【243】少佐、馬を駆り追う
水を飲みシャルルさんが連れ出されたことを告げたリースフェルトさんは、その後しばらく放送事故状態 ―― 首締められ解放されると嘔吐がね……。
プラシュマ大佐率いるアディフィン軍がアレクセイと共にいた者たちを制圧し、
「久しぶりだね、ジョニー! こんなにぼろぼろになって! いま磨いてあげるよ!」
デニスがアレクセイとイワンに持ち出された車両との再会を喜ぶ。
そうか、その車両がジョニーだったのか。
「クローヴィス」
「上級大将閣下、なんでございましょう?」
「見事な剣捌きだった」
「お褒めに与り光栄であります」
「射撃と体術は並外れていると聞いていたが、剣術まであのレベルとは」
そんな褒めてもなにも出ないですよ、リトミシュル上級大将閣下。……というか、出せませんよ! 資産もなにも持ち合わせていない一少佐ですから。
リトミシュル上級大将閣下はご自分の顎を撫でながら、
「アントンもすげえと思ったが、お前はそれを凌駕しているな」
「リリエンタール閣下、お強いのですか?」
「強いぞ。特に剣術は、幼年学校時代になんであんなに強いんだ? で、同学年どころか上級生すら一太刀を浴びせることは叶わなかった。アントンは自分の身は自分で守れるタイプだからな……まあ、あの一閃を放つお前には及ばんがな」
上級生に剣術で勝つとか、別にそんなに難しくないような。閣下は背も高いし、リーチもあるのでわたしと同じく剣を振り回しているだけで、勝てると思うんだけど……違うのか?
「リリエンタール閣下をお守りできると、上級大将閣下からうかがうことが出来て良かったです」
「あれを守るのか……そうか、だからあれを殺す時、迷いが一切なかったのだな」
リトミシュル上級大将閣下がわたしの背後に視線を向ける ―― その先にあるのはきっとアレクセイの遺体。
「お前の腕前なら確実に守れるだろうよ、大天使」
大天使はお止めください、リトミシュル上級大将閣下。
そうしていると部下が駆け寄ってきて ―― リトミシュル上級大将閣下の副官に耳打ちし、副官が近づき用件を伝える。
懐かしき副官業務だー。どこの国でも変わらないね!
リトミシュル上級大将閣下はわたしに手を振り、呼びに来た部下が案内する方へと向かわれた。
「隊長、アレクセイですが、どうしますか?」
わたしの隣にいて会話が終わるのを待っていたネクルチェンコ中尉に声を掛けられた。
隊員が持ち出したシーツをアレクセイの遺体に掛け、風で飛ばないよう二名が端を踏んでいる。
「そうだな……一応遺髪と遺品を持ち帰るか」
遺体を故国へ持ち帰り埋葬することは無理なので、この地で埋葬させてもらうとして、遺品や遺髪は陛下と閣下にお届けしよう。
閣下は「要らない」と仰りそうだけど。
「分かりました」
わたしとネクルチェンコ中尉はアレクセイの遺体に近づき、シーツを剥がしてからナイフで髪を切り、私物っぽいものを捜す。
「印章とこのペンでいいか」
小指にはめられていた印章と、胸元に挿していた豪華なペンを遺品として持ち帰ることにした。遺体は持ち帰ることができないので、ここで埋葬です。
「ロジャー! 元気そうでなによりだ!」
あの車両が例のロジャーなのか。
ロスカネフ語が分からないアディフィン軍の皆さんですが、なんとなく察しているらしい。
止めろ、うちの弟をそんな目で見るな……とも言えない。
名前を付けるなというのも、越権行為というか……女の名前を付けるようになったら、姉としてやんわり注意させてもらうが、今のところは男の名前ばかりなのでいいだろう。
「クローヴィス少佐。車両内にはイワンの馬鹿野郎も、シャルルもいなかった。あとイワンの部下数名もな」
部下から報告を受けたリトミシュル上級大将閣下が、なんとなく分かっていたことを教えてくれた。
「ジーク、イワンたちは何処で降りた?」
リトミシュル上級大将閣下はやっと呼吸が落ち着きだしたリースフェルトさんの前に地図を広げる。喉を押さえているリースフェルトさんは、若干震えている指で地図の一点を指した。
そこはここより二つ前の、補給可能な駅だった。
「ここで降りたのか? 本当にここで降りたのか? ジーク」
繰り返し聞くリトミシュル上級大将閣下にリースフェルトさんは、痛むであろう首を縦に動かして肯定した。
その後リトミシュル上級大将閣下が装甲武装蒸気機関車に積んでいる無線で連絡を取り、近辺で蒸気機関車が盗まれていないことなどを確かめ、
「牧場で馬を買って、蒸気船に乗りこみサヴァ川を上る……ってとこだろうな」
そのようにルートを読まれた。
わたしも多分そうではないかな? と思う。
「よし、俺たちも引き返して追うぞ! サヴァ川の方は、連絡を入れておいたから誰も蒸気船には乗せない。万が一乗せたとしたら、その船を沈めるまで」
物騒なことを仰ってるー。
「蒸気船が沈んでもシャルルは泳げるから大丈夫だ」
そこー?! そこだけなの問題は?!
「蒸気船をアウグストのやつに沈められたくなければ、急いで追うしかない。行くぞ、クローヴィス少佐」
リトミシュル上級大将閣下がにやりと笑い ――
「後は任せたぞ、ヤンソン・クローヴィス少尉」
「任せておいてください、クローヴィス少佐」
デニスにリドホルム男爵が連れてきた部下一名をつけ、アレクセイの埋葬と持ち出された蒸気機関車の整備等を命じた。
リトミシュル上級大将閣下も五名ほど部下を付けてくださった。
どの部下も蒸気機関車に暑苦しいまでに情熱を注ぐ者たちなので、使用言語が違い通常の会話は成立しなくても、蒸気機関車を介せば問題なく会話できるだろうというお心遣い。通じるのか? 通じてしまうのですか? 通じそうだなー。
わたしたちはアディフィンの装甲武装車両に乗り込み、
「ベネディクトたちとお迎えに上がりますのでー! 隊員の皆さん、クローヴィス少佐のことよろしくお願いしますねー!」
デニスは相変わらずどうにもならないほど下手な敬礼をしながら叫び ―― すぐに小さくなった。
異国の地のど真ん中に弟を置いていくのは不安だが、デニスももう二十四歳の立派な男性である。更に言うならば線路が走っている所なので、デニスが道に迷うことは絶対にない。むしろわたしより異国の地理(鉄道限定)には詳しい。
蒸気機関車の整備は任せた、デニス。
「もうすぐ到着するぞ」
車両を全て通行止めにしての走行のため、通常の半分以下の時間でイワンたちが降りた駅に到着することができた。
更に降りると、駅周辺には馬を連れた軍人たちがずらりと並び待機していた。
彼らはリトミシュル上級大将閣下の姿が見えるや否や背筋を正し敬礼をする。リトミシュル上級大将閣下は片手を軽く上げ、
「リリエンタール閣下の手の動きと同じだな」
部下たちをねぎらうのだが、その仕草が完全に人の上に立つ者のそれだった。
「ええ。何も言っていないのに”苦しゅうない”ってのが伝わってきますな」
ネクルチェンコ中尉も同意してくれた。
うん、あれは人を支配しなれている人の静なる動きだよ。
鞍を乗せ鐙を置いた軍馬を連れてきた軍人たちの隊長らしき人物にリトミシュル上級大将閣下が話し掛け ―― 栗毛色の軍馬に颯爽と飛び乗った。
「よし、俺はこの馬にする。ロスカネフの諸君、馬を全員分用意することはできなかったので、乗馬が得意な者を選別せよ」
馬は四十五頭ほどいるのですが、リトミシュル上級大将閣下についていくアディフィン軍人が半分くらい取るのは当然のことだもんね。
「切れ者だとは聞いていたが、本当に切れるな」
アディフィンではない国での作戦行動中だというのに、まるで国内にいるかのように作戦に必要なものをすぐに用立て、他と連携して行動可能にしてしまう。
「大国の重鎮だということを差し引いても、切れ者ですね」
やり手とは聞いていたけど、本当に凄いわリトミシュル上級大将閣下。
「どうした? クローヴィス少佐」
「上級大将閣下が噂以上のやり手で、驚いておりました」
「…………ぶははははは! やり手! 俺が? いやいや! そう言ってもらえるのは嬉しいが、アントンと比べたらどってことねえ、ただの駒程度だぞ」
馬上で嬉しそうに笑ってらっしゃるけど、すっごいと思いますよ。
「俺には共産連邦戦線軍を一人で止めるのは不可能だからな。そもそも、俺相手じゃあ、ネスタの野郎は出てこねえがな」
「リリエンタール閣下はご無事でしょうか」
なにか情報はありますか? という気持ちで呟いたら、リトミシュル上級大将閣下は一瞬真顔……ではなく「?」みたいな表情になり、
「お前心配してるのか! そうか、心配しているのか……あれの心配か! 天使のあまりに初々しい反応に吃驚したぞ。五百万があの近辺に展開して既に二ヶ月。アントンが失敗していたら既に、アディフィンも半分は持って行かれているはずだ。そういう報告は届いていないから安心しろ」
小声でそう返して下さった。
騎乗の人ととなりイワンたちを追う面子ですが、ここに来て我が儘が炸裂し、血筋が閃光して面倒くさいことに。
わたしは普通に隊員を伴うつもりだったのですが、
「失態を取り戻す機会を与えて欲しい」
リドホルム男爵に頼み込まれ ―― この人は侯爵家の嫡男ですし、失態を取り戻さないと消されてしまう可能性もなきにしもあらずなので、頼みを聞き入れた。色々お世話にもなっているしね。
[わたしは次期にして正統なる聖王猊下より御身台下を守るよう言い付かったものだ。離れることなどできない。台下がわたしを選ばずともよい。わたしが自らの意思で誰かを神の御許へ送り馬を奪いついてゆくだけのこと]
オディロンに殺してでもついて行くと言われてしまいました。
こいつの場合洒落にならないというか、間違いなくできる。わたしでも、馬を駆っている人を引きずり降ろして馬を奪うことくらいできるのだから、オディロンなら余裕だろうよ。
現聖王の息子であるロドリックさんに聞いたところ、オディロンは乗馬は出来るとのこと。
「その気になれば馬と併走することも可能な男です」
そうも言われてしまい……じゃあ馬に乗せなくてもいいんじゃね? と一瞬考えたが、殺人予告を食らっているので、馬に乗せることにした。これは決して脅しに屈したわけではない。指揮官として当然の判断……まあ、こいつを置いていったら、残した隊員たちがなにされるか分からないってこともあるしね。
[弟君にも”姉のことをよろしく”と頼まれているので]
法学部出身(国際鉄道法専門)のデニスは、法曹界の共通語でもある古帝国語を覚えているので、古帝国語しか分からないオディロンの世話を時に頼んでいたのだが……いつの間にそんな会話を交わしていたのだデニス。
「頼む」
首に痣のあるリースフェルトさんが、まっすぐこちらを見て頼んできた。
体調不良だから待っていて下さいよ。必ずシャルルさんのこと、助け出しますから……って思ったんですが、まっすぐ見つめられて根負けしました。
察しの悪いわたしでも、なにかを察するときはあるのですよ!
『我がブリタニアス君主国は世界一!』
白馬に跨がって拳をたかだかと掲げているクロムウェル公爵 ―― さすがにコイツは許可しなかったのだが、リトミシュル上級大将閣下に直談判して馬を分けてもらいやがった。
「済みません」
「ハクスリーさんが謝ることではありませんよ」
ハクスリーさんは「貴族の嗜みの範囲内でして、本職の騎馬軍人たちに付いていくのは無理です」と辞退している。
「ガス……クロムウェル公の乗馬技術は女王も認めるほどですので、足手まといにはならない筈です」
海軍将校なのにそんなに乗馬上手いのか。陸軍に転向しろよ、クロムウェル公爵。
「進軍開始!」
用意を調えわたしも馬に跨がり ―― リトミシュル上級大将閣下の指示でわたしたちは西南西へと進路を取り草原へと馬を走らせた。
我が国ではいまだ雪が残る三月の終わりだが、この辺りは既に芽吹きの季節を迎えていた。




