第54話 七つの部屋の風
《風鳴りムカデ》を討伐した翌日。
俺たちは、冒険者協会へ提出する報告書を作っていた。
机の上には、三階の見取り図。
風鳴りムカデの簡単な絵。
身体の節に開いていた穴の位置。
戦闘中に確認した攻撃方法。
リディアが説明し、エドガーが文章へまとめていく。
「節の穴から、細い風を出したんだな?」
「ああ。盾で正面は防げたが、上下から回り込んだ」
「数は?」
「分からない」
「十本以上はありました」
リディアが答えた。
「ただ、全部の穴から同時に出ていたのかは分かりません」
「分からないことまで書く必要はない」
エドガーが紙へ線を引く。
「確認できたことだけでいい」
風鳴りムカデは、丸まると甲殻で身体を守った。
節の穴を凍らせると、風の攻撃が止まった。
首の下は柔らかい。
壁や細い足場でも、無数の脚を使って高速で移動する。
「危険度は高いな」
「三階へ来たばかりの冒険者が、細い石板の上で遭遇すれば危険です」
「お前たちも危険だった」
「安全帯があった」
「安全帯をつけていなければ落ちていた、という意味だ」
落ちたとは限らない。
だが、石板の上から押し出されかけたのは事実だった。
「報告書には、安全帯を推奨すると書いておく」
「外通路を渡る時点で必要だろ」
「必要だと思わない奴もいる」
装備の重さを嫌う者。
縄を張る時間を無駄だと考える者。
自分なら落ちないと思う者。
以前の俺も、安全帯を外そうとした。
「強く書いておけ」
「そうする」
エドガーが次の紙を見る。
「残る小部屋は六つか」
「ああ」
「一つ目の部屋には、中央に縦穴。そこへ二本の石板が渡されていた」
「壁には丸い穴が五つありました」
「風は一定ではありませんでした。部屋の外へ出る風と、中へ入る風が交互にありました」
リディアが見取り図へ矢印を書く。
右向き。
左向き。
同じ場所に、二つの矢印。
「風向きが変化する原因は?」
「分からない」
風鳴りムカデが動いた影響もあった。
だが、討伐後も風向きは一定にならなかった。
「部屋同士がつながっているのかもしれないな」
エドガーが、残る小部屋を指でなぞる。
「塔の内部に、風を通す穴がある。どこかの扉や仕掛けが動くたびに、流れが変わっている可能性がある」
「四階へ続く階段の前は、床が崩れている」
「見えている階段が、本当の道とは限らない」
「別の階段があるんですか?」
「可能性の話だ」
エドガーが鉛筆を置いた。
「次は魔物を探すな。部屋の構造を調べろ」
「最初からそのつもりだ」
「一つ目の部屋へ入った結果、未知の魔物と戦った」
「隠れていた」
「だから、次もいると思って動け」
正しい。
「扉を開ける前に風見布。床へ石弾。壁と天井を確認。中へ入るのは一人ずつ」
「分かっている」
「安全帯は外すな」
「分かっている」
「傷が開いたら戻れ」
「分かっている」
エドガーがリディアを見る。
「確認を頼む」
「はい」
「俺に確認させるな」
「必要なことです」
昨日の傷は浅い。
薬を塗り、布を巻いてある。
歩くことにも、剣を振ることにも問題はなかった。
それでも、傷が増えれば判断は変わる。
◇
迷宮へ入る前。
ベルクの工房で、装備を確認した。
《沼甲の円盾》の表面には、俺が塗った樹脂が残っている。
風糸グモの糸がつけた傷。
石羽フクロウの羽が刺さった跡。
どちらも塞がっていた。
「初めてにしちゃ悪くねえ」
ベルクが盾を光へ向ける。
「樹脂を塗りすぎだがな」
「少ないよりいい」
「多すぎると、表面が滑らなくなる。飛び道具を受け流せず、正面から力を受けるぞ」
「次は減らす」
「革防具の傷は?」
「縫った」
脚の革防具。
風鳴りムカデの攻撃で切れた場所へ、補修革を当てている。
ベルクが縫い目を引いた。
「こっちも問題ねえ」
「全部、自分で直したんですか?」
リディアが少し驚いている。
「ああ」
「寝る時間はありましたか?」
「ある」
「何時間ですか?」
「必要なだけだ」
「答えになっていません」
ベルクが鼻で笑った。
「こいつは昨日、手入れのやり方を覚えるまで帰らなかった」
「時間がかかっただけだ」
「最初から、全部一度で覚えようとするからだ」
次に同じ傷ができたとき。
ベルクが近くにいるとは限らない。
覚えられるときに覚えておく必要がある。
「今日はこれも持っていけ」
ベルクが、小さな木片を十本ほど作業台へ置いた。
先端が薄く削られている。
「扉や石板の隙間へ入れる楔だ」
「木で大丈夫か?」
「巨大な扉を止める物じゃねえ。勝手に閉じるのを遅らせるためだ」
「風で動く仕掛けに使うんですね」
「ああ。怪しい扉を開けたら、すぐ差し込め」
《探索用ベルト》の空いている場所へ、木の楔を入れる。
「壊れたら?」
「捨てろ。命より安い」
ベルクは最後に、《風渡りの外套》を見る。
「昨日の戦闘で傷はなかったんだな?」
「ああ」
「見えない傷もある。風の流れ方が変だと思ったら、使うのをやめろ」
「分かった」
「今日は素直ですね」
リディアが言う。
「前から素直だ」
ベルクが答えなかった。
◇
三階へ着く。
前回確認した最初の小部屋。
扉の横には、白いチョークで描いた丸印が残っていた。
中に魔物はいない。
中央の穴から風が上がっている。
風鳴りムカデの死骸も、回収できなかった部分だけが床へ残っていた。
「昨日と音が違います」
リディアが耳飾りへ触れる。
「どう違う」
「右の壁から聞こえる音が、二つです。昨日は、魔物を倒したあとも三つありました」
「一つ減ったのか」
「はい」
壁の穴を塞いでいた氷は溶けている。
五つの穴すべてが開いていた。
それでも音は二つ。
「別の部屋で、何かが動いている可能性があります」
「ああ」
今日は、この部屋へ入らない。
二つ目の小部屋へ向かう。
扉は閉じていた。
石弾を一つ、扉の前へ転がす。
反応はない。
赤い風見布を、扉の隙間へ近づける。
布は、扉の方へ吸い寄せられた。
「中へ風が流れています」
リディアが言う。
「開ける」
安全帯の縄を通路の杭へ固定する。
リディアも、別の杭へつないだ。
石の扉へ手をかける。
重い。
少しずつ押す。
隙間が広がるほど、風が強く室内へ吸い込まれていく。
「楔を入れます」
リディアが扉の下へ木片を差し込んだ。
扉から手を離す。
動かない。
「一人分開いた」
「中を確認します」
リディアが、扉の外から杖を向ける。
俺は石弾を投げ入れた。
石が床を転がる。
途中で止まった。
「段差か?」
「音はしません」
防風ゴーグルをつけ、中を見る。
細長い部屋。
床は、奥へ向かって少し下がっている。
左右の壁には、縦長の溝。
溝の中へ、薄い石板が収まっていた。
部屋の奥には、丸い石の柱が一本。
「入る」
「私が扉を見ています」
「ああ」
一歩。
床は安定している。
二歩。
壁の石板も動かない。
奥の柱へ近づく。
表面には、手のひらほどの窪みがあった。
「何かありますか?」
「押せそうな場所がある」
「押すんですか?」
「すぐには押さない」
「安心しました」
柱の周囲を回る。
反対側には、細い穴が三つ。
穴から風が吸い込まれている。
風見布を近づけると、布の先が穴へ入った。
「一つ目の部屋とつながっているかもしれない」
「風の音は?」
リディアが耳飾りへ触れる。
「この部屋から、一つ。右隣の部屋からも一つ聞こえます」
「柱の窪みを押す。扉を見ていろ」
「はい」
木の楔。
安全帯。
退路。
すべてを確認する。
窪みへ手を入れた。
ゆっくり押す。
石の柱が、わずかに沈んだ。
ゴン。
壁の中で、重い音。
左右の溝に収まっていた石板が動き出した。
「壁が閉じます!」
リディアの声。
石板は、壁から部屋の中央へ伸びてくる。
一枚。
二枚。
三枚。
部屋を横切る仕切りだ。
入口までの道が、次々と狭くなる。
柱から手を離す。
動きは止まらない。
「戻る!」
走る。
一枚目の石板。
まだ人一人分の隙間がある。
身体を横にして通る。
二枚目。
隙間は半分。
円盾が引っかかる。
腕から外す時間はない。
盾を身体の前へ抱え、石板の間へ押し込む。
表面が石へ擦れる。
通れた。
三枚目。
入口の直前。
石板同士が閉じようとしている。
「ウィルさん!」
リディアが、手すり用の縄を投げる。
つかむ。
閉じる石板の間へ、ベルクから受け取った木の楔を投げ込んだ。
石板が木片を挟む。
完全には止まらない。
木が軋む。
だが、閉じる速度が遅くなった。
「引け!」
リディアが縄を引く。
俺も床を蹴る。
《岩走りの戦靴》が石を捉えた。
肩が石板へ当たる。
外套を傷つけないよう、身体を捻る。
扉の外へ転がり出た。
直後。
木の楔が折れた。
石板が閉じる。
部屋の中が、三つに分断された。
「怪我は?」
リディアが駆け寄る。
「ない」
「外套は?」
「擦っていない」
「盾は?」
表面に、薄い石の粉がついている。
新しい傷はなかった。
「問題ない」
扉は開いたまま。
だが、部屋の内部を石板が塞いでいる。
「押す場所を間違えました」
「押さなければ、何も分からなかった」
「閉じ込められる可能性もありました」
「ああ」
「次は、柱の近くにも楔を置きましょう」
「そうする」
リディアは怒らなかった。
代わりに、地図を取り出した。
「石板は三枚でした」
「ああ」
「動いた順番は、奥から入口側です」
「柱を押したあと、五つ数える前に一枚目が動いた」
「では、柱を押してすぐ戻れば間に合います」
「今は戻らない」
閉じた石板を調べる。
一枚目。
下には、指二本ほどの隙間がある。
風見布を近づける。
布が奥へ流れた。
二枚目。
風は反対側。
こちらへ向かっている。
三枚目。
ほとんど動かない。
「部屋を分けることで、風向きを変えている」
「一つ目の部屋の音も変わっているかもしれません」
「ああ」
最初の部屋へ戻る。
リディアが耳飾りへ触れた。
「音が四つになっています」
二つ目の部屋で石板を動かす前は、二つだった。
「柱が風の道を切り替える仕掛けだったんですね」
「一つ動かすと、別の部屋へ流れる風も変わる」
魔物ではない。
罠だけでもない。
塔の内部全体を使った仕掛け。
「全部の部屋を調べる必要がある」
「今日は、あと一つにしますか?」
「傷はない。魔力も使っていない」
「では、一つだけです」
先に決められた。
◇
三つ目の小部屋。
扉はなく、入口が開いている。
中は、前の部屋より狭い。
床には、石の破片が散らばっていた。
壁の下部に、人間の頭が入るほどの丸い穴が三つ。
穴の周囲には、細かな引っかき傷がある。
「何かが通っています」
リディアが、小声で言う。
「ああ」
石弾を投げる。
床を転がり、奥の壁へ当たった。
反応はない。
風見布。
右の穴から、弱い風。
中央の穴は、ほとんど動かない。
左の穴は、部屋の中へ風を入れている。
「音は?」
「小さい音が、いくつもあります」
「風か」
「分かりません」
リディアが、すぐに答えた。
「ただ、同じ場所に留まっていません。右から左へ動いています」
丸い穴の奥。
何かが移動している。
床の石片を見る。
自然に崩れた形ではない。
角が削られている。
小さな歯で噛んだような跡。
「中へは入らない」
「はい」
入口から、部屋の奥を観察する。
壁際に、白い欠片。
骨。
小さな魔物か、鳥のもの。
その隣に、木の実の殻。
巣に近い。
「複数いる可能性がある」
「音は、少なくとも三つです」
「位置は」
「壁の中です。部屋には出てきていません」
白いチョークを取り出す。
扉がないため、入口の左側へ三角を描いた。
未確認。
魔物の可能性あり。
「戻るぞ」
「今日は戦わないんですね」
「姿も数も分からない」
「はい」
部屋へ背を向けないまま下がる。
そのとき。
丸い穴の一つから、小さな灰色の顔が現れた。
丸い耳。
黒い目。
ネズミに似ている。
だが、首の下に、薄い皮でできた袋が膨らんでいた。
灰色の魔物はこちらを見た。
首の袋が、さらに大きくなる。
息を吸っている。
「下がれ!」
円盾を構える。
魔物は、口から細い風を吐いた。
床の石片が一つ浮く。
石が、こちらへ飛んだ。
盾へ当たる。
軽い音。
威力は強くない。
だが、穴の奥で、別の袋が膨らむ音がした。
一つ。
二つ。
三つ。
「複数来ます!」
「ああ。戻る!」
俺たちは通路へ下がった。
灰色の魔物は、穴から出てこない。
黒い目だけが、こちらを見ている。
それ以上追ってくる様子はなかった。
三角印の横へ、短い線を三本加える。
少なくとも三体。
所持ガチャチケット:3枚。
風鳴りの塔迷宮討伐記録:7/10。
今日は魔物を倒していない。
それでも。
七つの部屋が、ただ並んでいるわけではないと分かった。
一つの部屋を動かせば、別の部屋の風が変わる。
そして、その風の道を使って暮らす魔物がいる。
地図へ、新しい矢印を一本書き加えた。
討伐記録の数字は変わらなくても。
進んでいないわけではなかった。




