第47話 割れた盾の先へ
町へ戻ったあと、俺たちは冒険者協会ではなく、先に治療所へ向かった。
リディアに腕を引かれたからだ。
「歩ける」
「歩けることと、治療が必要ないことは別です」
「大きな傷はない」
「背中から石の道へ落ちました」
「腕輪が衝撃を弱めた」
「弱めただけです」
言い返すたびに、返される。
少し前まで、俺の後ろで謝ってばかりいたとは思えない。
「エドガーさんから聞きました」
「何をだ」
「ウィルさんは、自分で歩ける間は怪我をしていないことにする、と」
「そんなことはしていない」
「今、しています」
治療所へ入ると、顔見知りの治療師が俺たちを見た。
泥だらけの装備。
血のついた剣。
破損した円盾の代わりに、俺が抱えている二つの破片。
治療師は何も尋ねず、奥の寝台を指した。
「座ってください」
「俺より先に、リディアを」
「私は怪我をしていません」
「魔力がほとんど残っていない」
「魔力切れは、少し休めば治ります」
「二人とも診ます」
治療師の声が強くなった。
「まず、ウィルさん。服を脱いでください」
「ここでか」
「背中を確認します」
リディアが、すぐに後ろを向いた。
「見ません」
「外へ出ていていい」
「ウィルさんが怪我を隠さないか、治療師さんに確認してから出ます」
信用されていない。
◇
診察の結果、背中と左肩に強い打撲があった。
骨は折れていない。
左腕の痺れも、鳴き声の衝撃と盾を受け続けた負担によるものらしい。
「今日は剣を振らないでください」
「ああ」
「明日もです」
「状態を見て決める」
「明日もです」
治療師が、同じ言葉を繰り返した。
「三日間は迷宮へ入らないでください」
「完全攻略したばかりだ。入る予定はない」
「それなら問題ありません」
身体へ治療魔法を受け、痛みを抑える薬を渡される。
次に診てもらったリディアは、軽い魔力枯渇と疲労だけだった。
「よく眠って、食事を取れば回復します」
「分かりました」
「今日は魔法を使わないでください」
「はい」
リディアは素直に答えた。
治療師が俺を見る。
「同じ内容を伝えたのに、返事がずいぶん違いますね」
「俺も返事はした」
「状態を見て決める、と言いました」
「迷宮へは入らない」
「剣も振らないでください」
「ああ」
隣で、リディアが小さく笑った。
「何がおかしい」
「すみません。でも、治療師さんの方が強いなと思って……」
「俺と戦っているわけではない」
「そうですね」
まだ笑っていた。
◇
治療を終え、冒険者協会へ入る。
受付の前には、何人もの冒険者が集まっていた。
俺たちの姿を見た瞬間、話し声が止まる。
「戻ったぞ」
「二人とも生きてる」
「迷宮主は?」
「盾が……」
俺が抱えている円盾の破片へ、視線が集まった。
受付の女性が、急いでこちらへ来る。
「お帰りなさい。お怪我は?」
「治療所で診てもらった」
「完全攻略の表示が出ました」
リディアが報告する。
その声が、わずかに震えていた。
「《沼王ガエル》を討伐しました」
協会の中が静まり返る。
「本当ですか?」
「ああ」
「通常魔物は、すでに十種類すべて確認しています。では……」
受付の女性が、驚いた表情のまま俺たちを見る。
「《霧の沼迷宮》を、完全攻略したのですね」
「ああ」
次の瞬間。
協会内から、大きな歓声が上がった。
「三つ目だ!」
「ウィルがまた完全攻略したぞ!」
「今度は二人だけだろ?」
「氷魔法使いの子も一緒だったのか!」
リディアの身体が固まる。
多くの人間から見られることにも慣れていないらしい。
「ウィルさん」
「何だ」
「どこを見ればいいでしょうか」
「受付を見ていろ」
「はい」
リディアは、受付の女性だけを見る。
「詳しいご報告は、奥の部屋で伺います」
「素材の回収も頼みたい」
「調査隊をすぐに手配します」
「迷宮主の右前脚には、灰晶王蛇の牙を使った杭が刺さっている」
「回収しますか?」
「ああ。結晶糸の縄も残っている」
石柱は折れたが、縄自体は切れていない。
杭も、沼王ガエルの前脚へ残ったままだ。
「それから、割れた盾も素材として登録しますか?」
「これは売らない」
受付の女性が、俺の抱えている破片を見る。
「承知しました」
迷宮主の死体と調査隊が戻るまで、正式な完全攻略認定には時間がかかる。
だが、迷宮側の表示と討伐記録が残っている。
疑われることはなかった。
「ウィルさん」
受付の女性が、俺ではなくリディアを見た。
「《沼王ガエル》との戦闘で、どのような役割を?」
「私は……」
リディアの指が、杖を強く握る。
「最初に、灰晶の杭を《氷槍》で飛ばしました」
「迷宮主の前脚へ?」
「はい。でも、浅くしか刺さらなくて、ウィルさんが近づいて打ち込みました」
「そのあとは?」
「喉へ《氷槍》を……」
声が小さくなる。
「一度、詠唱を止めました」
隠す必要はない。
だが、今は失敗だけを話している。
「二度目は成功した」
俺が言う。
リディアがこちらを見る。
「膨らんだ喉の傷へ氷槍を当て、鳴き声を止めた。最後にも《凍結》で喉の内側を凍らせた」
「そうだったのですか」
受付の女性の表情が明るくなる。
「では、迷宮主討伐に大きく貢献されたのですね」
「ウィルさんが守ってくれたからです」
「リディアが魔法を当てたから、俺が剣を刺せた」
「でも……」
「二人で倒した」
治療所でも言った言葉だ。
リディアは何かを言いかけたあと、口を閉じた。
「はい」
今度は否定しなかった。
「二人で倒しました」
小さな声だった。
だが、はっきりと聞こえた。
◇
正式な結果が出たのは、三日後だった。
治療師に言われたとおり、その間は迷宮へ入っていない。
剣も振らなかった。
一度だけ握ったが、振ってはいない。
調査隊が《沼王ガエル》の死体と、残してきた素材を回収した。
俺とリディアは、エドガーと一緒に協会の奥の部屋へ入る。
「まず、正式な認定からお伝えします」
受付の女性が、認定書を机へ置いた。
「《沼王ガエル》の死亡と、迷宮内の魔力循環の安定を確認しました」
認定書には、俺とリディアの名前が記されている。
「ウィル・クロードさん。リディア・ノールさん」
受付の女性が微笑む。
「お二人による《霧の沼迷宮》の完全攻略を、冒険者協会は正式に認定します」
「ありがとうございます」
リディアが頭を下げた。
「ありがとう」
俺も続く。
「ウィルにとっては、三つ目か」
エドガーが認定書を見る。
「ああ」
「俺が休んでいる間に、ずいぶん先へ進んだな」
「戻るまで待つつもりはない」
「それでいい」
エドガーの声には、悔しさがなかったわけではない。
固定された右腕へ、一度だけ視線を落としている。
それでも、俺たちの認定書を見た顔には笑みがあった。
「リディア」
「はい」
「初めての完全攻略だな」
「はい」
「どうだ」
リディアは少し考えた。
「まだ、あまり実感がありません」
「怖くなくなったか?」
「いいえ」
即答だった。
「次の迷宮へ行くことを考えると、もう少し怖いです」
「完全攻略した直後に、次を考える必要はない」
俺が言うと、エドガーが笑う。
「お前がそれを言うのか」
「休むことも必要だ」
「治療師に三日間止められたから、覚えたらしいな」
余計なことを言う。
受付の女性が別の書類を広げた。
「次に、素材と報酬についてご説明します」
回収された主な素材が、順番に読み上げられる。
大型魔石一個。
厚い背皮。
前脚と後ろ脚の骨。
長い舌。
鳴き声を生み出していた喉袋。
水中で霧を作るための魔力腺。
さらに、途中で残していた泥ガメの甲羅。
「素材をすべて売却した場合、金貨十枚と銀貨八枚になります」
灰晶王蛇より、素材の査定額は低い。
背皮は厚いが、剣や氷槍による損傷が多い。
肉も、食用には向かないらしい。
「完全攻略報奨金が金貨四枚。地図と新種魔物の情報に対する報酬が、金貨一枚と銀貨四枚です」
合計で、金貨十六枚と銀貨二枚。
「そこから、調査隊の回収費用、治療費、素材の運搬費が差し引かれます」
最終的な金額は、金貨十三枚と銀貨八枚。
「ただし、保管を希望されている素材があります」
泥ガメの甲羅。
沼王ガエルの背皮。
前脚の太い骨。
それから、《灰晶返し杭》と結晶糸の縄。
これらは売らずに残す。
「保管素材の査定額を差し引き、実際の支払額は金貨十一枚と銀貨二枚です」
受付の女性が、俺とリディアを見る。
「今回の分配対象は、探索へ参加したお二人です。活動休止中のエドガーさんには、自動では分配されません」
リディアがエドガーを見る。
「本当に、いいんでしょうか」
「俺は迷宮へ入っていない」
「でも、作戦を一緒に考えてくれました」
「相談しただけで金貨を受け取っていたら、協会の職員は全員大金持ちになる」
「ですが……」
「受け取れ」
エドガーが言い切る。
「お前とウィルが命を懸けて得た金だ」
リディアは、まだ迷っている。
「一人当たり、金貨五枚と銀貨六枚になります」
受付の女性が二つの革袋を置いた。
リディアは、自分の前にある袋を見つめる。
「こんな大金を、一度に受け取ったことがありません」
「俺も、最初はそうだった」
「どうしましたか?」
「家を直した」
「全部ですか?」
「少しだけだ」
まだ直していない窓もある。
裏側の壁も傷んでいる。
「使い道は、急いで決めなくていい」
「はい」
リディアは革袋を両手で持った。
「姉に、少し送りたいです」
「いいと思う」
「残りは、装備と薬のために取っておきます」
「焼き菓子の材料を全部高級品に替えないのか」
エドガーが尋ねる。
「そんなことはしません」
「少し残念そうだな」
「していません」
リディアの頬が、少し膨らんだ。
以前より、表情が増えている。
◇
協会を出たあと、三人でベルクの工房へ向かった。
作業台には、回収された泥ガメの甲羅と、沼王ガエルの背皮が置かれていた。
その横に、割れた円盾の二つの破片がある。
「ひどい壊れ方だな」
ベルクが、盾の中央を指でなぞる。
「舌へ投げた」
「受けるなとは言ったが、投げろとは言ってねえ」
「俺は引き込まれなかった」
「盾は死んだがな」
「ああ」
ベルクは、割れた木板を持ち上げる。
裏側の革帯。
何度も握った持ち手。
そこは、まだ形を残していた。
「金属縁は使えねえ。板も割れてる。盾として直すのは無理だ」
「分かっている」
「だが、持ち手と中央の金具は残せる」
ベルクが泥ガメの甲羅を叩く。
「こいつを削って、円盾の芯にする。表へ沼王ガエルの背皮を張れば、水を吸いにくく、打撃にも強い盾になる」
「重さは?」
「今までの盾より少し重い。ただ、この甲羅は見た目ほど重くない」
ベルクは、沼王ガエルの前脚の骨を持ち上げる。
「こいつを内側の支えへ使う。古い盾の持ち手と金具も組み込める」
同じ盾ではない。
だが、これまで握ってきた部分は残る。
「作れるのか」
「ああ。五日はかかる」
「費用は?」
「材料を持ち込んでいるから、金貨一枚と銀貨八枚だ」
「俺の取り分から払う」
「共通費用です」
リディアが、すぐに言った。
「俺が使う盾だ」
「迷宮で、私を守るためにも使います」
「だが――」
「全員が同じ物を使う必要はない。全員が生きて帰るために必要なら、共通の装備です」
エドガーが以前言った言葉を、そのまま返された。
隣を見る。
エドガーは、何も言わずにうなずいている。
「分かった」
パーティーの共通費用から支払う。
リディアが少し嬉しそうに笑った。
「最初からそう言えばいいんです」
「誰に教わった」
「エドガーさんです」
「俺がいない間に、余計なことばかり教えているな」
「必要なことだ」
ベルクが、古い盾の持ち手を外し始める。
「新しい盾に、名前はつけるか」
「完成してからでいい」
「そうか」
金槌の音が、工房に響く。
壊れた盾を、無理に元へ戻すことはできない。
だが、残ったものを使って、次へ進むことはできる。
◇
その日の夕方。
家へ戻ると、アレナが新しい窓の前に立っていた。
机には、野菜スープが置かれている。
「お帰り」
「ああ」
「完全攻略したんだって?」
「もう聞いたのか」
「町中で話してるよ」
アレナの視線が、俺の左腕へ向く。
「怪我は?」
「打撲だけだ」
「本当に?」
「治療師に診てもらった」
「なら、少しだけ信じる」
少しだけらしい。
「盾は?」
「ベルクの工房にある」
「壊れたって聞いたけど……」
「ああ」
壁には、最初に使っていた古い剣がかかっている。
その隣は空いていた。
「盾も、ここへ飾るの?」
「全部は残らない」
「新しい盾に使うの?」
「ああ。持ち手と中央の金具を使う」
アレナが、空いている壁を見る。
「それがいいと思う」
「飾るよりか」
「うん」
アレナは鍋からスープをよそう。
「思い出としてしまっておくのも大事だけど、次に進むために使うのも大事だから」
湯気の立つ器が、俺の前へ置かれる。
母が作っていたものに近い、野菜の匂い。
「リディアは?」
「怪我はない。完全攻略の報酬を、姉へ送ると言っていた」
「優しい子だね」
「ああ」
「仲間になって、よかった?」
すぐに答えられた。
「ああ」
アレナが笑う。
「今のは早かったね」
「何がだ」
「前なら、もっと考えてから答えてた」
そうだったかもしれない。
新しい窓から、夕方の光が差し込んでいる。
家は、まだ完全には直っていない。
盾も、今は手元にない。
エドガーも、まだ弓を引けない。
それでも。
失ったものだけを数える必要はない。
新しく増えたものもある。
◇
同じ頃。
王都から離れた街道で、巨大な魔物が地面へ崩れ落ちた。
黒い鎧をまとったオーガ。
胸には、大きな穴が開いている。
穴の周囲では、青白い雷がまだ弾けていた。
魔物の前に立つ男へ、兵士たちが歓声を上げる。
「ゲイル副団長!」
「一撃だ!」
「さすが王国の英雄!」
銀色の槍を持ったゲイルは、笑みを浮かべた。
「負傷者を先に運べ。周囲の確認も忘れるな」
「はい!」
部下へ指示を出す声は冷静だった。
完璧な英雄。
誰もが、そう信じている。
だが、槍を握るゲイルの右手は、わずかに痺れていた。
魔物へ雷槍を放った瞬間。
魔力が、一度だけ途切れた。
以前なら、胸だけではなく上半身ごと消し飛ばしていた。
それでも、倒せた。
周囲の人間は、異変に気づいていない。
「副団長、お怪我は?」
部下が尋ねる。
「あるわけがないだろう」
ゲイルは笑った。
「この程度の魔物で、俺が傷つくと思うか?」
「失礼しました!」
「冗談だ。気にするな」
部下の肩を軽く叩く。
優しい上官の顔。
そのまま、用意された馬車へ乗り込む。
扉が閉まった瞬間、ゲイルの笑みが消えた。
「……またか」
右手を開く。
指先が、思ったように動かない。
酒の飲みすぎ。
疲労。
眠れていないだけ。
そう考えていた。
向かいに座った側近が、一枚の報告書を差し出す。
「副団長。以前、調べるよう命じられていた者について、新しい報告が届きました」
「誰だ」
「ウィル・クロードです」
ゲイルの目が細くなる。
「まだ生きていたのか、あの便所虫は」
「冒険者として活動しています」
「知っている。ゴブリンと遊んでいるんだろう」
「それが……三つ目の迷宮を完全攻略したとの記録が」
ゲイルの右手で、青白い雷が弾けた。
だが、すぐに消えた。
「三つ?」
「はい。《ユーカリ森林迷宮》《灰晶洞窟迷宮》、そして今回の《霧の沼迷宮》です」
「あり得ない」
「協会の正式な認定記録です」
「誰かの手柄を盗んだんだろう」
「最初の迷宮は二人。二つ目も二人。今回も、同行者は一人だけだったようです」
ゲイルは報告書を奪い取った。
ウィル・クロード。
完全攻略数、三。
現在も活動中。
紙を握る指に力が入る。
「俺を鉱山送りにした犯罪者が、英雄ごっこか」
事実とは逆だった。
だが、ゲイルの中では、すでにそうなっている。
自分を脅かす者。
自分の名誉を傷つける者。
それはすべて、悪人だった。
「最初の完全攻略は、いつだ」
側近が日付を答える。
ゲイルの表情が止まった。
雷の出力に、最初の違和感が出た時期。
二つ目。
高級酒場で、力が滑った日。
三つ目。
今日。
「偶然だ」
誰に言うでもなく呟く。
もう一度、右手に雷を集める。
青白い光。
強い。
今でも、並の魔法使いとは比較にならない。
だが。
以前より、光が薄い。
「副団長?」
「ウィル・クロードについて、すべて調べろ」
ゲイルが低い声で命じる。
「使っている武器。仲間。泊まっている場所。攻略した迷宮で、何を手に入れたか」
「本人へ接触しますか?」
「まだ必要ない」
ゲイルは報告書を折り畳んだ。
「気づかれないように調べろ」
「承知しました」
馬車の窓から、兵士たちの姿が見える。
誰もがゲイルを英雄と呼んでいた。
その歓声を聞きながら、ゲイルは右手を握る。
自分の力が弱くなっている。
そして、ウィルが迷宮を攻略している。
二つの出来事が、本当に無関係なのか。
初めて生まれた疑いが、胸の奥へ残った。
《迷宮核同調率》
95%→91%
《魔力出力》
10/10
《身体適合》
低下
ゲイルには、その表示が見えていない。
借り物の力は、まだ圧倒的だった。
だが、確実に。
返却の時は近づいていた。
第2章 雨の止んだ家 完
名前:ウィル・クロード
レベル:6
生命力:52
筋力:45
敏捷:37
魔力:33
ダンジョンガチャレベル:2
所持ガチャチケット:6枚
次回11連ガチャまで:あと4枚
迷宮完全攻略数:3
名前:ゲイル
迷宮核同調率:91%
魔力出力:10/10
身体適合:低下
異常認識:なし
※迷宮核に関する状態は、ゲイル本人には見えていない。




