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【全4巻完結・Amazonで販売中】冤罪で7年間鉱山送りにされた俺、出所後に《ダンジョンガチャ》を手に入れて人生をやり直す  作者: 月瀬 リュカ


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第65話 先に進んではならない



「……助け……」


 暗い通路の奥から、かすかな声が聞こえる。


 聞き間違いではない。


 ウィルは剣を抜いたまま走り出した。


「待って、ウィル!」


 リディアが後ろから追いかけてくる。


「急ぐんじゃなかったの?」


「生存者がいる」


「そうじゃなくて、一人で先に行かないで!」


 ウィルは速度を落とした。


 先ほど、自分たちの速度で進むと決めたばかりだった。


 助けを求める声を聞いた瞬間、そのことが頭から抜け落ちていた。


「すまない」


「謝るなら、横を走って」


「ああ」


 リディアが隣へ並ぶ。


 二人は互いの位置を確認しながら、通路の奥へ進んだ。


 声は一度聞こえたきりだった。


「まだ生きてるよね」


「分からない」


「もう一度、呼びかけてみる」


 リディアが前方へ向かって声を上げた。


「聞こえますか! 助けに来ました!」


 返事はない。


 代わりに、どこかから硬いものがぶつかる音がした。


 カツン。


 続いて、何かを引きずる音。


 ウィルは足を止めた。


「右だ」


 通路の右側。


 壁の一部が崩れ、その奥に狭い隙間ができている。


 人一人が、横向きになれば通れそうな幅だった。


 隙間の周囲には、乾ききっていない血が付着している。


 ウィルはしゃがみ、床を確認した。


 血の跡が、崩れた壁の奥へ続いている。


「中に入ったみたいだね」


「魔物から逃げ込んだのかもしれない」


 ウィルは隙間へ顔を近づけた。


 奥は暗い。


 わずかな空気の流れがある。


「俺が先に入る」


「危険があったら戻ってきて」


「ああ」


「返事だけじゃなくて、本当に戻ってきてね」


「分かっている」


 身体を横にし、岩の隙間へ入る。


 防具が壁に擦れた。


 剣を振れる広さはない。


 盾も使えない。


 前から魔物が来れば、避けることさえ難しい。


 ウィルは剣を鞘へ戻し、短剣を手にした。


 一歩。


 さらに一歩。


 奥へ進むにつれて、血の臭いが強くなる。


「ウィル、見える?」


「まだ何も見えない」


 後ろから、リディアの声が聞こえた。


 やがて隙間が広がった。


 ウィルは岩の間から抜け、小さな空間へ出る。


 天井は低い。


 青白い石もなく、ほとんど何も見えなかった。


 持っていた明かりを取り出し、火をつける。


 揺れる光が、周囲を照らした。


 折れた槍。


 空になった革袋。


 血のついた布。


 そして、奥の壁に寄りかかっている男。


 鎧は大きく壊れ、左脚が不自然な方向へ曲がっている。


 男は片手に小石を握っていた。


 先ほどの音は、助けを呼ぶために石を投げた音だったらしい。


「生きているか」


 ウィルが近づく。


 男の瞼が、わずかに動いた。


「……人、か……?」


「ああ」


「王国の……救援……」


「冒険者だ」


 ウィルは男の横へ膝をついた。


 呼吸は弱い。


 唇が乾いている。


 左脚だけではなく、腹部にも深い傷を負っていた。


 傷口に布を巻いているが、血が滲んでいる。


「リディア、生存者だ!」


「今行く!」


 岩の隙間から、リディアが入ってくる。


 男の状態を見た瞬間、表情が変わった。


「ひどい……」


「水を」


 ウィルが男の頭を支える。


 リディアが水筒を取り出した。


「少しずつ飲んでください」


 男の口へ、わずかに水を流し込む。


 男はむせながらも、それを飲み込んだ。


「ほかに生存者はいるか」


 ウィルが尋ねる。


 男の目が揺れる。


「みんな……死んだ……」


「先遣隊か?」


「そうだ……」


 男は震える指で、自分の胸元を示した。


 壊れた鎧には、王国の調査隊を示す印が刻まれている。


「何があった」


「下に……行った……」


 呼吸が乱れる。


 ウィルは無理に話させるべきではないと思った。


 だが、この先に何が待っているのかを知らなければ、同じ被害が出る。


「話せる範囲でいい」


「階段を……見つけた……」


 男は苦しそうに息を吸った。


「下へ続く……大きな階段だ……」


「この近くにあるのか?」


「違う……もっと先だ……」


 男の手が、ウィルの腕を掴んだ。


 弱っているとは思えないほど強い力だった。


「先に……進むな」


「理由は」


「階層が……変わる」


 ウィルとリディアは顔を見合わせた。


「階段を下りたのか?」


「ああ……」


 男の声が震える。


「最初は……何もいなかった……広い部屋と、黒い扉だけだった……」


「扉を開けたのか」


「隊長が……開けた」


 男は目を閉じた。


 思い出すこと自体を恐れているようだった。


「中に……大きな水晶があった……」


「ダンジョンコアか?」


「違う……」


 男は首を振った。


「赤い……水晶……」


 ウィルは黙って続きを待った。


「近づいた者が……触れた……その瞬間……」


 男の歯が鳴る。


「魔物が現れたのか?」


「仲間が……変わった」


 リディアが息を呑んだ。


「変わったって、どういう意味ですか?」


「身体が……膨らんだ……腕が増えた……皮膚が岩みたいになって……」


 ウィルの脳裏に、入口付近でゲイルが倒した魔物が浮かんだ。


 四本の腕。


 岩のような皮膚。


 頭部には目がなく、大きく裂けた口。


「その魔物は、もともと人間だったのか」


 男が、ゆっくりと頷く。


「俺たちを……襲った……」


 ウィルは拳を握った。


 ゲイルが倒した魔物は、先遣隊の一人だった可能性がある。


 片手に折れた剣を握っていた理由も説明できる。


「水晶に触れたのは一人だけか?」


「最初は……一人だ……」


「最初は?」


「血を浴びた者も……変わった……」


「血で広がるの?」


 リディアの顔から血の気が引く。


「分からない……傷口に入った者だけだった……かもしれない……」


 男は自分の腹部を見た。


 巻かれた布が、血で黒く染まっている。


「あなたも、その血を浴びたんですか?」


 リディアが尋ねる。


「浴びた……」


 男が答えた。


 二人の間に沈黙が落ちた。


 ウィルは剣へ手を伸ばさなかった。


 男の肌に異常は見られない。


 腕も二本のまま。


 意識も残っている。


「どれくらい前だ」


「分からない……」


「身体に変化は?」


「ない……だから……全員が変わるわけじゃない……」


 男は苦しそうに笑った。


「俺は……運がよかったのか……それとも……遅いだけか……」


「まだ決まっていない」


 ウィルは言った。


「治療を受けろ」


「俺を……外へ連れていくのか?」


「ああ」


「変わるかもしれない」


「そのときは止める」


「殺すのか」


「必要なら」


 ウィルは男から目を逸らさなかった。


「だが、まだ人間だ。今は助ける」


 男は目を見開いた。


「怖く……ないのか」


「怖い」


 ウィルは迷わず答えた。


「だが、怖いから見捨てる理由にはならない」


 かつてのウィルは、誰にも助けてもらえなかった。


 冤罪だと訴えても、信じてもらえなかった。


 罪人になるかもしれない。


 危険な人間かもしれない。


 そう決めつけられ、誰も手を伸ばさなかった。


 この男が魔物へ変わる可能性はある。


 だが、まだ何も起きていない。


 可能性だけを理由に、ここへ置き去りにはできなかった。


「リディア。外へ戻って、後続の調査隊を呼んでくれ」


「ウィルは?」


「ここに残る」


「一人で?」


「この状態では、狭い隙間を通せない。脚を固定して、入口を広げる必要がある」


「でも、変化が始まったら……」


「すぐに呼ぶ」


「間に合わなかったら?」


「止める」


 リディアは男とウィルを交互に見た。


「本当に、一人で抱え込んでない?」


「ああ」


「助けが必要になったら、ちゃんと言う?」


「言う」


「約束できる?」


「約束する」


 リディアは少し迷ったあと、頷いた。


「すぐ戻るから」


「ああ」


 リディアが岩の隙間へ入る。


 姿が見えなくなる直前、もう一度振り返った。


「絶対に無理しないで」


「分かっている」


「ウィルの『分かっている』は信用できないけど、今は信じる」


 そう言い残し、リディアは通路へ戻っていった。


     ◇


 ウィルは男の左脚を確認した。


 骨が折れている。


 無理に動かせば、状態が悪化する。


「触るぞ」


「好きに……してくれ」


 布と木片を使い、折れた脚を固定する。


 男は歯を食いしばり、声を上げなかった。


「名前は」


 ウィルが尋ねる。


 男は一瞬、戸惑ったように目を動かした。


「なぜ……聞く」


「救助した相手の名前を知らないのは不便だ」


「そうか……」


 男は名前を答えた。


 ウィルは一度だけ頷いた。


「眠るな」


「眠い……」


「話をしろ」


「何を……」


「先遣隊について」


 男の意識を保たせながら、情報を得る。


「何人で入った」


「十二人……」


「変わったのは?」


「三人……」


「残りは魔物に殺されたのか」


「ああ……」


「赤い水晶は、まだそこにある?」


「ある……はずだ……」


「壊そうとした者は?」


「いた……」


 男の呼吸が、少しだけ落ち着いた。


「剣で斬った……傷一つ、つかなかった……」


「持ち出そうとした者は?」


「床から……動かなかった……」


「部屋を出れば、変わった者は追ってきたか」


「来た……」


「どこまで?」


「分からない……逃げるので精一杯だった……」


 入口付近まで来ていたのなら、感染した魔物がこの階層を徘徊している可能性がある。


 倒した三体の甲殻獣は、もともと人間だったのか。


 それとも、通常の魔物なのか。


 見た目だけでは判断できない。


「変わる前に、何か兆候はあったか」


「熱が出た……」


「ほかには」


「喉が渇くと……言っていた……」


「時間は?」


「早い者は……すぐだった……遅い者は……半日ほど……」


 男は自分の額へ手を当てた。


「俺は……どれくらい眠っていた」


「分からない」


「喉が……渇いている」


 ウィルは男の顔を見る。


 水を飲んだばかりだ。


 それでも男の唇は乾き、呼吸が少しずつ速くなっている。


「熱はあるか」


 額へ手を当てる。


 熱い。


 先ほどよりも明らかに体温が上がっていた。


「そうか……」


 男は、ウィルの表情から察したらしい。


「始まったのか」


「まだ分からない」


「剣を……抜いておけ」


「必要になったら抜く」


「俺が変わったら……迷うな」


「分かっている」


「仲間を……俺が殺した……」


「お前が殺したわけじゃない」


「逃げる途中で……一人を置いてきた」


 男の目から涙が流れた。


「助けを求めていた……でも、戻れなかった……」


「戻れば二人とも死んでいた」


「分かっている……」


「なら、生き残ったことを恥じるな」


「簡単に……言うな」


「ああ。簡単ではない」


 ウィルは鉱山で死んでいった者たちを思い出した。


 助けられなかった者。


 食事を分けることができなかった者。


 崩落に巻き込まれ、声だけが聞こえなくなった者。


 生き残ったことを喜べない夜が、何度もあった。


「忘れろとは言わない」


 ウィルは男を見た。


「生きて、覚えていろ」


「それが……罰か」


「違う」


 ウィルは答えた。


「死んだ者がいたことを、誰かが伝えるためだ」


 男は何も言わなかった。


 ただ、掴んでいた小石を床へ落とした。


 その直後。


 男の腕が大きく震えた。


「ぐっ……!」


 皮膚の下で、何かが動いている。


 筋肉が不自然に盛り上がり、すぐに元へ戻る。


 ウィルは立ち上がり、剣を抜いた。


「意識はあるか」


「ああ……」


「自分の名前を言えるか」


 男は自分の名前を答えた。


「俺が誰か分かるか」


「冒険者の……ウィル……」


 意識は保っている。


 だが、変化は始まっている。


 腕の皮膚が、少しずつ灰色へ変わっていく。


「来るな……」


 男が震える声で言った。


「外へ出ろ」


「救援が来るまで残る」


「俺が変わる!」


「まだ変わっていない」


「もう始まってる!」


 男の叫びが、狭い空間へ響いた。


 その声に重なるように、岩の隙間の向こうから足音が聞こえる。


「ウィル!」


 リディアの声。


「救援を連れてきたよ!」


「中へ入るな!」


 ウィルが叫ぶ。


 足音が止まった。


「変化が始まった!」


 岩の向こうが静かになる。


 男の腕が、さらに膨らむ。


 指の爪が伸び、床を削った。


「殺せ……」


「まだだ」


「頼む……」


 男の目は人間のままだった。


 恐怖。


 後悔。


 死にたくないという願い。


 そのすべてが残っている。


 ウィルは剣を構えた。


 斬ろうと思えば斬れる。


 男は抵抗できない。


 今なら苦しませずに終わらせられるかもしれない。


 だが。


「治療法を探す」


「ない……」


「まだ調べていない」


「間に合わない……」


「間に合わせる」


 ウィルは岩の向こうへ声を上げた。


「リディア! ガチャから出た報酬を持っているな!」


「持ってる!」


 第62話で引いた、これまで持っていなかった種類の報酬。


 武器でもない。


 防具でもない。


 状態異常を一時的に抑えるための道具。


 何に使うのか分からず、まだ試していなかった。


「隙間から渡せ!」


 小さな容器が、岩の間から押し込まれる。


 ウィルはそれを受け取った。


 中には、透明な液体が入っている。


 完全に治せる保証はない。


 そもそも、これが病気なのか、毒なのか、呪いなのかも分からない。


 だが、何もしなければ男は魔物へ変わる。


「飲め」


「効くのか……」


「分からない」


「おい……」


「だが、試す価値はある」


 男は震える手で容器を受け取った。


 少しだけ笑う。


「正直な……奴だな……」


「嘘をついても治らない」


「そうだな……」


 男は液体を飲み干した。


 数秒。


 何も起きない。


 灰色へ変わった皮膚も、膨らんだ腕も元へ戻らない。


 失敗か。


 ウィルが剣を握り直した、そのとき。


 男の腕から、白い煙が上がった。


「ぐあああっ!」


 男が叫ぶ。


 膨らんだ腕が激しく痙攣する。


 皮膚の下を動いていたものが、一斉に止まった。


 伸び始めていた爪が、床へ落ちる。


 灰色の皮膚は残っている。


 だが、変化の進行は止まった。


「意識は」


「ある……」


「名前を言え」


 男は、再び自分の名前を答えた。


「止まったの?」


 岩の向こうからリディアが尋ねる。


「分からない。だが、進行はしていない」


 治ったわけではない。


 一時的に抑えただけかもしれない。


 それでも、時間は得られた。


「入口を広げてくれ」


「分かった!」


 外側から岩を動かす音が始まった。


 ウィルは男のそばへ座る。


「助かるかも……しれないのか」


「まだ分からない」


「そこは……助かると言ってくれ」


「嘘はつかない」


「本当に……正直な奴だ……」


 男は弱々しく笑った。


 ウィルは剣を鞘へ戻す。


 しばらくして、岩の隙間が広がった。


 救援に来た冒険者たちが担架を持って入ってくる。


 男の身体を慎重に持ち上げ、外へ運び始めた。


「地上へ戻してください」


 リディアが救援の冒険者へ伝える。


「魔物へ変化する可能性があります。拘束したうえで、治療師とギルドへ報告を」


「分かった」


「傷口や血には、絶対に素手で触らないでください」


 男が運び出される直前、ウィルへ手を伸ばした。


 ウィルはその手を掴む。


「赤い水晶に……近づくな」


「ああ」


「壊せるなら……壊してくれ」


「調べてから決める」


「そこは……即答しないんだな」


「何か分からないものを、考えずに壊すつもりはない」


 男は再び笑った。


「お前なら……大丈夫かもな……」


 担架が岩の隙間を通り、姿が見えなくなる。


 ウィルとリディアは、救援隊を見送った。


「戻らなくていいの?」


 リディアが尋ねる。


「救援隊には、地上までの護衛がいる」


「私たちは先へ行く?」


「ああ」


「ゲイルに追いつくため?」


 ウィルは首を振った。


「赤い水晶を止めるためだ」


 このダンジョンには、人間を魔物へ変える何かがある。


 ゲイルたちがそれを知らずに進んでいれば、同じ被害が出るかもしれない。


 先ほどまで、ウィルはゲイルの背中を追っていた。


 だが今は違う。


 追いついて、警告しなければならない。


「急ぐぞ」


 ウィルが言う。


 リディアは少し笑った。


「今度は、ちゃんと一緒にね」


「ああ」


 二人は並んで走り出した。


 先遣隊の生存者が残した言葉。


 赤い水晶。


 人間を魔物へ変える血。


 そして、その先へ進んでいるゲイル。


 ウィルはまだ知らなかった。


 その赤い水晶が、このダンジョンの最深部にあるものとつながっていることを。


 そしてゲイルが、誰よりも強い力を求めていることを。


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