でも、最後のあれ⋯⋯全然見えなかった」
悔しさを滲ませながら言う。
ユーリは短く答える。
「だろうな」
「むぅ⋯⋯」
少し頬を膨らませるシャルロット。
だが、ユーリはそれ以上説明しない。
何故見失ったのか、どうすれば対応できるのか。
今はまだ、教えるつもりはないらしい。
その時──
「はいはい!難しい話はその辺にして、そろそろ飯を食べにいこう!」
アルベルトが明るく割って入った。
「お腹空いて、もう限界なんだよ」
大袈裟に腹を押さえる。
その様子に、シャルロットは思わず吹き出した。
「ふふっ、何それ」
「いやほんとに!今日は精神的にも疲れたんだって!」
アルベルトが遠い目をする。
「女性って⋯⋯怖いよなぁ⋯⋯」
「まだ引きずってたんですね、ランパードさんは」
「そりゃ引きずるよ!ってか、まだそれ続けるの!?」
騒がしい二人を横目に、ユーリが歩き出す。
「あ、待ってよユーリ!」
「今行く!」
三人は、そのまま宿の食堂へ向かった。
木製の扉を開けると、温かな光と料理の匂いが広がる。
束の間の、穏やかな夜だった。
◆◆◆◆◆
──翌朝。
朝食を済ませたシャルロットへ、ユーリが不意に課題を出す。
「この宿屋には、俺達を含めて何人の人間がいるか、答えろ」
シャルロットは、ぽかんとした。
突然のクイズに、思考がついていけない。
(え⋯⋯?宿にいる人の数?なんで??それが修行とどう関係あるの???)
絶賛混乱中である。
「答えろ」
ユーリの表情は、真剣そのものだ。
だが、そう言われても分かる訳が無い。
この宿に何人泊まってて、何人の従業員が働いているのか、シャルロットは知らないのだから。
とりあえず、勘で答えてみる。
「⋯⋯十人くらい?」
「違う」
即答である。
「そんなの、分かるわけないよ」
シャルロットの不満に、ユーリは答えない。
代わりに一言。
「付いてこい」
そう言って歩き出した。
ユーリの意図が全く理解できないものの、シャルロットはユーリの後に続いた。
◆◆◆◆◆
シルヴァトーアの東に位置する広大な森に、ユーリとシャルロットはやってきた。
木々は空を覆い隠すほど高く、昼間だというのに薄暗い。
ざわざわと揺れる枝葉の音に混じって、時折どこからか獣の唸り声まで聞こえてくる。
シャルロットは、思わず周囲を見回した。
「⋯⋯ここって、結構危なくない?」
「ああ。魔獣も出る」
ユーリは平然と答える。
「えっ」
シャルロットの顔が引きつった。
そんな彼女を気にする様子もなく、ユーリは森の奥へ進んでいく。
やがて、小さく開けた場所で足を止めた。
周囲を木々に囲まれた空間。
近くには細い川も流れている。
「今日から、ここで生活しろ」
「⋯⋯はい?」
一瞬、意味が理解できなかった。
「え、生活?」
「ああ」
ユーリは当然のように頷く。
「一ヶ月だ」
「⋯⋯」
「一ヶ月経ったら、宿へ戻ってこい」
シャルロットは、数秒固まった。
風が吹き、木々が揺れる。
遠くで、何かの鳴き声が響いた。
「⋯⋯ええぇぇぇぇっ!?」
森に絶叫が響き渡る。
「い、一ヶ月!?ここで!?ひとりで!?」
「ああ」
「ああ、じゃなくて!!魔獣出るって言ったよね!?」
「だからだ」
ユーリは短く答える。
「生き延びろ」
あまりにも簡潔だった。
シャルロットは、わなわなと肩を震わせる。
「せ、せめて理由くらい説明してよ!」
「今のお前に必要だからだ」
「雑っ!?」
思わず叫ぶ。
だが、ユーリは真面目だった。
「強くなりたいんだろ」
「っ⋯⋯それは、そうだけど」
「なら、やれ」
静かな声──だが、その言葉には有無を言わせぬ圧があった。
シャルロットは、唇を噛む。
逃げたい訳じゃない。
怖いだけだ。
魔獣が徘徊する森で、一ヶ月間の単独生活。
まともに寝られる保証もない。
それでも──
(ユーリは、意味のない事はしない)
今までの修行も、全部そうだった。
理不尽で、説明もなくて、滅茶苦茶で。
だけど⋯⋯その先には、必ず成果があった。
シャルロットは、大きく深呼吸する。
「⋯⋯分かった」
覚悟を決め、顔を上げた。
ユーリが小さく頷く。
そして、踵を返した。
「え、ちょっ、もう行くの!?」
「一ヶ月後だ。⋯⋯生き延びろよ」
それだけ残して、ユーリは森の奥へ消えていった。
「あっ──」
呼び止めようとして、止まる。
もう、姿は見えなかった。
残されたのは、森の音だけ。
シャルロットは、しばらく呆然と立ち尽くし──やがて、小さく拳を握る。
「⋯⋯やってやるんだから」




