第48話 受け継いだ盾
《霧の沼迷宮》を完全攻略してから、5日が過ぎた。
治療師に止められていた期間も終わり、背中の痛みはほとんど消えている。
朝から向かったのは、冒険者協会ではなかった。
ベルクの工房だ。
「ちょうど完成したところだ」
工房へ入ると、ベルクが作業台の上に置かれた布を取り払った。
その下から、深い緑色の円盾が現れる。
大きさは、以前使っていた《初心者用円盾+1》とほとんど変わらない。
表面には、泥ガメの甲羅が使われていた。
甲羅をそのまま残した形ではない。
余分な部分を削り、円形に整えられている。
その上から、沼王ガエルの背皮が張られていた。
濃い緑と黒が混ざった皮。
中心には、灰色の金具。
見覚えがある。
「前の盾の金具か」
「ああ」
ベルクが盾を裏返す。
内側にある持ち手も、長く使っていたものだった。
擦れた革。
何度も握った跡。
右側だけ少し色が濃くなっている。
「革帯は補強したが、手が触れる部分は残してある」
俺は持ち手へ手を通した。
新しい盾。
だが、握った感覚は知っている。
「重さは?」
「前より少し重い」
持ち上げる。
確かに重い。
それでも、灰晶王蛇の素材で補強した盾ほどではない。
腕へ収まる。
前へ構える。
重心が中央より少し下にある。
攻撃を受けたとき、盾の上部だけが大きく押されにくい形だ。
「悪くない」
「悪くない、じゃねえ」
ベルクが腕を組む。
「かなりいい盾だ」
「そうか」
「もう少し喜べ」
「喜んでいる」
「顔に出せ」
「難しい」
「知ってるよ」
ベルクが金槌を持ち上げた。
「一度、受けてみろ」
「何をする」
「盾なんだから、殴られなきゃ分からんだろ」
俺は円盾を構える。
「腕を伸ばしすぎるな。肘を少し曲げろ」
言われたとおりに構える。
ベルクが金槌を振った。
強くはない。
それでも、金属を打つ重い音が工房へ響く。
衝撃。
以前の盾なら、当たった一点から腕へ真っすぐ伝わってきた。
新しい盾は違う。
打たれた場所から、衝撃が円形に広がっていく。
腕へ伝わる重さが、少し小さい。
「甲羅が衝撃を面へ逃がす」
ベルクが説明する。
「沼王ガエルの背皮も、少しは衝撃を吸っている。強い一撃なら腕まで来るが、前の盾よりはましだ」
もう一度、金槌が振られる。
今度は少し強い。
足を踏ん張る。
盾全体が揺れた。
だが、腕だけを後ろへ持っていかれる感覚はなかった。
「水にも強い」
ベルクが水の入った桶を持ってくる。
盾の表面へ水をかけた。
水滴が皮の上を流れ落ちる。
染み込んでいない。
「濡れて重くなることは、ほとんどねえ。沼や雨の中でも使いやすい」
「燃えにくいか?」
「普通の革盾よりはな。だが、炎の中へ突っ込むなよ」
「分かった」
「今、少し考えただろ」
「考えていない」
「ならいい」
ベルクは信用していない顔をしていた。
盾へ《鑑定》を使う。
《沼甲の円盾》
泥ガメの甲羅を芯材とし、沼王ガエルの背皮で補強された円盾。
衝撃を盾全体へ分散し、腕へ伝わる負担を軽減します。
水を吸いにくく、雨や湿地でも重量が変化しにくい性質を持ちます。
旧円盾の持ち手と中央金具が使用されています。
「《沼甲の円盾》か」
「分かりやすいだろ」
「ああ」
ガチャから出た装備ではない。
迷宮で得た素材。
ベルクの技術。
以前の盾の一部。
それらが一つになっている。
「壊れない盾ではない」
ベルクが言った。
「泥ガメの甲羅も、沼王ガエルの皮も、迷宮主の攻撃を何度も受ければ割れる」
「ああ」
「前の盾みたいに、限界まで無理をさせるな」
「必要なら替える」
「本当に?」
後ろから声が聞こえた。
振り返ると、リディアが工房の入口に立っていた。
その隣にはエドガーもいる。
右腕は、まだ固定されている。
「聞いていたのか」
「最後のところだけです」
リディアが新しい盾へ近づく。
「きれいです」
「緑と黒だぞ」
「色のことではありません」
表面を触ろうとして、手を止める。
「触ってもいいですか?」
「ああ」
リディアが指先で、沼王ガエルの背皮へ触れる。
「硬いです。でも、少し弾力があります」
「お前の《氷槍》で穴を開けた魔物の皮だ」
「そう言われると、少し怖いです」
すぐに手を離した。
エドガーは盾の裏側を見る。
「持ち手を残したのか」
「ああ」
「握った感じは?」
「前と同じだ」
「なら、戦闘中に戸惑うことは少ないな」
エドガーが左手で盾を持とうとする。
「無理をするな」
「重さを見るだけだ」
俺から盾を受け取り、左手だけで持ち上げる。
持てない重さではない。
だが、固定された右肩へ負担がかかるらしい。
すぐに作業台へ戻した。
「前の盾より少し重いな」
「ああ」
「今のウィルなら問題ない」
完全攻略報酬によって、筋力は45まで上がっている。
以前なら、長時間持つと疲労が大きかったかもしれない。
「これで、次の迷宮へ入れますね」
リディアが言った。
「まだ決めていない」
「協会から、候補があると聞きました」
「話を聞くだけだ」
「入らないんですか?」
「入らないとは言っていない」
「では、入るんですね」
なぜそうなる。
エドガーが小さく笑った。
「扱い方を覚えたらしいな」
「誰のだ」
「お前の」
◇
ベルクへ代金を支払い、冒険者協会へ向かった。
新しい盾はパーティーの共通装備として作った。
費用は金貨1枚と銀貨8枚。
リディアも、分担することを譲らなかった。
協会の奥にある部屋では、受付の女性が地図を用意して待っていた。
「《霧の沼迷宮》完全攻略後の休養は、十分に取られましたか?」
「ああ」
「治療師の許可は?」
「出ている」
「剣を振っても?」
「ああ」
「本当ですか?」
「なぜ確認する」
「前回、治療師から注意を受けたと伺いましたので」
誰が話した。
リディアは視線を逸らしている。
エドガーは最初から俺を見ていない。
「問題ない」
受付の女性は、まだ疑っているようだった。
それでも話を進め、机の上へ一枚の地図を広げる。
縦に長い建物。
中央には、螺旋状の階段。
外壁の一部が崩れ、細い通路が外へ突き出している。
「次の攻略候補として、協会から提案するのはこちらです」
地図の上部に、名前が書かれている。
《風鳴りの塔迷宮》
「塔?」
リディアが地図を覗き込む。
「はい。町から北西へ馬車で半日ほどの場所にあります」
高さは、現在確認されているだけで七階。
内部は石造り。
階段や通路の一部が崩れている。
迷宮内では常に風が吹き、上階ほど強くなるという。
「普通の迷宮と違い、下ではなく上へ進みます」
受付の女性が一階部分を指す。
「入口はここです。転移地点も一階にあります」
「通常魔物は?」
「確認されているだけで六種類です」
十種類すべては分かっていない。
迷宮主の姿も未確認。
「完全攻略された記録はありません」
「誰も最上階へ行っていないのか」
「六階までは到達されています。ただし、そこから先へ進んだ冒険者は、全員撤退しています」
「理由は」
「風です」
受付の女性が地図の六階を指す。
「六階から七階へ続く階段の一部が、外壁の外へ出ています。強い横風が吹き、普通に歩くことはできません」
「縄を使えば?」
「石壁へ固定できる場所が少ないそうです」
飛行できる魔法使い。
風を抑える装備。
あるいは、崩れた通路を修復する能力。
どれも、これまで挑戦したパーティーにはなかった。
「魔物にも、飛ぶ種類が多く確認されています」
「弓が必要だな」
エドガーが言った。
「はい。協会としても、遠距離攻撃ができる冒険者を含む三人以上のパーティーを推奨しています」
部屋が静かになる。
エドガーは、まだ弓を引けない。
右肩の回復には、少なくとも三か月。
無理をすれば、二度と弓を使えなくなる可能性がある。
「別の迷宮は?」
俺が尋ねると、受付の女性がもう一枚の地図を出した。
「《石角平原迷宮》があります。こちらは地上型で、魔物の情報も多く、二人でも比較的進みやすい迷宮です」
広い草原。
岩場。
魔物は角ウサギや、野犬に近い種類が中心。
「ただし、迷宮主はすでに何度も討伐されています」
「完全攻略されているのか」
「はい。迷宮自体は再生していますが、新種討伐や完全攻略による大きな報酬は期待できません」
安全性は高い。
魔石や素材を集めるには向いている。
だが、ガチャの条件を進めるには弱い。
「風鳴りの塔へ行きたいです」
リディアが言った。
「理由は」
「私なら、飛んでいる魔物にも《氷針》を使えます」
「風が強い」
「だからこそ、練習が必要です」
「六階から先へ進めるとは限らない」
「最初から六階へ行くわけではありません」
以前なら、危険な迷宮を聞いた時点で顔を青くしていた。
今も怖くないわけではないらしい。
地図を見る指が、少し震えている。
「行けるところまで進んで、無理なら戻ります」
「怖くないのか」
「怖いです」
答えは変わらない。
「飛ぶ魔物が、どんな動きをするのかも分かりません。高い場所も苦手です」
「高い場所もか」
「今、初めて思い出しました」
顔色が少し悪くなっている。
「それでも行くのか」
「はい」
リディアは、地図から目を逸らさなかった。
「怖いものが増えても、できることまで減るとは限りません」
沼王ガエルとの戦いを経験した。
怖さをなくすのではなく、怖いまま動くことを覚え始めている。
「エドガーはどう思う」
俺が尋ねると、エドガーは地図を見たまま答えた。
「行くべきだ」
「弓は使えない」
「だから行くなと言えば、俺が戻るまで二人を止めることになる」
「待つこともできる」
「三か月だぞ」
エドガーが固定された右腕を見る。
「本当に三か月で戻れるかも分からん」
「治る」
「治すつもりだ。だが、保証はない」
言葉に悔しさが混じっている。
「俺のために止まるな」
「置いていくつもりはない」
「分かっている」
エドガーが俺を見る。
「活動を止めないことと、仲間を置いていくことは違う」
灰晶洞窟迷宮で、エドガーは俺を守った。
今は一緒に戦えない。
だからといって、パーティーからいなくなったわけではない。
「俺は地図を見る。魔物の情報も集める。作戦も考える」
「弓を引けなくてもか」
「弓しか使えないと思っていたのか?」
「違う」
「なら、俺の役割は残っている」
リディアがうなずく。
「エドガーさんがいなければ、沼王ガエルの作戦も作れませんでした」
「そういうことだ」
受付の女性が、三人を順番に見る。
「では、《風鳴りの塔迷宮》の資料をお渡しします。ただし、すぐに攻略へ入ることはおすすめしません」
「ああ」
「塔内の風を想定した訓練が必要です。転落防止用の縄や金具も用意してください」
「新しい盾も、風の中で試す必要がある」
盾は攻撃を防げる。
だが、強い横風を受ければ、盾そのものが風を受ける板になる。
構え方を間違えれば、身体ごと持っていかれる。
「七日後に、入口付近の偵察をする」
俺が言うと、リディアが尋ねる。
「七日間は何をするんですか?」
「訓練と準備だ」
「迷宮へは?」
「入らない」
「本当に?」
「なぜ疑う」
「ウィルさんだからです」
エドガーも受付の女性も、何も言わずにうなずいていた。
◇
協会を出たあと、町の外にある丘へ向かった。
遮る建物が少なく、一年を通して強い風が吹く場所だ。
《風鳴りの塔迷宮》ほどではない。
それでも、装備の確認には使える。
丘の上へ着くと、外套が風に揺れた。
前の《霧除けの外套》は、沼王ガエルに飲み込まれて失っている。
今着ているのは、普通の黒い外套だ。
風を防ぐ効果はない。
「最初は盾だ」
《沼甲の円盾》を構える。
正面から風を受ける。
盾の表面へ風が当たり、腕を後ろへ押す。
重さがある分、簡単には持ち上がらない。
だが、盾を正面へ向け続けると、腕への負担が大きい。
「少し斜めにしてください」
リディアが言った。
「風を横へ流すように」
盾の角度を変える。
正面から受ける力が弱くなった。
風が盾の表面を滑り、横へ抜けていく。
「攻撃と同じだな」
すべてを正面から止める必要はない。
受け流す。
角度を変えるだけで、身体への負担は減る。
「次は魔法だ」
リディアが杖を構える。
丘の先に、木の板を立てている。
距離は二十歩。
「《氷針》!」
三本の氷が飛ぶ。
風に押される。
すべて、標的の左側へ外れた。
「思ったより流されます」
「もう一度」
リディアが狙いを右へずらす。
「《氷針》!」
三本のうち、一本が木板へ刺さった。
残りは外れる。
「当たりました」
「一枚だけだ」
「最初は全部外れました」
失敗より、当たった一本を見るようになっている。
「風は、いつも同じ方向ではない」
「分かっています」
リディアが頬へ当たる風を感じる。
「次は、詠唱の途中で変わるかもしれません」
「続けられるか」
「魔力が減るまで練習します」
「使い切るな」
「はい」
返事はした。
だが、目は標的を見たままだ。
「リディア」
「何ですか?」
「使い切るな」
「聞こえています」
「ならいい」
俺も盾を構え直す。
リディアが魔法を撃つ。
俺は風の中で、盾を受け流す。
エドガーは丘の下に座り、左手で地図へ書き込みをしている。
戦えない。
それでも、俺たちは三人で次の迷宮へ向かっていた。
◇
丘から町へ戻る頃には、日が傾いていた。
協会の前でエドガーとリディアと別れる。
家へ向かう。
新しく直した窓には、夕日の色が映っている。
扉を開ける前に、一度だけ振り返った。
通りには、買い物帰りの人間。
仕事を終えた職人。
遊んでいる子供。
特に変わったものはない。
それでも、誰かに見られていたような気がした。
《霧感知・小》は、霧や煙の中でなければほとんど働かない。
周囲を見ても、怪しい気配は見つからなかった。
「気のせいか」
家の中へ入る。
新しい盾を、扉の横へ立てかける。
壁には古い剣。
以前の盾は形を変え、再び俺のそばへ戻ってきた。
まだ壊れている場所はある。
失ったものも多い。
それでも、残ったものは次へつながっている。
◇
通りの角。
古い帽子をかぶった男が、露店の前で果物を選んでいた。
ウィルが家へ入るのを確認したあと、銅貨を一枚置く。
買った果物を袋へ入れ、人通りの少ない路地へ入った。
そこで、小さな手帳を取り出す。
男の手で、短い文章が書き加えられる。
ウィル・クロード。
居住地確認。
母親が所有していた古い家に居住。
幼なじみの女性が頻繁に出入り。
パーティー構成は三名。
弓使いの男は右肩を負傷し、現在休止中。
新たに氷魔法使いの女が加入。
《霧の沼迷宮》完全攻略時に使用した盾は破損。
本日、新しい円盾を受領。
次の攻略候補は《風鳴りの塔迷宮》。
男は手帳を閉じた。
ウィルが振り返った瞬間も、果物を選ぶ客の顔を崩していなかった。
「便所虫、か」
依頼主から聞かされた言葉を、小さく呟く。
三つの迷宮を完全攻略した男。
町では、慎重で仲間を見捨てない冒険者だと評判になっている。
報告書に書かれていた人物像と、依頼主の言葉が一致しない。
だが、男の仕事は判断することではない。
調べることだ。
路地の奥には、王都へ向かう早馬の連絡所がある。
男は手帳から一枚の紙を切り離し、封筒へ入れた。
宛名は書かれていない。
代わりに、銀色の槍をかたどった小さな印が押されている。
ゲイルが初めて伸ばした手は、まだ剣ではなかった。
ただ見ているだけの、静かな目。
ウィルはまだ、その目に気づいていなかった。
あとがき
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作のKindle版も発売中です。
Kindle版には、本編に加えて、
・エドガー視点――初めてウィルと組んだ日
・アレナ視点――七年ぶりに帰ってきた幼なじみ
・防具職人視点――壊れるための盾
・第24話後日談――三人で囲む食卓
以上の書き下ろし番外編を収録しています。
ウィルたちの物語を、別の視点からも楽しんでいただけたら嬉しいです。




