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【Kindle電子書籍発売中!】冤罪で7年間鉱山送りにされた俺、出所後に《ダンジョンガチャ》を手に入れて人生をやり直す  作者: 月瀬 リュカ


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第40話 霧の中の一歩



 待ち合わせの場所へ着くと、リディアはすでに立っていた。


 約束の時間までは、まだ30分以上ある。


 昨日と同じ青灰色のローブに、背丈ほどある杖。


 肩から下げた鞄は、不自然なほど膨らんでいた。


「早いな」


「お、おはようございます!」


 リディアが勢いよく頭を下げる。


 背負っていた杖が前へ倒れ、後頭部へぶつかった。


「いたっ」


「大丈夫か」


「はい。杖があることを忘れていました」


「迷宮の中では忘れるな」


「気をつけます……」


 昨日よりは、少し話しやすくなっている。


 俺はリディアの装備を確認した。


 ローブの下には、薄い革製の胸当て。


 腰には小さな道具袋。


 杖の先端には、青い魔石が埋め込まれている。


 問題は足元だった。


「その靴で沼へ入るのか」


「はい」


 普通の革靴だ。


 町を歩くには困らないが、泥や水の中で使うようには作られていない。


「替えは?」


「鞄に入っています」


「見せてくれ」


 リディアが鞄を開く。


 中には、もう一足の革靴。


 厚手の靴下が3組。


 乾いた布が何枚も入っていた。


「同じ靴だな」


「片方が濡れても、履き替えられるようにしました」


「履き替えた方も濡れる」


「……そうですね」


 リディアの肩が落ちる。


「すみません。沼の迷宮は初めてで……」


「謝る必要はない」


 俺も、《霧の沼迷宮》へ入るのは初めてだ。


 事前に聞いた情報だけでは、どれほど水が深いのかも分からない。


「入口付近だけだ。今日は靴が使えなくなる前に戻る」


「はい」


 俺は《アイテムボックス》から、防水布を一枚取り出した。


 以前のガチャで手に入れたものだ。


「鞄を包んでおけ」


「借りてもいいんですか?」


「中の薬や着替えが濡れる方が困る」


「ありがとうございます」


 もう一枚の防水布は、自分の荷物へ使う。


 低級毒消し薬も一本ずつ。


 小治癒ポーション。


 投擲用石弾。


 白墨。


 麻縄。


 どれも一度は確認した。


「食料は?」


「持ってきました」


 リディアが鞄から小さな包みを出す。


「パンと干し肉です。それから、砂糖を多めに入れた焼き菓子もあります」


「多いな」


「緊張すると、お腹が空くので……」


「迷宮の中で食べるなとは言わない。だが、周囲を確認してからにしろ」


「分かりました」


 準備に問題はない。


 少なくとも、適当に来たわけではなかった。


「協会には寄ったのか」


「はい。仮登録を済ませました」


 今回だけの共同探索。


 正式なパーティーメンバーでなくても、協会へ届け出れば、一度限りの仮登録ができる。


 これで、俺の《ダンジョン転移》にも同行できる。


「最後に確認する」


 俺はリディアを見る。


「勝手に走らない」


「はい」


「怖いことや、できないことを隠さない」


「はい」


「どちらかが撤退を宣言したら、理由を問わず戻る」


「はい」


 返事はできている。


 顔は、すでに少し青い。


「今からでも、やめられる」


 リディアの指が杖を強く握った。


 しばらく黙ったあと、ゆっくりと首を横へ振る。


「行きます」


「怖くないのか」


「怖いです」


 即答だった。


「昨日の夜、ほとんど眠れませんでした」


「なら、今日はやめるか」


「いえ」


 リディアは杖を抱きしめた。


「眠れなかったのに、逃げずにここまで来られました」


 声は震えている。


「だから、もう少しだけ進みたいです」


 無理に勇敢なふりをしていない。


 それならいい。


「行こう」


「はい」


     ◇


 町外れの転移地点で、《ダンジョン転移》を発動する。


 視界が白く染まった。


 次の瞬間、湿った空気が顔へ触れた。


「ここが……」


 リディアが杖を握り直す。


「《霧の沼迷宮》」


 迷宮の入口には、古い石柱が二本立っていた。


 その先には、白い霧が広がっている。


 地面は黒い泥と浅い水に覆われ、ところどころから背の高い草が伸びていた。


 遠くは見えない。


 十歩ほど先にある木さえ、輪郭がぼやけている。


 湿った土。


 腐った葉。


 生ぬるい水。


 灰晶洞窟迷宮とは、まるで違う匂いだった。


「何か見えますか?」


「草と水だけだ」


「魔物は?」


「まだ見えない」


「見えないだけで、いるんですよね」


「たぶんな」


 リディアの顔から、さらに血の気が引いた。


「嘘でも、いないと言った方がよかったか」


「いえ。嘘をつかれる方が怖いです」


「なら、たぶんいる」


「はい……」


 俺は円盾と《疾風の鋼剣》を構えた。


「俺から3歩以上離れるな」


「はい」


「水の深さが分からない場所には、俺より先に入るな」


「はい」


「何か聞こえたら、方向だけ言え」


 霧の中では、見える範囲が狭い。


 俺が正面を警戒し、リディアには後ろと左右を見てもらう。


 魔物を倒すことより、まずは安全に動けるかを確かめる。


「進むぞ」


「はい」


 最初の一歩を、水の中へ入れる。


 深さは、くるぶしより少し上。


 泥に足が沈む。


 《洞窟歩行・極》は、ほとんど反応しなかった。


 名前のとおり、洞窟内で効果を発揮する能力だ。


 足元の状態は、自分で確かめるしかない。


 ゆっくりと体重をかけ、もう一歩進む。


 背後から、水を踏む小さな音が続いた。


「近すぎる」


「すみません」


 リディアが、ほとんど俺の背中へ触れる位置にいる。


「3歩以内とは言ったが、ぶつかる距離では戦えない」


「どのくらいがいいですか?」


「杖を前へ伸ばしても、俺に当たらない程度だ」


 リディアが杖を横へ倒し、距離を測る。


「これくらいですか?」


「ああ」


「離れていると、少し怖いです」


「何か来たら、俺の後ろへ戻れ」


「分かりました」


 水の中を進む。


 一歩ごとに、濁った水が揺れる。


 霧の向こうから、ときどき水滴の落ちる音が聞こえた。


 鳥の声はない。


 虫の羽音もない。


 静かすぎる。


「右側で、水が動きました」


 リディアの声。


 俺は足を止める。


「どこだ」


「草の近くです。今は……止まっています」


 右側には、背の高い草が何本も生えている。


 水面に、小さな波が残っていた。


 風は吹いていない。


「下がれ」


 リディアが一歩下がる。


 俺は投擲用石弾を一つ取り出し、草の手前へ投げた。


 石が水へ落ちる。


 バシャッ!


 直後。


 黒い泥の中から、何かが飛び出した。


「ひっ!」


 大きなカエルだった。


 普通のカエルより、何倍も大きい。


 丸い身体は黒い泥に覆われ、口の端から黄色い舌がのぞいている。


《泥ガエル》


 視界へ魔物の名前が浮かんだ。


 泥ガエルは石弾へ飛びついたあと、こちらへ顔を向ける。


 膨らんだ目が動いた。


「リディア、後ろ脚を――」


 言い終わる前に、泥ガエルが跳んだ。


「きゃっ!」


 リディアの悲鳴。


 俺は前へ出る。


 円盾へ、泥ガエルの身体がぶつかった。


 重い。


 盾が押される。


 泥のついた前脚が、盾の縁へ絡みついた。


 口が開く。


 黄色い舌が、俺の顔へ伸びた。


「っ!」


 首を横へ動かす。


 舌が頬を掠め、耳の後ろへ冷たい泥がついた。


 剣を振ろうとする。


 だが、泥ガエルが盾へ張りついたままでは、距離が近すぎる。


「リディア!」


 返事がない。


 後ろを見る余裕もない。


「脚を凍らせろ!」


「む、無理です!」


 声は聞こえた。


 逃げてはいない。


「倒さなくていい!」


 円盾を前へ押し、泥ガエルの口を遠ざける。


「右の後ろ脚だけ見ろ!」


「で、でも……!」


「俺が止めている!」


 泥ガエルの脚が、盾の横から見えている。


 太い後ろ脚。


 水を蹴り、もう一度跳ぼうとしている。


「右脚だけだ!」


 リディアが、震える息を吸う音がした。


「こ、凍てつけ……」


 詠唱が止まる。


 泥ガエルの舌が、もう一度伸びる。


 円盾を傾け、舌を金属縁へ当てる。


 黄色い舌が盾へ巻きついた。


 泥ガエルが、盾ごと俺を引こうとする。


「リディア!」


「《凍結》!」


 足元へ、白い冷気が走った。


 泥ガエルの右後ろ脚が、水ごと凍りつく。


 跳ぼうとした身体が傾いた。


 盾から前脚が外れる。


 今だ。


 俺は円盾を引き、身体を横へ動かす。


 《疾風の鋼剣》を短く振った。


 風が刃を押す。


 泥ガエルの首へ、剣が入った。


 柔らかい肉を斬り抜く。


 泥ガエルの身体が、水の中へ落ちた。


 跳ねる。


 一度。


 二度。


 俺は距離を取り、剣を構えたまま待つ。


 泥ガエルは、やがて動かなくなった。


「終わったか」


 返事はない。


 俺は魔物へ近づかず、リディアを見る。


 杖を両手で握ったまま、立ち尽くしていた。


 顔は青い。


 目には涙が浮かんでいる。


「怪我は?」


 リディアが口を動かす。


 だが、声が出ない。


「どこか噛まれたか」


 首を横へ振る。


「歩けるか」


 今度は、ゆっくりとうなずいた。


「なら、ここから少し離れる」


 泥ガエルが完全に死んでいるかは、まだ分からない。


 安全な場所まで移動する。


 リディアは何も言わず、俺の後ろをついてきた。


     ◇


 入口から見える距離まで戻り、少し高くなった地面へ上がる。


 水がない場所を選び、周囲を確認した。


「座れ」


「……はい」


 リディアが地面へ座る。


 杖を手放そうとしない。


 指が白くなるほど握りしめていた。


「水を飲め」


 リディアが杯を取り出す。


 手が震え、水がこぼれた。


 だが、今度は凍らせなかった。


「すみません」


「謝るな」


「でも、何もできませんでした」


「脚を凍らせた」


「ウィルさんが、何度も言ってくれたからです」


「それでも、凍らせたのはお前だ」


「すぐに魔法を使えていれば……」


「最初からできるとは思っていない」


 リディアが顔を上げる。


「でも、私は魔法使いです」


「ああ」


「魔法使いなのに、魔法を使えないなんて……」


「最後には使った」


「遅すぎました」


「俺は怪我をしていない」


 頬についた泥を手で拭う。


 舌に触れられた場所は気持ちが悪いが、傷にはなっていない。


「盾も壊れていない。剣も無事だ。お前も逃げなかった」


「逃げられなかっただけです」


「俺が呼んだとき、返事をした」


 リディアの唇が震える。


「無理だとも言った」


「……はい」


「それでいい」


「無理と言ったのに?」


「何も言わずに逃げるよりいい」


 できないと分かれば、別の方法を考えられる。


 今回は、もう一度指示を出す時間があった。


 次はないかもしれない。


 だが、最初の一度で完璧に動けないからといって、ここで終わりにする必要もない。


 視界へ文字が浮かぶ。


《泥ガエル》を初めて討伐しました。


ガチャチケットを1枚獲得しました。


所持ガチャチケット:6枚


霧の沼迷宮討伐記録:1/10


 新しい迷宮の記録が始まった。


「ウィルさん」


「何だ」


「帰りますか?」


 リディアの声は弱かった。


 それでも、自分から尋ねた。


「お前は帰りたいか」


 リディアが霧の中を見る。


 入口は、すぐ後ろにある。


 転移を使えば、今すぐ町へ戻れる。


「少し……帰りたいです」


「ああ」


「でも、もう少しだけ進みたいです」


「どちらだ」


「自分でも、分かりません」


 正直な答えだった。


「なら、10分休む」


「そのあと決めるんですか?」


「ああ。10分後に帰りたければ戻る」


「もう一度、進みたいと言ったら?」


「入口から見える範囲を、もう少しだけ調べる」


 最初に決めたのは、最長でも1時間。


 まだ半分も経っていない。


 無理をする必要はない。


 だが、今すぐ逃げるように戻れば、リディアの中に残るのは失敗した記憶だけになる。


 俺は泥ガエルの魔石を取り出し、布で泥を拭った。


 小さな魔石。


 価値は高くない。


 それをリディアへ差し出す。


「持っておけ」


「私がですか?」


「お前が脚を止めた魔物だ」


「でも、倒したのはウィルさんです」


「一人では、あの位置で斬れなかった」


 リディアは、しばらく魔石を見つめていた。


 やがて、震える手で受け取る。


「冷たいです」


「魔石だからな」


「私の魔法のせいかと思いました」


「少しは残っているかもしれない」


 リディアが魔石を両手で包む。


 目に浮かんでいた涙は、まだ消えていない。


 それでも、先ほどより呼吸は落ち着いていた。


     ◇


 10分後。


「もう一度、行きます」


 リディアは立ち上がった。


「本当にいいのか」


「怖いです」


「ああ」


「また魔法を使えないかもしれません」


「ああ」


「でも、さっきより少しだけ、泥ガエルのことが分かりました」


「何が分かった」


「飛ぶ前に、後ろ脚を縮めます」


 見ていたらしい。


 ただ怖がっていただけではない。


「次は、その前に凍らせてみたいです」


「分かった」


「でも、できなかったら言います」


「そうしろ」


 俺たちは、再び浅い水の中へ入った。


 先ほどより、リディアとの距離は安定している。


 近すぎず、離れすぎない。


 水を踏む音。


 草が揺れる音。


 霧の中から聞こえるものへ意識を向けながら進む。


「左に、何かいます」


 リディアが小声で言った。


「動いているか」


「複数です。小さい音が……3つか、4つ」


 俺には聞こえない。


 魔法使いだから感覚が鋭いのか。


 それとも、怖がっている分、周囲の音へ敏感になっているのかもしれない。


「下がって、杖を構えろ」


「はい」


 左側の草が揺れる。


 一つ。


 二つ。


 黒い影が水の中から現れた。


 ネズミに似た魔物。


 だが、普通のネズミより大きい。


 背中まで、俺の膝ほどある。


 濡れた毛。


 長い前歯。


 細い尾。


《沼ネズミ》


 全部で3体。


 沼ネズミたちが、こちらを見た。


「3体……」


 リディアの声が震える。


「俺の後ろへ」


 リディアが移動する。


 今度は、背中へぶつかるほど近づかなかった。


 沼ネズミが左右へ分かれる。


 群れで囲むつもりだ。


「右の1体だけ見ろ」


「はい」


「俺が2体を止める」


 左から来た沼ネズミへ、投擲用石弾を投げる。


 石が鼻先へ当たった。


 沼ネズミが鳴き声を上げる。


 正面から来た1体へ円盾を向ける。


 右の1体だけが、水を蹴ってリディアの方へ回り込んだ。


「来ます!」


「右脚だ!」


 リディアが杖を向ける。


「凍てつけ――」


 沼ネズミが大きく口を開いた。


 前歯が見える。


 リディアの声が止まった。


 駄目か。


 俺は正面の沼ネズミを盾で押し返し、右へ動こうとする。


「無理です!」


 リディアが叫んだ。


 今度は、すぐに言えた。


「《氷壁》を出せ!」


「どこにですか!」


「自分の前だ!」


「我が前に、冷たき壁を――《氷壁》!」


 地面から氷が伸びる。


 リディアの正面。


 沼ネズミとリディアの間。


 透明な氷壁へ、沼ネズミが激突した。


 ガンッ!


 氷に亀裂が走る。


 だが、止まった。


 以前のように、仲間と自分を隔てる位置ではない。


「そのまま下がれ!」


 リディアが氷壁から距離を取る。


 俺は正面の沼ネズミを剣で斬る。


 首へ一撃。


 倒れたことを確認せず、左へ向き直る。


 石弾を受けた沼ネズミが跳びかかってきた。


 円盾で受ける。


 小さい。


 泥ガエルほどの重さはない。


 盾で押し返し、腹へ剣を突き込む。


 2体目。


 氷壁が砕ける音がした。


 右の沼ネズミが、割れた氷の間から出てくる。


 リディアの目の前ではない。


 俺からも近い。


「リディア、今ならできるか!」


「……はい!」


 沼ネズミが水を蹴る。


「《凍結》!」


 白い冷気が水面を走った。


 沼ネズミの後ろ脚と尾が、水ごと凍りつく。


 身体が前へ倒れた。


 俺は踏み込む。


 《疾風の鋼剣》を短く振る。


 刃が首を斬った。


 沼ネズミの身体が氷の上へ倒れる。


 動かなくなるまで待つ。


 周囲を確認する。


 4体目はいない。


「終わった」


 背後を見る。


 リディアは立っていた。


 泣いている。


 だが、杖は下ろしていなかった。


「怪我は?」


「ありません」


「魔力は?」


「まだ大丈夫です」


「歩けるか」


「はい」


「なら、戻るぞ」


「えっ」


 リディアが目を瞬いた。


「まだ1時間経っていません」


「2種類と戦った。十分だ」


「でも、今は少し動けました」


「だからこそ、動けたところで帰る」


 疲れれば、判断も魔法も鈍る。


 成功した直後に欲を出して、次で怪我をすれば意味がない。


「戻るのも訓練だ」


「……はい」


 リディアは、少し残念そうに答えた。


 その表情を見て、朝とは違うと感じた。


 あれほど迷宮を怖がっていたのに、もう少し進みたいと思っている。


 視界へ文字が浮かんだ。


《沼ネズミ》を初めて討伐しました。


ガチャチケットを1枚獲得しました。


所持ガチャチケット:7枚


霧の沼迷宮討伐記録:2/10


 あと3枚。


 だが、今はガチャよりも先に決めることがある。


     ◇


 冒険者協会へ戻ると、受付の女性がすぐにこちらへ近づいてきた。


「お帰りなさい。怪我はありませんか?」


「ない」


「リディアさんは?」


「ありません」


 リディアは全身を確認してから答えた。


「たぶん」


「たぶん?」


「泥ガエルの鳴き声で、心臓が少し痛い気がします」


「それは怪我ではなく、驚いたからでしょう」


「よかったです……」


 受付の女性が俺を見る。


「どうでしたか?」


「魔物は2種類。《泥ガエル》と《沼ネズミ》だ」


「リディアさんのことです」


 分かっている。


 だが、本人の前で話すのは少しやりにくい。


 リディアは杖を抱えたまま、俺の返事を待っていた。


「最初の泥ガエルでは、魔法を使えなかった」


 リディアが下を向く。


「最後に、後ろ脚を凍らせた」


 顔が少し上がる。


「沼ネズミが3体出たときは、詠唱が止まった」


 また下がる。


「だが、できないとすぐに言った。《氷壁》で攻撃を防ぎ、最後の1体の脚を止めた」


 リディアの顔が、もう一度上がった。


「逃げなかった。勝手にも動かなかった。撤退にも従った」


「では……」


 受付の女性が尋ねる。


「次の共同探索も行いますか?」


「ああ」


 リディアの肩から、少し力が抜けた。


「よかった……」


「仮登録ではない」


 俺が言うと、リディアの動きが止まる。


「え?」


「正式にパーティーへ入ってほしい」


 リディアが、何度か目を瞬いた。


「私が、ですか?」


「ほかに誰がいる」


「でも、私は今日も怖がって……泣いて……」


「見ていた」


「魔法も、すぐには使えませんでした」


「それも見た」


「それなのに?」


「最後には使った」


 俺はリディアの鞄から、布に包まれた小さな魔石がのぞいているのを見た。


 泥ガエルの魔石。


 落とさないように、大事に包んだらしい。


「最初から強い魔法使いを探しているわけじゃない」


「でも……」


「できないことを隠さずに言えて、言ったあとに動こうとした。それなら、一緒に戦い方を考えられる」


 リディアの目から、大きな涙が落ちた。


「すみません」


「どうして謝る」


「泣かないようにしようと思ったのに……」


「迷宮の外なら好きにしろ」


「はい……」


 受付の女性が、そっと登録用紙を机へ置いた。


「正式加入でよろしいですか?」


「ああ」


 俺は答える。


 リディアは涙を拭き、何度もうなずいた。


「お願いします」


 震えてはいたが、迷宮へ入る前よりもはっきりした声だった。


「私を、ウィルさんのパーティーに入れてください」


     ◇


 正式な登録を終える。


 書類に、リディア・ノールの名前が加わった。


「報酬は均等分配だ」


 俺が伝えると、リディアが驚いた。


「私もですか?」


「ああ」


「でも、今日もほとんどウィルさんが倒しました」


「お前の魔法も使った」


「それでも、半分は多すぎます」


「探索に必要な費用と治療費も、全員で負担する」


「私が怪我をしたら、ウィルさんも払うんですか?」


「ああ」


「ウィルさんが怪我をしたら、私も?」


「ああ」


 リディアが困った顔をする。


「私、あまりお金を持っていません」


「共通の報酬から出す。今すぐ払えという話じゃない」


「そういうパーティーなんですね」


「エドガーと決めた」


 リディアが登録用紙の名前を見る。


 ウィル・クロード。


 エドガー。


 リディア・ノール。


 3人目の正式メンバー。


 今はエドガーが活動を休止しているため、探索へ入れるのは俺とリディアだけだ。


 それでも、名前は消えていない。


「エドガーさんにも、挨拶をした方がいいでしょうか」


「ああ」


「今からですか?」


「治療所へ寄る」


「私のことを知っているんですか?」


「怖がりな氷魔法使いだとは聞いている」


 リディアの顔が青くなる。


「泣いたことも?」


「3つのパーティーを外されたことも」


「帰ってもいいですか?」


「さっき、正式加入したばかりだ」


「そうでした……」


 俺たちは冒険者協会を出た。


 隣を歩くリディアの靴からは、水が染み出している。


 一歩ごとに、ぐしゃりと音がした。


「まず、靴を買った方がいいな」


「替えがあります」


「同じ靴だろう」


「……はい」


 次のガチャまで、あと3枚。


 脚部装備。


 外装。


 手部装備。


 装飾品。


 新しく加わった排出候補を思い出す。


 俺にも、沼で使える靴は必要だ。


 リディアにも、今の革靴より丈夫なものを用意した方がいい。


 だが、それは次の話だ。


 今日は、正式な仲間が増えた。


 怖くて泣きながら。


 それでも、霧の中で一歩を踏み出した氷魔法使い。


 リディア・ノールが、俺たちのパーティーへ加わった。



【あとかぎ】

いつも小説を読んでいただき、ありがとうございます。

実は、★や♡、フォローなどの反応がないと、

「この物語は楽しんでもらえているのかな」

「このまま書き続けても大丈夫かな」

と、不安になることがあります。

もし少しでも「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、★や♡、フォローで応援していただけると、とても励みになります。

これからも楽しんでいただける物語をお届けできるよう、頑張ります。



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