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【全4巻完結・Amazonで販売中】冤罪で7年間鉱山送りにされた俺、出所後に《ダンジョンガチャ》を手に入れて人生をやり直す  作者: 月瀬 リュカ


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第72話 扉を閉じる少女



『お父さんに、伝えて』


 赤い水晶の中で、エリナが寂しそうに笑った。


『ずっと待っていたって』


「待て」


 ウィルは水晶へ手を伸ばす。


「何をするつもりだ」


『扉を閉めるの』


「代償を言え」


 エリナは答えない。


 両手を胸の前で重ね、ゆっくりと目を閉じた。


 赤い光が水晶の内部から溢れ出す。


「答えろ!」


『ごめんなさい』


 その一言で、ウィルには分かった。


 扉を閉じれば、エリナは無事では済まない。


「やめろ!」


 水晶を抱えようとする。


 だが、触れた瞬間。


 強い光がウィルの身体を弾いた。


「ウィル!」


 リディアが受け止める。


 赤い光は床を走り、階段の入口へ広がっていく。


 石壁に刻まれた古い模様が、一つずつ浮かび上がった。


 階段の下から、無数の足音が迫る。


 もう近い。


 暗闇の中に、赤い目がいくつも見えた。


「何をしている」


 ゲイルが水晶を見る。


「エリナが扉を閉じようとしている」


「閉じられるのか」


「一度だけと言った」


「ならやらせろ」


 ウィルはゲイルを睨む。


「代償を聞いていない」


「聞いている時間があるのか」


「命を使わせるつもりか」


「ほかに方法があるなら言え」


 ゲイルの黒い右腕から、結晶片が剥がれ落ちる。


 変化は止まっていない。


 赤く染まった右目も、人間のものとは思えなかった。


 それでも、槍を握る姿勢は崩れていない。


「お前はいつもそうだ」


 ウィルが言う。


「必要なら誰かを切り捨てる」


「では、お前が全員を救え」


「そのために考えている」


「考えている間に敵は来る」


 階段の下から、人間の声が響いた。


「助けて……」


「寒い……」


「痛い……」


「帰りたい……」


 何十もの声。


 男。


 女。


 子供。


 すべてが重なり、濁った一つの声になる。


「水晶を……」


「返せ……」


「俺たちの……」


 最初の影が階段を上がってきた。


 人間の身体。


 だが、頭部の半分が黒い結晶に覆われている。


 片腕は長く伸び、指先が刃のように尖っていた。


 その後ろにもいる。


 肩から別の人間の顔を生やした者。


 四本の腕で床を這う者。


 上半身だけとなり、黒い根を引きずって進む者。


 千年間、水晶へ取り込まれた者たち。


 肉体を失ったはずの意識が、結晶で作られた仮の身体を与えられている。


「来るぞ」


 ゲイルが槍を構えた。


「カイルを頼む」


 リディアが気を失ったカイルを壁際へ運ぶ。


 ウィルは短剣を握る。


 剣は失った。


 盾もない。


 右手には赤い線が残っている。


 それでも、立つしかない。


「エリナ」


 ウィルは水晶へ呼びかける。


「扉を閉めるまで、どれくらいかかる」


『少しだけ』


「少しでは分からない」


『七つの印を繋ぐまで』


 階段の周囲。


 赤い光が七つの模様を浮かび上がらせている。


 今は二つ。


 残り五つ。


「その間、あいつらを近づけなければいいんだな」


『うん』


「扉を閉じたあと、お前はどうなる」


 エリナは目を閉じたまま答えない。


「エリナ」


『集中できないから、話しかけないで』


「誤魔化すな」


『お願い』


「約束しただろ」


 エリナの眉がわずかに動く。


「最初からヴァルガスを殺すつもりでは行かないと言った」


『うん』


「お前も同じだ」


『私は……』


「勝手に自分を差し出すな」


 ゲイルが鼻で笑う。


「自分を差し出そうとした男が、よく言う」


「誰のことだ」


「先ほど俺の前へ飛び込んだ」


「あれは――」


「俺を助けるためではないと言うつもりか」


「お前が死ねば戦力が減る」


「下手な言い訳だ」


 怪物が階段を駆け上がる。


 ゲイルの槍が突き出された。


 雷が一直線に走り、先頭の怪物の胸を貫く。


 黒い身体が弾けた。


 しかし、砕けた結晶は床へ落ちず、後ろの怪物へ吸収される。


 身体が一回り大きくなった。


「倒した分だけ、ほかへ移るぞ!」


 リディアが叫ぶ。


「分散しているだけだ」


 ゲイルは次の怪物の脚を払う。


「核を壊さなければ終わらん」


「核はヴァルガスの胸だ」


 ウィルは倒れた怪物の首へ短剣を突き立てる。


 硬い。


 刃を捻り、何度も同じ場所へ押し込む。


 結晶が割れた。


 怪物の顔から黒い部分が剥がれ、一瞬だけ人間の顔が現れる。


「あり……が……」


 言葉の途中で身体が崩れた。


 結晶片はまた階段の下へ流れていく。


「意識が残っている」


 ウィルが呟く。


「だからどうした」


「壊すだけでは助けられない」


「今は止めろ」


 ゲイルが怪物の腕を槍で貫き、そのまま壁へ縫い付ける。


 別の怪物がゲイルへ飛びかかった。


 黒い右腕で顔を掴む。


 指へ力を込める。


 怪物の頭が砕けた。


 ゲイルは自分の腕を見る。


 人間だった頃より、明らかに強い。


 その事実を確かめるように指を動かした。


「使える傷、か」


「飲まれるなよ」


 ウィルが言う。


「誰に言っている」


「水晶から力を借りた人間に」


「借りた覚えはない」


「同じだ」


「違う」


 ゲイルの黒い腕へ赤い線が広がる。


 一瞬、動きが止まった。


「ゲイル?」


「問題ない」


「今、止まったぞ」


「前を見ろ」


 怪物の刃がウィルへ迫る。


 ウィルは身体を沈めて避ける。


 すれ違いざまに短剣で脇腹を斬る。


 浅い。


 怪物が反転する。


 腕が長すぎる。


 後ろへ下がっても刃が届く。


 ウィルは短剣で受けた。


 衝撃で腕が痺れる。


 刃が欠けた。


「リディア!」


「分かってる!」


 横から飛んできた短剣が怪物の目へ刺さる。


 リディアが走り込み、柄を蹴り込んだ。


 怪物が仰け反る。


 ウィルが脚を払い、床へ倒す。


 二人で胸を押さえつけた。


「核はない!」


 リディアが叫ぶ。


「身体全部が結晶だ!」


「なら動けなくなるまで壊す!」


 ウィルは首へ短剣を突き立てた。


 何度も。


 何度も。


 結晶が割れ、人間の顔が現れる。


 若い女だった。


「娘を……」


 女の唇が動く。


「娘を、探して……」


「名前は」


「ミア……」


「分かった」


 本当に探せるかは分からない。


 千年前の人間かもしれない。


 それでも、ウィルは答えた。


「分かった」


 女はわずかに笑った。


 身体が崩れる。


 黒い結晶が再び階段の下へ吸い込まれていく。


「三つ目!」


 リディアが叫ぶ。


 七つの印のうち、三つが赤く繋がっている。


 残り四つ。


「遅い」


 ゲイルが言う。


「エリナ、急げ」


『やってる』


「もっと早くしろ」


「子供を急かすな!」


 ウィルが叫ぶ。


「死者に年齢は関係ない」


『私、死んでない』


「なら急げ」


『お父さんみたい』


 ゲイルが黙る。


 ウィルは思わず水晶を見た。


「似ているのか」


『全然似てない』


「では、なぜ言った」


『急かすところだけ』


「余計なことを言う余裕があるなら集中しろ」


『やっぱり似てる』


 ほんの一瞬。


 緊張の中に、奇妙な間が生まれた。


 だが、すぐに階段が揺れる。


 壁を突き破り、巨大な腕が現れた。


 黒い結晶が何人もの身体を繋ぎ合わせ、一つの腕を作っている。


「下がれ!」


 ゲイルが前へ出る。


 巨大な拳が振り下ろされた。


 黒い右腕で受け止める。


 床が砕けた。


 ゲイルの膝が沈む。


「副団長!」


 意識を取り戻したカイルが声を上げる。


「動くな!」


 リディアが押さえる。


「しかし……」


「頭を打ってる!」


「副団長が!」


「今行っても足手まといになる!」


 カイルは歯を食いしばる。


 ゲイルは一人で巨大な腕を押し返していた。


 黒い右腕の亀裂が広がる。


 そこから赤い光が漏れる。


「ゲイル、離せ!」


「離せば水晶まで届く!」


「俺が支える!」


「お前の腕では潰れる!」


「やってみなければ分からない!」


「見れば分かる!」


 巨大な腕の指が、ゲイルの身体へ絡みつく。


 握り潰そうとする。


 鎧が軋む。


「ゲイル!」


 ウィルは腕へ飛びついた。


 短剣を隙間へ差し込む。


 何人もの顔が腕の表面に浮かんでいる。


「痛い」


「助けて」


「水晶を返して」


「お父さん」


「母さん」


 声を聞くたびに、手が止まりそうになる。


「止まるな!」


 ゲイルが叫ぶ。


「こいつらはもう戻れん!」


「決めるな!」


「なら今ここで方法を出せ!」


 ウィルは答えられない。


 今すぐ全員を救う方法などない。


 それでも。


 何も考えず壊すこともできなかった。


 短剣を握る手に力を込める。


「ごめん」


 刃を突き立てる。


「今は止める」


 腕の一部が砕けた。


 ゲイルを握る力が緩む。


 ゲイルは黒い右手で巨大な指を掴み、無理やり引き剥がした。


 ウィルが残りの指を斬る。


 二人で抜け出した。


 巨大な腕が階段の下へ戻る。


 すぐに再生が始まる。


「四つ目!」


 赤い印が繋がる。


 残り三つ。


 ウィルは息を整える。


 腕が重い。


 腹の傷も痛む。


 右手の赤い線は、肘近くまで伸びていた。


「お前も進んでいるぞ」


 ゲイルが言う。


「分かっている」


「理性を失ったら俺が殺す」


「断る」


「聞いていない」


「俺も、お前が理性を失ったら止める」


「殺せ」


「止める」


「同じ失敗を繰り返すつもりか」


「失敗と決めるな」


「五人を救えなかった」


「だから次も諦めるのか」


 ゲイルは黙った。


 階段の下から、さらに強い咆哮が響く。


 無数の怪物が動きを止めた。


 身体が崩れ、階段の中央へ集まっていく。


「何をしている」


 リディアが呟く。


 黒い結晶が一つの塊になる。


 腕。


 脚。


 胴体。


 いくつもの顔。


 それらが押し潰され、巨大な人型を作っていく。


 そして胸の中央に、小さな黒い核が現れた。


「ヴァルガスだ」


 ゲイルが槍を構える。


 階段を塞ぐほどの巨体。


 顔だけはヴァルガスのものだった。


 だが、首から下は何百人もの身体で作られている。


「水晶を返せ」


 ヴァルガスの声。


 その背後から、何百もの声が重なる。


「返せ」


「返せ」


「返せ」


 巨大な足が一段上がる。


 階段が崩れた。


『お父さん』


 エリナの声が震える。


 ヴァルガスの動きが一瞬止まる。


「エリナ……」


 人間の声だった。


 赤い瞳から、濁りが消える。


「そこに……いるのか」


『うん』


「逃げろ」


『お父さん』


「水晶から……離れろ」


 ヴァルガスの顔が苦痛に歪む。


「私を……見るな」


 黒い核が強く脈打つ。


 再び赤い光が瞳を染めた。


「返せ!」


 巨大な腕が振り上がる。


 天井へ届くほど大きい。


「五つ目!」


 残り二つ。


「間に合わん」


 ゲイルが前へ出る。


「何をする」


「核を壊す」


『やめて!』


 エリナが叫ぶ。


「ほかに方法はない」


「扉が閉じるまで耐える!」


 ウィルがゲイルの肩を掴む。


「離せ」


「核を壊せばヴァルガスは水晶へ戻る」


「それが望みだろう」


「今、水晶は扉を閉じようとしている」


 ゲイルの動きが止まる。


「ヴァルガスの意識まで戻れば、エリナが耐えられないかもしれない」


『大丈夫』


 エリナが言う。


「本当か」


『分からない』


「大丈夫じゃないだろ!」


『でも、お父さんを助けたい』


「お前まで消えたら意味がない!」


『意味はあるよ』


「ない!」


 ウィルは水晶へ向かって叫ぶ。


「誰か一人が消えて終わるなら、それは助かったことにならない!」


『でも――』


「千年待ったんだろ!」


 エリナが黙る。


「父親へ伝えたいことがあるんだろ!」


『うん』


「なら自分で言え!」


 六つ目の印が繋がる。


 残り一つ。


 赤い光が広間全体を包む。


 ヴァルガスの巨大な腕が振り下ろされる。


「来るぞ!」


 ゲイルがウィルを突き飛ばした。


 槍を横に構える。


 直撃。


 凄まじい音が響いた。


 ゲイルの身体が床へ沈む。


 黒い右腕が砕ける。


 槍が折れた。


「ゲイル!」


「来るな!」


 巨大な手がゲイルを床へ押し潰す。


 黒い腕から結晶が剥がれ、人間の皮膚が見える。


 その皮膚も裂け、血が流れた。


 ゲイルは左手だけで折れた槍を支えている。


「早く閉めろ!」


『あと少し!』


「ゲイル、離れろ!」


「離れられるなら、とっくに離れている!」


 ウィルは巨大な腕へ走る。


 リディアも後ろから続く。


「ウィル、右!」


 横から伸びた結晶の刃。


 ウィルは跳んで避ける。


 もう一本。


 短剣で受ける。


 刃が完全に折れた。


「くそっ!」


 武器がない。


 それでも巨大な腕へ飛びつく。


 両手で結晶の隙間を掴む。


 引く。


 動かない。


「リディア!」


「分かってる!」


 リディアが残った短剣を隙間へ差し込む。


 二人で押す。


 小さな亀裂が走る。


 ゲイルの身体がさらに沈む。


「力が足りない!」


 ウィルの右手が熱くなる。


 赤い線が光った。


 水晶の力。


 使えば、変化が進む。


 だが。


 今は迷っている時間がない。


「借りるぞ」


 ウィルは右手へ力を込めた。


 筋肉が膨らむ。


 皮膚の一部が黒く染まる。


 指先が結晶へ変わった。


「ウィル!」


「今だけだ!」


 黒く変わった右手を亀裂へ押し込む。


 握る。


 引き剥がす。


 巨大な腕の一部が砕けた。


 ゲイルが身体を抜く。


 三人が床を転がる。


 直後、巨大な拳が再び振り下ろされた。


「散れ!」


 それぞれ別方向へ跳ぶ。


 床が陥没した。


 ウィルは自分の右手を見る。


 人間の手ではない。


 ゲイルと同じ。


 黒い結晶に覆われている。


「使える傷だな」


 ゲイルが皮肉を言う。


「嬉しくない」


「俺もだ」


「嘘をつけ」


「黙れ」


 ヴァルガスが次の一歩を踏み出す。


 水晶まで、もう十歩もない。


『最後の印が繋がらない』


 エリナが叫ぶ。


「なぜだ」


『お父さんの力が強すぎる』


「どうすればいい」


『核の動きを止めて』


 ウィルはヴァルガスの胸を見る。


 巨大な身体の中央。


 黒い核。


 何百もの結晶に守られている。


「壊さずに止めるのか」


『少しだけでいい』


「何秒だ」


『分からない』


「お前たちは全員そればかりだな」


 ゲイルが立ち上がる。


 折れた槍の先端を拾う。


 短い。


 槍ではなく、大型の短剣に近い。


「行くぞ」


「どうする」


「俺が道を作る」


「また一人で決めるな」


「なら、お前が核を止めろ」


「武器がない」


 ゲイルは折れた槍先をウィルへ投げた。


 ウィルは受け取る。


「お前は」


「これがある」


 ゲイルが黒い右腕を上げる。


 半分以上砕けている。


 それでも、指は動く。


「その腕で戦うのか」


「使えるものは使う」


「さっきと同じだな」


「お前もだ」


 ウィルは自分の黒い右手を見る。


「似ていると言われる理由が分かった気がする」


「不愉快だ」


「俺もだ」


 二人が並ぶ。


 ヴァルガスが腕を振り上げる。


「リディア!」


 ウィルが叫ぶ。


「エリナとカイルを頼む!」


「分かった!」


「死なないで!」


「努力する!」


「努力ではなく戻って!」


「分かった!」


 ゲイルが横目で見る。


「嘘が下手だな」


「今は黙れ」


 二人が床を蹴る。


 ヴァルガスの拳が降る。


 左右へ分かれる。


 ゲイルが黒い腕で拳の側面を殴る。


 軌道がわずかにずれた。


 ウィルは腕を駆け上がる。


 結晶で作られた皮膚。


 無数の顔が浮かぶ。


「助けて」


「壊して」


「帰りたい」


 声を振り切る。


 肩。


 首。


 胸。


 ヴァルガスのもう一方の手が迫る。


「下を見ろ!」


 ゲイルが叫ぶ。


 雷。


 黒い腕から放たれた雷が、ヴァルガスの脚を撃つ。


 巨体が揺れる。


 手がウィルの頭上を通り過ぎた。


 胸の核まで届く。


 折れた槍先を構える。


「ヴァルガス!」


 ウィルが叫ぶ。


 赤い瞳が動く。


「娘が待っている!」


 ヴァルガスの動きが止まる。


「エリナが、千年間待っていた!」


 瞳の赤い光が揺れる。


「嘘だ……」


「本人に聞け!」


『お父さん!』


 エリナの声が広間へ響いた。


『私、ここにいるよ!』


「エリナ……」


『ずっと待ってた』


「私を……恨んでいないのか」


『会いたかった』


 ヴァルガスの巨大な身体が震える。


 胸の黒い核の光が弱まる。


「今だ!」


 ゲイルが叫ぶ。


 ウィルは槍先を核の隙間へ差し込んだ。


 壊さない。


 奥へ押し込み、核の脈動を止める。


 黒い光が消えた。


『最後の印が繋がる!』


 七つ目の模様が赤く光る。


 階段の入口に、巨大な扉が現れた。


 左右から石の壁が動き出す。


 ヴァルガスの身体が階段の奥へ引かれる。


「ウィル!」


 ゲイルが叫ぶ。


 ウィルは核に槍先を差し込んだまま、ヴァルガスの胸へしがみついている。


 扉が閉じれば、一緒に向こうへ取り残される。


「離れろ!」


 槍先を抜こうとする。


 だが、黒い結晶が右手へ絡みついていた。


「抜けない!」


 ヴァルガスの瞳に、人間の光が戻る。


「なぜ……私を殺さない」


「娘が待っているからだ!」


「私は……多くを殺した」


「それを決めるのは俺じゃない!」


 扉が迫る。


 残り半分。


 ゲイルが走る。


「手を出せ!」


「槍が抜けない!」


「槍を捨てろ!」


「右手が絡まっている!」


「切れ!」


「何を!」


「腕をだ!」


 ウィルは自分の右腕を見る。


 黒い結晶に覆われ、槍先と一体化している。


 切れば助かる。


 だが、刃物はない。


 ゲイルが折れた槍の柄を拾う。


 先端は尖っていない。


 それでも黒い右腕へ雷を集めた。


「動くな!」


「何を――」


 ゲイルが槍の柄を振り下ろす。


 雷がウィルの右腕へ直撃した。


 激痛。


「ぐあっ!」


 黒い結晶が砕ける。


 右手の表面が剥がれ、血が飛ぶ。


 槍先との繋がりが切れた。


 ゲイルがウィルの左腕を掴む。


 強く引く。


 二人で床へ転がった。


 扉が閉じる。


 ヴァルガスの顔が隙間から見えた。


『お父さん!』


 エリナが叫ぶ。


「エリナ」


 ヴァルガスは笑った。


 初めて見せる、穏やかな表情だった。


「待たせて、すまなかった」


『うん』


「怖かっただろう」


『うん』


「一人にして、すまなかった」


『もういいよ』


 扉の隙間が細くなる。


「必ず、迎えに行く」


『待ってる』


 石の扉が完全に閉じた。


 最後に。


 ヴァルガスの声が聞こえた。


「ありがとう」


 広間が静まり返る。


 足音も。


 泣き声も。


 怪物の咆哮も消えた。


 赤い水晶の光が弱まる。


 七つの印は残っている。


 だが、エリナの姿が見えない。


「エリナ?」


 ウィルが立ち上がる。


「聞こえるか」


 返事はない。


「エリナ!」


 水晶へ駆け寄る。


 赤い光の中には、無数の人影だけが浮かんでいる。


 少女の姿はどこにもない。


「消えたのか」


 ゲイルが言う。


「勝手に決めるな」


 ウィルは水晶へ手を当てる。


「エリナ!」


 静かだった。


 何度呼んでも返事がない。


 リディアがそっと近づく。


「扉を閉じるために……」


「まだ分からない」


「でも」


「分からないと言った」


 自分に言い聞かせるように繰り返す。


 そのとき。


 水晶の底。


 小さな金色の光が生まれた。


 光がゆっくりと浮かび上がる。


 ウィルの手のひらほどの結晶。


 透明な赤。


 その中で、少女が眠っていた。


「エリナ」


 小さな姿。


 目を閉じている。


 呼吸は見えない。


 だが、胸元に弱い光が灯っている。


『……疲れた』


 かすかな声が聞こえた。


 ウィルは息を吐いた。


「生きているのか」


『少し、眠るね』


「ああ」


『お父さんを……お願い』


「分かった」


 今度は迷わず答えた。


「必ず助ける」


 小さな結晶の光が消える。


 エリナは眠った。


 リディアが安堵したように笑う。


「よかった」


「ああ」


「約束したな」


 ゲイルが言う。


「何がだ」


「あの男を必ず助けると」


「聞いていたのか」


「聞こえる場所で言ったのはお前だ」


「助ける方法を探す」


「千年前の怪物をか」


「娘と話せる状態へ戻す」


「できる保証はない」


「分かっている」


「失敗すれば、また多くが死ぬ」


「それも分かっている」


「それでもやるのか」


 ウィルは閉じた扉を見る。


「ああ」


 ゲイルはしばらく黙っていた。


「愚かだな」


「知っている」


「だが」


 ゲイルが黒い右腕を見る。


「俺も、すぐには壊せとは言わん」


 ウィルはゲイルを見る。


「珍しいな」


「情報が足りないだけだ」


「そういうことにしておく」


「勘違いするな」


「していない」


 ゲイルは不機嫌そうに顔を背けた。


 カイルが壁際で身体を起こす。


「副団長……」


「立てるか」


「はい」


「なら水晶を運ぶ準備をしろ」


「その前に治療を」


「後だ」


「副団長」


「命令だ」


 カイルは立ち上がろうとして、ふらつく。


 リディアが肩を貸した。


「無理です」


「歩ける」


「頭から血が出ています」


「止まっている」


「さっきまで気絶していました」


「今は起きている」


「子供みたいなこと言わないでください」


 カイルが目を見開く。


 ゲイルもリディアを見る。


「何だ」


「けが人は座っていてください」


「俺は――」


「座ってください」


 リディアが笑顔で言う。


 ゲイルは黙った。


 少しして、壁際へ座る。


 ウィルはその姿を見て笑いそうになった。


「何がおかしい」


「別に」


「笑ったな」


「笑っていない」


「嘘が下手だ」


「うるさい」


 ウィルは自分の右手を見る。


 黒い結晶の大半は砕けた。


 だが、手の甲と指先にはまだ残っている。


 赤い線も消えていない。


 ゲイルの腕も同じ。


 二人とも、水晶の力を身体へ残している。


 扉は閉じた。


 ヴァルガスも止めた。


 だが、何も終わってはいない。


 水晶の中には、何百もの意識が残されている。


 変化した兵士たちを助ける方法も分からない。


 エリナは眠った。


 ヴァルガスは扉の向こう。


 そして。


 ウィルの右手から、かすかな声が聞こえた。


『やっと、繋がった』


 ウィルは動きを止める。


「どうした」


 ゲイルが尋ねる。


 右手の黒い結晶。


 その奥で。


 赤い瞳が一つ、ゆっくりと開いた。


『次は、お前の身体をもらう』


 ウィルは無言で右手を握り締めた。


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