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第43話 怖いまま、前へ



 翌朝。


 家の前に、二人の職人が立っていた。


 一人は木材を積んだ手押し車を押し、もう一人は布で包んだ板ガラスを抱えている。


「ウィル・クロードさんの家で間違いないか?」


「ああ」


「アレナさんの紹介で来た。壁と窓を直したいと聞いている」


 灰晶洞窟迷宮の報酬を受け取ったあと、アレナの父親に信頼できる職人を知らないか尋ねていた。


 今日、ようやく来てもらえたらしい。


 年配の職人が、家の周囲を確認する。


「屋根は直してあるな」


「ああ」


「前の壁は補修できる。窓枠は腐っているから、ガラスだけ替えても長く持たん。枠ごと交換した方がいい」


「いくらかかる」


 職人が、壁を軽く叩く。


「前の壁と窓を二つ。全部直すなら、金貨二枚と銀貨三枚だ」


 払えない額ではない。


 だが、リディアの長靴や、探索に必要な薬も購入した。


 次の迷宮で、どれだけ費用がかかるかも分からない。


「窓を一つにしたら?」


「前の壁と、こちらの窓だけなら金貨一枚と銀貨六枚だ」


 職人が、居間にある大きな窓を指した。


 反対側の小さな窓には、まだ板が打ちつけられている。


 全部を一度に直す必要はない。


「それで頼む」


「もう一つはいいのか?」


「次にする」


 今できるところから直していく。


 家も。


 自分の人生も。


 一度に元へ戻るものではない。


「分かった。今日中には終わる」


 二人の職人が作業を始める。


 古い窓枠が外される。


 壁へ打ちつけられていた傷んだ板も、一枚ずつ剥がされていく。


 七年間。


 誰にも手入れされなかった家。


 壁の隙間から、朝の光が差し込んだ。


 眩しくて、少し目を細める。


「ウィル」


 背後から声をかけられた。


 振り返ると、アレナが籠を抱えて立っていた。


「職人さん、来てくれたんだね」


「ああ。紹介してくれて助かった」


「お父さんが、昔から知っている人なの。仕事は丁寧だよ」


 アレナが、取り外された窓枠を見る。


「両方直すの?」


「今日は一つだけだ」


「お金が足りない?」


「足りないわけじゃない。全部使う必要はないと思った」


「うん。その方がいいと思う」


 アレナは反対しなかった。


「迷宮へ入るなら、薬も装備も必要だもんね」


「ああ」


「でも、窓が直ったら、冬は少し暖かくなるね」


 新しいガラスが入れば、風が入らなくなる。


 雨の日に、床へ水が溜まることもない。


 小さな変化だ。


 だが、今の俺には十分大きかった。


「その籠は?」


「お昼ご飯。職人さんの分も作ってきたよ」


「俺は頼んでいない」


「職人さんに頼んだのはウィルでしょ。お昼くらい出した方がいいよ」


 そういうものなのか。


 鉱山刑務所では、働いても食事が増えることはなかった。


「あと、ウィルの分もあるから」


「ありがとう」


「ちゃんと言えるようになったね」


「前から言っている」


「前は、もっと小さな声だったよ」


 覚えていない。


 アレナは家の中へ入り、机の上に籠を置いた。


 そのとき、家の前で別の足音が止まった。


「あの……ウィルさん」


 リディアだった。


 新しく買った長靴ではなく、町歩き用の革靴を履いている。


 手には、小さな紙袋。


「ここが、ウィルさんの家でしょうか」


「ああ」


「協会の方に場所を聞きました」


 リディアは、作業中の職人たちを見る。


「お忙しかったですか?」


「窓を直してもらっているだけだ」


「今日、探索の相談をすると聞いていたので……」


 昨日、別れる前に、次の探索について協会で話すと伝えていた。


 家に職人が来ることを忘れていた。


「中へ入ってくれ」


「お邪魔します」


 リディアが家の中へ入り、アレナと目が合った。


 二人とも動きを止める。


「こんにちは」


 先に声をかけたのは、アレナだった。


「こ、こんにちは」


 リディアが慌てて頭を下げる。


「リディア・ノールです。ウィルさんのパーティーに、入れていただきました」


「あなたがリディアさんなんだ」


「私のことを知っているんですか?」


「ウィルから少し聞いたの」


 リディアが俺を見る。


「何を話したんですか?」


「氷魔法使いが仲間になったと話した」


「ほかには?」


「魔物が怖いことも」


「そこも話したんですね……」


 隠すことではないと思った。


「私はアレナ。ウィルの幼なじみなの」


「幼なじみ……」


 リディアの視線が、俺とアレナの間を行き来する。


「昔からウィルさんを知っているんですか?」


「うん。子供の頃から」


「では、ウィルさんが何を考えているか、分かるんですか?」


「分からないよ」


 アレナが即答した。


「分からないのか」


「ウィルは、何も言わずに自分だけで決めるから」


「最近は話している」


「前よりはね」


 リディアが小さくうなずく。


「やっぱり、分かりにくい人なんですね」


「どうして二人で納得している」


 俺だけがおかしいような言い方だった。


 アレナが、リディアの持っている紙袋を見る。


「それは?」


「あっ、空になった魔力回復薬の瓶を返しに来ました」


「瓶は返さなくていい」


「でも、再利用できると聞きました」


 リディアが紙袋から、小さな青い瓶を出す。


 きれいに洗われていた。


「それから、昨日のお礼に焼き菓子を作りました」


「お礼?」


「《氷槍》を使えるようになるまで、守ってもらったので」


「俺も助けられた」


「それでも、作りたかったんです」


 リディアが紙袋を机へ置く。


 アレナも、自分の持ってきた籠を開いた。


「じゃあ、お昼に一緒に食べようか」


「私もいいんですか?」


「たくさん作ってきたから」


 リディアが俺を見る。


 俺に確認する必要はないと思う。


「ああ」


「では、お邪魔します」


 二人が並んで料理を出し始める。


 野菜の入ったパン。


 肉と豆を煮たもの。


 小さな焼き菓子。


 職人たちの作業する音を聞きながら、俺は壁にかけてある古い剣を見た。


 リディアも、その視線に気づく。


「あの剣は?」


「最初に使っていた剣だ」


「もう使わないんですか?」


「刀身が欠けている。戦闘には使えない」


「それでも、捨てなかったんですね」


「ああ」


 スライム。


 角ウサギ。


 森ゴブリン。


 疾風のフォレストウルフ。


 何度も折れそうになりながら、俺と一緒に戦った剣だ。


「ウィルは、物を簡単に捨てないの」


 アレナが言った。


「人もね」


 リディアが、古い剣から俺へ視線を移す。


「それで、私も仲間にしてくれたんでしょうか」


「壊れていると思ったのか?」


「そこまでは言っていません」


「魔法は使える。壊れていない」


「でも、怖がりです」


「それも知っている」


 リディアが少し笑った。


「はい。知っていて、入れてくれました」


 アレナが、リディアの手を見る。


「昨日、ウィルを助けてくれたんだよね」


「助けたというほどでは……」


「大きなワニを、氷の槍で止めたって聞いたよ」


「止めたのは少しだけです。最後に倒したのはウィルさんです」


「でも、ウィル一人では危なかったんでしょ?」


「それは……はい」


「ありがとう」


 アレナが頭を下げた。


 リディアが慌てる。


「どうしてアレナさんがお礼を?」


「ウィルが無事に帰ってきてくれたから」


 リディアは何も言わず、アレナを見る。


 それから、少しだけ表情を柔らかくした。


「私も、ウィルさんに助けられています」


「じゃあ、次も助け合ってね」


「はい」


 アレナの言葉は、俺には向けられていない。


 だが、返事をする必要がある気がした。


「ああ」


「ウィルにも言ってないよ」


「聞こえたから答えただけだ」


 リディアが口元を押さえた。


「笑ったのか」


「すみません」


「謝ることではないよ」


 アレナまで笑っている。


 何がおかしいのか、分からなかった。


     ◇


 昼を過ぎた頃、新しい窓が入った。


 透明なガラス。


 新しい木枠。


 外から入ってくる光が、以前より明るい。


「終わったぞ」


 職人が、壁を手で叩く。


「雨が降っても、この窓から水は入らん。前の壁も、数年は問題ないはずだ」


「ありがとう」


「残りの窓と裏側の壁は、余裕ができたときに呼んでくれ」


「ああ」


 金貨一枚と銀貨六枚を支払う。


 職人たちは、アレナが用意した食事を持って帰った。


 家の中が静かになる。


 新しい窓から入った光が、古い剣を照らしていた。


「明るくなりましたね」


 リディアが言う。


「ああ」


「前は、もっと暗かったんですか?」


「板で塞いでいた」


「全部、自分で直しているんですか?」


「屋根は、迷宮の報酬で職人に頼んだ。中の掃除や、小さな補修は自分でやった」


 リディアは家の中を見回す。


 まだ修理していない壁。


 板で塞がれた小さな窓。


 古い机と椅子。


 以前よりは暮らせるようになった。


 だが、完全に直ったわけではない。


「少しずつなんですね」


「ああ」


「私も、同じかもしれません」


 リディアが杖へ触れる。


「一度《氷槍》を使えたからといって、もう怖くないわけではありません」


「当然だ」


「今日、迷宮へ行くことを考えたら、また手が震えました」


「行きたくないか?」


「行きたいです」


 迷わず答えたあと、リディアは付け加える。


「怖いですけど」


「それでいい」


「怖くなくなるまで待った方がいいとは、思わないんですか?」


「いつ怖くなくなるか、分からない」


 俺も、洞窟へ入る前は身体が強張った。


 鉱山刑務所の記憶が消えたわけではない。


 今でも金属音や怒鳴り声で、昔を思い出すことがある。


 それでも進む。


「怖くなくなってから始める必要はない」


 リディアが、新しい窓を見る。


「怖いままでも、少しずつ進めばいいんですね」


「ああ」


「この家みたいに」


 まだ壊れている場所は残っている。


 だが、新しい窓から光は入る。


 それで十分だった。


     ◇


 翌日。


 俺たちは《霧の沼迷宮》へ入った。


 現在の討伐記録は六種類。


 所持ガチャチケットは一枚。


 大沼ワニと戦った場所より先へ進む。


 《霧感知・小》を意識すると、霧の中を動くものが、わずかな揺れとして伝わってくる。


 正確な形までは分からない。


 草が風で揺れているのか。


 魔物が動いたのか。


 近くまで来なければ、判断できなかった。


「右側に何かいる気がする」


 俺が言うと、リディアが杖を構える。


「魔物ですか?」


「まだ分からない」


「近づきますか?」


「迂回する」


 戦う必要がない相手まで、探し出すつもりはない。


 少し左へ進路を変える。


 右側の気配は追ってこなかった。


 水の深さは、膝より少し下。


 《沼歩き》と《岩走りの戦靴》がなければ、かなり動きにくい場所だった。


「ウィルさん」


 後ろから、リディアが声をかける。


「少し休んでもいいですか?」


「ああ」


 近くにあった太い木の根へ上がる。


 水の中よりは安全だ。


「足を取られたか」


「少し疲れました」


 以前なら、無理をして黙っていたかもしれない。


 今は、自分から言えている。


「魔力は?」


「ほとんど使っていません」


「なら、五分休む」


 リディアが水を飲む。


 俺は周囲を確認する。


 霧の向こう。


 弱い気配が、いくつも動いていた。


「何か来る」


 リディアがすぐに立ち上がる。


「数は?」


「多い。だが、小さい」


 水面が揺れる。


 細かな波が、こちらへ近づいてきた。


 透明な水ではない。


 黒い泥が混ざり、中に何がいるのか見えなかった。


「木の根から下りるな」


「はい」


 俺は石弾を一つ、水へ投げる。


 水面に落ちた瞬間。


 銀色の影が、何匹も跳び上がった。


 鋭い歯。


 短く太い身体。


 手のひらより少し大きい魚。


《キバウオ》


 投げた石へ噛みついている。


 歯が石の表面を削った。


「魚の魔物……」


「水へ落ちるな」


 一匹ずつなら、大きな脅威ではない。


 だが、十匹以上いる。


 足へ群がられれば、肉を削られる可能性がある。


「水面を凍らせられるか」


「広い範囲は無理です」


「俺たちの周りだけでいい」


 リディアが杖を水へ向ける。


「凍てつけ、《凍結》」


 白い冷気が広がる。


 木の根の周囲。


 二歩ほどの範囲で、水面が薄く凍った。


 氷の下に、キバウオの影が見える。


 魚たちが下から氷へぶつかる。


 細かな亀裂が入った。


「長くは持ちません」


「分かっている」


 俺はキバウオが集まっている場所へ、石弾を落とす。


 魚たちが一斉に噛みついた。


 そこへ剣を振り下ろす。


 氷が割れる。


 刃が一匹の身体へ入った。


 すぐに剣を引く。


 別のキバウオが、刃へ噛みついた。


 歯が金属を擦る。


 剣を大きく振り、魚を氷の上へ放り出す。


「《氷針》!」


 リディアの魔法が、氷上のキバウオを貫いた。


 動かなくなる。


「水の中にいる相手には、当てにくいです」


「外へ出す」


 俺は《探索用ベルト》から、保存食の硬いパンを取り出した。


「それを使うんですか?」


「ああ」


 パンの欠片を、氷の上へ投げる。


 匂いに反応したキバウオが、水中から跳び上がった。


 一匹。


 二匹。


 三匹。


 氷の上へ落ちる。


「今だ」


「《氷針》!」


 三本の氷が飛ぶ。


 二匹へ命中。


 一匹は外れ、水へ戻ろうとする。


 俺は戦靴で踏みつけた。


 靴底の金具が、キバウオの頭を砕く。


 残った魚たちは、しばらく氷の下を泳いでいた。


 だが、餌がなくなると、少しずつ離れていく。


「追う必要はない」


「はい」


 倒したキバウオを確認する。


 合計四匹。


 視界へ文字が浮かんだ。


《キバウオ》を初めて討伐しました。


ガチャチケットを1枚獲得しました。


所持ガチャチケット:2枚


霧の沼迷宮討伐記録:7/10


「保存食を餌にするとは思いませんでした」


「食べられるよりいい」


「でも、一つ減りました」


「命よりは安い」


「それもエドガーさんから?」


「違う。これは普通に分かる」


「そうですよね」


 なぜ確認した。


     ◇


 キバウオの魔石を回収し、さらに奥へ進む。


 水が浅くなった。


 代わりに、背の高い花が増えている。


 白い花びら。


 人の顔ほどある大きな花。


 甘い匂いが、霧の中へ漂っていた。


「きれいですね」


 リディアが花へ近づこうとする。


「待て」


 外套の内側を流れる風に、白い粉が混ざっていた。


 花粉。


 普通の花にしては量が多い。


「口を覆え」


 俺は防水保存袋から、濡らした布を取り出す。


 リディアにも渡す。


「毒ですか?」


「分からない。だが、吸わない方がいい」


 布で鼻と口を覆う。


 《霧除けの外套》が、顔の周囲にある粉をわずかに押し流している。


 花は動かない。


 《霧感知・小》にも、反応はなかった。


「迂回しますか?」


「ああ」


 花から離れようとしたとき。


 リディアの足元から、白い根が飛び出した。


「きゃっ!」


 根が長靴へ巻きつく。


 リディアの身体が引かれた。


 俺は腕をつかむ。


 花が大きく開いた。


 中心には、黄色い歯のような突起が並んでいる。


《眠りバナ》


 花びらが震える。


 白い粉が、一気に噴き出した。


 外套の風だけでは防ぎきれない。


「リディア、息を止めろ!」


 円盾で粉を押し分ける。


 リディアの足に絡んだ根へ、剣を振り下ろす。


 切れない。


 柔らかいが、刃を受け流す。


「凍らせられるか!」


「やってみます!」


 リディアが杖を足元へ向ける。


「《凍結》!」


 根が白く凍る。


 動きが止まった。


 俺は同じ場所へ、もう一度剣を振り下ろす。


 凍った根が砕けた。


「下がれ!」


 リディアと一緒に花から離れる。


 だが、甘い匂いが濃くなった。


 頭が重い。


 瞼が下がる。


 毒ではない。


 眠気だ。


「ウィルさん……少し、眠いです」


「俺もだ」


 長く吸えば、その場で動けなくなる。


 花は根を地面へ潜らせ、俺たちを追ってくる。


「花粉を凍らせられるか」


「全部は……」


「俺たちの前だけでいい」


 リディアが杖を上げる。


 だが、動きが遅い。


「リディア」


「大丈夫です」


「大丈夫ではない」


「まだ、できます」


 強がっているのではない。


 だが、限界に近い。


「一度だけだ」


「はい」


 リディアが大きく息を吸おうとする。


「吸うな。短い詠唱でいい」


 杖の先へ、冷気が集まる。


「凍てつけ……!」


 白い冷気が前方へ広がった。


 空気中に舞っていた花粉へ霜がつく。


 細かな白い粒となり、地面へ落ちていった。


 完全に消えたわけではない。


 それでも、目の前に細い道ができた。


「走れるか」


「はい」


「俺の後ろへ」


 花粉の薄い場所を進む。


 眠りバナの根が、再び地面から飛び出す。


 今度は俺の脚を狙ってきた。


 《岩走りの戦靴》で、根を踏む。


 靴底が地面を捉える。


 すぐには引き倒されない。


 円盾を地面へ押しつけ、根の動きを止めた。


「リディア、茎を狙え!」


「《氷針》!」


 氷が飛ぶ。


 太い茎へ一本。


 浅く刺さる。


 もう一本。


 同じ場所へ当たった。


 茎の一部が凍りつく。


 俺は根を踏んだまま、剣を振る。


 《疾風の鋼剣》の風が、周囲の花粉をわずかに押し退けた。


 凍った茎へ刃が入る。


 一撃では切れない。


 二撃目。


 茎が折れた。


 大きな花が、地面へ落ちる。


 花びらが一度だけ開閉する。


 根が暴れた。


 戦靴から足を抜き、後ろへ下がる。


 やがて、根の動きが止まった。


「終わったか」


 俺は投擲用石弾を、花の中心へ当てる。


 反応はない。


 リディアが杖へ寄りかかる。


「少し、休みたいです」


「ああ」


 自分から言えた。


 俺たちは風上へ移動する。


 眠りバナの匂いが届かない場所まで離れ、木の根へ座った。


 リディアが布を外し、何度も息を吸う。


「まだ眠いです」


「意識はあるか」


「はい」


「指を動かせるか」


 リディアが、杖を握ったまま指を開閉する。


「動きます」


「魔力は」


「半分くらいです」


「今日は戻る」


「まだ歩けます」


「眠気が残っている」


「でも……」


 リディアが言葉を止めた。


 昨日までなら、続けられると言い張ったかもしれない。


「分かりました」


 自分でうなずく。


「戻ります」


 視界へ文字が浮かんだ。


《眠りバナ》を初めて討伐しました。


ガチャチケットを1枚獲得しました。


所持ガチャチケット:3枚


霧の沼迷宮討伐記録:8/10


 あと二種類。


 だが、今日探す必要はない。


「ウィルさん」


「何だ」


「私、まだ怖いです」


「ああ」


「キバウオが水から飛び出したときも、眠りバナに足を引かれたときも、逃げたくなりました」


「ああ」


「でも、前より早く魔法を使えました」


「ああ」


「少しは、進めていますか?」


 俺は、新しい窓から入った光を思い出した。


 家は、まだ完全には直っていない。


 それでも、昨日までなかった光が入るようになった。


「進んでいる」


 リディアが、安堵したように笑う。


「よかったです」


「歩けるか」


「はい」


 俺たちは立ち上がる。


 来た道を戻る。


 霧は消えていない。


 水の下には、まだ見えない魔物がいる。


 恐怖も残っている。


 それでも。


 怖くなくなる日を待つ必要はない。


 怖いままでも、一歩ずつ進めばいい。


 リディアの足音が、俺の後ろから続いていた。


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