第十六話 第三王子
「グハッ――」
「ぬう、あまり期待してはいなかったが、それにしても弱すぎはせぬか、お主」
期せずして始まったその戦いは、いとも簡単に幕を閉じた。
——グルタスの惨敗という形で。
「な……に……!?」
「あ、おい、マジか……」
受付嬢の合図直後、戦闘開始から一秒も経たない間に、シュミラは一撃、腹に拳を決めていた。
いや、そこまでであれば、おかしなことではなかったのだ。グルタスの敏捷力は高くはなく、素早い子供であれば先に攻撃を加えることは可能だろう。
問題は、グルタスがまともに耐えることもできずに吹き飛ばされたこと。
重戦士であり、防御力だけを見ればギルドでもナンバーワンである彼が、一切の抵抗もできずに一撃で沈められるなど、普通に考えてあり得ない。ましてや、それを成したのは幼き少女の華奢な拳である。信じられないというレベルではなく、最早おとぎ話のような可笑しささえあった。
「う……ぅ……」
壁に叩きつけられた後、床に寝転がって苦しげなうめき声をあげるグルタス。
「すごいわね、さすがはフレデリック様のお気に入りってところかしら」
リーファは小さな拍手をしながら少女を賞賛する。
それにつられるように、見物していた冒険者たちも拍手をし、口々に感想を言い始めた。
しかし、肝心のシュミラはその結果を全く誇る様子はなく、それどころか表情に不満を滲ませている。
「もう終わりか、つまらぬのう……」
さながら玩具を取り上げられた子供のように、傍から見ても気落ちしているとわかる。それだけを切り取ったら、ある意味微笑ましい光景なのだが、実際にやったことはとんでもない。
リックは唖然としながらも、とりあえずはシュミラが無事だったのでいいか、と思いなした。
だが。
「Bランクだと精々こんなものかのう。……まあよい——」
——終わらせるとするか
シュミラが、背筋の凍るようなゾクっとするような、冷酷な笑みを浮かべた瞬間。
リックは戦慄した。
ダメだ。
何をする気なのかわからないけど、絶対に止めなきゃダメだ。
全身の毛が逆立ち、肌は粟立つ。
細胞ひとつひとつが警報を鳴らしている。あの笑顔はマズイ。
何だ。何をするつもりだ、あの少女は。
見ろ。見るんだ、一挙一動を。どんなことも見逃すな。
動いた。足? 足を踏み出そうとしているのか?……速い、駄目だ良く見えない。もっと思考を早く、次にどうなるかを予測しろ!
《将級スキル【思考加速】を獲得しました》
《将級スキル【未来視】を獲得しました》
《将級スキル【真・超加速】【思考加速】【未来視】を統合――唯一スキル【閃光】を獲得しました》
世界が遅い。
体が軽い。
【閃光】を獲得した瞬間、リックの体に大きな変化が訪れていた。
唯一スキルとは、所持者オリジナルのもので、同じ力を持つものは二つと無い。
他のスキルの枕詞につく『〜級』などの階級とは違い、そのスキルによって強さはピンキリ。下級スキルよりも使えない唯一スキルもあれば、神級スキルと渡り合えるほどの能力もあるのである。
今回リックが手にした【閃光】の効果は『加速』。単純な敏捷力の強化や、動体視力や思考能力を一時的に上昇させる、王級相当のスキルだ。
できる。今なら、少女が何をしても抑えることができる。
突如手に入れた力は、リックの手助けとなっていた。
改めて、シュミラを見る。
そして、理解した。彼女は、グルタスの方に向かっている。殴りかかっている。トドメを刺そうとしている。
既に戦うことができない相手を、無慈悲に攻撃しようとしている。
それは見逃すことはできない。
何故シュミラがそんなことをしようとしているかはわからない。
或いは、子供ゆえの無邪気さかもしれない。それは時に残酷性を持つ。
ただ、何をしなければいけないかは、理解していた。
止めなければいけない。仲間を必要以上に傷つけさせてはいけない。
確かにグルタスは人格者ではないが、悪人でもないのだ。自分を慕ってくれる後輩でもある。
だとすれば、守らなくてはいけない。
リックは、その強化された全速力をもって、シュミラとグルタスの間に立ち塞がった。
「シュミラちゃん。一応聞いておくけど、何をするつもりだい?」
「何とは? 敗北者を殺すだけじゃが」
「——ッ!……そうかい。それがいけないことだとは、わかっているのかな?」
自分の推測は間違っていなかった。だが、聞かれて素直にとんでもないことを言ってのけたこの少女は、一体どんな考え方をしているのか。リックは改めて戦慄する。
「いけないこと? 何故じゃ? 敗者が死ぬのはこの世界の掟じゃろうが」
またしても、返ってきたのは微妙にズレた答え。
ここまでの様子を見ていると、見物者たちも何かがおかしいと気づき始めてきた。
「人を殺してはいけないよ。もし君が絶対に殺すというのなら、ぼくは全力で止める」
リックはそう宣言し、レイピアを引き抜いて構えた。
「ほう、そうか。何やら予期せぬことになっておるが、こういう予想外は大歓迎じゃ。——戦闘、良いではないか」
獰猛な笑みを浮かべ、同じく拳を構えるシュミラ。
誰もが予期せぬエキシビションマッチが始まったのだ。
「では、行くぞ」
最初に動いたのはシュミラ。
その圧倒的な身体能力に任せて、超スピードで一直線に殴りかかる。
「甘いよ」
だが、単調にすぎる攻撃は、【閃光】を手にしたリックにとって取るに足らないものであった。
軽々と回避し、シュミラの拳は空を切った。
「クク、ククク、ククククク! 面白いではないか! やはり、戦闘とはこうでないといかん」
少女は狂ったように嗤い始める。
戦闘狂。その言葉が正にお似合いのその様子は、もしかしたら敗北者のことなどとうに忘れているかもしれない。
「では、もう少し本気を出そうかのう」
琥珀の瞳が妖しく光り、シュミラの纏う雰囲気が変化した。
より強い狂気を孕んだ、覇者の存在感。
いけない。先程までとは段違いだ。リックは直感的にそう判断し、なりふり構わず全力で倒しにかかる。
【閃光】の力で上がったスピードを突進力に変え、最強最速の刺突一撃で決める。
それは、間違っても子供に対するものではなく、正真正銘Aランク冒険者の必殺攻撃だ。
普段の彼であれば、絶対に無闇に殺しにはかからない。だが、この少女は別だ。危険にすぎる。
「はぁぁぁぁぁぁ!」
気合いを入れる叫び声と同時にリックの姿は消失し、次の瞬間にはシュミラの目の前に飛び出ていた。
人間の次元を超えた速度。それはまさしく『閃光』。
そしてその勢いのまま、レイピアを振り抜く——
「甘いぞ。【無幻牢極】」
「ガ……ハ……ッ……」
拳での、一撃。
無造作に繰り出された拳撃は、向かってきていたリックをカウンター気味に撃ち抜く。
アビリティの直撃を食らったリックは、血反吐を吐き、そのまま地面にバタリと倒れた。白目を剥き、もう既に意識はないようだ。
「リック!?」
リーファは、恋人に慌てて駆け寄る。
脈を測ってみると、どうやら命に別状はないようだが危険な状態ではある。
「あんた、何してくれてんのよ!」
「強者の全力に、妾の全力で応えたのだ。久し振りに見たぞ、そこまでの男は」
「な……っ!? ふざっけんじゃ、ないわよ!」
怒りに体を震わせるリーファ。
その他のリックのパーティメンバーである美女たちも、怒気を露わにしている。
見ていた冒険者のいくらかも、似たような様子だ。
「か、かかれぇぇぇ!!」
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
最初は誰であったのか。その場にいた冒険者のほぼ全てが、シュミラに襲いかかった。
「ほう、今度は集団か。良いぞ良いぞ」
ククッ、と笑みを浮かべ、少女は蹂躙を開始した。
五分後。
地下の決闘場に立っていたのは、案内した受付嬢に、恐れをなした下級冒険者。そして、全ての相手を拳で沈めた黒髪黄眼の少女、シュミラだけであった。
「ひ、ひぃっ」
怯えたように後ずさる受付嬢。
「そこまで怯えずとも、別に取って食いはせぬぞ。戦わぬ者を殴るほど堕ちてはない」
そう言った彼女は、足元に倒れている者たちに向かって拳を向ける。トドメを刺すためだ。
「や、やめ……」
戦わなかった冒険者が制止の声をかけるが、あまりに小さく意にも介されない。
少女は大きく振りかぶる。
「やめておけ、シュミラ」
急に背後から声がかかった。
声の主は、10代後半の青年。
怜悧な美貌を持っていて、国民なら誰もが知っている英雄。
「ぬ? 主様ではないか」
「ふ、フレデリック様!?」
魔法の天才、第三王子フレデリック・ウェストその人であった。
「シュミラ。人を殺すなと、何度も言っているだろう。オレの言葉が聞けないのか?」
「ぬ、ぬう。しかし、掟が……」
「しかしも何もない。やめろと言っているんだ」
「う、わ、わかったのじゃ……」
先程までの凶暴さが嘘のように、縮こまっているシュミラ。
助けにきてくれた! そう歓喜した受付嬢の希望は、しかし次の瞬間には壊されることになる。
「ハァ……。しかし、思いのほか使えない奴らばかりだな。一人くらいは立っていられる者がいると思っていたが」
「え……」
冷酷な瞳で倒れた冒険者たちを観察するフレデリック。
「まともに戦力になりそうな奴がいたら仲間に加えても良かったんだが、この分だと無駄足だったな。帰るぞ、シュミラ」
「うぬ、わかったのじゃ、主様」
その言葉は、まるでフレデリックがこの惨状を作れと命令したかのようで。いや、言い分を聞くに事実そうなのだろう。
絶望により腰が抜けた受付嬢はその場にへたり込んだ。
フレデリックはそれを一瞥し、何事もなかったかのようにシュミラと共に階段を上っていった。
「どうでしたか、お兄様?」
一階に来ると、そこでは彼のパーティメンバーが待っていた。
「ダメだった」
「そうですか……」
溜息を吐きながら、彼らはシュミラの方を見た。落胆しているようである。
気を取り直して、メンバーの一人がフレデリックに質問する。
「マスター、帰還ですか?」
「そうだが、その前に一つやっておきたいことがある」
そう言って、彼は受付に移動した。
「何か御用でしょうか」
魔道具で下の様子を見ていた受付嬢は、警戒しながら話す。
「依頼をしたい」
「依頼……ですか?」
「ああ。討伐依頼だ。グラン山、タミタ平原、クルナ森、リフラ湖に一体ずつ大型モンスターを配置した。成功報酬は、金貨10枚とオレの仲間になる権利をやろう」
フレデリックは金貨を40枚、受付嬢に渡した。
「……了解しました」
悔しげな様子を滲ませながら受理する受付嬢。
例えどんな相手であろうと、犯罪者でない限り依頼を断る権利はギルドにはないのだ。先の一件も、先に手を出したのは冒険者なので、正当防衛が認められ罪には問われない。
「帰るぞ」
そう呟いた後、フレデリックのパーティ『オリンポス』の姿は一瞬にして消え去った。




