第6話:出会い
今週は日曜も更新します。
「これで身体を拭いて下さい」
「あのっ、こんな良い物を使って良いんですか?」
「ええ。むしろこれで汚れを落とさないと店内には入れません。自分の順番が来るまで拭いておいて下さい」
「は、はいっ、ありがとうございます」
「ケンとシズクの居酒屋の店主であるケンさんのご厚意だからお礼ならそちらに」
「はいっ」
急いで身体を拭きます。
「わっ!?」
びっくりして叫んでしまいました。
この布はフンワリとまるで天上の羽衣のような手触りがします。縫い目も真っ直ぐでブレがありません。高級品です。いつも自分が着ている縫い目の荒い服とは雲泥の差です。
服の上からゴシゴシと擦ると途端に真っ白だった布が黒く汚れます。こんな高級品を僕の汚れでダメにしてしまっても良いんでしょうか? 不安になって役人さんに目をやると、役人さんは名簿に目を落としてこちらをみていません。
僕は不安になりながらも役人さんの言葉を信じてゴシゴシと身体を拭き続けます。真っ白だった布はドス黒い色へと変色します。顔も忘れずに拭きます。全身を隈なく拭きました。
「次はこれです」役人さんが濡れた布を持ってきます。
「これは?」
「次はこれで身体を拭いて下さい。その汚れたタオルはこのカゴの中に入れて下さい」
「はいっ」
少々重みのある布を受け取り身体を拭きます。布は暖かく、肌に当てると非常に気持ちが良いです。前の布が真っ黒に染まるほどの汚れを取り除いたのに、まだ布は黒くなります。
ゴシゴシ、ゴシゴシ。
全身を拭き終わりました。
役人さんに確認してもらいます。
役人さんは僕をマジマジと見ます。
「良いでしょう。次は君の番です。『お次のお客様ドーゾ』の声が聞こえてきたら入店して下さい」
「はいっ、重ね重ねありがとうございます」
「いえいえ、これも仕事ですから。お気になさらず」
「お次のお客様ドーゾ」
店内から明るく幼い声が聞こえます。
「ほらっ、今ですよ」
「はいっ、ありがとうございます」
役人に頭を下げてから扉を開けます。
僕は農奴です。
ある豪農の農奴の子として生まれました。
今は来る日も来る日も麦や畑の手入れをする毎日です。
今日は僕の主人である旦那様の50歳の誕生日でした。気をよくした旦那様は僕ら農奴に銅貨を5枚ずつ与えました。こんなことは両親も初めてだそうでビックリしていました。
お金を持つのは初体験で手が震えました。これで何を買おうか思案してると、両親がもらった銅貨を僕にくれました。
「今まで何にもしてやれなかったから、これで何か美味しいものでも食べなさい」
父の言葉に涙が止まりませんでした。
合わせて15枚の銅貨を手にした僕は使用人の勧めで虹色居酒屋で晩ご飯をとることにしました。そこは奴隷でも差別しない店であり、安く美味しいご飯が食えるそうです。使用人が僕にアドバイスしている途中で笑っていたのが気になります。
奴隷を差別しない店などそうあるものではありません。僕は虹色居酒屋に向かいました。
時刻は18時。行列に並び、高級な布で身体を拭きその時を待ちます。
「いらっしゃいませ」
少女が僕を迎えてくれました。僕は慌てて頭を下げます。
「どうぞ」
「あの、僕農奴なんですが……」
「身分は関係ないです。さっ席にお着き下さい」
「はいっ、ありがとうございます。身体を拭く用の布を汚してしまい申し訳ありませんでした」
「あれは当店のサービスですのでお気になさらず」
「はいっ、ありがとうございます」
優しい人です。この店に来て心底よかったです。
虹色居酒屋に足を踏み入れるとワッと熱気が漂ってきます。真夏のように暖かいです。外の凍える寒さとは全く違います。
それにピカピカと明るく昼間のようです。旦那様の部屋より明るいです。
僕は両隣の人に頭を下げてからカウンターの席に着きます。
「お水です」
少女が透明な液体の入った透明なコップをもってきました。
「あっ、頼んでーー」
「坊主、それはタダだ」
左隣の席に座っていた大男が助言してくれました。
「えっ?」
「この店のサービスだ。ありがたく受け取っとけ」
「はぁ……はいっ、ありがとうございます」
「ごゆっくり」
少女が頭を下げて去っていきます。
「教えて頂きありがとうございます」
「大したことじゃねぇ。誰だってびっくりするさ。飲んでみろ。うめぇーぞ」
「はいっ、頂きます」
冷た!
うまっ!
サーッと喉を通ります。ほのかに甘みが感じられます。
ごくごくごく。
全部飲んでしまいました。
「なっ、うめぇーだろ?」
「はいっ」
「お代わりも自由だ。店員に声をかければ持ってきてくれる」
「呼ぶ!? ……ちょっと僕にはできそうもないです」
「ん? どうしてだ? 手を上げて声を掛けるだけだぞ」
「やったことないです。僕農奴なんです」
右隣の青年が「ひっ」と小さい悲鳴をあげました。僕と同じくらいの年齢です。10代後半でしょうか? 青年の反応は良くあることなので気にはしません。
「農奴か。この店どころか、飲食店に来たのは初めてか?」
反対に大男は僕が農奴だと知っても、何の変化もありません。
「はいっ」
「金は持ってんのか?」
「ええ。旦那様から頂きました」
15枚の銅貨を見せます。両親の分も合わせた大金です。
「150アンジュか……しかし」
親切な大男が難しい顔をします。
何か間違ったのでしょうか?
「150アンジュで飯が食える訳ないだろ! 農奴は常識を知らないんだな」
青年から怒られました。
えっ?
150アンジュじゃご飯が食べられないことなんて知りませんでした。それじゃあ、僕は虹色居酒屋に何しに来たのでしょうか?
「すみません」青年が怒っているのでとりあえず謝ります。
「壁に貼られているメニューが見えないの? そうか、農奴は文字も読めないんだっけ?」
「はいっ、文字は読めません」
「150アンジュじゃまともなご飯は食べれない。俺の食っているカツドンは600アンジュだよ」
青年が見せたのは底の深い器に盛られた食べ物でした。切り込みのある物体ーー肉でしょうかーーが乗っています。それが黄色のタレのようなモノがかかっています。その下には真っ白な小さい豆みたいなのが詰まっています。
どれもこれも見たことないモノで、味の想像がつきません。
しかし漂ってくる匂いが食欲を刺激します。無性にこの「カツドン」とやらが食べたくなりました。
「600アンジュ。150アンジュだといくら必要なのでしょうか?」
「計算もできないの? 君の持っているお金の4倍必要だよ」
「はいっ、計算できません。4倍もどのくらいなのかわかりません」
「あぁ〜、もう、銅貨60枚が必要って意味だよ」
「60枚!?」
そんなお金は持っていません。
「15枚で食べられるモノはないのでしょうか?」
左隣の大男に聞きます。
「いやぁ〜それは〜」
大男が難しい顔になります。
「ねーよ、そんなの。わかったらさっさと出てけ。シッシッ」
ないのですか。残念です。
もしかしたら使用人はこうなるのをわかってて、僕に虹色居酒屋を勧めたのでしょうか? 少々意地悪ですね。
「すみませんがそれはできません。このお金には両親から頂いた分も入っています。僕に美味しいご飯を食べて欲しいという両親の気遣いです。帰る訳にはいきません」
「知らねーよ、そんなの。農奴がいるってだけでこっちは気分が悪くなるんだ。さっさと出てけ。なんでここに来るかねー」
「すみません」僕は頭を下げ続けます。
「君らは主人の残飯でも食ってりゃ良いんだよ。人様の飯をいっちょまえにーー」
突然ふわりと青年が宙に浮きます。
そしてカウンターの奥から真っ白なヒゲを蓄えた老人が近寄ってきます。
「ちょいとこやつを借りるぞ」
そう僕に語りかけた老人は出口へと歩み出します。その後を宙に浮いたままの青年がゆらゆらと揺れながら付いていきます。青年は一言も喋りません。
良く見ると先端に真っ赤な宝玉が嵌められた杖を持っています。魔法使いでしょうか?
「ああ、そうそう」
ひとりでに開いた出口を潜ろうとした時老人が立ち止まります。
「150アンジュで食えるモノはあるぞ。大根サラダというものだ。米とミソシルがついて150アンジュポッキリじゃ。サービス期間中でな。ほれっ、そこに書いておる」
老人は手にした杖で僕の真上の壁を指します。
「あれっ、本当だ。俺が見た時はなかったような……」大男が首を傾げます。
「見間違いじゃろ」
「そう……かもな」
「このお金で食べられるんですね。それがいいです」
「なら店員を呼ぶんだ。こう、手を挙げて」
「はいっ、ご注文ですか? サカドルさん」
僕に教えるために大男が手を上げたのを見て少女が近づいてきます。
「いやっ俺じゃなくてこいつがな」
大男が僕を指さします。
「大根サラダというのを下さい。これで」僕は銅貨15枚を差し出します。
「……大根サラダ、大根サラダ」少女が厨房へと目をやります。
「……かしこまりました。大根サラダ1つですね。お会計は退店時にお願いします」
「はいっ、わかりました」
「ご飯とお味噌汁はお代わり自由ですのでお申し付け下さい」
「はいっ、わかりました」
少女は去って行きました。
「色々とありがとうございます」大男に頭を下げます。
「気にすんな」
大根サラダを待っている間に外に出て行った老人が戻ってきました。その後ろから顔面蒼白な青年がついてきます。冷水でも頭から被ったかのように、ブルブルと震えてます。
老人は何事もなかったかのように席につきます。
「すみませんでした」青年が僕に対していきなり頭を下げます。
「農奴を侮辱するような態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」
「?」
青年は僕に謝っているのでしょうか? 他人から謝られるのは初めてであり、どうしたら良いのかわかりません。
「身分の貴賎なし、という虹色居酒屋のルールに背いてしまいました。お詫びします」
青年が頭を下げながら言います。
「はぁ……はいっ」
「ここでは農奴も貴族も商人も職人も関係ありませんでした。それも知らずあなた様にヒドイ言葉をぶつけました」
「はいっ」
「申し訳ありません」青年が地に頭をつけんばかりに謝罪します。
「はいっ」
「お前返事しかしねーな」大男が言います。
「謝罪されるのは初めてなので勝手がわからなくて。返事さえきちんとしていれば、怒られることありませんから」
「なるほど。そういう時は罵倒を浴びせるか、気にしてなかったのなら『大丈夫です』とか言えば良いんだよ」
「そういうものですか。教えてくださりありがとうございます」
僕はクルッと向きを変え謝罪している青年の方を向きます。
「大丈夫です。何も気にしていません」
すると青年の顔がパーッと明るくなります。
「ありがとうございます。お詫びとして何か1品奢らせて下さい」
「えっ?」
青年が予想外の提案をしました。
「なんでも結構です。どうかお願いします」
「儲けたな、お前。なら『スキヤキ』でも奢ってもらえ。2000アンジュくらいするぞ」
「2000アンジュというと?」
「銅貨200枚。銀貨2枚が必要だ」
「銀貨? 銀貨が必要なのですか? そんな高いモノは食べられません」
銀貨なんて見たこともありません。
「いや、だから、その男がお前に奢るって言ってるんだ」
「それでも不可能です。僕は銀貨を扱える身分ではありません」
とは言っても、何か奢ってもらうのは悪くはありません。
青年が食べているカツドンも、黄金色のシュワシュワした液体もお願いできるのですから。カツドンの香りが僕の鼻を刺激します。
ですが……。
「何もいらないです」
「えっ?」
「僕は両親から頂いた銅貨で、大根サラダを頼みました。銅貨15枚もする料理です。僕はそれで満足しています」
「しかし……」
「今日は旦那様のお慈悲で食事ができています。それを無下にすることはできません。勿論身分の高い方が農奴の僕を憐れんで、金銭を恵んで頂けるというのなら僕も受け取ります」
「なら直接金をーー」
「ですがここは身分の貴賎なし、なのですよね? とするとここでは僕とあなた様は対等です。施しを受ける訳にはいきません」
「あっ……」
青年が言葉につまります。
「色々と気遣ってくれてありがとうございます。ですが僕は先程の事を何も気にしてませんから、どうかあなた様もお食事を楽しんで下さい」
「うっ……」
青年がチラリと老人へと目をやります。老人はコクリと頷きました。青年は老人と僕へ再度頭を下げて席につきます。そしてまた頭を下げてカツドンを食べます。少し泣いているようにも見えます。
「お待ちどおさまでした。大根サラダです」
少女が野菜と白い豆と茶色のスープを持ってきました。カウンターにお盆ごと置かれます。必死で背伸びしています。
「この白いのと、茶色のスープはお代わり自由ですので、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
見たことない食物がお盆にのせられています。
平べったいお皿にのっているの細長い白い野菜は大根でしょう。大根は種まきから収穫までが非常に短く重宝される野菜です。僕も栽培に携わっているのでわかります。山盛りの大根がほんのり黄色いソースで味付けされています。
ですが他のはなんだかわかりません。どれも美味しそうな匂いがします。
「まずはお代わり自由の白いのを食ってみろ」
「はいっ、わかりました」
大男の助言に従います。スプーンで掬って、恐る恐る口に入れます。
「ん!! 美味しい」
グニュグニュと変わった食感ですが、決して腐っている訳ではありません。こういう食べ物なのでしょう。いっつも食べている固い黒パンとは違い柔らかく、それほど噛むことなく飲み込めます。噛めば噛むほど甘みが増してきます。
モグモグ。
モグモグ。
スプーンが止まりません。
「喉つまらないのか?」
「……はいっ、水を飲まずにパンを食べるのは慣れてますから。パンより水分の多いこれは全く喉につっかえません。とっても美味しいです」
「そうか。これはコメという食物だ。最近皇都でも出回っているが断然この店の方が旨い」
「これがコメですか。噂には聞いたことがあります」
旦那様が麦が売れなくなるんじゃないか、と不安がってました。
モグモグ。
あまりにも美味しいので食べきってしまいました。
「すみません。エールお代わり。ついでにこいつにコメを」大男が声をあげます。
「いえ、僕はーー」
「あんなに旨そうに食ってて何を言っている。遠慮するな。ここでは身分の貴賎なしだ。好意には甘えろ」
「……はいっ、ありがとうございます」
少女がコメのお代わりを持ってきてくれました。
早速1口いきます。
美味しい。先ほどと同様にアツアツで湯気が見えます。
「今度はそのスープやサラダも食え」
「はいっ」
まずは白い大根を食べます。
うん、シャキシャキとみずみずしく美味しいです。採れたてなのでしょう。時間をおいた大根はしなびてしまいますから、みずみずしいのは新鮮な証拠です。
さらにこの大根にかけられているソースが美味しいです。こんなソース食べたことがありません。
少々の酸味とこってりとした味が後をひきます。このソースはコメにも合い、コメを口に入れたまま大根を食べると、また違った味わいになります。
「それはマヨネーズというものだ。卵を使っているらしいが詳しいことはわからん。この店だけでしか食べられない貴重なものだ」
「卵!? 貴重品ですよね?」
旦那様が食べていたのを見たことがあります。
「ああ。1個で銀貨程の価値はあるって言われるモノだ。とても150アンジュで食えるモノじゃない」
「では何故?」
大根サラダは150アンジュです。サービス期間中と老人は言っていましたが、銀貨の価値がある卵のソースを使って採算が合うのでしょうか?
「ケンさん独自の調達方法があるんだろう。詳しいことは知らん」
「なるほど」
「お前は気にせず楽しめば良い」
「はいっ、ありがとうございます」
それから茶色のスープを飲みます。
しょっぱくて……大豆の味がします。
大豆をどう加工したのでしょうか? わかりませんが、美味しいです。
中に入っている平べったい黒いモノも真っ白な長方形をしたモノも初めてですが、どちらも美味しいです。
コメを1口含み、スープを飲む。コメの甘さとスープのしょっぱさがマッチして美味しいです。
素晴らしいです。このお盆の上に載っている食べ物は独立してそれぞれが美味しいですが、合わせて食べるとまた違った美味しさが感じられます。
僕はガツガツと食べ進めました。
途中で青年が僕に頭を下げて退席しました。黄金色の液体とカツドンをキレイに食べきっています。
僕はその器に少々目を奪われました。先程はあんな強がりを言いましたが、カツドンは食べてみたかったです。
「マリーちゃん、カツドンくれ」
「……かしこまりました。カツ丼入ります」
「はいよ」
大男がカツドンを頼みました。羨ましいです。
「……すみません」僕は意を決して手をあげます。
「はいっ」
「おコメとスープのお代わりを。後お水をお願いします」
「かしこまりました」
少女は笑顔で応えてくれました。
フーっと息を吐きます。人に頼むのなんて人生初の経験です。緊張しました。
「やったじゃねーか」大男が僕の肩を叩きます。
「緊張しました」
「なーに、最初はそんなもんだ。慣れるさ」
「しかし……次に来れるのはいつになるか……」
「農奴だっていつまでも奴隷じゃないんだ。しっかり働けば解放してもらえる時が来る。それを信じて生きていくんだ」
大男が不意に真顔になり僕に熱く語りかけます。
こういう時はしっかりと聞かなければなりません。
「はいっ」
「そして重要なのは農奴から解放された後の生活だ。農奴の様に主人の下で働いていれば最低限度の生活ができる訳ではない。働いて金を稼がなければならない。そのために農奴の内から何をするか考えとけ」
「はいっ」
「今やってる農作業も決して疎かにするな。何の種をいつ撒いて、いつ収穫したのか。肥料や水やりの頻度は適切か? 作業を効率化できないか? そんな疑問を常に抱えて働け。それがいつかお前を助けることになる」
「はいっ」
「あとは業者との顔繋ぎもしておけ。業者はなんだ農奴か、と嘲るだろうが、何回も話す内に色々と不満を言ってくれることがある。それを頭に入れて解決できるよう努力しろ。もし解決できればその業者からのお前の評価はあがる。そうやって地道なことをコツコツとやっていくのが重要なんだ」
「はいっ」
「後はーー」
「あのっ」
「なんだ?」
「どうしてそこまで親切にしてくれるのですか? 僕は農奴であなた様は赤の他人ですよね?」
たまたま居酒屋で居合わせた他人。それが僕と大男の関係だ。
大男がいくら親切だからといって、何故これ程まで僕に助言してくれるのだろうか?
「むっ……放って置けなくてな。ケンとシズクの居酒屋に居合わせた時点で俺とお前は友人だ。赤の他人じゃねーよ」
友人? そんな言葉は初めて言われました。……照れます。
「それは……その……恐れ多いというか……」
「お前は農奴だから友人がいないんだろ? 良いじゃないか。俺が初めての友人で。ここは身分の貴賎なし、俺とお前は対等だろ?」
「……はいっ、ありがとうございます。友人からのアドバイス、心に刻みました」
「良し」
「お名前は……サカドルさんですか?」
「そうだ。お前の名前は?」
「僕はハクと言います」
「そうか。ハク、これからよろしく頼む」
サカドルさんが手を差し出してきました。
これはまさか握手というやつでしょうか? 旦那様と取引先の相手が握手しているシーンがまぶたに浮かびます。まさかこんな神聖な行為をする日が来るとは思いませんでした。
僕は必死で着席した時に渡された布で手を拭きます。
丹念に、丹念に、右手の隅々まで布で拭き終わりました。
その後恐る恐る手を差し出すと、サカドルさんは僕の右手をとり固く握りました。僕も握り返します。
なんとも言えない充足感で一杯になります。本当に虹色居酒屋に来てよかったです。意地悪な使用人にも感謝しなければなりません。
「カツドンと白米、味噌汁、お水のお代わりお持ちいたしました」
少女が僕達が手を離した時を見計らって、お盆を持ってきます。
「ありがとう」
「はいっ、ありがとうございます」
「ごゆっくり」
少女が去りました。
「さてハクよ、俺は大根が物凄く好きなのだ」
唐突にサカドルさんが話し出します。好きなものの話でしょうか? 雑談の定番ですね。
「はいっ」
「そこで相談だが、このカツドンの上にのっている肉1切れとお前の大根を交換してくれないか?」
「えっ? 良いんですか? サカドルさんが随分と損をしませんか?」
雑談かと思ったら物々交換でした。しかしこれは対等とは思えません。
「いやっ大根サラダを追加で頼む程の余裕はなくてな。だが大根は食べて帰りたい。ギブアンドテイクというやつだ」
サカドルさんは嘘をついてます。握手をした時にサカドルさんの懐に金貨がしまってあるのを見ました。あれがあれば幾らでも大根サラダを食べられるはずです。
「いやっ、それは……」
「これは俺が農奴のハクを憐れんで恵む訳ではない。友人としてハクと食べ物を交換したいのだ。いわば友人同士の交流だ。……黙って従え」
サカドルさんがドスの利いた声を出します。
「……はいっ、わかりました」
ここは従いましょう。
サカドルさんから憐憫は感じられません。僕に対する好意から言ってくれてるのでしょう。
「そうだ。それで良いんだ。友人の好意には甘えろ」
「はいっ、わかりました」
サカドルさんは一番大きな肉を僕のコメの上にのせ、僕は大根をカツドンの付け合せとして出てきた野菜の上にのせます。完了したところで僕とサカドルさんは笑い合います。
カツドンのお肉は肉厚でジューシーで恍惚とする味でした。肉の脂なんて生まれて初めてかもしれません。堪能しました。
僕は再度コメをお代わりして食事を終えました。
「サカドルさん、ありがとうございました」
「ああ。ハクがもう1度ここに来れることを願っているよ」
「はいっ、ありがとうございます」
僕は席を立ちました。
退店する前に老人へと頭を下げにいきます。
「ありがとうございました。あなた様のおかげで美味しい食事ができました」
「ひょ? 気にするな、若人。お主のおかげでワシも助かっておる。ギブアンドテイクというやつだ」
本日2度目のギブアンドテイクです。
「僕何かしましたか?」
ですが全く見に覚えはありません。
「気にするな」老人は小さい器を傾けます。
「それは……」
「気になるか? これはニホン酒というものだ。お主も一杯やってみろ」
「僕は酒を呑んだことがなく……」
「ひょ? ならなおさらじゃ。ほれっ、ぐいっといけ。ワシとお主はもう友人だ」
「……頂きます」
友人の好意には甘えろ。初めての友人の教えです。
透明な液体が小さい器に注がれています。
「ほれっ、全部いってみろ」
「はいっ」
くいっ。
「がっ、ゲホッゲホッ」
喉がカァ―ッと熱く火傷しそうになりました。
咳がとまりません。
酒が喉を通って胃に入ると、胃も熱くなったように感じられます。
「お主にはまだ早かったの。また来い。その時は酒を酌み交わそう」
「……ん。ゴホッ。はいっ、ありがとうございます」
僕は再度老人へとお礼を言って、銅貨15枚を払い、家路につきます。
いつも通りの真っ暗な道ですが、あぜ道も畑も川もいつもとは違って見えました。
◇
僕は両親に今日あったことを話します。
両親は笑顔を浮かべて僕の話を聞いてくれました。友人が2人もできたことを両親は祝福してくれました。
明日から頑張ります。サカドルさんのアドバイスを活かそうと思います。
そしていつか虹色居酒屋でサカドルさんとあの老人と一緒に食事をしたいです。
◇
「サカドルさん、ご注文は?」
「ん? このカツドンを食ったら帰るよ」
「えっ? 本当ですか? いつもならこの3倍くらいは飲み食いしていくのに」
「今日は良い出会いがあったから、もう満足だ。ゆっくりとこのまま寝ることにするよ」
「そうですか。ハクさん、いい人でしたね」
「ああ、あんな奴が幸せになる世の中になって欲しいな」
「全くです」
「ごちそうさん。マリーちゃんも結婚するとしたらーーなんでもねーや。ケンさんに怒られちまう」
「私も結婚するとしたらハクさんのように性根の真っ直ぐとした人が良いです。それでーー」
「マリーちゃん、やめて。ケンさんが凄い目でこっち見てるから」
厨房から鬼の形相でこちらを見つめるケンがいた。
「やですね、お父さん。まだ先の話ですよ」
「父親は先の話でもやなんだよ」
「でも結婚相手にはこの店を継いでもらわないといけないから、やっぱり料理上手い人が良いですね」
「……あーあ、ケンさん泣いちゃったよ」
鬼の形相が一変し、泣いた赤鬼状態のケンがいた。
「ええっ? お父さん、なんで泣くんですか?」
「じゃっ、俺は帰るよ。お疲れさん」
あわあわするマリーに挨拶をしてサカドルは虹色居酒屋を出た。
「今日の出会いに感謝を!」
ほろ酔いのサカドルは真っ暗な畦道を踏みしめるように家路についた。




