第52話 外通路を渡れ
四度目の11連ガチャを回した翌朝。
俺たちは、手に入れた装備を持ってベルクの工房を訪れた。
作業台の上に並べたのは、
N《補強用革帯》三本。
N《連結金具》六個。
N《軽量投げ杭》四本。
N《耐切創ロープ》二十メートル。
そして、S《風渡りの外套》だった。
「今度はずいぶん当たりを引いたな」
ベルクが《耐切創ロープ》を両手で引く。
普通の麻縄より細い。
表面は灰色の繊維で覆われ、刃物を当てても簡単には切れないらしい。
「強度は?」
「結晶糸の縄ほどじゃねえ。だが、塔で使うならこっちの方が扱いやすい」
「軽いです」
リディアが、ロープの端を持ち上げる。
「今までの縄より、半分くらいの重さに感じます」
「水も吸いにくい。濡れて急に重くなることも少ないだろう」
ベルクは《連結金具》を一つ取り上げた。
二つの輪と、指で押せる小さな留め具がついている。
「こいつを安全帯と縄の間に入れる」
「結ぶ必要がなくなるのか?」
「完全になくなるわけじゃねえ。縄の端は結べ。ただ、身体と縄をつなぐ場所は、これで外せる」
留め具を押す。
金属の輪が開いた。
指を離すと、すぐに閉じる。
「戦闘中に縄が魔物へ絡んだ場合、すぐ切り離せる」
「落ちている途中で外れませんか?」
リディアが心配そうに尋ねる。
「二重に閉じる構造だ。普通に引かれただけじゃ外れねえ」
ベルクが金具を閉じ、縄を結んだ。
俺とリディアが反対側から引く。
金具は動かなかった。
「ただし、留め具を押しながら捻れば外れる」
実際に操作してみる。
一動作では外れない。
慣れれば片手でもできる。
「この革帯は安全帯へ追加する」
ベルクが《補強用革帯》を俺の安全帯へ当てる。
「胸と腰をつなぐ部分を二重にする。前みたいに身体が外へ飛び出しても、革が裂ける可能性は下がる」
「三本しかありません」
リディアが言う。
「ウィルの胸と腰へ二本。残り一本を、お前の胸へ使う」
「私は一か所だけですか?」
「体重が違う。今の安全帯でも、お前の重さなら十分耐える」
リディアは納得していない顔をしている。
「同じ数でなくていい」
俺が言う。
「必要な場所へ使えばいい」
「ウィルさんが言うと、少し不思議な気分です」
「なぜだ」
「以前の私に言っていたことと同じなので」
パーティーの道具は、全員へ同じ数だけ配る必要はない。
必要な人間が、必要なものを使う。
「覚えたならいい」
「はい」
ベルクが《軽量投げ杭》を持ち上げる。
長さは肘から手首ほど。
灰色の細い金属でできている。
「これは体重を支える杭じゃねえぞ」
「軽量と書いてある」
「だから念を押してる」
「何に使うんですか?」
「遠くへ縄を渡すためだ」
ベルクが杭の後ろに細い縄を結ぶ。
「向こう側の木や柱へ引っかける。あるいは魔物の皮膜や翼へ刺して、動きを崩す」
「人間二人を支える強度は?」
「ない」
「一本も?」
「四本まとめても、命綱には使うな」
分かりやすい。
「外通路を渡ったあと、向こう側へ手すり用の縄を運ぶためには使える」
「ああ」
「それから――」
ベルクが《風渡りの外套》を見る。
「こいつは、俺にも詳しい仕組みが分からん」
外套を広げる。
普通の布より薄い。
それでも、左右へ引いても伸びなかった。
「縫い目がほとんどねえ。銀糸に魔力を流して、布全体で風を逃がしている」
「修理はできるか」
「小さな傷ならな。大きく裂けたら、同じ素材が必要になる」
「同じ素材は?」
「今のところ、見たことがねえ」
S装備。
簡単に代わりが手に入る物ではない。
「無理に風を受け続けるな」
「ああ」
「外套が強くても、中の人間まで丈夫になるわけじゃねえからな」
「《風圧耐性・小》がある」
「それでもだ」
ベルクが俺の肩を指で叩く。
「装備が増えるほど、自分まで壊れなくなったと勘違いする奴がいる」
「俺はしない」
「そうか」
信用していない返事だった。
◇
工房の裏で、装備の試験を行った。
俺は《風渡りの外套》と《防風ゴーグル》を装着する。
ゴーグルは顔へ密着する形ではない。
左右に小さな隙間があり、視界を曇らせずに正面からの風や砂を防いでくれる。
リディアの右耳には、R《風読みの耳飾り》。
「聞こえますか?」
俺が尋ねる。
「今は、工房から出ている煙の流れが聞こえます」
「煙が聞こえるのか」
「煙そのものではなく、周りの空気が動く音です」
リディアが右側を向く。
「ベルクさんの工房から温かい空気が上がって、その上を風が左へ押しています」
目で見れば、煙の向きは分かる。
だが、リディアは煙を見る前に答えていた。
「次は外套だ」
ベルクが、工房の壁へ大きな板を立てる。
板の間を通る風が、狭い場所へ集まる形になっていた。
俺は安全帯へ《耐切創ロープ》をつなぐ。
反対側は、地面へ打った重い鉄杭へ固定した。
「走って、風の中へ入れ」
「ああ」
助走をつける。
板の間へ入った瞬間、強い横風が身体へ当たった。
《風渡りの外套》の銀糸が、わずかに光る。
風が肩と背中を滑った。
身体は押される。
だが、以前の普通の外套ほど強く持っていかれない。
足元へ置かれた低い木箱を跳ぶ。
跳躍した瞬間、横風が強くなった。
身体が左へ流される。
着地点がずれた。
空中で右肩を前へ出す。
外套の裾が一度だけ広がった。
背中を押す力が変わる。
身体の向きが、右へ戻った。
両足で着地。
《岩走りの戦靴》が地面を捉えた。
「今、向きが変わりました」
リディアが言う。
「ああ」
「もう一度できますか?」
同じ場所を跳ぶ。
今度は、空中で左へ向きを変えようとする。
外套は少し広がった。
だが、先ほどほど強い補助はない。
「続けては使えない」
着地したあと、外套を確認する。
説明にあった、短い間隔。
空中で姿勢を修正した直後は、同じ効果を出せないらしい。
「どのくらい待てばいいんでしょうか」
「今は分からない」
少し休み、三度目を試す。
今度は、最初と同じように身体の向きを変えられた。
「一度使ったら、次の足場までは頼れないと思った方がいい」
「ああ」
外通路を渡る途中で一度使えば、着地直後にもう一度飛ばされても修正できない可能性がある。
万能ではない。
「耳飾りはどうだった」
「ウィルさんが跳ぶ前に、少し高い音がしました」
「風が強くなる前に?」
「はい。ただ……」
リディアが右耳を押さえる。
「板の隙間の風と、外套が流した風が同時に聞こえて、途中から方向が分からなくなりました」
複数の風が重なる場所では、正確に判別できない。
鑑定どおりだ。
「音が多いときは、分からないと言え」
「はい」
「耳飾りがあるから、全部分かると思うな」
「ウィルさんも、外套があるから飛べると思わないでください」
「思っていない」
「なら大丈夫です」
互いに、装備の限界は確認できた。
◇
その日の午後。
俺たちは《風鳴りの塔迷宮》へ入った。
討伐記録は4/10。
所持ガチャチケットは0枚。
目的は、二階の外通路を渡り、三階の入口だけを確認すること。
魔物を探すことではない。
一階の広間。
二階へ続く階段。
前回と同じ道を進む。
風切りコウモリにも、壁走りトカゲにも遭遇しなかった。
「静かですね」
「風は強い」
赤い風見布は、前より激しく揺れている。
塔へ入る外気が強い日なのかもしれない。
二階へ着く。
崩れた外壁の前には、以前打った跡が残っていた。
今日使うのは、新しい二本の縄。
一本は安全帯へつなぐ命綱。
もう一本は手でつかむための手すり。
「杭を打つ」
「周囲を確認しました。今は何も聞こえません」
リディアが耳飾りへ触れる。
一本目の重い鉄杭。
壁の固い場所へ打ち込む。
二本目は、少し離れた床の隙間へ固定した。
それぞれを引く。
動かない。
《耐切創ロープ》を命綱として使い、もう一本の麻縄を手すりにする。
補強した安全帯。
新しい連結金具。
一つずつ確認する。
「私が確認します」
リディアが、俺の金具を引く。
「胸、腰、両脚。全部閉じています」
「お前の方も見せろ」
リディアの安全帯を確認する。
問題ない。
「先に渡る」
「はい」
外通路へ一歩出る。
幅は、人間二人が並べるほど。
左側には石壁。
右側には何もない。
遠く下に岩場が見える。
横風。
《風渡りの外套》が、身体へ当たる力を左右へ流す。
それでも、完全には消えない。
手すり用の縄を右手でつかむ。
左腕には《沼甲の円盾》。
剣は抜いていない。
一歩。
もう一歩。
通路の途中へ、赤い風見布を結ぶ。
布は外側へ流れたあと、時折、上へ跳ねる。
下から吹き上がる風も混ざっている。
「次の風が来ます!」
リディアの声。
耳飾りが変化を伝えたらしい。
足を止める。
盾を壁側へ寄せ、身体を低くする。
直後。
下から強い風が吹き上がった。
外套の裾が広がる。
身体が少し浮く。
手すりの縄を強く握る。
命綱も張った。
風が通り過ぎる。
「大丈夫ですか!」
「ああ!」
前を見る。
残りは五歩。
次の足場までは近い。
進もうとしたとき。
右耳の奥ではなく、普通の耳に細い音が届いた。
ヒュウウウ……。
風の音に似ている。
だが、一定の高さで続いていた。
「止まってください!」
リディアが叫ぶ。
「何か聞こえます!」
「どこだ」
「前です。でも、風が多すぎて正確には……」
外通路の先。
三階へ続く階段の手前。
何も見えない。
《防風ゴーグル》越しに目を凝らす。
細い光。
石壁と、外通路の右端をつないでいる。
糸だ。
「前に糸がある」
「魔物ですか?」
「分からない」
投擲用石弾を一つ取り出す。
通路の先へ転がす。
石が、途中で止まった。
何もない場所へ引っかかっている。
次の瞬間。
糸が強く震えた。
通路の上部。
石壁のひびから、細長い脚が一本出てきた。
灰色の身体。
壁と同じ色。
腹部は小さい。
脚だけが長く、糸の上に立っている。
《風糸グモ》
風糸グモが前脚を動かす。
通路へ張られていた糸が、鋭く引かれた。
石弾が半分に切れる。
「切れる糸です!」
「ああ」
足へ触れれば、革防具ごと切られる可能性がある。
前へ進めない。
後ろへ戻ればいい。
だが、風糸グモが糸を増やし始めた。
腹部から透明な糸が伸びる。
俺とリディアの間。
外通路の入口へ向かっている。
「戻る道を塞ぐ気だ!」
「糸が見えません!」
「耳で分かるか」
リディアが耳飾りへ触れる。
「細い音が、三つ……いえ、四つあります!」
「位置は」
「一つはウィルさんの膝の高さ。もう一つは胸。その上にも二本です!」
風が糸を震わせている。
見えなくても、音は出ている。
「凍らせられるか」
「糸の場所が分かれば!」
リディアが杖を外通路へ向ける。
「一番低い糸からです!」
白い冷気。
《凍結》が通路を這う。
透明だった糸へ霜がついた。
一本。
膝の高さを横切っている。
その上にも三本。
「見えました!」
風糸グモが糸を強く引く。
凍った一本が、俺の脚へ向かって動いた。
円盾を下げる。
糸が盾の表面へ触れた。
硬い音。
沼王ガエルの背皮に、細い傷が入る。
すぐに剣を抜く。
凍った糸へ刃を当てる。
切れない。
剣を押すと、糸がわずかにたわんだ。
「硬い!」
「氷を厚くします!」
リディアが、同じ場所へ冷気を重ねる。
糸の周囲に氷がつく。
重さで下へ垂れた。
外通路の石へ触れる。
俺は剣ではなく、戦靴で踏みつけた。
氷が砕ける。
中にあった糸も、同時に切れた。
「凍らせれば壊せる!」
残り三本。
風糸グモが、壁のひびから身体を出す。
糸を伝って、こちらへ向かってきた。
速い。
脚は糸に触れているのに、切れていない。
「魔物が来ます!」
外通路の上。
逃げる場所はない。
円盾を正面へ。
風糸グモが跳んだ。
長い脚の先には、細い刃のような突起。
盾へ当たる。
軽い。
だが、引っかいた跡が深い。
風糸グモは盾を蹴り、上の糸へ戻った。
「ウィルさんの頭上に二本!」
リディアの声を頼りに、剣を上へ振る。
刃が透明な糸へ当たる。
位置は分かった。
「右へ一歩です!」
右は外側だ。
足場の端。
それでも、今いる場所には糸が降りてくる。
一歩、外側へ動く。
横風が身体へ当たった。
外套が力を流す。
風糸グモの糸が、先ほどまで立っていた場所を切った。
石の表面へ細い線が入る。
「下へ避けてください!」
今度は、胸の高さ。
身体を低くする。
透明な糸が頭上を通る。
見えなくても、リディアの声がある。
「魔物は?」
「左上です!」
風糸グモが、石壁へ張りついている。
剣は届かない。
「軽量杭を使う!」
《探索用ベルト》から、ガチャで得た杭を取り出す。
細い縄を結ぶ時間はない。
そのまま投げる。
風で軌道が外側へ流れる。
壁の少し右へ外れた。
杭が外へ落ちていく。
「一本失った!」
「あと三本あります!」
リディアが励ましているのか、確認しているのか分からない。
二本目。
今度は風上へ狙いをずらす。
投げる。
風が杭を押す。
先端が、風糸グモの長い脚へ当たった。
深くは刺さらない。
それでも、一本の脚が壁から離れた。
風糸グモの身体が傾く。
「《氷針》!」
リディアが撃つ。
外通路の奥。
風の強い場所。
三本の氷は大きく流された。
二本は外れる。
一本が、風糸グモの腹部へ刺さった。
小さな身体が壁から離れる。
糸の上へ落ちる。
自分で張った糸。
だが、風糸グモの脚は切れない。
再び動こうとする。
「糸ごと落とす!」
俺は、霜のついた二本目の糸へ剣を当てた。
「リディア!」
「《凍結》!」
糸が凍る。
戦靴で踏む。
一本が切れた。
風糸グモの身体が下がる。
残る糸へ脚をかける。
もう一本。
同じように凍らせる。
風糸グモが、こちらへ跳んだ。
避ける場所はない。
円盾を構える。
長い脚が盾の左右へ回り込む。
一本が、肩の革防具を引っかいた。
浅い痛み。
俺は盾を前へ押す。
風糸グモを石壁へ押しつける。
「今だ!」
「《氷針》!」
盾の横から、氷が飛ぶ。
一本目。
腹部。
二本目。
脚の付け根。
三本目は盾へ当たった。
風糸グモの動きが弱くなる。
盾で押さえたまま、剣を逆手に持つ。
石壁と盾の隙間。
腹部へ突き込む。
小さな身体が震えた。
脚が盾を何度も叩く。
さらに剣を押し込む。
動きが止まった。
盾を離す。
風糸グモの身体が、外通路へ落ちる。
まだ近づかない。
石弾を当てる。
反応はなかった。
《風糸グモ》を初めて討伐しました。
ガチャチケットを1枚獲得しました。
所持ガチャチケット:1枚
風鳴りの塔迷宮討伐記録:5/10
「怪我は?」
リディアが尋ねる。
「肩を浅く切られた」
「戻れますか?」
「ああ」
「糸は?」
通路には、まだ二本残っている。
白い霜がつき、位置は見えていた。
「全部切る」
一本ずつ凍らせる。
剣で押さえ、戦靴で踏み砕く。
戻る道は開いた。
「進まないんですか?」
「お前はどちらがいい」
リディアが少し迷った。
「私は、三階の入口までなら進めると思います」
「理由は」
「魔力は、まだ半分以上あります。ウィルさんの怪我も浅いです」
「ああ」
「ただ、外套が空中での修正を一度使ったら、帰りまで回復するか分かりません」
「まだ使っていない」
「では、今なら進めます」
以前なら、怖いから戻るか、役に立ちたいから無理に進むか。
二つのどちらかだった。
今は、装備。
魔力。
怪我。
帰り道。
順番に確認している。
「進む」
「はい」
◇
外通路の残りを渡る。
風糸グモの糸が残っていないか、リディアの耳飾りで確認する。
「今は、太い風の音だけです」
「方向は」
「右下から左上です」
下から吹き上がる風。
風見布も、同じ向きを示している。
一歩。
もう一歩。
強い風が来る。
外套が風圧を流す。
それでも身体は外側へ押された。
手すりの縄を握る。
残り二歩。
足元の石が、一部崩れている。
跨げる幅。
だが、跳んだ瞬間に横風を受ければ、着地点から外れる。
「風が弱くなるまで待ちますか?」
「いや」
風は一定ではない。
弱くなる瞬間を待っても、その途中で変わる可能性がある。
「跳ぶ」
「外套の力を使うんですか?」
「必要ならな」
助走はつけられない。
その場で踏み切る。
《岩走りの戦靴》が石を捉えた。
身体が宙へ出る。
横風。
着地点が左へずれた。
石壁へぶつかる方向。
空中で肩を外側へ向ける。
《風渡りの外套》が広がった。
身体の向きが修正される。
右足。
左足。
崩れた場所の向こうへ着地した。
「渡れた」
命綱は張っていない。
外套がなければ、石壁へ肩からぶつかっていたかもしれない。
「大丈夫ですか!」
「ああ!」
向こう側の石壁へ、重い鉄杭を二本打つ。
片方へ命綱。
もう一方へ手すりの縄を固定する。
リディアの側にある縄を引く。
「来い」
「はい」
リディアが安全帯をつなぐ。
杖を背中へ固定し、両手で縄を握った。
一歩。
もう一歩。
風読みの耳飾りへ触れる。
「止まります!」
その場で身体を低くする。
直後、下からの風。
青灰色の外套が大きく膨らむ。
リディアの足が一瞬浮く。
命綱が張った。
だが、両手は手すりを離していない。
「今です!」
風が弱くなる。
進む。
糸があった場所も越える。
崩れた足場の手前で止まった。
「跳べるか」
「怖いです」
「ああ」
「でも、縄があります」
「ああ」
「跳びます」
リディアが踏み切る。
距離は短い。
横風で身体が外側へ流れた。
安全帯の縄が張る。
俺は手すり用の縄を強く引いた。
リディアの身体が、こちらへ寄る。
長靴の爪先が石の端へ当たった。
《滑り止め金具》が、石へ引っかかる。
俺は左腕をつかんだ。
「もう少しだ」
リディアが自分で身体を引き上げる。
外通路の向こうへ、両足が乗った。
「渡れました……」
「ああ」
リディアは座り込まなかった。
壁へ手をつき、息を整えている。
「怖さは」
「九です」
「沼王ガエルと同じだな」
「下を見たので、十に近いです」
「戻るときも渡る」
「今は言わないでください」
言わなくても変わらない。
◇
三階へ続く階段は、二階より狭かった。
外壁の穴は少ない。
代わりに、塔の内側を回る風が強い。
階段を上りきる。
三階。
円形の通路。
中央は、下まで続く吹き抜け。
外壁側には石造りの小部屋がいくつも並んでいる。
「風が弱いです」
リディアが言う。
「外通路よりはな」
それでも、耳飾りが小さく鳴っているらしい。
リディアは何度か右を向き、次に左を見る。
「変です」
「何がだ」
「風の音が、同じ場所から繰り返しています」
「魔物か」
「分かりません」
通路へ赤い風見布を結ぶ。
布は、ほとんど動かない。
だが、時折。
下へ引かれるように揺れた。
「上ではない」
吹き抜けを見る。
下から何かが来る様子はない。
音は、右側の小部屋から聞こえるらしい。
「今日は入口の確認だけです」
リディアが言う。
「ああ」
「小部屋へ入りませんよね」
「入らない」
通路の構造を確認する。
右へ進めば、小部屋が四つ。
左にも三つ。
正面には、四階へ続くらしい階段。
ただし、その手前の床が広く崩れていた。
今すぐ進める場所ではない。
「戻るぞ」
「はい」
振り返る。
そのとき。
右側の小部屋から、石が擦れる音がした。
ゴリッ。
ゴリッ。
何かが、出口へ近づいている。
「来ます」
リディアが杖を構える。
「階段へ下がれ」
外通路を背にしたくない。
階段の上まで戻る。
小部屋から、丸い頭が現れた。
大きな目。
曲がった嘴。
身体は鳥に似ている。
だが、翼を覆っているのは羽ではない。
薄い石の板だった。
《石羽フクロウ》
石羽フクロウが、音を立てずに通路へ出る。
翼を広げる。
石の羽同士が擦れた。
ゴリッ。
先ほどの音。
「飛べるんでしょうか」
「来るぞ」
石羽フクロウが翼を振った。
重い石の羽が、一枚ずつ外れる。
三枚。
回転しながら飛んできた。
「下がれ!」
円盾を構える。
一枚目。
盾へ当たる。
重い。
二枚目は壁へ刺さる。
三枚目。
リディアへ向かっている。
「右です!」
リディアは、耳飾りで空気の乱れを感じたらしい。
杖を上げる。
「《氷壁》!」
低い氷壁。
石の羽が当たる。
氷へ半分まで食い込んだ。
壁は割れたが、貫かれていない。
「石を飛ばしています」
「ああ」
石羽フクロウの翼には、まだ多くの羽が残っている。
すべてを受けるわけにはいかない。
「本体を落とす」
「飛ばないかもしれません」
翼は石。
身体も重そうだ。
石羽フクロウが、床を蹴った。
飛び上がる。
翼を大きく動かさない。
通路を流れる風が、石の羽の隙間へ入っている。
身体が浮いた。
「飛びました!」
「高くはない!」
地面から二歩ほど。
剣は届く。
前へ出る。
石羽フクロウが翼を振る。
石の羽が四枚。
盾を斜めにする。
二枚を受け流す。
一枚は外套へ向かった。
身体を捻る。
外套の表面を、石の羽が擦る。
銀糸が光った。
裂けていない。
最後の一枚が、左脚へ当たる。
革防具へ刺さった。
浅い痛み。
だが、足は動く。
「《氷針》!」
リディアの氷が飛ぶ。
石羽フクロウの胸へ。
一本は石の羽に弾かれた。
二本目も浅い。
三本目が、翼の付け根へ刺さる。
石羽フクロウの身体が傾く。
それでも落ちない。
風が身体を支えている。
「窓がありません!」
リディアが周囲を見る。
風の入口を氷壁で塞ぐことはできない。
「下から来ている!」
中央の吹き抜け。
塔の下から上がってきた風が、三階の通路へ流れている。
「吹き抜けを塞ぐのは無理です!」
「全部は必要ない!」
石羽フクロウの下。
風が上がってくる場所だけ。
「氷壁を横へ出せ!」
「床ではなく、空中へ?」
「吹き抜けの縁からでいい!」
リディアが杖を向ける。
「我が前に、冷たき壁を――」
石羽フクロウがリディアへ顔を向けた。
翼を振る。
石の羽。
「俺を見ろ!」
円盾を剣で叩く。
高い音。
大きな目が、こちらへ動く。
前へ出る。
石の羽を盾で受ける。
一枚が、盾の縁へ深く刺さった。
腕へ衝撃。
それでも、盾は割れない。
「《氷壁》!」
吹き抜けの縁。
横へ伸びた氷の板が、下から上がる風の一部を遮る。
石羽フクロウの身体が急に沈んだ。
「今だ!」
床へ落ちる前。
踏み込む。
剣を横へ振る。
石の羽。
硬い。
刃が弾かれる。
石羽フクロウが地面へ着地した。
翼を閉じる。
身体全体が、石の塊のようになる。
「守っています!」
剣を振り下ろす。
硬い音。
傷は浅い。
嘴が盾の下から伸びる。
脚を狙われる。
後ろへ下がる。
「開かせる」
「どうやって?」
「腹を見せるまで待つ」
石羽フクロウは、防御したまま動かない。
攻撃を続けても、剣が傷むだけだ。
俺は二歩下がった。
石羽フクロウの大きな目が、翼の隙間からこちらを見る。
動かない。
さらに一歩。
逃げると思ったのか。
石の翼が少し開いた。
「まだだ」
リディアの魔力が集まる。
石羽フクロウが翼を大きく広げた。
再び飛ぶため。
胸と腹。
そこには石の羽がない。
「撃て!」
「《氷針》!」
三本の氷。
腹部へ二本。
胸へ一本。
深く刺さった。
石羽フクロウが鳴く。
初めて聞く声。
「ホオオッ!」
翼を振ろうとする。
俺は開いた翼の内側へ、円盾を押し込んだ。
閉じさせない。
嘴が顔へ向かう。
《防風ゴーグル》の横を掠めた。
頬に浅い傷。
だが、目は守られた。
「ウィルさん!」
「大丈夫だ!」
剣を逆手に持つ。
開いた胸。
氷針が刺さった場所へ、剣先を入れる。
肉の感触。
深く押す。
石羽フクロウが翼を閉じようとする。
盾を挟み、押し返す。
刃をさらに進める。
身体が一度、大きく震えた。
翼から力が抜ける。
石の羽が、床へ次々と落ちた。
剣を抜く。
距離を取る。
石羽フクロウは動かない。
念のため石弾を当てる。
反応はなかった。
《石羽フクロウ》を初めて討伐しました。
ガチャチケットを1枚獲得しました。
所持ガチャチケット:2枚
風鳴りの塔迷宮討伐記録:6/10
6種類の魔物を討伐しました。
報酬を獲得します。
《高所平衡》
高い場所や狭い足場で、身体の均衡を保ちやすくなります。
強風による転落や、足場の崩壊を無効化する能力ではありません。
足元の感覚が変わる。
通路の幅。
吹き抜けまでの距離。
身体の重心。
どちらへ傾けば危険なのか、以前よりはっきりと分かった。
「何か手に入りましたか?」
「《高所平衡》だ」
「落ちなくなる能力ですか?」
「違う。均衡を保ちやすくなるだけだ」
「では、安全帯は必要ですね」
「ああ」
答える前に確認された。
「今日は戻る」
「はい」
魔力。
怪我。
外套の空中修正。
すべて、まだ帰れる範囲だ。
石羽フクロウの魔石。
剥がれた石の羽。
風が通っていた翼の骨を一部回収する。
風糸グモの死骸も持ち帰る。
透明な糸は、切れた分だけ採取した。
強度を調べれば、装備に使えるかもしれない。
◇
帰りの外通路。
《高所平衡》によって、足元は行きより安定していた。
それでも、縄を外さない。
風渡りの外套だけにも頼らない。
リディアが先に渡る。
俺は向こう側から縄を支える。
「次の風は、少し下からです!」
耳飾りの声。
リディアが身体を低くする。
吹き上がる風。
安全帯と手すりの縄。
滑り止め金具。
すべてを使い、崩れた場所を越える。
次に俺が渡る。
外套の空中修正は、まだ使わない。
足場。
風見布。
縄。
自分の脚で進む。
二階側へ戻ったとき、リディアが長く息を吐いた。
「帰りの方が、少し怖くありませんでした」
「慣れたか」
「いいえ」
リディアが外通路を見る。
「渡れる方法を知っていたからです」
怖くなくなったわけではない。
だが、縄の張り方を知った。
風を待つことを知った。
途中で止まってもいいと知った。
それだけで、恐怖の形は変わる。
「次は四階ですか?」
「まだ三階を調べる」
「はい」
「小部屋も残っている」
同じ場所から繰り返していた風の音。
石羽フクロウだけの音だったのか。
それとも、別の何かがいるのか。
まだ分からない。
風鳴りの塔迷宮討伐記録:6/10。
所持ガチャチケット:2枚。
残る通常魔物は四種類。
新しい能力と装備は、俺たちを簡単に強くするものではなかった。
ただ。
昨日なら渡れなかった場所へ。
今日なら、一歩だけ先へ進める。
それで十分だった。




