第63話 七年の差
北部山岳地帯へ到着した翌朝。
調査隊は、新ダンジョンの入口前に集まっていた。
山崩れによって露出した岩壁。
その中央に、地下へ続く石造りの階段がある。
自然にできた洞窟ではない。
階段の左右には、何かの文字が刻まれた黒い柱が立っている。
長い年月を経ているはずなのに、表面にはほとんど傷がなかった。
「近づくだけで嫌な感じがするね」
リディアが入口を見つめながら呟いた。
「ああ」
ウィルも同じものを感じていた。
冷気ではない。
魔物の気配とも違う。
階段の奥から、濃い魔力が流れ出している。
それは目に見えない泥のように、足元へまとわりついてくる。
入口に立っているだけで、身体が重く感じられた。
「先遣隊は、ここから入ったんだよね」
「戻った者はいない」
「入口から数百歩の場所で、Aランク級の魔物が出た」
ウィルは装備を確認した。
剣。
防具。
回復薬。
毒消し。
ガチャから得た報酬も、すぐ使える位置に入れてある。
「無理だと思ったら戻る」
ウィルが言うと、リディアが目を丸くした。
「ウィルがそれを言うんだ」
「死ねばゲイルを倒せない」
「理由はそれだけ?」
「お前たちも死なせない」
リディアは少しだけ笑った。
「それならいいよ」
調査隊の先頭には、王国槍士団が並んでいる。
中央にいるのは、ゲイル。
銀色の鎧。
背中には、雷を思わせる紋様が刻まれた長槍。
周囲の兵士たちは緊張しているが、ゲイルだけは平然としていた。
まるで、これから入る場所が危険なダンジョンではなく、見慣れた訓練場であるかのように。
「これより調査を開始する!」
槍士団の兵士が声を張り上げた。
「第一隊は槍士団! 第二隊以降は一定の距離を保って進め! 勝手な行動は慎め! 発見した物資や宝箱には手を触れず、必ず報告すること!」
冒険者たちから、小さな不満の声が漏れた。
命をかけて入るのに、見つけた物まで王国の管理下に置かれる。
納得できない者もいるのだろう。
だが、この場で逆らう者はいなかった。
ゲイルが槍を手に取る。
「進め」
その一言で、槍士団が階段を下り始めた。
ウィルたちも少し遅れて、そのあとを追った。
◇
階段は、どこまでも地下へ続いていた。
壁には一定間隔で青白い石が埋め込まれている。
明かりを持たなくても、足元が見えるほどの光を放っていた。
「誰かが作った場所なのかな」
リディアが壁へ視線を向ける。
「古い遺跡型のダンジョンかもしれない」
「ダンジョンが遺跡を取り込んだってこと?」
「逆かもしれない」
「逆?」
「最初から、ダンジョンとして作られた」
ウィルの言葉に、リディアが口を閉じた。
この世界には、まだ分かっていないことが多い。
ダンジョンがいつ生まれたのか。
ダンジョンコアが何のために存在しているのか。
なぜ内部から魔物や宝箱が現れるのか。
探索者たちは、それらを利用しているだけだ。
答えを知っている者はいない。
階段を下り始めてから、しばらく経った。
先頭を進んでいた槍士団が止まる。
ウィルも足を止めた。
「何かいる」
暗闇の奥から、石を削るような音が響いた。
ガリッ。
ガリッ。
重いものを引きずる音。
やがて青白い光の中へ、巨大な影が姿を現した。
四本の腕。
岩のような皮膚。
頭部には目がなく、大きく裂けた口だけがある。
片手には、先遣隊のものと思われる折れた剣を握っていた。
「構えろ!」
槍士団が一斉に槍を向ける。
魔物が口を開いた。
「ォォォォォォォ!」
狭い通路を、咆哮が突き抜けた。
空気が震える。
後方にいた冒険者の何人かが、耳を押さえて膝をついた。
魔力を含んだ咆哮。
身体の自由を奪う種類の攻撃だ。
ウィルも一瞬、足が重くなる。
だが、剣を抜いた。
「前へ出る」
「待って、ウィル!」
リディアの声を背中で聞きながら、魔物へ向かおうとする。
その直前。
「必要ない」
ゲイルが動いた。
銀色の影が、槍士団の間を抜ける。
魔物が四本の腕を振り上げた。
ゲイルは止まらない。
長槍の先端に、青白い雷が集まった。
「遅い」
一閃。
雷鳴が地下を揺らした。
ゲイルの槍が、魔物の胸を貫いていた。
分厚い岩のような皮膚。
ウィルの剣でも、簡単には斬れないと感じた。
それを、ゲイルは何の抵抗もなかったように貫いた。
魔物の身体を、雷が駆け巡る。
四本の腕が力を失った。
巨大な身体が床へ倒れ、通路全体が揺れる。
一撃だった。
冒険者たちから歓声が上がる。
「すげえ……」
「あれが雷槍か」
「本当に一人で倒したぞ」
「Aランク級だろ、あれ」
ゲイルは倒れた魔物から槍を引き抜いた。
息一つ乱れていない。
槍についた血を振り払い、ウィルへ視線を向ける。
「今の魔物を見て、前へ出ようとしたか」
「ああ」
「変わっていないな」
ゲイルの口元に笑みが浮かぶ。
「力もないのに、気持ちだけでどうにかしようとする」
ウィルは剣を握り締めた。
「俺が倒せなかったと決まったわけじゃない」
「なら、試してみるか?」
周囲が静かになった。
ゲイルは槍を肩へ担ぐ。
「七年間、俺を倒すことだけを考えていたのだろう?」
「ああ」
「今の自分が、どこまで届くのか知りたいとは思わないか?」
「ゲイル副団長」
近くにいた兵士が戸惑った声を上げる。
「ここはダンジョン内です。私闘は――」
「殺しはしない」
ゲイルはウィルから目を離さなかった。
「少し確かめるだけだ」
「ウィル、乗らなくていい」
リディアが小声で言った。
「挑発してるだけだよ」
「分かっている」
「なら――」
「それでも、確かめる」
今の自分と、ゲイル。
どれほど差があるのか。
分からないまま最深部へ進む方が危険だった。
勝てるとは思っていない。
だが、一撃も届かないほど離れているのか。
工夫すれば傷をつけられるのか。
それだけでも知っておきたい。
「場所を変える」
ウィルは通路の先を見た。
「ここでは狭い」
「いいだろう」
ゲイルが歩き出す。
槍士団の兵士たちは止めようとしたが、副団長へ強く逆らえる者はいなかった。
倒した魔物の先には、広い部屋があった。
床には、先遣隊が戦った跡が残っている。
割れた盾。
砕けた杖。
乾いた血。
ゲイルは部屋の中央まで進むと、ウィルへ振り返った。
「好きなときに来い」
構えすら取らない。
槍の石突きを床へ置き、片手で支えているだけだ。
ウィルは剣を正面に構えた。
呼吸を整える。
相手は格上。
正面から斬りかかっても届かない。
速さ。
間合い。
槍の動き。
すべてを見なければならない。
「始めろ」
ゲイルが言った。
ウィルは床を蹴った。
一直線には進まない。
左へ動き、すぐに右へ踏み込む。
槍は剣より間合いが長い。
まず穂先を避け、懐へ入る。
ゲイルの腕が動いた。
長槍が突き出される。
速い。
だが、見えないほどではない。
ウィルは身体を捻り、穂先を避けた。
頬を風がかすめる。
さらに踏み込む。
届く。
そう思った瞬間。
ゲイルの槍が消えた。
「なっ――」
柄が横から飛んできた。
剣で受ける。
金属同士がぶつかり、激しい音が響いた。
腕が痺れる。
身体ごと横へ弾き飛ばされた。
床を転がり、剣を突き立てて止まる。
ゲイルは、最初の場所からほとんど動いていなかった。
「立て」
言われるまでもない。
ウィルは立ち上がった。
今の一撃。
本気ではない。
殺すつもりなら、柄ではなく穂先を使っていた。
「もう一度だ」
ウィルは剣を握り直した。
ゲイルの槍を警戒しながら距離を詰める。
今度は自分から攻撃しない。
相手が動くのを待つ。
「待てば隙ができると思ったか?」
ゲイルが踏み込んだ。
速さが、先ほどとは違う。
槍の穂先が三つに見えた。
どれが本物か判断できない。
ウィルは勘で剣を振った。
一つ目は消える。
二つ目も消える。
三つ目だけが残った。
穂先が、ウィルの肩をかすめる。
防具が裂け、血が飛んだ。
浅い。
だが、避けるので精一杯だった。
次の瞬間、槍の柄が足元を払う。
ウィルの身体が宙へ浮いた。
背中から床へ落ちる。
肺から空気が抜けた。
「ぐっ……」
起き上がろうとしたウィルの喉元へ、槍の穂先が突きつけられた。
終わっていた。
剣を振る機会すらなかった。
「七年」
ゲイルが静かに言った。
「お前が鉱山で過ごしている間、俺は毎日戦っていた」
ウィルは槍の先を見つめる。
「魔物を倒した。ダンジョンを攻略した。何度も死にかけ、それでも生き残った」
「……だから何だ」
「お前が苦しんでいる間、俺が何もしていなかったとでも思ったか?」
槍が引かれる。
ゲイルはウィルへ背を向けた。
「憎しみだけで埋められるほど、七年は短くない」
ウィルは剣を支えにして立ち上がった。
肩から血が流れている。
身体よりも、言葉の方が深く刺さっていた。
分かっていたことだった。
ゲイルも強くなっている。
自分だけが進んでいるわけではない。
頭では理解していた。
それでも、どこかで思っていた。
ガチャがある。
仲間がいる。
多くのダンジョンを攻略してきた。
もう、手が届く場所まで来ているのではないかと。
違った。
一度も剣が届かなかった。
本気を出させることすらできなかった。
「これで分かっただろう」
ゲイルが振り返る。
「お前では俺に勝てない」
「まだだ」
ウィルは剣を構え直した。
リディアが駆け寄ろうとする。
だが、ウィルは手で制した。
「まだ終わっていない」
「終わっている」
ゲイルの姿が消えた。
直後。
腹部へ強い衝撃が走った。
槍の石突き。
ウィルの身体が後方へ吹き飛ばされ、壁へ叩きつけられた。
視界が白く染まる。
剣が手から離れ、床へ落ちた。
立とうとしても、足に力が入らない。
ゲイルが近づいてくる。
足音が止まる。
「今のお前は、俺の敵ではない」
遠くから聞こえるような声だった。
「復讐を望むなら、せめて俺に槍を使わせてみろ」
ゲイルはそれだけ言い残し、部屋を出ていった。
槍士団の兵士たちが、そのあとを追う。
冒険者たちも、何も言えないまま移動を再開した。
残ったのは、倒れたウィルと仲間たちだけだった。
「ウィル!」
リディアが駆け寄り、身体を起こす。
「薬を――」
「いらない」
「いるよ!」
「まだ動ける」
「動けてないでしょ!」
強い声に、ウィルは黙った。
リディアが回復薬を取り出し、傷口へかける。
裂けた肩が、ゆっくりと塞がっていく。
「だから言ったのに」
「すまない」
ウィルが謝ると、リディアの手が止まった。
「……謝るんだ」
「心配をかけた」
「負けたことは?」
「謝らない」
「うん。それでいい」
リディアは治療を続けた。
床に落ちた父の剣。
ウィルはそれを見つめる。
悔しい。
身体の痛みなど、どうでもいい。
一撃も届かなかった。
ゲイルは槍の能力すら使っていない。
雷をまとわせることもなく、技と速さだけでウィルを倒した。
これが、七年の差。
今のままでは勝てない。
だが。
「戻らない」
ウィルは言った。
「うん」
「このダンジョンを攻略する」
「うん」
「ゲイルより先に、最深部へ行く」
「それは難しいかもしれないよ」
「分かっている」
ウィルは剣へ手を伸ばした。
柄を握り、身体を起こす。
「それでも追う」
七年の差がある。
一度の戦いでは埋まらない。
普通なら、追いつくまでにさらに何年もかかる。
だが、このダンジョンには、これまでにない魔物がいる。
大量の経験値。
大量のガチャチケット。
まだ見たことのない報酬。
ここで強くなる。
ゲイルが想像できないほどの速度で。
「次は、槍を使わせる」
ウィルは、ゲイルが消えた通路を睨んだ。
「その次は、膝をつかせる」
負けた。
完敗だった。
だからこそ、はっきりと分かった。
何が足りないのか。
どれほど強くならなければならないのか。
ウィルは再び歩き出した。
七年の差を、ここから埋めるために。




