第59話 音を塞ぐ
ベルクは、風袋ネズミから取り出した空気袋を指で押した。
柔らかくへこむ。
指を離すと、ゆっくり元の形へ戻った。
「ずいぶん変な素材を持ってきたな」
「風を溜める」
「見りゃ分かる」
「穴を塞げるか?」
「何の穴だ」
俺は風鐘甲虫の絵を作業台へ置いた。
丸い背中。
四つの穴。
風を吸い込み、低い音を放つ。
ベルクはしばらく黙って絵を見た。
「こいつの大きさは?」
「俺たち二人より大きい」
「穴は?」
「拳が入るくらいだ」
「四つ全部か?」
「ああ」
「近づけるのか?」
「近づけないから聞いている」
「そうだろうな」
ベルクが空気袋を裏返す。
内側には、細かな筋が何本も走っていた。
「柔らかいが、ただの革より風を通しにくい。折り畳めば栓にはなる」
「音を止められるか?」
「知らん」
「試せないのか」
「馬鹿でかい甲虫を工房へ連れてこい。試してやる」
「無理だ」
「なら、分からん」
正しい。
ベルクは作業台の下から、厚い革と布を取り出した。
「空気袋を芯にして、外を革で包む。完全に穴へ入れず、入口へ引っかける形にする」
「抜けないか?」
「抜ける。だから凍らせろ」
リディアが栓を手に取る。
「私の魔法で固定するんですね」
「風を吸い込んでいるなら、氷だけを作っても砕かれる。こいつを先に押し込んで、その周りを凍らせろ」
「四つ作れるか?」
「素材が足りねえ」
風袋ネズミから回収できた空気袋は、一つ。
四つに分ければ、一つずつが薄くなる。
「二つなら、まともな物が作れる」
「残り二つは?」
「厚布を重ねる。空気袋入りよりは弱い」
ベルクが《軽量投げ杭》を作業台へ置いた。
「栓の中央へ、この杭を通す」
「投げるのか?」
「近づけねえんだろ?」
「ああ」
「なら投げろ。後ろへ細い縄をつければ、外しても引き戻せる」
縄には、風糸グモから回収した糸を混ぜる。
細く、風の影響を受けにくい。
だが、見えにくい。
自分たちで足を取られないよう、赤い布を結ぶ。
「穴へ入るか?」
俺が尋ねる。
「一度で入ると思うな」
「思っていない」
「ならいい」
ベルクは四つの栓を並べた。
二つは空気袋入り。
二つは厚布だけ。
「塞いだあと、甲虫の中で風が暴れるかもしれねえ」
「ああ」
「近くに立ち続けるな」
「ああ」
「盾があるから平気だと思うな」
「思っていない」
「外套もだ」
「分かっている」
ベルクが俺を見る。
「本当に分かってる奴は、毎回こんな傷を増やさねえ」
作業台の横に置いた《沼甲の円盾》には、裂風イタチの傷が残っている。
「傷がない盾は、使っていない盾だ」
「壊すまで使えとは言ってねえ」
ベルクが盾の表面へ補修用の油を塗る。
「戻ってきたら、また持ってこい」
「壊れていなくても?」
「傷を増やしてくるんだろ」
その可能性は高い。
◇
翌日。
エドガーへ作戦を説明した。
風鐘甲虫の穴へ、四つの栓を入れる。
リディアが凍結させる。
音が弱まったら、俺が近づく。
「音が弱まらなかったら?」
「戻る」
「穴を塞いで甲殻が破裂したら?」
「戻る」
「栓が一つしか入らなかったら?」
「その場で判断する。無理なら戻る」
エドガーは頷いた。
「倒すための道具じゃない。近づけるかを確かめる道具だと思え」
「ああ」
「一度成功しても、次も同じになるとは限らん」
「ああ」
リディアが四つの栓を確認する。
それぞれに赤い布を結んである。
「私が外した場合は、ウィルさんが回収してください」
「戦闘中でなければな」
「戦闘中でも、拾いに行きそうなので言いました」
「行かない」
「本当ですか?」
「栓より命の方が高い」
エドガーが小さく笑った。
「ベルクに言われたか?」
「ああ」
「覚えておけ」
◇
四階へ入る。
今回も、入口へ杭を打った。
命綱を結ぶ。
リディアは《風読みの耳飾り》を外している。
耳栓も、円形空間へ入る前に装着した。
右側の通路を進む。
低い音が身体へ響く。
昨日つけた赤い風見布は、まだ残っていた。
円形空間の手前で止まる。
風鐘甲虫は、同じ場所にいた。
風穴を塞ぐように、青黒い背中をこちらへ向けている。
「四つ、見えます」
リディアが小声で言う。
「右上、右下、左上、左下です」
「最初は右下」
「はい」
低い位置の穴なら、投げやすい。
空気袋入りの栓を《軽量投げ杭》へ取りつける。
後ろの糸が絡んでいないことを確認する。
風鐘甲虫の触角が動いた。
「気づかれます」
「ああ」
投げる。
灰色の杭が飛ぶ。
右下の穴。
少し外れた。
栓の端が甲殻へ当たり、床へ落ちる。
風鐘甲虫が振り返った。
風を吸い込む。
「戻します!」
リディアが糸を引く。
栓が床を滑り、こちらへ戻る。
埃が、四つの穴へ集まっていく。
「下がれ!」
通路の壁へ身体を入れる。
ドオオオオオッ!
低い音。
入口の石壁が震える。
身体の内側まで揺れた。
だが、正面で受けてはいない。
音が弱くなる。
「もう一度だ」
「はい」
同じ右下。
今度は、少し左へ狙う。
投げる。
杭の先が穴へ入った。
栓が途中で止まる。
「凍結!」
白い氷が栓の周囲へ広がる。
甲殻と革の隙間を埋める。
風鐘甲虫が身体を揺らした。
氷に亀裂が入る。
それでも、栓は外れない。
「一つ!」
次は左下。
厚布だけの栓。
風鐘甲虫がこちらへ向きを変える。
六本の脚が床を蹴った。
「来ます!」
「先に止める!」
投げる。
栓は左下の穴へ当たった。
浅い。
「氷針!」
リディアの氷が杭の後ろへ当たる。
押し込む。
栓が穴へ半分入った。
「凍結!」
氷が広がる。
二つ目。
風鐘甲虫が止まった。
背中の穴へ風を吸い込む。
右下と左下は塞がっている。
上の二つだけに、埃が集まった。
「音が来ます!」
俺は盾を構える。
ドオオオッ!
昨日より短い。
力も弱い。
それでも、盾を押す圧力は残っている。
右足が半歩下がった。
《岩走りの戦靴》が止める。
「近づけます!」
「まだだ!」
上の穴から出た風が、天井へ当たっている。
石の欠片が落ちる。
風鐘甲虫が頭を下げた。
大きな角。
音だけではない。
地面を蹴り、突進してくる。
「右へ!」
リディアが左へ下がる。
俺は右へ動く。
風鐘甲虫が通路の入口へ突っ込む。
角が石壁へ当たった。
鈍い音。
壁が欠ける。
身体の向きを変える前に、三つ目を投げる。
右上。
杭は甲殻へ当たった。
穴へ入らない。
風鐘甲虫が脚を振る。
栓が踏まれた。
厚布が潰れる。
「一つ使えません!」
「三つでいい!」
残る空気袋入りの栓。
左上を狙う。
風鐘甲虫が身体を捻った。
穴が見えなくなる。
投げられない。
「氷壁!」
リディアが、甲虫の右側へ氷壁を作る。
進路を塞ぐのではない。
甲殻へ光を反射させる。
左上の穴が、白く浮かんだ。
「見えます!」
投げる。
杭が穴へ入る。
「凍結!」
三つ目が固定された。
残る穴は、右上だけ。
風鐘甲虫が大きく身体を震わせた。
青黒い甲殻の内側から、低い音が漏れる。
オオ……。
オオオ……。
音が一定にならない。
塞がれた三つの穴の氷が、内側から押されている。
「離れろ!」
俺とリディアが通路へ下がる。
次の瞬間。
右上の穴から、白い風が噴き出した。
甲殻の一部が割れる。
破片が天井へ当たる。
風鐘甲虫の身体が傾いた。
六本の脚のうち、右側の二本が床から浮く。
「今なら近づけます!」
「ああ!」
前へ出る。
風鐘甲虫が角を向ける。
まだ動ける。
突進。
真正面から受けない。
左へ半歩。
円盾を角の側面へ当てる。
甲虫の頭を右へ流す。
重い。
腕輪が熱を持つ。
肩へ衝撃。
だが、足は崩れない。
《高所平衡・極》が、身体の傾きを伝える。
腰を落とす。
盾を押し返す。
風鐘甲虫の角が床へ滑った。
「氷槍!」
リディアの前に、長い氷の槍が生まれる。
狙いは甲殻ではない。
割れた右上の穴。
氷槍が突き刺さった。
甲殻の内側で、何かが砕ける。
風鐘甲虫が脚を激しく動かした。
俺の盾へ身体をぶつける。
押される。
一歩。
もう一歩。
「ウィルさん!」
「まだ動ける!」
盾を離さない。
甲虫が頭を上げる。
角の下。
首と胴体をつなぐ柔らかい部分が見えた。
円盾で角を上へ押し上げる。
右手の剣を振る。
《疾風の鋼剣》が、風の補助を受けて加速した。
首の下へ刃が入る。
深く。
硬い部分へ当たるまで押し込む。
風鐘甲虫の脚が止まった。
再び動く。
剣を抜かない。
盾で頭を床へ押さえる。
「もう一度、氷針を!」
「はい!」
氷針が、首の傷へ突き刺さる。
身体が一度だけ大きく震えた。
そのあと。
動かなくなった。
すぐには近づかない。
剣を抜き、後ろへ下がる。
石弾を甲殻へ当てる。
反応はない。
《風鐘甲虫》を初めて討伐しました。
ガチャチケットを1枚獲得しました。
所持ガチャチケット:6枚
風鳴りの塔迷宮討伐記録:10/10
風鳴りの塔迷宮の通常討伐記録をすべて埋めました。
迷宮主を討伐することで、完全攻略となります。
「十種類ですか?」
「ああ」
「終わりではないんですね」
「迷宮主が残っている」
リディアが風鐘甲虫を見る。
「この魔物より、強いんでしょうか」
「たぶんな」
「戻りますか?」
「ああ」
魔力を使っている。
盾も腕も衝撃を受けた。
未知の迷宮主へ進む状態ではない。
風鐘甲虫の素材を回収する。
割れた甲殻。
四つの風穴がある背中の一部。
大きな角。
魔石。
凍らせた栓も、外せるものだけ回収した。
一つは甲殻の奥へ入り、取れない。
「ベルクさんに怒られますか?」
「栓を失ったことでは怒らない」
「盾の傷ですか?」
「ああ」
円盾の縁が少し削れている。
壊れてはいない。
それでも、工房へ持っていく必要がある。
◇
四階入口の石室へ戻った。
正面の石扉。
左の通路。
右の通路。
右側の低い音は、もう聞こえない。
「静かです」
リディアが耳栓を外す。
「ああ」
隠し階段へ向かおうとしたとき。
背後で石が動いた。
ゴゴゴゴゴ……。
正面の石扉。
中央に、縦の隙間ができている。
「開いています」
「離れろ」
俺たちは左右へ分かれる。
石扉がゆっくりと二つに割れた。
向こう側は暗い。
魔石灯の光も、奥までは届かない。
扉の先にあるのは、上へ続く螺旋階段だった。
壁はない。
塔の中央を囲むように、細い石段だけが続いている。
その上から。
風が下りてきた。
強い風ではない。
ゆっくりとした、長い呼吸のような風。
リディアが杖を握り直す。
「上に、何かいます」
「ああ」
階段のずっと上。
暗闇の中で。
二つの淡い光が開いた。
目だ。
こちらを見ている。
翼のような大きな影が、ゆっくり動いた。
「今日は行かない」
「はい」
石扉は開いたまま。
だが、影は降りてこない。
俺たちは背を向けず、隠し階段まで下がった。
通常討伐記録:10/10。
所持ガチャチケット:6枚。
残るのは、塔の最上部にいる迷宮主。
姿は、まだ見えない。
それでも。
次に戦う相手が、俺たちを見ていた。




