第56話 地図に増えた階段
風袋ネズミの素材を、ベルクが光へ透かしていた。
首から胸へ続いていた薄い袋。
中身を抜き、きれいに洗ってある。
「破れた場所を除けば、状態はいい」
「使えるか」
「使い道はある。ただ、今すぐ装備にはならねえ」
ベルクが袋の口へ細い管を入れた。
息を吹き込む。
薄い袋が、ゆっくりと膨らんだ。
手を離しても、すぐには萎まない。
「空気を溜められる」
「見れば分かる」
「普通の革袋より軽く、縮めれば小さくなる。だが、問題は空気を出す方法だ」
「口を開けばいいのでは?」
リディアが尋ねる。
「一気に出る。魔物は筋肉を使って、量と向きを調整していた」
ベルクが、袋の内側に走る細い筋を指した。
「同じことを道具でやるなら、弁が必要だ」
「作れるか」
「試せる。ただし、すぐには無理だ」
空気を溜める道具。
水中で呼吸するために使えるかもしれない。
火を強くするためにも使える。
風のない場所で、風見布を動かすこともできる。
「迷宮の仕掛けへ風を送る用途は?」
「袋一つじゃ足りねえだろうな」
「少し動かすだけなら?」
「仕掛け次第だ」
ベルクが袋を置き、風袋ネズミの前脚を見る。
長い指。
先端には、小さな爪。
「こっちは壁を登るための物だ。手袋へつけるには短い」
「いらない」
「何でも装備にすると思うなよ」
「聞いただけだ」
「顔が少し残念そうでした」
リディアの言葉は無視する。
「今日は三階の残りを調べるんだな」
「ああ」
「魔物を倒しに行くわけではありません」
リディアが先に説明した。
「分かっている」
ベルクは、俺ではなくリディアに答えた。
「閉じた石板を戻す仕掛けを探す。四階へ続く道が見つかっても、その先には入らない」
「入口の確認はする」
「入らない」
「状況による」
「入らない」
また声が重なった。
「分かった」
「今の返事は信用していいんでしょうか」
「必要だと判断すれば戻る」
「判断する前に、一度相談してください」
「ああ」
◇
三階。
右側の三部屋は、すでに確認している。
一つ目。
縦穴と、二本の石板。
二つ目。
三枚の仕切り石板と、押し込む柱。
三つ目。
風袋ネズミの巣。
今日は、左側の部屋から調べる。
最初の小部屋。
扉は閉じている。
風見布を近づける。
動かない。
「風がありません」
「中に穴がないのかもしれない」
石弾を転がす。
反応なし。
扉を押す。
軽い。
少し力を入れただけで開いた。
木の楔を下へ入れる。
「赤い線は見えています」
リディアが確認する。
「ああ」
室内は四角い。
中央に、腰ほどの高さの石台。
天井から、三本の鎖が下がっていた。
鎖の先には、丸い石。
石台の上には、三つの窪み。
「鎖の石を、台へ置く仕掛けでしょうか」
「重さを使うのかもしれない」
鎖へ触れない。
先に壁と床を調べる。
壁の上部に細い隙間。
風見布を近づけても動かない。
石台の下には、金属の軸がある。
「三つ全部を置けば、何か動く」
「置く順番があるかもしれません」
「ああ」
部屋の入口へ、白いチョークで三角印。
未操作。
「今日は動かさないんですか?」
「他の部屋を見てからだ」
「安心しました」
二つ目の小部屋。
扉は開いている。
中には何もない。
床の中央に、円形の石板。
石板の周囲へ、三本の溝が伸びていた。
一つは右側の部屋へ。
一つは左側の部屋へ。
もう一つは、中央の吹き抜け方向。
「風の道です」
リディアが言う。
「ああ」
円形の石板には、矢印が刻まれている。
今は右側を向いていた。
「回せそうだ」
石板の縁へ手をかける。
動かない。
「固定されていますか?」
「力だけでは無理だ」
床の溝へ赤い風見布を置く。
右側の溝。
布が強く吸われた。
左側。
動かない。
吹き抜け側。
弱い風が入ってくる。
「吹き抜けから入った風が、右の部屋へ流れています」
「右は、昨日石板が閉じた部屋の方向です」
「ああ」
円形の石板が、風の行き先を切り替える。
だが、動かすための仕掛けがない。
「一つ目の鎖かもしれない」
「重りを置くと、床の固定が外れる?」
「可能性はある」
まだ操作しない。
三つ目。
左側の最後の小部屋。
扉は半分崩れていた。
中へ入る前に、天井を確認する。
落ちそうな石はない。
床へ石弾。
奥まで転がった。
「風の音が強いです」
リディアが右耳を押さえる。
「いくつだ」
「一つです。でも、とても低い音です」
部屋の奥。
壁一面に、大きな石の輪が埋め込まれていた。
輪の内側には、羽根のような石板が六枚。
風車。
だが、動いていない。
床には、風袋ネズミが運んだらしい木の実の殻と、小石。
石の羽根の隙間にも、細かなごみが詰まっている。
「これが止まっている原因かもしれない」
「風車が動けば、他の仕掛けも動くんでしょうか」
「分からない」
「掃除しますか?」
「ああ。ただし、直接手を入れない」
風車が突然動けば、指を挟まれる。
《軽量投げ杭》へ細い縄を結ぶ。
羽根の隙間へ詰まった木片を狙う。
投げる。
杭の先が木片へ引っかかった。
縄を引く。
木片が少し動く。
もう一度。
外れた。
床へ落ちる。
「動きません」
「まだ詰まっている」
別の隙間。
木の実の殻。
乾いた草。
小さな骨。
風袋ネズミが巣の材料を運び、風車の中へ押し込んだらしい。
「穴の中を安全な場所だと思ったんでしょうか」
「風が止まっていたからな」
軽量杭で、一つずつ取り除く。
十個。
二十個。
見えているごみをすべて取った。
それでも風車は動かない。
「奥に何かあります」
リディアが、風車の下を指した。
羽根の奥。
灰色の布のような物。
「風袋ネズミの袋か?」
「違うと思います」
軽量杭を入れる。
先が引っかかる。
縄を引く。
重い。
「一緒に引きます」
リディアが縄をつかむ。
二人で下がる。
灰色の物が、少しずつ出てきた。
古い革袋。
表面が裂けている。
中から、小さな金属片がいくつも落ちた。
「冒険者の荷物でしょうか」
「古い」
革は乾き、触れれば崩れそうだ。
金属片は、壊れた留め具。
小さな短剣の柄。
文字の消えた札。
「誰かが、ここまで来ていた」
「協会の記録にはありませんでした」
「戻らなかった可能性がある」
袋の奥。
白い物が見えた。
骨。
人間の指ほどの長さ。
だが、形が違う。
鳥か、小型魔物の骨。
「人間の骨ではない」
リディアが息を吐いた。
「荷物だけを風袋ネズミが運んだのかもしれない」
「ああ」
金属片を布へ包む。
持ち主が分かる物はない。
それでも、協会へ渡す。
「風車を動かしますか?」
「下がれ」
二人で入口まで戻る。
安全帯を確認。
扉の外から、長い縄を風車の羽根へかける。
「引くぞ」
「はい」
縄を引く。
石の羽根が、少しだけ動いた。
ゴリッ。
重い音。
もう一度。
風車が半周する。
止まった。
「風が変わりました!」
リディアが耳飾りへ触れる。
吹き抜け側から、強い風が部屋へ入ってくる。
風車の羽根が押される。
ゴリッ。
ゴリッ。
ゆっくり回り始めた。
壁の奥で、複数の歯車が動く音。
塔全体へ響く。
「他の部屋も動いています!」
「戻るぞ!」
通路へ出る。
二つ目の部屋。
床の円形石板が震えている。
右を向いていた矢印が、少しずつ中央へ動いた。
だが、途中で止まる。
「固定が残っています」
「ああ」
一つ目の鎖だ。
◇
三本の鎖が下がる部屋。
石の重り。
石台の窪み。
「置く順番を間違えれば?」
リディアが尋ねる。
「戻せるように縄をつける」
鎖の石へ一本ずつ縄を結ぶ。
もし床や扉が動いても、入口から引き戻せる。
三つの石には、形があった。
丸。
三角。
四角。
石台の窪みも、同じ形。
「形を合わせればいいんですね」
「順番は分からない」
「風の強さは?」
リディアが、それぞれの鎖へ耳を近づける。
「丸い石の上から、弱い風。三角はありません。四角は、下からです」
見取り図を見る。
縦穴のある一つ目の部屋。
石板の二つ目。
風袋ネズミの三つ目。
円形石板の部屋。
風車の部屋。
「下からの風を先に通す」
「四角ですか?」
「ああ」
四角い石を持ち上げる。
見た目より軽い。
中が空洞なのかもしれない。
石台の四角い窪みへ置く。
ゴン。
床の下で音。
何も起きない。
「次は丸」
「理由は?」
「風車が回っている。回る物は丸だ」
「根拠が弱いです」
「他にない」
「では、入口から見ています」
丸い石を置く。
二つ目。
石台が少し沈んだ。
通路の向こうで、石が擦れる音。
「円形石板が動いています!」
リディアが扉から見る。
隣の部屋。
床の矢印が、中央から左へ動いた。
完全には止まらない。
「最後」
三角の石。
縄を確認する。
置く。
石台が、もう一段沈んだ。
ゴゴゴゴ……。
大きな音。
扉が閉じる様子はない。
床も動かない。
「どこですか?」
「外へ出る」
通路。
二つ目の部屋。
床の円形石板が回っている。
矢印が、左側の部屋を向いた。
その瞬間。
強い風が溝を通る。
左の最後の部屋。
風車の回転が速くなる。
壁の奥。
歯車。
鎖。
石が持ち上がる音。
右側の二つ目の部屋から、重い音が響いた。
「閉じていた石板です!」
二人で向かう。
三枚の仕切り石板。
一枚目が、壁の中へ戻っていく。
二枚目。
三枚目。
部屋の奥まで、再び道が開いた。
「戻りました」
「ああ」
柱の窪みも、元の位置へ出ている。
だが、以前と違う場所がある。
部屋の奥。
柱の後ろ。
壁の一部が横へ動いていた。
人一人が通れる入口。
その先に、上へ続く細い階段が見える。
「四階への道……」
「おそらくな」
正面の崩れた床の向こうに見えていた階段ではない。
三階の小部屋を動かすことで現れる、別の階段。
「入りますか?」
「入口だけ確認する」
「入口だけです」
「ああ」
◇
細い階段。
両側は石壁。
風は弱い。
安全帯をつなぐ場所はない。
代わりに、手すり用の縄を二人の腰へつなぐ。
離れすぎないための縄。
「私が後ろです」
「ああ」
一段ずつ上る。
階段は、途中で右へ曲がった。
上から弱い光。
四階。
入口は、小さな石室だった。
中央に吹き抜けはない。
床も平ら。
正面に、石の扉が一つ。
左右には、細い通路。
風見布を出す。
布は、右側へゆっくり流れた。
「今までの階より、風が弱いです」
リディアが耳飾りへ触れる。
「音は?」
「遠くに、一つだけです」
「魔物か」
「分かりません。低くて、長い音です」
右側の通路から。
ゴオオオ……。
風が洞窟を通るような音。
一定ではない。
少しずつ近づき。
また遠ざかる。
「今日はここまでだ」
俺は白いチョークを取り出す。
階段の横へ丸印。
入口確認済み。
左右の通路は未確認。
「進まないんですね」
「進む理由がない」
「魔力は残っています」
「仕掛けを動かしたあとだ。戻る道が同じ状態とは限らない」
リディアが少し笑った。
「何だ」
「いいえ」
「言え」
「エドガーさんへ、そのまま報告できます」
「当然だ」
四階の部屋を、入口から確認する。
床に足跡はない。
壁に傷もない。
魔物の姿もない。
今日は一体も倒していない。
チケットも増えていない。
それでも、目的は達成した。
「戻るぞ」
「はい」
◇
三階へ下りる。
仕掛けは、まだ動いていた。
風車。
円形石板。
三つの重り。
どれかが止まれば、四階への入口が閉じる可能性がある。
「重りは外しますか?」
「一つずつ試す」
最初に三角。
石台から持ち上げる。
風車の回転が遅くなった。
だが、四階への壁は開いたまま。
次に丸。
円形石板が右へ戻り始める。
隠し階段の壁が動いた。
「閉じます」
「ああ」
完全に閉じる前に、位置を確認する。
最後に四角。
風車が止まった。
仕掛けは最初の状態へ戻った。
「開け方は分かりました」
「四角、丸、三角の順だ」
「外すときは逆です」
「ああ」
見取り図へ書き込む。
重りの形。
順番。
風車の場所。
円形石板の向き。
隠し階段。
昨日まで空白だった三階の地図が、線と矢印で埋まっていく。
「残る部屋は?」
「右側の四つ目だけです」
最初に見た見取り図では、右に四部屋。
確認したのは三つ。
最後の一室は、風袋ネズミの巣より奥。
「今日は行かない」
「はい」
リディアは即答した。
「反対しないのか」
「四階への道を見つけました」
「ああ」
「十分です」
討伐記録:8/10。
所持ガチャチケット:4枚。
数字は、昨日から変わっていない。
魔物を一体も倒していない。
新しい装備も、能力も得ていない。
だが。
帰還後、エドガーの机へ広げる地図には。
昨日まで存在しなかった階段が一本。
確かに増えていた。




