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RAGNARΦK  作者: 竜胆
第5話
16/16

陰森の奥にて Ⅲ

 一日目──。


 まず、問題になったのは食料だった。

 森へ放り込まれた直後は、修行の事を考える余裕すら無かった。

 優先すべきは、生存。

 とにかく、生き延びる事だ。


「はぁっ⋯⋯」


 シャルロットは、大きく息を吐きながら木にもたれかかる。

 額には汗。

 服の裾には草や泥がついていた。

 川の水は確保できる。

 だが、食料が無い。


(つまり、自分で調達しろってことだよね⋯⋯)


 理不尽である。

 だが、今さら文句を言っても仕方ない。

 シャルロットは、レイピアを握り直し、森の中を慎重に進んでいく。

 木々の隙間から差し込む光。

 湿った土の匂い。

 虫の羽音。


 そして──


 ガサッ。


「っ!」


 反射的に身体が動く。

 レイピアを構え、音の方向を見る。

 だが、飛び出してきたのは小動物だった。


「あ⋯⋯」


 小さな兎が、驚いたように逃げていく。


「はぁ⋯⋯」


 緊張で、心臓が嫌になるほど跳ねていた。


(気を張りすぎ⋯⋯)


 そう思う。

 だが、気を抜く方が怖い。

 ここは街ではない。

 魔獣が徘徊する森だ。


◆◆◆◆◆


 夜──。


 それは、昼以上に過酷だった。

 焚き火の火が、ぱちぱちと音を立てる。

 だが、その程度で安心など出来ない。

 

 ──暗い。

 静かすぎる。

 そして、時折聞こえる。


「グルルル⋯⋯」


 遠くから響く、魔獣の唸り声。


 シャルロットの肩がびくりと震える。

 レイピアを握る手に、自然と力が入った。


(寝れるわけないよこんなの⋯⋯!)


 初めての野営を思い出す。

 あの時も、不安で眠れなかった。

 それでも隣には、ユーリがいた。

 今は、頼れる彼は、いない。

 

 木々の隙間、闇の奥。

 そこから、何かがこちらを見ている気がする。

 実際にいるのか。

 気のせいなのか。

 ──もう、分からない。

 少しでも瞼を閉じると、不安になる。

 もし、その間に魔獣が来たら?

 結局その夜、シャルロットはほとんど眠れなかった。


◆◆◆◆◆


 三日目──。


 疲労は、確実に蓄積していた。


「はぁっ⋯⋯!」


 振るったレイピアが、小型魔獣の身体を裂く。


 ──ザンッ!!


 魔獣は霧散。

 だが、シャルロットの呼吸は荒い。


(今ので⋯⋯三体目)


 戦闘そのものは問題ない。

 今のシャルロットなら、下級魔獣程度に遅れは取らない。

 問題は──休めない事だった。

 常に神経を張り続けている。

 食料を探す時も、水を汲む時も、眠る時ですら。

 その緊張が、少しずつ精神を削っていく。


 だが──

 その極限状態の中で、シャルロットは少しずつ気づき始めていた。


 音、気配、森の『違和感』。


 葉が揺れる音にも種類がある。

 風で揺れた音。

 小動物が通った音。

 そして──魔獣が動いた音。


 違う──微妙に。

 ほんの僅かに。


(今のは⋯⋯左後ろ!)


 シャルロットが反射的に振り向く。

 次の瞬間、飛び出してきた狼型魔獣へ、レイピアを突き出した。


 ──ザシュッ!!


 魔獣が霧散する。

 シャルロットは目を見開いた。


「今の⋯⋯分かった」


 以前なら、飛び出してきてから反応していた。

 だが今は違う。

『来る前』に察知した。


◆◆◆◆◆


 一週間後──。


 シャルロットは、木の上に座っていた。

 最初の頃より、呼吸はずっと落ち着いている。

 森の音にも、多少慣れた。

 風、葉擦れ、虫の羽音、川の流れる音──。

 そして、その中に混ざる『異物』。


 ──ガサッ


(右、距離およそ二十メートル⋯⋯来るっ!)


 反射的に位置を把握する。

 飛び出してきた魔獣へ、シャルロットは迷わず飛び降りた。


「はぁっ!!」


 ──ザンッ!!


 上空から突き下ろしたレイピアが、魔獣を貫く。 


「⋯⋯前より、分かる」


 シャルロットが、小さく呟く。

 音だけで、接近方向を察知できるようになってきた。

 以前なら、不可能だった事だ。


 だが──


(まだ、足りない)


 ユーリが求めているのは、きっとこの程度じゃない。

 直感的に、そう感じていた。

 彼は、『音』なんかで敵を見ていない。

 もっと別の何かを、感じ取っている。

 シャルロットは、木々の奥を見つめながら、静かにレイピアを握り直した。


◆◆◆◆◆


 二週間後──。


 森の中を、シャルロットは静かに歩いていた。

 最初の頃のように、無闇に周囲を見回す事はない。

 視線を動かさずとも、森の変化が分かるようになってきていた。

 風の流れ、葉の揺れ、草を踏む音、枝が軋む音。

 その一つ一つが、頭の中で繋がっていく。


 ──左から来る。

 直後、草むらから狼型魔獣が飛び出した。


「はぁっ!!」


 振り向きざまの一閃。


 ──ザシュッ!!


 魔獣は断末魔すら上げられず霧散した。

 シャルロットは、油断なく周囲を見渡す。


(前より⋯⋯見える)


 いや、正確には違う。


 ──感じている。


 以前は、飛び出してきた敵に反応していた。

 だが今は、敵が動く前の気配が分かる。

 森全体の澄んだ空気の中に、『不純物』が混ざる感覚。

 それを、少しずつ掴み始めていた。


◆◆◆◆◆


 その日の夜──。


 シャルロットは、木の上で膝を抱えていた。

 焚き火は使わない。

 光は、自分の位置を知らせるだけだからだ。

 最初の頃は、暗闇が恐ろしくて仕方なかった。

 

 だが今は違う。

 目を閉じ、耳を澄ませる。

 川の音、風や木々の揺れる音──。

 その中に混ざる、生き物の音。


(──三体)


 シャルロットは、ゆっくり目を開く。

 ──遠い。

 こちらへ向かってきてはいない。

 ──危険は無い。

 そう判断した。


(⋯⋯あれ?)


 不意に、違和感を覚えた。

 音じゃない。

 もっと、別の何か。

 ぼんやりと、輪郭すら曖昧な感覚。

 だが確かに、『そこに何かいる』と分かる。


 シャルロットは、眉をひそめた。


(何⋯⋯今の)


 気配とは違う。

 音でもない。

 もっと直接的な何か。

 だが、掴もうとした瞬間、その感覚は霧のように消えてしまった。


◆◆◆◆◆


 三週間後──。


 シャルロットは、川辺で水を汲んでいた。

 その時──

 

 ぞわり、と。


 背筋を何かが走る。

 反射的に、身体が動いた。


 ──ガァァッ!!


 直後、背後の木陰から飛び出した大型魔獣の爪が空を裂く。

 シャルロットは地面を転がるように回避。

 そのまま低姿勢で滑り込み──


「せぇぇいっ!!」


 ──ザンッ!!


 魔獣の首を切り裂いた。


「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」


 呼吸を整えながら、シャルロットは目を見開いていた。


(見えてた⋯⋯)


 ──いや、違う。


 感じていた。


 魔獣が飛び出す前から、そこにいると分かっていた。

 もっと内側へ直接響くような感覚。

 シャルロットは、自分の胸元へ手を当てた。

 鼓動が速い。

 だが──不思議と、怖くはなかった。


(これって⋯⋯)


 脳裏に、ユーリの姿が浮かぶ。

 背後を取られた、あの日。

 ──気づけなかった。

 

 でも今なら、少しだけ分かる気がした。

 ユーリは、目や耳だけで戦っている訳じゃない。

 もっと別の感覚で、『存在そのもの』を捉えている。


 シャルロットは、森の奥を見つめる。

 静かな森。

 だが今は、その奥にいる生き物の『存在』が、ぼんやりと感じ取れる気がしていた。


◆◆◆◆◆


 四週間後──。


 森の中を歩くシャルロットの足取りは、最初の頃とは比べ物にならないほど静かだった。

 草を踏む音は最小限。

 枝葉を掻き分ける動きにも無駄が無い。

 呼吸すら、森へ溶け込むように自然だった。


 ──右上。


 視線を向けるより先に、身体が動く。

 木の枝を蹴り、跳躍。


「はぁっ!!」


 ──ザンッ!!


 上空から飛びかかってきた鳥型魔獣を、一閃のもとに切り裂いた。


 そのまま周囲へ意識を広げる。


(⋯⋯他には、いない)


 自然と分かる。

 以前のように、耳を澄ませたり、目を凝らしたりする必要はなかった。


 森の中にある『生命の流れ』──マナを感じ取れる。

 ぼんやりとだが、確かに。

 シャルロットは、自分の掌を見つめた。


(これが⋯⋯ユーリの言いたかった事?)


 まだ、完全には分からない。

 だが──以前より遥かに、世界が鮮明だった。


◆◆◆◆◆


 その夜──。


 シャルロットは、焚き火の前に座っていた。

 最初の頃と違い、表情に怯えは無い。

 むしろ、静かだった。

 火の揺らめきを見つめながら、この一ヶ月を思い返す。


 ──怖かった。

 何度も逃げ出したくなった。

 眠れない夜もあった。

 魔獣に囲まれた事もある。

 食料が尽きかけた事もある。


 それでも──生き延びた。

 シャルロットは、小さく笑う。


「⋯⋯ちょっとは、強くなれたのかな」


 正直、自分ではよく分からない。

 

 不意に、風が吹く。

 木々が揺れ、葉が擦れる音が響いた。

 だが、もう怖くはない。

 森の中にいる『存在』が、分かるからだ。


◆◆◆◆◆


 翌朝──。


 シャルロットは、森を後にし、一ヶ月ぶりにシルヴァトーアへと帰ってきた。


「うわぁ⋯⋯人多い⋯⋯」


 思わず、そんな感想が漏れる。

 たった一ヶ月。

 されど一ヶ月。

 森しか見ていなかったシャルロットには、街の喧騒が妙に新鮮だった。


 そして、宿へ辿り着くなり──

 ベッドへ倒れ込んだ。


「むり⋯⋯もう限界⋯⋯」


 そのまま、一瞬で意識が落ちる──

────────

───────

──────

─────

────

───

──



 目を覚ました時には、外はすっかり暗くなっていた。


「⋯⋯あれ」


 ぼんやりした頭で身体を起こす。


 すると──


「起きたか」


 椅子に座っていたユーリが、静かに口を開いた。


「ゆ、ユーリ⋯⋯」


 シャルロットは、寝ぼけ眼のまま身体を起こす。


「⋯⋯私、どれくらい寝てた?」

「半日」

「そんなに!?」


 シャルロットが目を丸くする。

 ユーリは、小さく笑った。

 本当に、ほんの僅かだけ。

 だが確かに、笑った。


「よくがんばった」

「っ⋯⋯」


 その言葉に、胸が熱くなる。

 涙が、零れそうになる。

 たった一言。

 だが、それだけで──この一ヶ月が報われた気がした。


◆◆◆◆◆


 ──翌朝。


 久しぶりに、柔らかなベッドで眠ったからだろうか。

 目覚めは、驚くほど良かった。

 シャルロットは、宿の窓から差し込む朝日を浴びながら、大きく伸びをする。


「ん〜〜っ⋯⋯」


 身体は軽い。

 森での疲労は、まだ完全には抜けていない。

 だが、不思議と感覚は澄んでいた。


 着替えを済ませ、一階へ降りる。


 ──ユーリとアルベルトが、先に食堂に行ってる。


 見なくとも、分かる。 


 

 食堂には、ユーリとアルベルトの姿があった。


「お、シャルロット!おはよう!」

「おはよ、アルベルト」


 アルベルトが明るく手を振る。

 その隣では、ユーリが静かに紅茶を飲んでいた。


「おはよう、ユーリ」


 シャルロットが席につく。

 すると、不意にユーリが口を開いた。


「シャル」

「ん?」


 真剣な声音。


「この宿屋には、今何人いる?」


 一ヶ月前、ここで聞いたものと同じ課題。


 ──ああ、そういうことか。


 一ヶ月前、自分は何も分からなかった。

 だが今は違う。

 シャルロットは、静かに目を閉じる。


 耳を澄ませる訳じゃない。

 気配を探る訳でもない。


 ただ、感覚を広げる。


 宿の中に流れる『存在』。

 いや、これは──『魔力』だ。

 生物が生まれながらに持っている、『存在の証』だ。


 厨房に二人。

 二階に宿泊客が三人。

 入口付近に一人。

 他にも、部屋に残る『存在』がいくつか。

 そして──


 ゆっくり、目を開く。


「⋯⋯私達を入れて、十五人」


 静かに答える。

 数秒の沈黙。

 やがて──


「正解だ」


 ユーリが、短く答えた。

 その瞬間、シャルロットの胸が、熱くなった。


(──できた)


 ただ生き延びただけじゃない。

 ちゃんと、意味があった。

 あの森での一ヶ月。

 恐怖も、不安も、孤独も。

 ──全部、無駄じゃなかった。

 自然と、口元が綻ぶ。


「すごいな、それ」

「えへへ⋯⋯」


 アルベルトの言葉に、少し照れながら笑うシャルロット。

 ユーリは、そんな彼女を見ながら静かに言った。


「それが、『魔力感知』だ」

「魔力、感知⋯⋯」

「目や耳だけに頼るな。魔力感知を鍛えれば、戦いの幅はもっと広がる」


 シャルロットは、真剣に頷く。

 まだ、入り口だ。

 ユーリには、きっともっと先の景色が見えている。

 だけど──

 今なら少しだけ、その背中に近づけた気がした。


 窓の外では、森の都シルヴァトーアが朝の賑わいを見せている。

 新たな力を得た少女は、その景色を静かに見つめながら、小さく拳を握った。

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