第69話 自分を超える影
赤い剣が、ウィルの首へ迫る。
避けられない。
そう判断した瞬間、青白い光が横から飛び込んだ。
ゲイルの槍が、黒いウィルの剣を弾く。
金属ではない。
結晶同士がぶつかるような、甲高い音が響いた。
「反応が遅い!」
ゲイルが叫ぶ。
「分かっている!」
ウィルは後方へ跳ぶ。
黒いウィルは追ってこなかった。
赤い剣を下げ、ウィルとゲイルを交互に見ている。
顔は同じ。
身体つきも同じ。
だが、その立ち方はウィルとは異なっていた。
無駄がない。
重心がぶれない。
剣を握る腕にも力が入りすぎていない。
「俺より……強い」
「当然だ」
水晶の中の男が答える。
「それは、お前が望んだ姿だ」
「望んだ覚えはない」
「本当にそうか?」
黒いウィルが再び動く。
今度はゲイルへ向かった。
赤い剣が斜めに振り下ろされる。
ゲイルは槍で受ける。
衝撃。
ゲイルの足元の石がひび割れた。
「力もあるか」
ゲイルは押し返そうとする。
だが、黒いウィルは動かない。
片手で剣を押しつけたまま、空いた左手をゲイルの腹へ向けた。
「ゲイル!」
ウィルが叫ぶ。
黒い拳が放たれる。
ゲイルは身体を捻った。
拳が脇腹をかすめる。
鎧が砕け、ゲイルの身体が横へ吹き飛んだ。
「副団長!」
槍士団が動こうとする。
「来るな!」
ゲイルが床へ槍を突き立て、倒れるのを堪えた。
「こいつは俺たちを狙っている!」
黒いウィルが兵士たちへ顔を向ける。
だが、すぐに視線を戻した。
水晶の中の男が笑う。
「そうだ。それは強い者にしか興味を持たない」
「なら、ほかの者は下がれ!」
ウィルが命じる。
リディアが首を振る。
「一人で戦うつもり?」
「二人だ」
ウィルはゲイルを見る。
ゲイルは砕けた鎧の上から脇腹を押さえていた。
血は出ていない。
だが、軽い傷ではない。
「まだ動けるか」
「誰に聞いている」
ゲイルは槍を構え直す。
「お前こそ、剣がないぞ」
ウィルの剣は黒い影の身体へ変わった。
予備の武器は持っていない。
床には先遣隊が残した槍や剣が散らばっている。
だが、その多くは黒い血に汚れていた。
「これを使って!」
リディアが短剣を投げる。
ウィルは柄を掴んだ。
「短いな」
「文句を言わない!」
「助かる」
黒いウィルが足を踏み出す。
ウィルも動いた。
正面からは勝てない。
力も速さも相手が上。
なら、同じ戦い方をしてはいけない。
ウィルは低く構え、左へ回り込む。
黒いウィルの目が動く。
ゲイルが反対側から槍を突き出した。
二方向。
赤い剣がゲイルの槍を弾く。
その隙にウィルが懐へ入る。
短剣で脇腹を狙う。
だが。
黒いウィルはウィルの腕を掴んだ。
「読まれた!」
指が食い込む。
骨が軋む。
ウィルは短剣を落としそうになる。
黒いウィルが顔を近づけた。
赤い瞳。
その奥に、何もない。
怒りも憎しみもない。
ただ効率よく敵を倒そうとしている。
「お前なら、ここで肘を使う」
水晶の中の男が言う。
黒いウィルの肘が上がる。
ウィルは頭を下げた。
肘が髪をかすめる。
掴まれた腕を捻り、自分から黒いウィルへ近づいた。
額を顎へ叩きつける。
黒いウィルの頭がわずかに揺れる。
「それも知っている」
今度は膝が上がった。
ウィルの腹へ突き刺さる。
「がっ……!」
息が止まる。
身体が浮く。
黒いウィルが腕を放す。
そのまま赤い剣を振り上げた。
雷が走る。
ゲイルの槍が黒いウィルの肩を貫いた。
赤い剣が止まる。
「今だ!」
ウィルは床へ落ちた短剣を拾う。
黒いウィルの胸へ突き立てた。
刃が黒い皮膚へ入る。
だが、浅い。
中は肉ではなかった。
固い結晶で満たされている。
黒いウィルがゲイルの槍を掴む。
肩へ刺さったまま、無理やり引き抜いた。
穴から血は出ない。
赤い光だけが漏れる。
「効いていない」
ゲイルが後退する。
「まったくではない」
ウィルは肩の穴を見る。
傷は少しずつ閉じている。
だが、すぐではない。
「壊せば倒せる」
「当たり前のことを言うな」
「中心があるはずだ」
「どこだ」
「分からない」
「役に立たん」
ゲイルが槍を振る。
黒いウィルが剣で受ける。
再び激しい音が響く。
ウィルは二人の周囲を回りながら観察した。
肩の傷。
胸の傷。
どちらも赤い光が集まり、修復している。
光はどこから来ている。
黒いウィルの全身を、細い赤い線が走っている。
その線は胸の中央へ集まっていた。
「胸だ!」
ウィルが叫ぶ。
「先ほど刺しただろう!」
「もっと深く!」
ゲイルが黒いウィルの剣を槍で巻き取る。
赤い剣が外側へ流れた。
胸が開く。
ウィルが短剣を構えて飛び込む。
黒いウィルの左手が迫る。
避ければ機会を失う。
ウィルは止まらなかった。
拳が頬へ当たる。
視界が揺れる。
それでも短剣を胸へ突き立てた。
先ほどと同じ場所。
両手で柄を押す。
刃が少しずつ結晶へ食い込む。
「硬い……!」
黒いウィルの手が、ウィルの首を掴んだ。
身体が持ち上がる。
「ウィル!」
リディアが駆け出そうとする。
「来るな!」
声が出ない。
ウィルは口だけを動かした。
黒い指が首を締めつける。
短剣を手放せば楽になる。
だが、離せば同じ機会は来ない。
さらに押し込む。
刃先が何かへ当たった。
胸の奥。
小さな固いもの。
これだ。
ウィルは短剣を捻った。
赤い光が激しく明滅する。
黒いウィルの動きが止まった。
「見つけた!」
ウィルが掠れた声で叫ぶ。
ゲイルが踏み込む。
「どけ!」
槍先へ雷が集まる。
ウィルは短剣を手放し、黒い腕を蹴った。
首から手が離れる。
床へ落ちながら横へ転がる。
ゲイルの槍が短剣の柄を叩いた。
雷とともに、刃が胸の奥へ押し込まれる。
黒いウィルの背中から短剣の先端が飛び出した。
赤い光が広間を埋める。
黒いウィルが大きく仰け反った。
「グ……ア……」
初めて声を出した。
だが、倒れない。
胸に短剣が刺さったまま、ゲイルの槍を掴む。
「まだ動くのか!」
黒いウィルが槍を引く。
ゲイルの身体が前へ崩れる。
赤い剣が振り上がった。
「ゲイル!」
ウィルは床へ落ちていた石を掴み、投げた。
石が黒いウィルの顔へ当たる。
効果はない。
だが、赤い瞳が一瞬だけウィルへ向いた。
その隙にゲイルが槍を手放す。
赤い剣が空を斬る。
ゲイルは黒いウィルの胸へ飛び込み、短剣の柄を両手で押した。
「砕けろ!」
胸の奥から音が響く。
ひびが広がる。
黒いウィルがゲイルの背中へ拳を振り下ろした。
一撃。
ゲイルが膝をつく。
二撃目。
ウィルが黒い腕へ組みついた。
「押せ!」
「命令するな!」
ゲイルが立ち上がり、さらに短剣を捻る。
ウィルは黒い腕を引き続ける。
力で勝てない。
足を黒いウィルの膝裏へ入れ、自分の体重をかける。
体勢が崩れた。
黒いウィルが片膝をつく。
「今だ!」
ゲイルが短剣の柄へ拳を叩きつけた。
胸の中で何かが砕ける。
赤い光が消えた。
黒いウィルの身体が止まる。
赤い剣が床へ落ちた。
黒い皮膚に、無数のひびが走る。
顔にも亀裂が広がった。
砕ける直前。
黒いウィルが、本物のウィルを見た。
赤かった瞳が、一瞬だけ元の色へ戻る。
「もっと……強ければ……」
ウィル自身の声だった。
黒い身体が崩れた。
細かな結晶となり、床へ散らばる。
赤い剣も同時に砕けた。
あとには、リディアから借りた短剣と、元の剣の柄だけが残った。
ウィルはその場へ膝をつく。
首が痛い。
腹も頬も痛む。
腕には黒い指の跡が残っている。
「勝った……のか」
「二人でな」
ゲイルが背中を押さえながら答えた。
「一人では負けていた」
「俺もだ」
ゲイルは素直に認めた。
槍士団の兵士たちが近づこうとする。
「まだ来るな!」
ウィルが止める。
砕けた黒い結晶が、床の上でわずかに震えていた。
水晶の中の男は笑っている。
「見事だ」
「何がおかしい」
ウィルが立ち上がる。
「自分より強い自分を倒した」
「俺一人ではない」
「それが答えか」
男はゲイルを見る。
「力の差を、他者で埋めた」
「悪いか」
「いや」
男の声は楽しそうだった。
「実に人間らしい」
「約束だ」
ウィルは黒い扉へ向き直る。
「倒せば、拒む資格を認めると言った」
「認めよう」
「なら、俺たちを器にしようとするな」
「お前はな」
男の視線がゲイルへ動く。
「ゲイルには、まだ選ぶ権利がある」
ゲイルは答えない。
「選ぶ必要はない」
ウィルが言う。
「お前が決めることではない」
ゲイルは水晶を見たまま答えた。
「まだ力を得るつもりか」
「敵の言葉を鵜呑みにするつもりはない」
「なら」
「だが、お前の影は俺と互角に近い力を持っていた」
「二人で倒した」
「一人なら、俺が勝っていたかもしれない」
「試したいのか」
「違う」
ゲイルは砕けた結晶を見下ろした。
「あの力が完成すれば、何が起きるかを考えている」
「利用方法をか」
「対処方法もだ」
「まだ言葉遊びをするのか」
「お前は考えが単純すぎる」
ウィルは言い返そうとした。
そのとき。
水晶の中の男が声を上げて笑った。
「いい」
赤い水晶が大きく脈打つ。
「やはり、お前たちは面白い」
黒い扉に、亀裂が走った。
「下がれ!」
全員が後退する。
扉の中央に埋め込まれた赤い水晶が、内側から押し出されるように膨らんだ。
水晶の中の男の身体が近づいてくる。
「何をしている!」
「試練は終わった」
男が答える。
「お前たちは中へ入る資格を得た」
「扉を開けるのか」
「そうだ」
「自分で開けられるなら、なぜ今まで閉じ込められていた」
男の笑みが止まる。
「扉は、外から人間の力で壊されなければならない」
「俺たちは壊していない」
「壊した」
男の視線が床へ落ちる。
黒いウィルが砕けた場所。
そこから伸びた赤い線が、扉へ繋がっていた。
ウィルは息を呑む。
「あの影は、扉を開けるためのものだったのか」
「それだけではない」
「最初から倒されることを狙っていた」
「倒せる者が現れるのを待っていた」
赤い線が扉全体へ広がる。
亀裂が増えていく。
「止めろ!」
ゲイルが槍を拾い、水晶へ向かって走る。
「待て!」
ウィルも追う。
ゲイルの槍が赤い水晶へ突き出される。
だが、届く直前。
扉から黒い腕が伸びた。
人間の腕。
水晶の中の男と同じ腕だった。
黒い手がゲイルの槍を掴む。
「ようやくだ」
扉の奥から声が響く。
「ようやく、この身体へ戻れる」
黒い扉が左右へ割れた。
赤い光と熱風が噴き出す。
ウィルは腕で顔を覆った。
光の中。
巨大な空間が見える。
その中央には、黒い鎖で拘束された男の身体があった。
水晶の中に映っていた姿よりも大きい。
両腕と両脚。
首。
胸。
全身を何本もの鎖が貫いている。
そして、その男の胸には。
巨大な赤い水晶が埋め込まれていた。
男がゆっくりと顔を上げる。
赤く濁った瞳が、ウィルとゲイルを捉えた。
「感謝する」
男の身体から、黒い結晶が伸び始める。
「お前たちのおかげで、千年ぶりに目を覚ませる」




