堅守の貴公子 Ⅱ
堅守の貴公子 Ⅱ
アルベルトに案内され、ミレー湿地帯の湧水池へと繋がる川沿いを、上流に向かって歩いていく。
湿地帯特有の重たい空気は徐々に薄れ、代わりに澄んだ水の匂いが鼻をくすぐった。
川幅は次第に広がり、流れも穏やかなものから、力強さを帯びたものへと変わっていく。
──ザァ⋯⋯
水音が、心地よく響く。
道はやがて整備され、踏み固められた街道へと変わっていった。
人の往来も増えていく。
商人の一団。
荷車を引く農夫。
旅装の旅人。
彼らの視線が、一瞬だけ三人に向く。
黒衣の剣士。
騎士服の少女。
そして、貴族然とした青年。
だがすぐに、興味を失ったように流れていく。
「見えてきたよ」
アルベルトが指を差した。
その先の視界が、開ける。
そこに広がっていたのは──
水路が張り巡らされた、大きな街。
石造りの建物が並び、幾本もの橋が水路を跨ぐ。
行き交う人々。
水面に揺れる小舟。
反射する夕陽の光。
水の街──リバーグレイス。
「⋯⋯すごい」
シャルロットから思わず、声が漏れた。
グラン村とは、明らかに違う。
規模も、人の数も、空気そのものが違う。
「ここが、この辺りで一番大きな街だよ」
アルベルトが少し誇らしげに言う。
領地の者としての、自負が滲んでいた。
「水運が盛んでね。交易の拠点なんだ。だから色んな人が集まる」
さらりと説明を加える。
(⋯⋯ちゃんと、領主の息子なんだ)
シャルロットは内心で苦笑した。
あの軽い調子からは想像しづらいが、確かにこの街の一端を担う存在なのだろう。
ひとまず三人は宿を取り、荷を置いた。
石造りのしっかりとした宿で、グラン村のそれよりも数段整っている。
「じゃあ、食事に行こうか!」
アルベルトが軽快に言う。
「ここは俺が奢るからさ!」
「え、いいの!?」
「もちろん。命を助けてもらった礼だよ」
満面の笑み。
打算のない、まっすぐな言葉だった。
シャルロットは、ちらりとユーリを見る。
「⋯⋯案内してくれ」
短い一言。
断らないことに、少しだけ安堵する。
案内された食事処は、川沿いに建つ店だった。
大きな窓からは、水面が広がっている。
夕陽が差し込み、店内を橙色に染めていた。
「遠慮はいらない。好きなだけ頼んでくれ」
アルベルトが気軽にメニューを差し出す。
「ほんとにいいの?」
「もちろん」
さらりとした言い方。
だが、そこに打算はない。
メニューに視線を落とす。
並ぶのは、見慣れない料理ばかりだ。
川魚の塩焼き。
白身魚のソテー。
貝と海老のカルパッチョ。
「⋯⋯どれも美味しそうで、逆に選べない」
思わず呟く。
「なら、適当に頼んでみようか」
アルベルトが手際よく注文を済ませる。
「この店、外れはないから安心していい」
どこか慣れた様子だった。
やがて、料理が運ばれてくる。
湯気と共に立ち上る香り。
焼けた皮の香ばしさと、淡い塩気。
鼻をくすぐるそれだけで、空腹が刺激される。
「⋯⋯すごい」
思わず、声が漏れた。
皿の上に並ぶ料理はどれも鮮やかで、見た目にも美しい。
川魚はこんがりと焼き上げられ、皮はパリッと弾け、
ナイフを入れれば白い身から湯気が立ちのぼる。
「いただきます!」
一口食べ、言葉を失う。
──柔らかい。
そして、旨い。
口の中でほろりと崩れ、じんわりと味が広がっていく。
「おいしい⋯⋯!」
自然と笑みがこぼれる。
「だろ?」
アルベルトが嬉しそうに笑う。
「この辺りの魚は水がいいからな。味が違うんだ」
さらっと言うが、その言葉には確かな実感があった。
向かいでは、ユーリが無言で食事を続けている。
相変わらず表情は変わらないが、手は止まらない。
(⋯⋯ちゃんと食べてるってことは、美味しいんだよね)
そう思いながら、シャルロットも次の料理に手を伸ばす。
少しして、ふと手が止まる。
頭の中に、先程の戦闘が浮かぶ。
「ねえ、アルベルト」
「ん?」
「さっきの戦いなんだけど」
自然と、声が真剣になる。
「防御魔術⋯!すごかった」
率直な感想を伝える。
「一瞬だけでも、あの攻撃を止めてた」
アルベルトは、少しだけ肩をすくめる。
「まあ、それが取り柄だからね」
軽く言うが、あれが簡単なことではないのは明白だった。
「⋯⋯魔力特性か」
不意に、ぽつりと、ユーリが呟く。
「あ、ああ⋯⋯そうだ。知ってたのか、さすがだな」
アルベルトが驚きつつも頷く。
「魔力、特性⋯⋯?」
シャルロットは、聞き慣れない言葉に目を瞬かせた。
「人が生まれながらに持つ、『魔力の個性』だ」
「個性⋯⋯?」
「似た系統はあっても、同じものは二つと存在しない。そして──誰もが持っている」
淡々とした説明だが、端的で分かりやすい。
「えっと⋯⋯じゃあ、私にも?」
ユーリは、短く頷く。
「だが──鍛えて得るものじゃない。必要なのは──気づくこと、だ」
「気づく⋯⋯」
シャルロットは、その言葉を反芻し、理解した。
実にシンプルで、途方もなく難しい。
どれだけ才能があっても、気づけなければ意味がない。
逆に、気づきさえすれば──
(戦況が、大きく変わる⋯⋯!)
アルベルトの戦闘が、それを証明していた。
「アルベルトは、どんな魔力特性なの?」
視線を向ける。
アルベルトは、少しだけ胸を張って答えた。
「俺の魔力特性は──『結界』だ」
「結界⋯⋯?」
「魔力を放出すると、それ自体が防壁になるんだ」
なるほど、と腑に落ちる。
あの高い防御力。
魔術展開の速さ。
『魔力特性』が、底上げしているのだ。
(⋯⋯すごい)
素直にそう思った。
同時に──
(まだまだ、私の知らない事が⋯⋯多い)
少しだけ、アルベルトに嫉妬を覚えてしまった。
気を取り直して、食事を再開する。
その時──店の外から、ざわめきが流れ込んできた。
人々の声。
慌ただしい足音。
そして──
遠くから響く、低い振動音。
──ドォン⋯⋯
一拍遅れて、空気と大地が揺れた。
カタカタ、とグラスが震える。
水面に置かれた皿のスープが、小さく波打った。
店内のざわめきが、ぴたりと止まる。
「⋯⋯今の、何だ?」
誰かが呟く。
次の瞬間──
「きゃああああああっ!!」
「に、逃げろぉ!!」
遠くから、悲鳴が響いた。
ただ事ではない。
外の通りが、一気に騒がしくなる。
シャルロットは反射的に立ち上がった。
「ま、まさか⋯⋯」
嫌な予感がする。
シャルロットは、ユーリとアルベルトに目配せし、席を立つ。
店を出た三人は、外の異様な空気を感じ取った。
「うわぁぁ!!」
「どけっ!!」
「化け物だぁー!!」
肩をぶつけながら、人々が同じ方向から逃げてくる。
ユーリが、人の流れに逆らうように立ち、ゆっくりと視線を上げる。
「⋯⋯いたぞ」
その呟きに、シャルロットとアルベルトも、同時に顔を上げた。
建物と建物の隙間。
その奥に、ぬらりと動く影。
──巨大な蛇の首。
鱗に覆われ、建物よりも高く伸びたそれが、ゆっくりと持ち上がる。
──もう一本。
さらに、もう一本。
複数の首が、別々の意思を持つかのように蠢いている。
「な⋯⋯なに⋯⋯あれ⋯⋯?」
シャルロットが思わず息を呑む。
──ズドォンッ!!
奥の建物が崩れ落ちた。
その隙間から、全体像が垣間見える。
巨大な胴体に、畝る八つの首。
神獣──ヒュドラ。
「早く倒さないと、街が⋯⋯!!」
シャルロットがヒュドラのもとへ駆けだそうとしたその時──
バシャーン!!
すぐ近くの水路が、大きく跳ねる。
そして──湿った音を鳴らしながら、地上へと這い上がる。
人の形をしているが、明らかに人ではない。
鱗に覆われた皮膚。
突き出た顎。
鋭い歯が並ぶ口。
そして、手に持つ三叉矛
魔獣──サハギン。
「うわああああっ!!」
通りの住民が悲鳴をあげる。
それも一か所ではなく、様々な場所から。
バシャッ!
ドボンッ!
ヒタ、ヒタ⋯⋯
水路という水路から、次々と這い上がってくる。
「なに⋯⋯この数⋯⋯?」
シャルロットが息を呑む。
逃げる街の人達の退路を塞ぐかのように、サハギンの群れが街中に溢れる。
神獣が街を破壊し、魔獣が人を襲う。
二方面からの襲撃。
──状況は、最悪だった。




