第55話 風を溜める小さな群れ
工房へ戻ったあと。
折れた木の楔を、ベルクへ見せた。
「だから言っただろ。巨大な仕掛けを止める物じゃねえ」
「止めた」
「一瞬だけな」
ベルクが、割れた木片を二つ合わせる。
中央から潰れている。
「硬い木に替えれば、もう少し持つ。ただし、石板の力が強ければ今度は弾き飛ばされるぞ」
「金属で作れば?」
リディアが尋ねる。
「仕掛けの方を壊す可能性がある。壊れた石板が落ちてきても困るだろ」
「では、木の方が安全なんですね」
「ああ。楔が壊れることで、仕掛けを守っている」
「俺は守られていない」
「だから挟まる前に逃げろ」
正しい。
ベルクは、新しい楔を作業台へ置いた。
昨日より少し太い。
中央には、赤い線が引かれている。
「この線が潰れ始めたら、長くは持たねえ」
「見ている時間はない」
「仲間が見ればいい」
リディアが一本を手に取る。
「私が確認します」
「頼む」
「俺が使う道具だ」
「ウィルさんは、仕掛けの内側にいる可能性が高いです」
反論できない。
「それから、穴の中にいた魔物」
ベルクが、俺たちの描いた絵を見る。
丸い身体。
短い脚。
首の下に膨らんだ袋。
「見たことは?」
「ねえな」
「協会の資料にもありませんでした」
リディアが言う。
エドガーにも確認した。
三階以降の魔物について、協会に残っている記録はない。
「石を飛ばしたんだな」
「ああ。袋へ風を溜めて、吐き出していた」
「身体は小さい」
「一体なら、それほど危険ではないと思います」
「三体以上いる」
穴の奥から聞こえた音。
見えた袋。
少なくとも三つ。
「狭い場所から一斉に撃たれれば面倒だな」
ベルクが《沼甲の円盾》を見る。
「盾で受け続けるか?」
「相手が穴から出なければ、こちらも攻撃できない」
「煙で追い出すのは?」
「塔の中で火を使うのは危険です」
リディアが言った。
「風向きも変わります。煙がこちらへ戻る可能性があります」
「水を入れる?」
「穴の先が下へ続いていたら、意味がない」
「凍らせるのはできます」
リディアが、見取り図の丸い穴を指した。
「入口を一つずつ凍らせれば、出てくる場所を減らせます」
「全部塞いだら、別の部屋から出るかもしれない」
「ああ」
部屋同士は風穴でつながっている。
魔物も、その穴を移動している可能性が高い。
「追い出すんじゃなく、出てくる場所を決める」
俺は三つの穴を見る。
「左右を塞ぎ、中央だけ開ける」
「中央へ出てきたところを倒すんですね」
「ああ」
「出てこなければ?」
「別の部屋を調べる」
無理に戦う必要はない。
だが、三つ目の部屋を通らなければ、奥の仕掛けを調べられない可能性がある。
「石を飛ばすなら、目を守れよ」
ベルクがゴーグルを指した。
「つける」
「リディアもだ」
「私は持っていません」
「予備を貸す」
ベルクが棚から、古い防塵眼鏡を取り出した。
防風ゴーグルほど広い視界はない。
それでも、正面から飛んでくる砂や石片は防げる。
「壊したら?」
「同じ物を探して持ってこい」
「大切に使います」
「ウィルより安心できる返事だ」
◇
三階。
三つ目の小部屋。
入口の三角印と、三本の線。
昨日と変化はない。
部屋の中にも、魔物は見えなかった。
「音は?」
「右の穴の奥に二つ。左に一つ。中央は分かりません」
リディアが防塵眼鏡をつけ、杖を構える。
「左右を塞ぐ」
「はい」
俺は円盾を構えたまま、入口から中へ入る。
安全帯の縄は、通路の杭へ接続してある。
床へ石弾を転がす。
反応なし。
一歩。
もう一歩。
左右の丸い穴まで、六歩ほど。
「右からです」
リディアの声。
円盾を右へ向ける。
穴から灰色の顔が現れた。
首の袋が膨らむ。
すぐに盾を上げる。
風。
床の石片が三つ飛ぶ。
盾へ二つ。
一つは頭へ向かってきた。
ゴーグルへ当たる前に、顔を下げる。
石片が外套の肩を擦った。
銀糸がわずかに光る。
傷はない。
「《凍結》!」
リディアの冷気が、右側の穴へ伸びる。
魔物が奥へ引っ込んだ。
穴の入口を氷が塞ぐ。
「次は左です!」
左の穴。
今度は二つの顔が同時に現れた。
袋が膨らむ。
「二体です!」
円盾を左へ。
一体目が風を吐く。
石片ではない。
細かな砂。
盾の上下から砂が回り込む。
防風ゴーグルへ当たり、視界が白く曇った。
二体目。
空気の塊が、盾へぶつかる。
重い衝撃。
足が半歩下がる。
「見えない!」
「そのまま動かないでください!」
リディアの声。
「左の穴へ撃ちます。《氷針》!」
三本の氷。
盾の横を通る。
穴の周囲で硬い音。
一体が甲高く鳴いた。
キィッ!
俺は腕でゴーグルの砂を払う。
視界が戻る。
一体は穴の奥へ消えていた。
もう一体は、氷針が首の袋へ刺さっている。
薄い皮が破れ、溜めていた風が漏れていた。
身体が穴から押し出される。
床へ落ちる。
《風袋ネズミ》
風袋ネズミは、普通のネズミより大きい。
小型犬ほどの身体。
前脚には、石をつかめる長い指。
首から胸へ続く半透明の袋。
破れた場所から、空気が細く漏れている。
「出ました!」
「ああ!」
風袋ネズミが立ち上がる。
逃げると思った。
だが、床の石片を両前脚で持ち上げた。
口へ入れる。
「食べた?」
「違う!」
石を、首の袋の前へ運んでいる。
口から吸った風が袋へ溜まる。
袋の中で、石片が浮いた。
風袋ネズミがこちらへ顔を向ける。
「撃ってくる!」
袋が縮む。
石片が口から飛び出した。
円盾で受ける。
先ほどより速い。
盾の表面へ、白い傷が入った。
「袋が破れていても使えるのか」
「風が漏れています。溜めるのに時間がかかっています!」
なら、その前に近づく。
踏み込む。
風袋ネズミは、前脚で床を蹴った。
同時に、破れた袋から風を噴き出す。
身体が横へ飛んだ。
剣が空を切る。
「風で動いています!」
「ああ!」
壁へ着地。
長い指で石をつかむ。
再び袋を膨らませる。
「中央の穴を塞げ!」
「逃げ道がなくなります!」
「今は外に一体いる!」
リディアが杖を向ける。
「《氷壁》!」
中央の穴を覆うように、低い氷壁が伸びる。
右。
左。
中央。
三つの穴が塞がれた。
風袋ネズミは壁から床へ跳んだ。
袋へ溜めた風を吐く。
今度は、身体を前へ飛ばした。
低い位置。
円盾の下。
脚を狙っている。
盾を下げる。
風袋ネズミが表面へぶつかった。
軽い。
だが、爪が盾の縁へ引っかかる。
そのまま上へ登ろうとする。
盾を床へ押しつける。
風袋ネズミの身体を挟む。
「今だ!」
「撃てません! 盾の下です!」
風袋ネズミが暴れる。
袋へ空気を入れようとするが、盾と床に挟まれて膨らまない。
俺は剣を逆手に持つ。
盾の横。
灰色の後ろ脚が見える。
身体を刺せば、素材の袋まで傷つける可能性がある。
素材を優先する状況ではない。
それでも、狙える場所は選ぶ。
首ではなく、胸の下。
剣を差し込む。
風袋ネズミが鳴く。
盾を押し上げようとする力が弱くなった。
もう一度。
同じ場所へ刃を入れる。
動きが止まる。
盾を上げない。
石弾を一つ、盾の下へ転がす。
身体へ当たる。
反応はなかった。
《風袋ネズミ》を初めて討伐しました。
ガチャチケットを1枚獲得しました。
所持ガチャチケット:4枚
風鳴りの塔迷宮討伐記録:8/10
「八種類目です」
リディアが、杖を構えたまま言う。
「ああ」
「穴の中には、まだいます」
氷で塞いだ右側。
内側から、何かが氷を引っかいている。
左側からも音。
一体ではない。
「奥の個体は倒さない」
「氷が溶ける前に調べますか?」
「いや」
穴の中へいる相手と戦えば、こちらが不利だ。
初討伐のチケットは得た。
魔物の特徴も確認できた。
「死骸を回収して戻る」
「部屋の奥は?」
「次だ」
「はい」
リディアは反対しなかった。
◇
風袋ネズミの死骸を調べる。
首から胸の袋。
破れた場所は、リディアの氷針が刺さった一か所だけ。
薄い膜は柔らかい。
だが、指で押すとすぐに元の形へ戻った。
「空気を溜めるための袋ですね」
「ああ」
袋の内側には、細い筋が何本も走っている。
筋を動かし、袋の形を変えていたらしい。
「石を飛ばすだけではありませんでした」
「移動にも使った」
「壁へ跳ぶときと、こちらへ突っ込むときです」
「風があれば、袋へ溜める時間も短くなる」
三階は、どの部屋にも風が流れている。
風袋ネズミにとっては、戦いやすい場所だ。
「穴を塞いだら、少し遅くなりました」
「ああ」
右と左の氷。
内側から削られ、ひびが広がっている。
「もう持たない」
「出ましょう」
死骸を布で包む。
魔石。
袋。
前脚の長い指。
身体ごと持ち帰れば、ベルクが必要な部分を選べる。
通路へ下がる。
部屋の入口へ出た直後。
右側の氷が割れた。
一体の風袋ネズミが顔を出す。
俺たちを見る。
だが、追ってこない。
床に残った仲間の血。
剣を持つ俺。
杖を構えるリディア。
風袋ネズミは、短く鳴いた。
奥へ消える。
「仲間が倒されたことを理解したんでしょうか」
「分からない」
「追ってきませんでした」
「ああ」
入口の三角印を消す。
代わりに丸を描く。
中を確認済み。
魔物討伐済み。
その横へ、小さな丸を二つ。
残存個体あり。
「次は、違う部屋から調べた方がよさそうですね」
「ああ。穴の中へいる魔物を無理に追わない」
「この部屋を通らなくても、仕掛けを動かせるでしょうか」
「調べる」
◇
帰る前。
二つ目の部屋へ立ち寄った。
三枚の石板は、閉じたまま。
柱の窪みには近づけない。
だが、壁の下には、風袋ネズミが通れるほどの小さな穴がある。
昨日は気づかなかった。
「ここにも引っかき傷があります」
リディアがしゃがむ。
「風袋ネズミが、部屋の中へ入っている」
「石板が閉じたあとも、穴なら通れます」
「ああ」
小さな魔物にとって、閉じた石板は障害ではない。
俺たちがいない間に柱の周囲を動き、仕掛けへ触れた可能性もある。
「魔物が仕掛けを動かしているんでしょうか」
「意図しているとは限らない」
柱へ登る。
穴へ入る。
何かを齧る。
その結果、仕掛けが動くことはある。
「閉じた石板を戻す方法は、別の部屋にある」
「右隣でしょうか」
七つの部屋。
一つ目は縦穴。
二つ目は石板。
三つ目は風袋ネズミの巣。
残り四つ。
「次は反対側から調べる」
「はい」
風鳴りの塔迷宮討伐記録:8/10。
所持ガチャチケット:4枚。
残る通常魔物は二種類。
数字だけを見れば、あと少し。
だが、三階の部屋は、まだ半分も理解できていない。
先へ進むために必要なのは。
魔物を見つけることではなく。
風が、どこから来て。
どこへ向かっているのかを知ることだった。




