第38話 借り物の力
灰晶洞窟迷宮を完全攻略してから、4日が経った。
胸の痛みは、深く息を吸ったときに少し残る程度まで治っている。
エドガーは、まだ治療所にいた。
右腕を固定したままではあるが、昨日から一人で歩けるようになったらしい。
治療師の話では、日常生活へ戻るまで1か月。
弓を引けるようになるまで、最低でも3か月。
焦って動かせば、さらに長引く。
俺にできるのは、食事や必要な物を届けることくらいだった。
今朝も治療所へ寄るつもりだったが、その前に冒険者協会から呼び出されている。
灰晶洞窟迷宮の調査が終わったらしい。
◇
冒険者協会へ入った瞬間、いつもより多くの視線がこちらへ向いた。
話し声が止まる。
何人かが、小声で俺の名前を口にした。
「ウィル・クロードだ」
「灰晶洞窟を攻略したっていう……」
「2つ目の完全攻略だろ?」
居心地が悪い。
俺は周囲を見ないようにして、受付へ向かった。
「おはようございます、ウィルさん」
「ああ」
「本日は奥の部屋でご説明します。エドガーさんも、すでにいらしています」
「治療所から出ていいのか」
「治療師の許可を得て、職員が馬車でお連れしました。終わり次第、すぐに戻っていただきます」
受付の女性に案内され、協会の奥へ進む。
扉を開けると、右腕を布で固定したエドガーが椅子に座っていた。
「遅いぞ」
「時間より前だ」
「俺の方が早かったという意味だ」
「それを遅いとは言わない」
「元気そうだな」
少なくとも、顔色は数日前よりよかった。
俺はエドガーの隣へ座る。
机の向かいには、受付の女性と、見覚えのない年配の男がいた。
男の前には、何枚もの報告書と、小さな木箱が置かれている。
「まず、正式な結果からお伝えします」
受付の女性が書類を開いた。
「協会調査隊が最奥区画へ入り、《灰晶王蛇》の討伐を確認しました。迷宮内の魔力循環も安定しており、新たな迷宮主が生まれる兆候はありません」
彼女は、俺たちを順番に見た。
「ウィル・クロードさん、エドガーさん。お二人による灰晶洞窟迷宮の完全攻略を、冒険者協会は正式に認定します」
認定書が机の上へ置かれた。
俺とエドガーの名前。
完全攻略した迷宮。
討伐した迷宮主の名称。
その下には、冒険者協会の印が押されている。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
エドガーが答える。
俺も少し遅れて、頭を下げた。
「ありがとう」
紙に書かれた文字を見ても、まだ実感は薄い。
灰晶王蛇を倒した瞬間よりも、エドガーを支えて迷宮を出たときの方が強く残っていた。
「次に、回収した素材についてです」
受付の女性が、別の紙を広げる。
「灰晶王蛇から回収できた主な素材は、大型魔石1個、灰晶鱗37枚、牙2本、尾先の結晶骨、首周辺の灰晶膜です」
「死骸は残っていたのか」
「ああ」
エドガーが答えた。
「倒した迷宮主の死骸が消える迷宮もある。今回は残る種類だったらしい」
「ただし、腹部と喉の傷が大きく、皮や肉の一部は利用できませんでした」
受付の女性が、俺を見る。
「かなり深く斬ったようですね」
「あそこしか通らなかった」
「調査員も同じ結論です。背中の灰晶鱗は、通常の鉄剣では傷をつけることも難しかったそうです」
机にいた年配の男が、初めて口を開いた。
「《疾風の鋼剣》でも、背中は斬れなかったのかね?」
「ああ。火花が出ただけだ」
「なるほど」
男は、何かを紙へ書き込んだ。
灰晶王蛇の素材を調べる者だろうか。
「素材をすべて売却した場合の査定額は、金貨12枚と銀貨6枚です」
受付の女性の言葉に、俺は顔を上げた。
想像していたより多い。
「さらに、迷宮完全攻略の報奨金が金貨5枚。未踏区画の地図と魔物情報に対する報酬が、金貨2枚です」
合計で、金貨19枚と銀貨6枚。
そこから、調査隊の回収費用や、迷宮攻略中に受けた治療費が差し引かれる。
「素材をすべて売却した場合、最終的な支払額は金貨17枚と銀貨8枚になります」
「2人で半分ずつだ」
俺が言うと、受付の女性がエドガーを見る。
「登録されている分配条件も、均等分配となっています」
「ああ。それで頼む」
エドガーも迷わず答えた。
「治療費は、俺の分から出せ」
俺が言うと、エドガーがこちらを向いた。
「なぜだ」
「俺を庇って怪我をした」
「その話は終わったはずだ」
「治療費まで半分にする必要はない」
「必要がある」
「ない」
「ある」
エドガーが左手だけで書類を引き寄せた。
「迷宮内で負った怪我の治療費は、パーティーの共通費用から出す。最初に決めただろう」
「それは軽い怪我の場合だ」
「そんな条件はつけていない」
「だが――」
「勝手に規則を変えるな」
言い返せない。
正式にパーティーを組んだとき、収入だけではなく、探索に必要な費用や治療費も平等に負担すると決めていた。
「お前が逆の立場なら、俺の治療費を払わせないつもりか?」
「それは……」
「払うだろう」
「ああ」
「なら、同じだ」
エドガーが書類を机へ戻す。
「仲間とは、そういうものだ」
仲間。
その言葉が、胸の中へ静かに残った。
「分かった」
「最初からそう言え」
受付の女性が、わずかに笑っている。
「何かおかしいのか」
「いいえ。分配について、問題がなさそうで安心しました」
明らかに、別の意味で笑っていた。
◇
灰晶王蛇の素材は、すべて売ることにはしなかった。
灰晶鱗を4枚。
牙を1本。
尾から取れた結晶骨の一部。
これらは、俺たちの取り分として残す。
「ベルクへ持っていくのか」
エドガーが尋ねた。
「ああ。剣や盾に使えるか確認する」
「また盾を重くするなよ」
「まだ何も決めていない」
「お前は硬い素材を見ると、すぐ盾につけようとする」
「今回は剣かもしれない」
「今の剣は、作ったばかりだろう」
「なら、防具だ」
「結局、つけるつもりじゃないか」
使える素材を使うのは、当然のことだと思う。
だが、灰晶鱗は1枚でもかなり重い。
そのまま防具へ取りつけるのは、難しいかもしれない。
売らずに残しておけば、後で必要になったときに使える。
「保管を希望された素材の査定額は、金貨2枚です」
受付の女性が計算を書き直した。
「したがって、実際の支払額は金貨15枚と銀貨8枚。一人当たり、金貨7枚と銀貨9枚になります」
それでも、俺がこれまで一度に手にしたことのない大金だった。
家の壊れた壁を直せる。
雨風が入る窓も、何枚かは替えられるかもしれない。
寝台を新しくするか。
冬へ向けて、薪を買っておくか。
次の探索に必要な薬や防具へ回すか。
全部はできない。
何を先に直し、何を後にするのか、決める必要がある。
それでも、金を手に入れて最初に考えたのは、家のことだった。
以前なら、剣や防具だけを考えていたはずだ。
「もう一つ、確認していただきたいものがあります」
受付の女性が、年配の男の前に置かれていた木箱を開けた。
中には、割れた石板の欠片が3枚入っている。
表面に、細かな文字が刻まれていた。
「灰晶王蛇のいた最奥区画で発見されたものです」
「俺たちが戦った場所にあったのか」
「崩れた岩壁の奥です。迷宮主の攻撃によって壁が壊れ、隠されていた小部屋が見つかりました」
灰晶王蛇が起こした崩落。
戦っているときは、周囲を確認する余裕などなかった。
「古い文字ですが、一部はすでに解読されています」
年配の男が、翻訳した紙をこちらへ差し出した。
「私は、迷宮に残された古代文字を調べている者です。この石板には、ダンジョンコアを身体へ取り込んだ者について記録されています」
ダンジョンコア。
迷宮の最奥に存在し、迷宮全体へ魔力を供給する核。
通常は、迷宮主を倒したあとも、冒険者が触れることは許されない。
協会が管理するか、危険性が高い場合は封印される。
「身体へ取り込めるのか」
エドガーが尋ねた。
「可能ではあります」
男は、石板の欠片へ視線を落とした。
「過去に、少なくとも6人が行っています」
「どうなった」
「全員が、短期間で強大な力を手に入れました」
男が、翻訳文の一部を指でなぞる。
「魔力量の増大。身体能力の上昇。複数の属性魔法への適性。中には、たった一人で100人以上の兵を退けた者もいたそうです」
「それほどの力を……」
エドガーの声が低くなる。
「ですが、誰もその力を保てませんでした」
男の指が、次の行へ移った。
「ダンジョンコアは、人間のために作られた器官ではありません。どれほど身体へなじんだように見えても、力の根は迷宮側にある」
俺は翻訳文を読む。
初期同調。
急激な出力上昇。
身体能力の強化。
そのあとに、同じ言葉が何度も並んでいた。
同調率低下。
出力不安定。
身体拒絶。
能力消失。
「借り物の力、ということか」
エドガーが言った。
「その表現が最も近いでしょう」
年配の男がうなずく。
「どれほど強大でも、本人が育てた力ではありません。時間が経てば、身体とのつながりが少しずつ失われます」
「どのくらいで消える」
「分かりません」
「記録があるんじゃないのか」
「差が大きすぎるのです。10年以上保った者もいれば、同調率の低下が始まってから、わずか数日で大半を失った者もいます」
数日。
その言葉に、部屋の空気が少し重くなった。
「力が消えるだけか」
俺が尋ねる。
「いいえ」
男は、別の翻訳文を差し出した。
「同調率が低下すると、魔力の暴走、手足の痺れ、記憶の混乱などが起こる場合があります。さらに、力を失うことへの強い恐怖や、周囲への攻撃性が見られた者もいます」
「攻撃性?」
「自分の力が弱くなった原因を、他人に求めるのです」
翻訳文には、一人の男について記されていた。
力が弱まったのは、部下が自分を呪ったからだと思い込み、殺した。
別の者は、家族が自分の力を盗んでいると疑った。
また別の者は、力を取り戻すため、複数の迷宮を破壊した。
「自分でコアを取り込んだのに、他人が奪ったと思うのか」
俺が言うと、男は静かに答えた。
「大きな力を自分のものだと思い込んだ者ほど、失ったときに事実を受け入れられないのでしょう」
自分のもの。
借り物。
その言葉が、なぜか胸へ引っかかった。
だが、理由は分からない。
「この記録は公開するのか」
エドガーが尋ねた。
「内容を精査したあと、一部は冒険者へ周知される予定です」
受付の女性が答える。
「ダンジョンコアへ直接触れようとする冒険者は、今もわずかにいます。危険性を伝える必要がありますから」
「力を得られると知れば、逆に試す者もいる」
「そのため、取り込み方や手順に当たる部分は公開しません」
当然だ。
いずれ消える力だとしても、一時的には人間を大きく超えられる。
その結果だけを見て、危険を無視する者は必ず現れる。
「借り物は、いつか消える」
エドガーが石板を見たまま呟いた。
「それでも、借りた直後は強い」
「ああ」
いつ消えるか分からない。
弱り始めれば、何をするかも分からない。
待っていれば安全になるとは限らない。
むしろ、失う前に周囲を巻き込む可能性がある。
俺は無意識に、腰の《疾風の鋼剣》へ触れていた。
◇
説明を終えたあと、受付の女性が新しい書類を取り出した。
「次に、パーティー登録についてです」
エドガーが、自分の右肩を見る。
「この腕では、しばらく探索へ出られない」
「最低3か月ですね」
「予定どおり、灰晶洞窟迷宮の完全攻略までは同行した」
最初に組んだときの約束だ。
灰晶洞窟迷宮を完全攻略するまで。
そこから先については、決めていなかった。
「パーティーを抜けるのか」
俺が尋ねると、エドガーはすぐには答えなかった。
「抜けてほしいのか?」
「違う」
「なら、脱退はしない」
エドガーが受付の女性を見る。
「活動休止として登録できるか」
「可能です。パーティーには所属したまま、探索参加者から一時的に外す形になります」
「それで頼む」
俺は、エドガーを見る。
「肩が治ったら、戻るのか」
「分からん」
「分からないのか」
「3か月後に、以前と同じように弓を引ける保証はない」
エドガーは、固定された右腕へ目を落とした。
「無理に戻ると約束して、果たせなければ嘘になる」
「そうか」
「だが、弓を引けるようになって、お前がまだ仲間を必要としているなら、そのとき考える」
戻らないとは言っていない。
それで十分だった。
「待っている」
俺が言うと、エドガーが少し笑った。
「先に強くなりすぎるなよ」
「それは約束できない」
「言うようになったな」
完全攻略の報酬で、全基礎能力が大きく上がっている。
エドガーが戻るまでに、次の迷宮へも挑むつもりだった。
止まっている時間はない。
「では、現在探索へ参加できる正式メンバーは、ウィルさん一人になります」
受付の女性が書類へ記入する。
「一人でも入れる迷宮はあるか」
「あります。ただし、次の候補として挙げていた《霧の沼迷宮》は、単独での探索をおすすめできません」
「霧で見えないからか」
「それだけではありません。浅い水や泥の下に、魔物が隠れています。前衛一人では、周囲を警戒しながら戦うのが難しい迷宮です」
俺には《洞窟歩行・極》がある。
だが、洞窟以外で同じように使えるわけではない。
「仲間を募集する」
「その件ですが、協会から一人、紹介したい冒険者がいます」
受付の女性が、別の書類を取り出した。
名前の欄には、
リディア・ノール。
そう書かれている。
「魔法使いか」
「はい。氷属性の魔法を得意としています」
霧の沼迷宮。
水や泥が多いのなら、氷魔法との相性はよさそうだった。
「実力は?」
「魔力量と魔法の精度だけなら、同年代の冒険者の中でも上位です。《氷針》《凍結》《氷壁》を使用できます。長い詠唱が必要ですが、《氷槍》も習得しています」
「十分強そうだな」
「訓練場では、です」
受付の女性が、わずかに困った表情になる。
「実際の魔物を前にすると、詠唱できなくなります」
「魔法が使えなくなるのか」
「魔物が近づいてくると、恐怖で身体が動かなくなるそうです」
エドガーが書類を見る。
「これまでにパーティーへ入った経験は?」
「3度あります。どのパーティーからも、短期間で外されています」
「怪我人を出したのか」
「いいえ。彼女自身が魔物を怖がって逃げたり、戦闘中に泣いてしまったりしたためです」
「泣くのか」
「……はい」
魔物は怖い。
牙。
爪。
殺されるかもしれない場所。
怖がること自体は、おかしくない。
俺も、最初から恐怖を感じなかったわけではない。
今でも、迷宮主を前にすれば怖い。
ただ、怖くても動く方法を、少しずつ覚えてきただけだ。
「本人は、まだ冒険者を続けたいのか」
「続けたいと言っています」
「なぜだ」
「それは、本人から聞いてください」
受付の女性が、小さく息を吐いた。
「正直に申し上げます。現在のリディアさんを、すぐに戦力として数えることはできません」
「なら、どうして俺に紹介する」
「ウィルさんは、最初から強い方だけを求めないと思ったからです」
「俺もレベル5だ」
「迷宮を2つ完全攻略したレベル5は、ほかに知りません」
それは、ガチャや完全攻略報酬のおかげだ。
レベルの数字だけでは、今の強さを正しく表せなくなっている。
「それに、あなたは以前より、周囲を見るようになりました」
受付の女性が続けた。
「エドガーさんから学んだことを、今度は別の誰かへ渡せるのではないかと思っています」
俺は隣を見る。
エドガーは口を挟まず、こちらの返事を待っていた。
「エドガーは、どう思う」
「俺が決めることじゃない」
「意見を聞いている」
「なら、一度会え」
エドガーは、短く答えた。
「怖がりだから使えないと決めるのも、魔法が強いから仲間にすると決めるのも早い。話をして、一緒に迷宮へ入れる相手か、お前が判断しろ」
「ああ」
正式な仲間を選ぶ。
以前の俺なら、誰かから選ばれる側だった。
今度は、自分から誰かと進むか決めることになる。
「会わせてくれ」
俺が言うと、受付の女性がうなずいた。
「明日の午前中に来る予定です」
「ここで会うのか」
「最初は面談室を使います。そのあと、お二人が希望するなら、訓練場で魔法を見せてもらいましょう」
書類に書かれた名前を、もう一度見る。
リディア・ノール。
氷魔法使い。
実力はあるが、魔物が怖くて戦えない女性。
それだけでは、どんな人間なのかは分からない。
◇
協会を出る前に、自分の状態を確認した。
名前:ウィル・クロード
レベル:5
生命力:39
筋力:33
敏捷:25
魔力:21
ダンジョンガチャレベル:2
所持ガチャチケット:5枚
次回11連ガチャまで:あと5枚
迷宮完全攻略数:2
灰晶洞窟迷宮討伐記録:10/10
灰晶洞窟迷宮の完全攻略報酬。
《洞窟狩人》
全基礎能力+8
さらに、表示の下に新しい項目が増えていた。
《ダンジョンガチャレベル2》
完全攻略した迷宮の特性が、ガチャ候補へ反映されました。
新たな装備分類が追加されます。
・脚部装備
・外装
・手部装備
・装飾品
一部の消耗品について、排出数と品質が上昇します。
剣や鎧だけではない。
靴。
外套。
手袋。
指輪や腕輪。
今まで出なかった種類の装備も、次のガチャから候補に入るらしい。
あと5枚。
《霧の沼迷宮》で新しい魔物を倒せば、3度目の11連を引ける。
だが、その前に。
新しい仲間候補と会う。
「明日か」
俺の言葉に、エドガーが立ち上がりながら答えた。
「怖がらせるなよ」
「どうして俺が怖がらせる」
「お前は黙っていると、少し機嫌が悪く見える」
「普通にしているだけだ」
「それが問題なんだ」
心当たりはない。
エドガーを馬車まで送り、俺は家へ戻ることにした。
明日会う女性が、本当に仲間になるかは分からない。
それでも、物語は止まらない。
灰色の洞窟を抜けた先で。
次に俺を待っているのは、白い霧に包まれた沼と、怖がりな氷魔法使いだった。




