【244】少佐、神聖帝国国歌を聞く
衛星写真もなにもない時代に、どうやって草原を逃走しているイワンたちを見つけるのか?
難しそうに思われるが、移動手段が限られている時代なので、非常に簡単なことなのだ。
今回は馬で逃走しているので、大量の水が必要になる ―― というわけで、イワンたちは水を確保するため川沿いに進まなくてはならない。
イワンたちが頼みとする川は下流でサヴァ川に注ぐ支流の一つなので、これはサヴァ川で馬を捨てるだろう ―― 逃走ルートを我々はそのように判断したわけですけどね。
馬で進むわたしたちも、イワンを出し抜くようなルートを進むことはできず、後を追う形になる。
なのでとにかく日が暮れる前に、支流にたどり着かなくては!
……で、馬を走らせるのですが、周囲に人工物がなにもないひたすらに続く草原というのは、物語なら絵になるのですが、実際進むとなると樹海と同じようなものです。
街道が整備されておらず、平らな地面というのは自然界には存在しておらず、気付かない程度の起伏があり、それらが少しずつ進むべき方角を狂わせ、さらに狂っていることに気付けるための目標になるものがない場所をまっすぐ進むというのは、太陽の位置から割り出したとしても至難の業……らしい。
わたしは「体内に磁石はいってるの?」と言われるくらい、一度決めた方向からぶれることはない。
わたしとしては「まっすぐ進めといわれたのだから、まっすぐ進めばいいじゃないか」 ―― 当時教官だったヴェルナー大佐が「シンプルな答えだが真理だな」と言ってくれたのは良い思い出です。
ヴェルナー大佐の容態、どうなったかなあ。ヴェルナー大佐のことですから、帰国したころにはすっかりと治っている……はず! 治っている!
そんなことを考えながら馬を走らせ、日が暮れる前に無事、サヴァ川に合流する支流の一つにたどり着くことができました。
空を赤く染める夕日が残っている間に、川沿いで焚き火を起こして川の水を沸かして飲む。
「明日には追いつけるだろう」
イワンたちはこの川の下流にいるはずだ。
「毒でも流してやりたいところだが、そんな強力な毒は持ってこなかったからな」
お止めください、リトミシュル上級大将閣下。
イワンたちが買った馬が死んじゃったら可哀想ですから! 間違ってシャルルさんが飲んだら大惨事ですから! イワンの野郎はどうでもいいのですが。
「明日の六時にここを立つ」
出立時間を決め ―― あとは見張りのローテーションを決め、夕食を取って体を休めるだけです。
人の手がほとんど入っていない草原は、原始の闇に限りなく近い。そんな中、焚き火を眺めているとほっとする。
わたしは草原に腰を下ろして、薄暗い空の下持ってきた武器の確認をする。
いかなる時でも対応できないと駄目だからね。
ちなみにわたしの手持ちはライフルと拳銃一丁、ライフル弾十二発と拳銃の弾丸が五発。腰にはサーベルとナイフ二本だけ。
心許ない気もしますが、潜入工作ですとナイフ一本とかザラなので、かなり武装している方です。
リースフェルトさんの話ですと、イワンの部下は八名ほどらしいので、イワンを含めても九名。そこに道案内などの協力者が加わったとしても、十五名以下だと思うので、隊員たちやアディフィン軍の皆さんと協力したら、余裕で倒せると思う。
イワンたちにオディロン級の隠し弾でもないかぎり……まあオディロン連れてきてるから、その対処も万全なんだけどね。
銃器の作動と刃物の類いに刃こぼれなどがないかを確認し終えると、
「隊長、夕食です。温かいうちにどうぞ」
「ありがとう」
部下が焚き火で炙ったスモークウィンナー三本と、分厚くバターを塗った黒パン一切れと砂糖と塩を各一匙乗せたものを持ってきてくれた。
野菜? 果物? そんなものはありませんよ。
あるのはスモークウィンナーと黒パン、チーズとバターと砂糖と塩、以上!
リトミシュル上級大将閣下用に、ワインと蜂蜜はありますが、それは一般兵には配られません。また砂糖と塩はわたしたちの他に馬にも配られます。
塩食って喉渇かないの? 大丈夫、塩を口に含んでも塩の味がしないくらいには汗かいてるから。
なんでそんなに食糧絞ってるの?
できる限り身軽に移動したいので荷物を極力削る ―― そうなると食糧が真っ先に削られるのだ。
明日には追いつける計算なので、食糧はぎりぎりなのですよ。
部下が炙ってくれたスモークウィンナー旨いけど……そろそろサーモンが食べたいです。アディフィンではサーモンを食べる習慣がないので……サーモン!
帰国したらサーモン尽くしをマリエットとローズに頼む! サーモンのステーキとサーモンのスープと、あと、あと……とりあえずサーモン食う!
「少佐」
「リース……ジーク、どうした?」
久しぶりなのですんなりジークが出てこなかったわー。
「足りなかったら、わたしの分もどうですか?」
ウィンナーをどうぞ、どうぞと指さすが、以前よりも頬が痩けやつれているリースフェルトさんからそれを奪うなんてとんでもない!
「むしろジークのほうが空腹だろう。持っていっていいんだぞ」
食べるんだ、リースフェルトさん。一晩で顔がぷっくり! は無理だろうけれど、食べるのだ!
「少佐、物足りなさそうな表情でしたよ」
リースフェルトさん、目の前の料理じゃないんです。
帰国後のサーモンに思いを馳せた結果なのです!
「サーモンが食べたいな……と思っていただけ」
「ああ……アディフィン人はほとんど食べませんからね」
「この料理に不満はないが、一ヶ月近く食べていないのでふと食べたくなった」
そんな話をしながら夕食を取り終え ―― 本当は足りませんが、死なない程度の量は食べているので問題はありません。
白湯を飲み毛布に包まり草原に横たわる。
なにもない草原で野宿。
テント? そんな荷物になるものはないよ! あるのは毛布だけ。ただし通常サイズ用なので、わたしには丈が足りないが、別に気にしない。
毛布にくるまり(はみ出してるけど)草原で一夜を明かす ―― もちろん見張りもするよ。
アディフィン軍は知らないけれど、ロスカネフ軍の中ではわたしがもっとも体力があるので。
星が輝く夜空を眺め、耳元で草が擦れる音を聞き ――
「隊長」
「……時間か」
相変わらずの軍人適性を発揮し、草原のど真ん中で熟睡していたわたしは、交代の部下に声を掛けられ目を覚ます。
「あとはわたしに任せろ。しっかりと寝て英気を養え」
「はい」
部下にわたしが使っていた毛布を渡す。
荷物を極力減らすために、見張りの分を除いた枚数しか持ってきていないのですよ。
交代で毛布にくるまり草原に転がった部下を見てから、わたしは周囲を見回る。
弱々しい明かりの焚き火に、火が消えないように薪を足し周囲を窺うが、先を急いでいるだろうイワンたちがこちらに襲い掛かってくることはない……はずだ。
そして朝の六時、朝食を食べ終え準備を整えたわたしたちは、イワンたちの追跡を再開した。
人質を連れているイワンたちは、わたしたちよりも格段に進みが遅い ―― シャルルさんは普通に馬に乗ることができるので、逃げないようにするために、彼の自由を奪う必要があり、このことにより進むスピードが遅くなるのだ。
追うわたしたちにはそのような制約はないので ―― 馬を一時間走らせ、十五分の休憩を入れるを三回繰り返し、
「リトミシュル上級大将閣下、前方にイワンたちがいます! シャルル殿下も無事です」
遂にイワンを捉えた。
「お前、目が良いんだな、クローヴィス。俺には見えん」
「向こうもまだ気付いていないようです。小官が先行して敵を減らしますので」
わたしの騎馬よ、もう少しだけ頑張ってくれ!
軽く馬の腹を蹴り「分かった」と馬が速度を上げる。わたしは手綱から両手を離して、背負っていたライフル銃を引き抜き構える。
あと少し……今だ!
引き金を引き少しすると、狙った最後尾についていた相手がぐらぐらしだし、馬から落ちた。
よし、当たったようだ。
前を走っている奴らは気付いてないっぽい。この段階で気付かれないように敵の数を減らし、シャルルさんを奪還する!
最悪イワンの奴には逃げられてもいいかなー。
キース中将には連れて帰ってくる……と言ったが、人質救出のほうが大事なので。
でも逃したらまた新生ルース帝国第二弾を立ち上げそうな厄介さが。
そんなことを考えながら、馬を走らせ再び引き金を引く ―― 狙った相手は再びぐらつき落馬した。
それと時を同じくして最初に撃ち落とした相手の横を通り過ぎる。
後頭部を撃ち抜いたつもりだが、外れていて生きていると襲われる恐れがあるので、ライフルを構えたがぴくりとも動かなかった。
騎手を失い歩みを緩めた馬の脇を通り抜け、三人目に照準を合わせる。
次は前のほうを走っている奴 ―― そろそろ気付いて足を止めてくれるか、こちらに向かってくるかしてもらわないと困るので。
三人目の後頭部に照準を合わせ、引き金を引こうとしたその時、前方から爆音が聞こえてきた。おそらく……あれは大砲の音だな。
えっと……いや、まずは一人減らそう。
大砲に関してはそれからだ! 再び狙いを定めライフルを放つ。男は先ほどの二人と同じくぐらぐらと揺れ落下した。
それに気付いた隣にいた人物がこちらを振り返り、声を上げようとしたその時だった。
【われらーが そこーく! しんせいー ていこーく!】
叫びが聞こえ、同時に前方から鳥にしては大きすぎるなにかが飛んできて、イワンたちの中に突っ込んでいった……いや、あれは揚力を失った落下だ。
……なにが起こったの? あんな大きな鳥いないよな? この世界ダチョウ飛ぶの? それとも、なにかわたしの知らない大きな鳥が生き延びているとか? もしかして恐竜?
「妃……クローヴィス少佐! 閣下を助けてください!」
手足を拘束されて、馬に横乗りしていたシャルルさんは、落下物により馬から落ち ―― わたしに気付いてそう叫んだ。
「閣下なのですか?」
「そっちの閣下じゃないです、完璧の極致閣下じゃありません。ここに落下したのは、馬鹿な方の閣下の片割れです! 馬鹿なんですが、こいつらに殺されると困る人なので!」
なんだかよく分かりませんが、敵の動きも止まりましたし、後方の部隊も追いつきそうなので ―― わたしはライフル銃を背負い直し、馬から飛び降りてそれとシャルルさんの足首を掴み、敵から目を離すわけにはいかないので、後ろ向きに二人を引きずりながら本隊のほうへと走った。




