第64話 足りないもの
ゲイルたちの姿が通路の奥へ消えても、ウィルはすぐには動けなかった。
肩の傷は、回復薬によって塞がっている。
壁へ叩きつけられた背中にも痛みは残っていたが、歩けないほどではない。
それでも、足が前へ出なかった。
身体ではない。
頭の中で、先ほどの戦いが何度も繰り返されていた。
最初の突き。
横から振るわれた槍の柄。
三つに見えた穂先。
足を払われ、床へ倒された瞬間。
どこで間違えたのか。
どう動けば届いたのか。
考えても、答えは出なかった。
そもそも、ゲイルは本気ではなかった。
雷を使っていない。
強力なスキルも見せていない。
槍術と身体能力だけで、ウィルは何もさせてもらえなかった。
「ウィル」
リディアが呼びかける。
「もう少し休もう」
「先へ進む」
「駄目」
「傷は塞がった」
「傷の話じゃないよ」
リディアはウィルの正面へ回り込んだ。
「今のウィルが追いかけても、また同じことになる」
「次は動きを見る」
「さっきも見ようとしてたでしょ」
「今度は――」
「負けた直後の人は、みんなそう言うの」
強い口調だった。
ウィルは口を閉じる。
「次なら勝てる。次なら避けられる。もう一回やれば届くって」
「……届くまでやるしかない」
「今すぐやる必要はないよ」
リディアは床に落ちていた剣を拾い、ウィルへ差し出した。
「ゲイルは逃げない」
「最深部へ先に進まれる」
「進まれてもいい」
「よくない」
「どうして?」
「奴より先にダンジョンを攻略できれば、俺が強くなったと証明できる」
言葉にしてから、ウィルは違和感を覚えた。
強くなったと、誰に証明するのか。
ゲイルにか。
周囲の冒険者たちにか。
それとも、自分自身にか。
「ウィルは、ゲイルに認めてもらいたいの?」
「違う」
「なら、急ぐ必要はないよ」
リディアは剣を持ったまま、ウィルを見つめていた。
「先に最深部へ着いた方が強いわけじゃない。魔物を一人で倒した方が英雄になるわけでもない。私たちは、競争をしに来たんじゃないでしょ」
「強くなるために来た」
「うん。だから、強くなろう」
リディアが剣を差し出す。
「一人で追いかけるんじゃなくて、みんなで」
ウィルは剣を受け取った。
柄を握る。
いつもと同じ重さのはずなのに、先ほどより重く感じた。
「俺に足りないものは何だ」
ウィルが尋ねると、リディアは少し考えた。
「たくさんあると思う」
「……そうか」
「あっ、悪い意味だけじゃないよ」
「分かっている」
「本当に?」
「ああ」
ゲイルとの間には、七年の差がある。
技術。
経験。
身体能力。
装備。
スキル。
何もかも足りない。
だが、一番足りないものが何なのか、ウィルには分からなかった。
「さっきの戦いを見て、何か気づいたか」
ウィルは仲間たちへ尋ねた。
これまでなら、戦い方を他人に尋ねることはなかった。
自分の剣は、自分で考える。
自分の失敗は、自分で直す。
鉱山にいた頃は、それが当たり前だった。
誰かに弱みを見せれば、そこを狙われる。
だが、今は違う。
仲間たちは顔を見合わせ、それぞれが見たことを話し始めた。
ゲイルは、ウィルが踏み込む前から進む方向を読んでいた。
視線だけではなく、肩や足の動きを見ていた。
最初の攻撃を受けたあと、ウィルの意識が槍の穂先へ集中しすぎていた。
長い槍は先端だけが武器ではない。
柄も、石突きも、間合いを作るために使える。
そして何より、ウィルはゲイルしか見ていなかった。
「どういう意味だ」
「周りが見えてなかったってこと」
リディアが答える。
「私は止めようとしてた。でも、ウィルには聞こえてなかったでしょ」
「聞こえていた」
「声は聞こえても、言葉は届いてなかった」
否定できなかった。
あのときのウィルには、ゲイルしか見えていなかった。
魔物の死体。
周囲の兵士。
仲間たち。
すべてが意識から消えていた。
「ゲイルと戦うと、いつもそうなるの?」
「いつもと言われても、戦ったのは初めてだ」
「会ったときもだよ」
地上で再会したとき。
ウィルは反射的に剣へ手を伸ばした。
リディアに腕を掴まれなければ、抜いていた可能性もある。
「ゲイルが相手になると、普段のウィルじゃなくなる」
「俺は変わっていない」
「変わってるよ」
リディアは言い切った。
「普段のウィルなら、強い魔物を見たら観察する。相手の動きや弱点を調べて、無理なら引く。でもゲイルには、何も分からないまま向かっていった」
ゲイルに挑発されたから。
自分の力を確かめたかったから。
理由はいくつもあった。
だが、結局は感情に動かされた。
「ゲイルを前にしても、普段どおり戦えなければ勝てない」
ウィルは呟いた。
「たぶんね」
「なら、次は冷静に戦う」
「またすぐ戦う話になってる」
「例えだ」
「本当に?」
「ああ」
リディアはまだ疑っているようだった。
だが、先ほどより表情は柔らかくなっている。
「進もう」
ウィルは剣を鞘へ収めた。
「ただし、ゲイルは追わない」
「うん」
「自分たちの速度で進む」
「うん」
「魔物が現れたら、全員で倒す」
仲間たちが頷いた。
ウィルは通路の先を見た。
槍士団の姿は、すでに見えない。
追いつこうと思えば、急ぐ必要がある。
だが、今は追わない。
ここへ来た目的は、ゲイルの背中を見ることではない。
強くなること。
生きて最深部へ辿り着くこと。
そして最後に、ゲイルへ勝つことだった。
◇
先へ進むにつれて、通路の様子が変わっていった。
壁に埋め込まれていた青白い石が減り、暗い場所が増えている。
足元には、先に進んだ調査隊の痕跡が残っていた。
魔物の血。
折れた矢。
砕けた石片。
戦闘があった形跡はあるが、死体はほとんどない。
槍士団が回収したのか。
それとも、このダンジョンの魔物は倒されると消えるのか。
分からない。
「止まれ」
ウィルは片手を上げた。
前方から、微かな音が聞こえる。
何かが床を引っかく音。
一体ではない。
複数。
「右の通路から来る」
全員が武器を構えた。
ウィルは前へ出ようとして、足を止める。
先ほど決めたばかりだ。
一人で倒すのではない。
「俺が最初の攻撃を受ける。左右から仕掛けてくれ」
「分かった」
暗闇の奥から、四つの光が浮かび上がった。
目だった。
続いて、低い姿勢で走る魔物が姿を現す。
黒い甲殻に覆われた獣。
前脚だけが異様に大きく、先端には鋭い爪が伸びている。
さらに、その後ろから二体。
三体の魔物が、横一列に並んだ。
「来るぞ」
中央の一体が地面を蹴った。
速い。
ウィルは剣を抜き、振り下ろされた爪を受け止める。
腕へ重い衝撃が走った。
一体だけでも、先ほどゲイルが倒した魔物に近い力がある。
正面から押し返すのは難しい。
以前のウィルなら、そのまま力比べをしていた。
だが、今は一人ではない。
「右へ流す!」
ウィルは叫び、爪を受けたまま身体を捻った。
魔物の力を利用し、攻撃の向きをずらす。
体勢を崩した魔物の横から、仲間の攻撃が入った。
甲殻の隙間へ刃が突き刺さる。
魔物が叫び、振り返ろうとする。
「前を見ろ」
ウィルは踏み込み、剣を振り下ろした。
首元の甲殻へ刃が当たる。
硬い。
一撃では断てない。
すぐに後方へ跳ぶ。
直後、別の魔物の爪が、先ほどまでウィルがいた場所を抉った。
「二体目を止める!」
仲間から声が飛ぶ。
ウィルは答えずに動こうとして、思い直した。
「任せる!」
自分がすべてを相手にする必要はない。
一体目へ集中する。
傷ついた魔物が口を開き、ウィルへ飛びかかる。
視線は爪へ。
だが、それだけを見ない。
肩。
後ろ脚。
身体の傾き。
仲間たちの位置。
すべてを意識する。
魔物の右前脚が上がった。
ウィルは左へ避けようとした。
その瞬間、ゲイルとの戦いが頭をよぎる。
見えている攻撃だけが、本当の攻撃とは限らない。
ウィルは足を止め、後方へ下がった。
直後。
魔物の尾が、地面すれすれを薙ぎ払った。
爪は囮。
本命は尾だった。
「見えた」
尾を振り切った魔物の身体が、大きく傾いている。
ウィルは前へ出た。
首元につけた傷へ、剣を突き込む。
甲殻の隙間を刃が貫いた。
魔物の身体が震える。
ウィルは剣を引き抜き、さらに横へ斬った。
首が半ばまで裂ける。
魔物は数歩よろめき、床へ倒れた。
「一体!」
声を上げ、周囲を確認する。
二体目は仲間たちが押さえている。
三体目は、その横を抜けて後方へ回ろうとしていた。
「後ろへ行くぞ!」
ウィルの声に、仲間が反応する。
三体目の前へ攻撃が放たれ、進路を塞いだ。
魔物が足を止める。
その隙に、ウィルは側面へ回り込んだ。
一人では作れない隙。
一人では届かない位置。
仲間がいるから、攻撃できる。
「今だ!」
複数の攻撃が重なった。
甲殻が割れ、魔物が倒れる。
残る一体も、すぐに囲まれた。
それでも強い。
爪を振るうたびに床が砕け、破片が飛ぶ。
ウィルは正面で攻撃を受け流す。
仲間が背後を狙う。
魔物が振り返れば、ウィルが斬る。
ウィルを狙えば、左右から攻撃が入る。
少しずつ傷が増えていく。
最後は、ウィルが脚の関節を斬った。
魔物が体勢を崩す。
「終わらせる!」
仲間たちの攻撃が、同時に急所へ突き刺さった。
魔物の身体が床へ沈む。
静かになった。
ウィルはしばらく剣を構えたまま、周囲を見回した。
ほかの気配はない。
「終わったよ」
リディアが言う。
「ああ」
ウィルは剣を下ろした。
一人で三体を倒したわけではない。
自分だけの力で勝ったわけでもない。
それでも、不思議と悔しさはなかった。
むしろ、一人で戦ったときよりも余裕が残っている。
誰も大きな傷を負っていない。
「これが、足りなかったものか」
「何が?」
「周りを見ることだ」
ゲイルとの戦いでは、目の前の相手しか見えていなかった。
今回の戦いでは、魔物だけではなく、仲間の位置と動きを見ていた。
それだけで、選べる行動が増えた。
「一つだけじゃないと思うけどね」
リディアが笑う。
「分かっている」
七年の差は、たった一度の戦闘で埋まらない。
だが、足りないものを一つずつ見つけていけばいい。
技術が足りないなら磨く。
経験が足りないなら戦う。
力が足りないなら鍛える。
そして、一人では届かないのなら、仲間の力を借りる。
ウィルは倒した魔物を確認した。
これほどの敵が、まだ入口に近い場所で三体も現れた。
この先には、さらに強い魔物が待っている。
危険な場所だ。
だが、強くなるための機会も、それだけ多い。
「進もう」
ウィルは暗い通路の先へ目を向けた。
「今度は急がないの?」
「急いで死ねば意味がない」
「少しは分かったみたいだね」
「最初から分かっていた」
「本当に?」
「ああ」
リディアの疑うような視線を受けながら、ウィルは歩き始めた。
ゲイルは、遥か先にいる。
今すぐ追いつくことはできない。
だが、一歩ずつなら進める。
倒した魔物の先。
通路の奥から、風が流れてきた。
同時に、微かな声が聞こえる。
「……助け……」
ウィルは足を止めた。
「今、聞こえたか」
「うん」
暗闇の先。
誰かがいる。
先遣隊の生存者かもしれない。
ウィルは剣を握り直した。
「急ぐぞ」
今度は、ゲイルを追うためではない。
生きている誰かを助けるために、ウィルたちは通路の奥へ走り出した。
次の第65話は、声の主を捜し、先遣隊の生存者からダンジョン内部の危険な情報を得る流れにつなげられます。




