表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
41/48

第41話 岩走りの戦靴



 治療所へ入ると、エドガーは寝台の横にある椅子へ座っていた。


 右腕は、まだ胸元で固定されている。


 左手には、灰晶洞窟迷宮の地図。


 弓を引けない間も、迷宮について調べているらしい。


「来たか」


「ああ」


 俺の後ろに立っていたリディアが、緊張した様子で頭を下げた。


「は、初めまして。リディア・ノールです!」


 濡れた靴が床の上で滑る。


「きゃっ」


 身体が傾いた。


 俺は腕をつかみ、転ぶ前に支えた。


「す、すみません!」


「まず靴を替えろ」


「替えは持っています」


「同じ靴だろう」


「……はい」


 エドガーが地図から顔を上げる。


「その様子だと、もう迷宮へ連れていったのか」


「ああ」


「何種類と戦った」


「《泥ガエル》と《沼ネズミ》だ」


「怪我は?」


「ない」


「泣いたか?」


 リディアの肩が跳ねた。


「な、泣きました」


「そうか」


 エドガーは、それ以上何も言わなかった。


 リディアが戸惑ったように顔を上げる。


「怒らないんですか?」


「怪我をしたのか?」


「していません」


「一人で逃げたのか?」


「逃げていません」


「なら、泣いたことは問題じゃない」


 エドガーの答えは、俺と同じだった。


「泣いても魔法を使った。だから、正式に誘った」


「判断するのが早くないか?」


「エドガーも、一度目の共同探索のあとに誘った」


「俺は泣いていない」


「それ以外は同じだ」


「どこが同じなんだ」


 違うのだろうか。


 最初の探索で、必要なことは分かった。


 すべてを知ってから仲間へ誘うことなどできない。


 エドガーがリディアを見る。


「正式に登録したのか?」


「はい」


「俺はエドガーだ。右肩が治るまでは探索に参加できないが、パーティーから抜けたわけではない」


「聞いています。よろしくお願いします」


 リディアは深く頭を下げた。


 今度は杖も頭に当たらず、足も滑らなかった。


「ウィルから、決まりは聞いたか?」


「勝手に走らない。できないことを隠さない。撤退すると決めたら、すぐに戻る、です」


「分配については?」


「報酬も費用も、全員で均等にすると聞きました。でも……」


「納得していないのか」


「私が受け取る額が多すぎる気がします」


 エドガーが俺を見た。


「お前も、最初は同じことを言っていたな」


「状況が違う」


「同じだ。自分の働きが少ないと思っている」


 エドガーは地図を畳み、左手だけで机の上へ置いた。


「戦利品を多く持ち帰った者が、多く受け取るパーティーもある。倒した魔物の数で分ける者たちもいる」


 リディアが黙って聞いている。


「俺たちは違う。前に立つ者も、後ろから魔法を使う者も、同じ危険を負う」


「でも、ウィルさんの方が危険です」


「そのウィルが傷を負ったとき、治療費を払うのは全員だ」


「はい」


「お前の魔力回復薬を買う費用も、全員で払う。だから戦利品も均等だ」


 エドガーは、固定された右肩をわずかに動かした。


 痛みがあったのか、眉が動く。


「それで問題があるなら、最初に決めるべきだ。怪我をしたあとや、大金が入ったあとに条件を変えると、必ず揉める」


「分かりました」


 リディアがうなずく。


「まだ慣れませんが、決まりには従います」


「それでいい」


 エドガーの視線が、リディアの濡れた靴へ下がった。


「まず、共通費用で靴を買え」


「私の靴を、共通のお金で買うんですか?」


「迷宮へ入るための装備だからな」


「でも、私しか使わない物です」


「ウィルの砥石を、お前が使うのか?」


「使いません」


「俺の矢を、ウィルが射るのか?」


「たぶん、射らないと思います」


「俺もそう思う」


 エドガーが左手で地図を開き直す。


「全員が同じ物を使う必要はない。全員が生きて帰るために必要なら、共通の装備だ」


 リディアはしばらく考えたあと、もう一度うなずいた。


「分かりました」


「それから、もう一つ」


 エドガーの視線が俺へ移る。


「ウィルが無茶をしたら止めろ」


「俺は無茶をしていない」


「迷宮主へ噛ませるために、盾を差し出す男の言葉は信用できん」


「必要な行動だった」


「こういうときだ」


 エドガーがリディアへ言った。


「ウィルは、自分が動ける間は問題ないと考える。お前が危険だと思ったら、撤退を口にしろ」


「私が、ウィルさんを止めるんですか?」


「正式な仲間ならな」


 リディアが不安そうに俺を見る。


「止まってくれますか?」


「決まりなら従う」


「本当ですか?」


「ああ」


「少し間があった気がします」


「気のせいだ」


 エドガーが小さく笑った。


     ◇


 治療所を出たあと、装備店へ向かった。


 沼地用の長靴は、普通の革靴よりも高い。


 水が入りにくいよう、膝の下まで革で覆われている。靴底も厚く、泥に足を取られにくい形だった。


「金貨1枚と銀貨2枚になります」


 店主の言葉に、リディアの目が大きくなる。


「た、高いです」


「革へ防水油を染み込ませてあります。手入れをすれば、長く使えますよ」


「もっと安い物はありませんか?」


「こちらなら銀貨7枚です。ただ、深い泥へ入ると脱げやすいですね」


 リディアは安い方を見た。


 俺は高い方を持ち上げる。


「こちらにする」


「待ってください」


「何だ」


「高すぎます」


「迷宮で靴が脱げる方が困る」


「でも、私が途中で冒険者をやめたら……」


「やめる予定があるのか」


「ありません。でも、怖くなって続けられなくなるかもしれません」


「そのときは、そのときだ」


 迷宮で何が起こるかは分からない。


 エドガーの肩も、戦う前には怪我をすると思っていなかった。


「今、必要な物を選ぶ」


「……はい」


 共通費用から代金を払い、リディアの長靴を購入した。


 店の奥で履き替えて戻ってくる。


 青灰色のローブの下から、焦げ茶色の長靴が見えていた。


「少し大きく見えませんか?」


「歩けるか」


「はい」


 リディアが数歩進む。


 床の上では、問題なさそうだ。


「似合っている」


「えっ」


 リディアが足を止める。


「靴がですか?」


「ああ」


「靴を褒められたのは、初めてです」


「変だったか」


「いえ。ありがとうございます」


 なぜか、顔が少し赤くなっている。


 靴の話をしているだけだ。


     ◇


 翌朝。


 俺たちは再び《霧の沼迷宮》へ入った。


 リディアは、新しい長靴で浅い水の中を歩いている。


「水が入りません」


「そのための靴だ」


「泥にも、あまり沈みません」


「足を取られたら、すぐ言え」


「はい」


 前回より少しだけ奥へ進む。


 霧の濃さは変わらない。


 10歩ほど先から、景色が白くぼやけている。


「今日は、新しい魔物を探すんですか?」


「探し回るつもりはない。進める範囲を確認する」


「新しい魔物が出なかったら?」


「帰る」


「能力の条件が進まないのでは?」


 足が止まりかけた。


「どうして知っている」


「昨日、協会で受付の方が、ウィルさんは新種の魔物を探していると話していました」


 ガチャについて知られたわけではないらしい。


「新しい魔物を倒すと、能力の条件が進む」


 嘘ではない。


「危険を冒して探すほどではない。出会えば倒す」


「分かりました」


 リディアは、それ以上聞かなかった。


 水面を踏む音。


 草から落ちる雫。


 どこか遠くで、泥ガエルの鳴き声が聞こえる。


 リディアの肩が跳ねた。


「大丈夫か」


「少し驚いただけです」


「戻るか」


「まだ大丈夫です」


 できないことだけでなく、できることも口にするようになっている。


 少し進むと、背の高い草が密集した場所へ出た。


 俺の胸ほどまで伸びた、細長い草。


 霧と重なり、奥の様子が見えない。


「迂回する」


 草の中へ入れば、左右から襲われても気づけない。


 右側へ進路を変えようとしたとき。


「待ってください」


 リディアが小声で言った。


「どうした」


「あの草だけ、雫が落ちていません」


 指し示された場所を見る。


 ほかの草は水滴の重みで、わずかに先端が揺れている。


 1本だけ、まったく動かないものがあった。


 草にしては太い。


 上の方が、2つに分かれている。


「下がれ」


 リディアが杖を構えた。


 俺は石弾を投げる。


 不自然な草の根元へ当たった。


 次の瞬間。


 草のように見えたものが、大きく開いた。


 緑色の身体。


 細長い脚。


 刃物のような両腕。


《草カマキリ》


 周囲の草と同じ色をしている。


 動かなければ、近くまで来ても気づけなかったかもしれない。


 草カマキリが腕を振る。


 鋭い鎌が、霧を切り裂いた。


 俺は円盾で受ける。


 金属縁に鎌が当たり、甲高い音が響く。


「リディア、脚だ!」


「はい!」


 草カマキリは、細い脚で水面へ立っている。


 動きは速いが、脚そのものは太くない。


「《凍結》!」


 冷気が水面を走った。


 草カマキリの右脚が、水ごと凍りつく。


 魔物が強く引く。


 氷に亀裂が入った。


 すぐに砕かれる。


 だが、一瞬だけ動きが止まった。


 俺は盾で鎌を押し上げる。


 《疾風の鋼剣》を下から振った。


 刃が、細い胸部へ食い込む。


 草カマキリが身体を捻る。


 もう片方の鎌が、頭上から振り下ろされた。


「ウィルさん!」


 横へ動く。


 鎌が肩の横を通り、水へ刺さった。


 足元が凍っているため、草カマキリは鎌をすぐに引き抜けない。


 二撃目。


 首と胴体の間へ刃を入れる。


 緑色の体液が飛び、草カマキリが水の中へ倒れた。


 鎌が一度だけ動く。


 近づかずに待った。


 やがて、完全に動かなくなる。


《草カマキリ》を初めて討伐しました。


ガチャチケットを1枚獲得しました。


所持ガチャチケット:8枚


霧の沼迷宮討伐記録:3/10


「見つけたのは、リディアだ」


「偶然です」


「俺は気づかなかった」


「雫が落ちないのが、少し変だと思っただけで……」


「それで十分だ」


 怖がっているからこそ、周囲を細かく見ている。


 それは欠点だけではない。


     ◇


 草カマキリの鎌と魔石を回収し、先へ進む。


 少しずつ、水が深くなってきた。


 俺の靴では、足首から上へ水が入ってくる。


 リディアの長靴は、まだ濡れていない。


「ウィルさんの靴にも、水が入っています」


「ああ」


「冷たくないですか?」


「少しな」


「戻りますか?」


「まだ歩ける」


 だが、長く進めば足がふやける。


 傷があれば、汚れた水から悪化する可能性もある。


 次の探索までに、俺の靴も用意する必要があった。


「この先の地形を確認したら戻る」


「はい」


 十数歩進んだところで、左脚に何かが触れた。


 草ではない。


 柔らかく、吸いつくような感触。


 すぐに足を上げる。


 黒く細長いものが、靴へ張りついていた。


「ウィルさん!」


 腕ほどの長さがあるヒル。


 丸い口の中に、細かな歯が並んでいる。


《毒ヒル》


 革へ噛みつこうとしている。


 剣では近すぎる。


 手で外せば、腕へ吸いつかれる可能性がある。


「動かないでください!」


 リディアが杖を向ける。


「当てられるか」


「やります」


 毒ヒルは、俺の脚に張りついている。


 外せば水の中へ逃げる。


「《氷針》」


 細い氷が飛んだ。


 毒ヒルの頭部へ刺さる。


 靴の革には当たっていない。


 毒ヒルが身体をくねらせた。


 まだ外れない。


「もう一度です」


「待て」


 暴れているため、狙いが定まらない。


 俺は足を近くにあった岩へ乗せた。


 毒ヒルの身体が伸びる。


 頭の位置が止まった。


「今だ」


「《氷針》!」


 2本目が、最初の氷のすぐ横へ刺さる。


 毒ヒルの身体から力が抜けた。


 靴から剥がれ、水へ落ちる。


 俺はすぐに剣先で水から持ち上げ、岩の上へ投げた。


 動かないことを確認する。


《毒ヒル》を初めて討伐しました。


ガチャチケットを1枚獲得しました。


所持ガチャチケット:9枚


霧の沼迷宮討伐記録:4/10


「靴は?」


 リディアが駆け寄る。


 革の表面に、小さな歯形が残っている。


 貫通はしていない。


「噛まれていない」


「本当ですか?」


「ああ」


「毒が入っていたら大変です」


「解毒薬はある」


「でも、どんな毒か分かりません」


 リディアが靴の周囲を何度も確認する。


「大丈夫だ」


「靴下を脱いで見た方がいいです」


「ここでか」


「怪我を隠さない決まりです」


 自分の決めたことを使われた。


「入口へ戻ってから確認する」


「本当に確認してください」


「ああ」


 毒ヒルを布へ包み、素材として回収する。


「今日は戻るぞ」


「分かりました」


 俺たちは来た道を引き返し始めた。


     ◇


 入口まで、残り半分ほど。


 霧の中から、低い鳴き声が聞こえた。


 泥ガエルとは違う。


 喉の奥で、空気を震わせるような音。


「前からです」


 リディアが杖を構える。


「数は?」


「1つだと思います」


 白い霧が、さらに濃くなる。


 さっきまで見えていた草が消えた。


 5歩先も見えない。


「これは自然な霧じゃない」


 霧の奥で、何かが動く。


 一瞬だけ、細長い影が見えた。


《霧トカゲ》


 名前だけが視界へ浮かび、姿はすぐに消える。


「どこにいますか?」


「見えない」


 水を踏む音が、右から聞こえる。


 円盾を向ける。


 何も来ない。


 今度は左。


 霧トカゲは、姿を隠しながら周囲を回っている。


「走るな」


「はい」


「背中を合わせる」


 リディアと背中を合わせる。


 俺は前と右。


 リディアは後ろと左。


「見えたら、方向だけ言え」


「はい」


 水音。


 左。


「左です!」


 振り向く。


 霧の中から、大きな口が現れた。


 牙が円盾へ当たる。


 身体は、犬ほどの大きさ。


 細長い尾。


 灰色の皮膚。


 俺が剣を振る前に、霧トカゲが再び白い霧へ逃げ込んだ。


「速い」


「近づくまで見えません」


 リディアの声が震えている。


 見えない魔物は怖い。


 どこから来るのか分からない。


「霧を凍らせられるか」


「霧全部は無理です」


「水面は?」


「できます」


 足元を見る。


 霧トカゲが走れば、水が動く。


 だが、濃い霧の中では波も見えない。


「俺たちの周りだけ凍らせろ」


「足場をですか?」


「ああ。薄くていい」


 リディアが杖を下へ向ける。


「凍てつけ。《凍結》」


 白い冷気が円形に広がった。


 俺たちの周囲。


 3歩ほどの範囲だけ、水面が薄く凍りつく。


「割れると思います」


「それでいい」


 霧トカゲが走れば、氷が割れる。


 音で位置が分かる。


 俺たちは氷の中央へ立った。


 霧の中から水音が近づく。


 右。


 止まる。


 後ろへ回っている。


 リディアの杖が、わずかに震えた。


「来ます」


「どこだ」


「分かりません」


 パキッ。


 氷が割れた。


 右後ろ。


「右だ!」


 俺は身体を回す。


 霧トカゲが氷を踏み砕き、リディアへ飛びかかっていた。


 間に入る。


 円盾で頭を受ける。


 牙が金属縁へ食い込んだ。


「今です!」


 リディアが自分から声を上げた。


 杖を、霧トカゲの前脚へ向ける。


「《凍結》!」


 前脚が、割れた氷へ再び固定される。


 霧トカゲが強く身体を引いた。


 氷が砕ける。


 逃げようとする。


 だが、その一瞬で十分だった。


 俺は盾で頭を押し下げ、《疾風の鋼剣》を振る。


 首の側面へ一撃。


 刃が入る。


 霧トカゲが身体を捻り、尾を振った。


 脚へ当たる。


 体勢が崩れる。


「ウィルさん!」


 霧トカゲが口を開き、もう一度飛びかかる。


 俺の剣は下がっている。


 盾も間に合わない。


「《氷針》!」


 氷が霧を裂いた。


 霧トカゲの右目の横へ刺さる。


 狙いは外れた。


 だが、魔物の顔が横へ逸れた。


 牙が肩の横を通り過ぎる。


 俺は足を踏み直す。


 剣を切り返す。


 風の補助。


 二撃目が、先ほどと同じ首の傷へ入った。


 霧トカゲの身体が氷の上へ倒れる。


 尾が激しく動く。


 距離を取る。


 やがて尾の動きが弱くなり、止まった。


 同時に、周囲を覆っていた濃い霧が薄くなっていく。


 元からある白い霧へ戻った。


《霧トカゲ》を初めて討伐しました。


ガチャチケットを1枚獲得しました。


所持ガチャチケット:10枚


霧の沼迷宮討伐記録:5/10


経験値が一定値に到達しました。


レベルが5から6へ上昇しました。


生命力が3上昇しました。


筋力が2上昇しました。


敏捷が2上昇しました。


魔力が2上昇しました。


 身体の奥へ、温かな力が流れ込んでくる。


 完全攻略の報酬とは違う。


 魔物を一体ずつ倒し、積み重ねた経験が、自分自身の力へ変わっていく感覚だった。


 灰晶洞窟迷宮へ入ってから、何度も戦った。


 岩殻サソリ。


 発光キノコ人。


 結晶蜘蛛。


 岩甲ムカデ。


 転岩甲獣。


 そして、迷宮主の灰晶王蛇。


 《霧の沼迷宮》へ来てからも、5種類の魔物と戦った。


 そのすべてが、ようやく一つの形になったらしい。


名前:ウィル・クロード

レベル:6

生命力:42

筋力:35

敏捷:27

魔力:23

ダンジョンガチャレベル:2

所持ガチャチケット:10枚

次回11連ガチャまで:あと0枚

迷宮完全攻略数:2

霧の沼迷宮討伐記録:5/10


「ウィルさん?」


 リディアが、俺の顔をのぞき込む。


「どうしたんですか?」


「レベルが上がった」


「本当ですか?」


「ああ。6になった」


「おめでとうございます!」


 リディアの声が、霧の中へ響いた。


 自分のことのように、嬉しそうな顔をしている。


「リディア」


「はい?」


「声が大きい」


「あっ……」


 リディアが慌てて口元を押さえ、周囲を見回す。


「すみません」


「戻るぞ」


「はい。戻ってから、もう一度お祝いを言います」


「一度で十分だ」


「減るものではないと、受付の方が言っていました」


 アレナと似たことを言う。


 リディアの目には、また涙が浮かんでいた。


 それでも、杖は下ろしていない。


「さっき、自分から魔法を使ったな」


 俺が言うと、リディアがうなずいた。


「ウィルさんが噛まれそうだったので……」


「怖くなかったのか」


「怖かったです」


 即答だった。


「でも、魔法を使わない方が怖いと思いました」


 最初の泥ガエルでは、何度呼んでも詠唱が始まらなかった。


 今は、自分で判断して杖を向けた。


 氷針は、狙った場所へは当たらなかった。


 それでも、俺を助けた。


「助かった」


「外してしまいました」


「当たったから、牙が逸れた」


「でも、目を狙ったんです」


「次は当てればいい」


 リディアが涙を拭う。


「はい」


     ◇


 冒険者協会で報告を済ませ、リディアと別れた。


 毒ヒルの歯が靴を貫通していなかったことも、その場で確認している。


 家へ戻った俺は、扉と窓を閉めた。


 所持ガチャチケットは10枚。


 ガチャを引く。


 そう念じる。


 目の前に、半透明の光が現れた。


11連ガチャを実行します。


ガチャチケットを10枚消費します。


ダンジョンガチャレベル:2


完全攻略した迷宮の特性が、排出候補へ反映されます。


 以前とは違う文章。


 光の中で、11個の影が順番に形を作っていく。


 最初の光が開いた。


1.N《中治癒ポーション》×2


 小治癒ポーションよりも効果の高い治療薬。


 これまでなら、1本だけでも当たりだった。


2.N《低級解毒薬》×4


 今日、毒ヒルと遭遇したばかりだ。


 これからも必要になる可能性は高い。


3.N《保存食セット》×5


 干し肉。


 硬いパン。


 乾燥果物。


 以前より量が増えている。


4.N《防水保存袋》×3


 薬や地図を水から守る袋。


 《霧の沼迷宮》ですぐに使える。


5.N《革の戦闘手袋》


 黒い革の手袋。


 手のひらと指の関節が補強されている。


 装着し、何度か手を握る。


 七年間で硬くなった手にも、違和感なくなじんだ。


6.N《探索用ベルト》


 薬や道具を腰へ固定できる革製のベルト。


 《アイテムボックス》があっても、戦闘中にすぐ使いたい物は外へ出しておいた方がいい。


7.N《魔力回復薬・小》×2


 青い液体が入った小瓶。


 リディアに持たせられる。


 長い探索になれば、魔力が尽きる可能性もある。


8.N《滑り止め金具》×4


 靴底へ取りつけるための金具。


 泥や濡れた岩の上で滑りにくくなるらしい。


 次の光は、これまでのNとは色が違った。


 青白い光。


9.R《霧除けの外套》


 黒に近い灰色の外套が現れた。


 フード付き。


 表面には水を弾く加工が施され、縁には細い銀色の糸が走っている。


《霧除けの外套》


・雨や水を弾く

・着用者の顔周辺に弱い空気の流れを発生させる

・霧や煙による視界阻害をわずかに軽減する

・毒霧への完全な耐性はない


 視界をすべて晴らすほど強くはない。


 それでも、今日の霧トカゲのような相手には役立つ。


 11個目以外から、R装備が出た。


 これが、ガチャレベル2の変化らしい。


10.N《簡易装備手入れセット》


 防水油。


 小さなブラシ。


 革用の補修糸。


 泥や水が多い迷宮では、装備の手入れが必要になる。


 最後の光。


 確定している、R以上の枠。


 青白い光が、ゆっくりと形を作る。


11.R《岩走りの戦靴》


 床へ、一足の戦闘靴が現れた。


 黒く厚い革。


 爪先と踵は、灰色の金属で覆われている。


 靴底には、細かな結晶のような突起が並んでいた。


《岩走りの戦靴》


・岩場や瓦礫の上で滑りにくい

・泥や不安定な地面での踏み込みを補助する

・方向転換と着地時の衝撃をわずかに軽減する

・長時間歩行による脚部の疲労を軽減する

・《洞窟歩行》系能力との相性がよい


 灰晶洞窟迷宮の特性が反映された装備。


 俺は、濡れた古い靴を脱いだ。


 《岩走りの戦靴》へ足を入れる。


 大きさは、最初から俺に合わせて作られたようにぴったりだった。


 立ち上がる。


 床を踏む。


 靴底が、木の床をしっかりと捉える。


 少し強く踏み込むと、床に吸いつくような安定感があった。


 次に《霧除けの外套》を羽織った。


 肩から背中へ、黒灰色の布が流れる。


 フードは下ろしたまま。


 外套の表面を指でなぞると、ごく弱い風が顔の周囲を通り抜けた。


 壁へ立てかけた、小さな鏡を見る。


 腰には《疾風の鋼剣》。


 腕には《衝撃緩和の腕輪》。


 手には黒い戦闘手袋。


 足元には《岩走りの戦靴》。


 肩には《霧除けの外套》。


 胸の革防具は、まだ初心者用のものだ。


 円盾も、何度も修理しながら使っている。


 全身が強い装備になったわけではない。


 それでも。


 刑務所を出た日に着ていた、古い服だけの姿とは違う。


 ガチャチケットを1枚ずつ集め。


 魔物と戦い。


 何度も撤退し。


 仲間に助けられながら、ここまで揃えた装備だ。


 視界へ、最後の表示が浮かぶ。


11連ガチャを完了しました。


所持ガチャチケット:0枚


次回11連ガチャまで:あと10枚


 俺は表示を閉じた。


 机の上には、リディアに渡す《魔力回復薬・小》が2本ある。


 明日、冒険者協会で渡そう。


 新しい仲間。


 新しい迷宮。


 新しい装備。


 そして、レベル6。


 壊れていたものが、一度にすべて元へ戻ったわけではない。


 それでも、確実に増えている。


 帰る場所も。


 信じられる相手も。


 前へ進むための力も。


 俺は新しい戦靴で、床をもう一度踏みしめた。


 足元は、もう揺れなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ