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第34話 転がる岩



 第三階層の奥から聞こえた重い音について報告すると、受付の女性は資料棚から古い記録を持ってきた。


「おそらく、《転岩甲獣》です」


 机の上へ広げられた紙には、丸みを帯びた獣の姿が描かれている。


 背中から尾まで、何枚もの分厚い岩殻に覆われていた。


「身体を丸めて、岩の塊のように転がる魔物です。第三階層で何度か目撃されています」


「速いのか」


「平地では、人間が走って逃げ切るのは難しいと記録されています」


 受付の女性が、紙の端に書かれた文字を指す。


「硬い背中へ剣や矢は通りません。攻撃が通る可能性があるのは、顔、腹部、脚の関節です」


「丸まっている間は、全部隠れるな」


 エドガーが言った。


「はい。しかも、勢いがついた状態では、大型の盾でも正面から止められません」


 受付の女性の視線が、俺の円盾へ向いた。


「止めようとは考えないでください」


「考えていない」


「ウィルさんは、止めるつもりがなくても、結果的に正面へ立っていることがあります」


「避けるために近づくことはある」


「それを一般的には、危険な行動と言います」


 反論しようとしたが、エドガーが先に資料を引き寄せた。


「転がっている間、方向は変えられるのか?」


「大きくは変えられないようです。ただし、壁へ身体をぶつけて進行方向を変えたという報告があります」


「止まるときは?」


「身体を開いて、脚を岩床へ食い込ませます」


 そこが狙い目になる。


 転がっている間は、攻撃できない。


 止まり、身体を開いた瞬間なら、柔らかい部分が見えるかもしれない。


「この魔物が九種類目になる可能性はあるのか」


 俺が尋ねると、受付の女性が首を傾げた。


「九種類目?」


「……第三階層で、まだ倒していない魔物という意味だ」


「そういう意味でしたか」


 受付の女性は、こちらを少し疑うように見た。


 俺にだけ見える討伐記録については知らない。


 危うく余計なことまで話すところだった。


「第三階層で確認されている大型魔物は、転岩甲獣を含めても多くありません。その先には最奥区画があると考えられています」


「倒せば、迷宮主へ続く道が見つかるかもしれないな」


 エドガーが資料を閉じた。


「今日は情報だけにしておくか?」


「準備をしてから行く」


 新しい魔物だからといって、すぐに戦う必要はない。


 速さ。


 重さ。


 狭い洞窟。


 必要なものを考えてから戻ればいい。


「丈夫な麻縄を持っている」


 以前のガチャで手に入れた、二十メートルの麻縄だ。


「何に使う」


「転がる魔物の前へ立つなら、避け損ねたときのために身体を固定する」


「お前が前へ立つことは、もう決まっているのか」


「誰かが誘導する必要がある」


 エドガーが深く息を吐いた。


「縄で固定するんじゃない。命綱として使う。動けなくなる結び方はするな」


「ああ」


「それから、縄を持つのは俺だ」


「岩へ結べばいい」


「岩が剥がれたら、お前と一緒に転がっていくぞ」


 想像してみる。


 あまり役には立たなさそうだった。


「任せる」


「最初からそう言え」


     ◇


 翌朝。


 俺たちは町外れから《ダンジョン転移》を使い、灰晶洞窟迷宮へ向かった。


 麻縄。


 白墨。


 投擲用石弾。


 小治癒ポーション。


 防具や盾の状態も確認してある。


 第一階層と第二階層では戦闘を避け、第三階層まで進んだ。


 白墨の粉を《疾風の鋼剣》の風へ乗せる。


 何もなかった空間へ、結晶蜘蛛の糸が白く浮かび上がった。


 安全な隙間を抜け、奥へ進む。


 前回、岩甲ムカデを倒した場所には、砕けた硬化糸と、長い身体を引きずった跡が残っていた。


 そこから先へ入る。


 岩壁の結晶は少なくなり、代わりに大きな岩柱が増えていく。


 通路も広い。


 床には、何かが削ったような湾曲した跡が何本も残されていた。


「転がった跡だな」


 エドガーがしゃがみ込み、岩床を指でなぞった。


「新しいのか」


「分からん。だが、土や砂が溜まっていない」


 近くにいる可能性は高い。


 俺たちは岩壁へ赤い布を結び、簡単な地図へ道を書き足した。


 少し進んだところで、足元に小さな振動が伝わってくる。


 ゴゴゴ……。


 遠くで雷が鳴っているような音。


 だが、空からではない。


 地面の奥から響いていた。


「来るぞ」


 エドガーが弓を構える。


 俺は円盾と《疾風の鋼剣》を持ち、通路の左右を確認した。


 左側に、身体一つ分ほどの岩の窪みがある。


 右側には、大きな岩柱。


 正面から何かが来ても、避ける場所はある。


 音が大きくなる。


 暗闇の向こうで、丸い影が見えた。


 大岩。


 そう思った直後、その大岩が動いた。


 何枚もの岩殻が重なり合い、巨大な球体を作っている。


 岩床を削りながら、まっすぐこちらへ転がってきた。


《転岩甲獣》


 視界へ魔物の名前が浮かぶ。


 思っていたより大きい。


 丸まった状態でも、俺の胸ほどの高さがある。


「避けろ!」


 俺は左の窪みへ飛び込んだ。


 エドガーは岩柱の後ろへ回る。


 直後、転岩甲獣が目の前を通過した。


 風圧。


 砕けた石。


 床から伝わる衝撃。


 身体へ直接ぶつかっていないのに、胸を殴られたような感覚があった。


 R《衝撃緩和の腕輪》が淡く光る。


 《土魔法耐性・小》も働いているはずだ。


 それでも、窪みの中で姿勢を保つのがやっとだった。


 転岩甲獣は、そのまま通路の奥へ進む。


 行き止まりの岩壁が近づく。


 止まるのか。


 俺は窪みから顔を出した。


 転岩甲獣は身体を開かなかった。


 丸まったまま岩壁へぶつかる。


 ドンッ!


 洞窟全体が揺れた。


 岩壁の表面が砕け、石片が降り注ぐ。


 転岩甲獣の身体が斜めへ跳ねた。


 壁への衝突を利用して、進行方向を変える。


「戻ってくるぞ!」


 転岩甲獣が、再びこちらへ転がり始めた。


 先ほどよりも速い。


 俺は窪みの奥へ身体を押し込む。


 エドガーも岩柱の陰へ隠れた。


 二度目の通過。


 円盾へ小石が連続して当たる。


 転岩甲獣が通り過ぎたあと、俺はすぐに外へ出た。


「身体を開かない!」


「壁があれば、あのまま方向を変えられるらしいな」


 資料には、壁を使って進行方向を変えると書かれていた。


 だが、あれほど強く衝突するとは思わなかった。


 転岩甲獣の岩殻には、ほとんど傷がない。


「このままじゃ、攻撃する隙がない」


「転がれない場所へ誘導するしかないな」


 エドガーが周囲を見る。


 広い通路。


 大きな岩柱。


 足元には、深さの分からない亀裂がいくつか走っている。


 俺は岩床へ意識を向けた。


 《洞窟歩行》によって、足場の状態が以前より分かりやすくなっている。


 通路の中央は硬い岩盤。


 右側には細かな石が多い。


 左側には、床がわずかに沈んでいる場所がある。


 大きな岩が長い時間押しつけられ、浅い溝ができたように見えた。


「左側に溝がある」


「落とせるか?」


「深くない。だが、片側の岩殻がはまれば、身体が傾くかもしれない」


「そこまで誘導する方法は?」


 転岩甲獣が、また壁へぶつかった。


 三度目の振動。


 こちらへ戻ってくる。


「まず避ける!」


 俺たちは再び左右へ分かれた。


 転岩甲獣が通過する。


 今度は、岩柱の端へぶつかった。


 岩柱の一部が大きく欠ける。


 衝突によって、魔物の進路が左へ逸れた。


 浅い溝の近くを通る。


 だが、入らない。


 そのまま奥の通路へ消えていった。


「進路は少しなら変えられる」


 俺は魔物が通った跡を見る。


「こちらから刺激を与えれば、避ける方向へ動くかもしれない」


「矢で殻を射る」


「俺は反対側で音を出す」


「近づきすぎるな」


「ああ」


 俺は腰へ麻縄を巻いた。


 結び目は強く締めず、力がかかれば外せる形にする。


 縄の反対側をエドガーへ渡した。


「お前が引きずられたら、俺だけでは止められん」


「避けるための補助だ」


「分かっている。だから、無理だと思ったら縄を離す」


「ああ」


 転岩甲獣の音が、再び近づいてくる。


 俺は浅い溝の右側へ立った。


 エドガーは左側の岩陰へ移動する。


 狙いは、転岩甲獣を溝へ入れること。


 俺へ向かってきた魔物の右側へ矢を当て、左へ逸らす。


 その先に溝がある。


 岩の球体が暗闇から現れた。


「来い!」


 俺は剣の腹を円盾へ打ちつけた。


 甲高い音が通路へ響く。


 転岩甲獣の進路が、わずかにこちらへ向く。


 距離が縮まる。


 まだだ。


 今避ければ、溝へ入らない。


 岩床が大きく揺れる。


 転岩甲獣の表面についていた小石が、回転しながら飛んでくる。


 円盾で顔を守る。


 あと数歩。


「エドガー!」


 矢が飛んだ。


 転岩甲獣の右側へ当たり、硬い岩殻に弾かれる。


 傷はつかない。


 だが、転岩甲獣は刺激を受けた方向から逃れるように、わずかに左へ進路を変えた。


 溝へ向かう。


 俺は右へ跳んだ。


 足元が滑る。


 転岩甲獣の通過によって砕けた石が、床へ広がっていた。


 身体が沈む。


 避けきれない。


 丸い岩殻が、目の前まで迫った。


 腰の縄が強く引かれる。


 エドガーが引いた。


 身体が右へ流れる。


 転岩甲獣の表面が、左肩を掠めた。


 直接ぶつかったわけではない。


 それでも、重い衝撃で身体が回る。


 俺は岩床へ転がった。


「ウィル!」


「動ける!」


 すぐに起き上がる。


 左肩が痛む。


 だが、腕は動く。


 転岩甲獣は、浅い溝へ片側を入れていた。


 岩殻が溝の縁へ引っかかる。


 巨大な球体が大きく傾いた。


 止まる。


 そう思った。


 だが、転岩甲獣は回転をやめない。


 溝の岩を削りながら、無理やり前へ進む。


「浅すぎる!」


「もう少し奥に、亀裂がある!」


 エドガーが指した。


 溝の先には、岩床を横切る大きな亀裂がある。


 片側がそこへ落ちれば、今度こそ転がれなくなるかもしれない。


 転岩甲獣は溝から抜けようとしている。


 俺は《疾風の鋼剣》を抜いた。


「何をする!」


「左へ押す!」


「剣でか?」


「風だけ使う!」


 岩殻へ斬りつけても意味はない。


 俺は転岩甲獣の右側へ回り込み、剣を短く振った。


 刀身の緑色の線が光る。


 弱い風。


 一度では足りない。


 切り返す。


 二度。


 三度。


 風が、回転する転岩甲獣の右側へ当たる。


 重い身体そのものを押す力はない。


 だが、溝の中で傾いている今なら、わずかな力でも進む方向を変えられる。


 転岩甲獣の回転が、少しだけ左へ寄った。


「もう一度だ!」


 エドガーの矢が、右側の岩殻へ当たる。


 俺も剣を振る。


 転岩甲獣の左側が、大きな亀裂へ落ちた。


 ゴッ!


 岩の球体が、斜めに沈む。


 回転が止まった。


 何枚もの岩殻が、互いに擦れ合う。


 転岩甲獣は、丸まったまま身体を揺らしている。


 亀裂から抜けようとしているのだ。


「来るぞ」


 エドガーが弓を引く。


 岩殻の隙間が開いた。


 中から、太い脚が一本伸びる。


 続いて、平たい頭。


 転岩甲獣が身体を開き、亀裂から這い出そうとする。


 顔は、岩殻に比べれば柔らかそうだ。


 だが、額には分厚い石の板がついている。


「目を狙う!」


 エドガーの矢が飛ぶ。


 転岩甲獣が頭を振った。


 矢は目を外れ、頬へ刺さる。


 浅い。


 だが、魔物がひるんだ。


 俺は亀裂の縁へ近づく。


 足元の岩が崩れる。


 《洞窟歩行》が危険を伝える。


 右足を置こうとした場所から、小石が落ちていった。


 そこを避け、硬い岩盤へ踏み込む。


 転岩甲獣の前脚が伸びた。


 鋭い爪が、円盾へ当たる。


 衝撃。


 盾を正面から受けず、斜めへ流す。


 爪が金属縁を滑った。


 転岩甲獣が、さらに身体を開く。


 柔らかな腹部が見えた。


 だが、遠い。


 剣を振っても届かない。


「引き出す!」


 俺は円盾を転岩甲獣の顔へ押しつけた。


 魔物が噛みつく。


 大きな口が、盾の縁を挟んだ。


 歯は鋭くない。


 だが、顎の力が強い。


 腕ごと亀裂へ引き込まれそうになる。


 腰の縄が張った。


 エドガーが後方で踏ん張っている。


「長くは持たんぞ!」


「ああ!」


 俺は盾を手放した。


 転岩甲獣が、円盾を噛んだまま頭を後ろへ引く。


 その勢いで、上半身が亀裂から持ち上がった。


 腹部。


 前脚の付け根。


 岩殻に守られていない部分が露出する。


 エドガーの矢が、前脚の付け根へ突き刺さった。


 一本。


 転岩甲獣が暴れる。


 二本目。


 同じ場所へ刺さる。


 前脚が力を失い、身体が再び傾いた。


 俺は《疾風の鋼剣》を両手で握る。


 走らない。


 足場を確認する。


 硬い岩。


 沈まない場所。


 一歩。


 もう一歩。


 転岩甲獣の腹部が目の前にある。


 剣を大きく振れば、足元を崩す。


 短い突き。


 風が、切っ先を押した。


 刃が腹部へ入る。


 柔らかな肉を抜け、奥の硬いものへ当たった。


 転岩甲獣の身体が大きく震える。


 前脚が俺へ振り下ろされた。


 剣を引く。


 切り返しを助ける風。


 刃がすぐに戻る。


 俺は身体を右へ動かした。


 爪が左腕を掠める。


 革防具が裂けた。


 浅い。


 まだ動ける。


「同じ場所だ!」


 エドガーが叫ぶ。


 一本の矢が、俺の剣でつけた傷へ刺さった。


 深くは入らない。


 それでも、傷口が広がる。


 俺は再び踏み込んだ。


 転岩甲獣が身体を丸めようとする。


 岩殻が閉じ始める。


 今を逃せば、また攻撃できなくなる。


 剣を突き出す。


 風が背後から刃を押した。


 先ほどと同じ傷。


 矢の刺さった場所へ、切っ先が入る。


「おおっ!」


 両手で柄を押す。


 奥にあった硬いものが砕けた。


 転岩甲獣の身体が跳ねる。


 閉じかけていた岩殻が、途中で止まった。


 爪が岩床を引っ掻く。


 一度。


 二度。


 やがて、動きが弱くなっていく。


 俺は剣を引き抜き、後ろへ下がった。


 エドガーが矢をつがえたまま、転岩甲獣を見ている。


 魔物は亀裂へ身体を預けたまま動かない。


「終わったか」


「まだ近づくな」


「ああ」


 しばらく待つ。


 転岩甲獣の岩殻は閉じなかった。


 前脚も動かない。


 エドガーが、残っていた片方の目へ矢を射ち込む。


 反応はなかった。


「終わりだ」


 俺は息を吐いた。


 左肩。


 左腕。


 痛みはある。


 だが、骨は折れていない。


 腰に巻いた縄を見る。


「助かった」


「縄がか?」


「エドガーがだ」


 エドガーが少しだけ目を見開く。


「そういうことを、普通に言えるようになったんだな」


「何がだ」


「何でもない」


 視界へ文字が浮かんだ。


《転岩甲獣》を初めて討伐しました。


ガチャチケットを1枚獲得しました。


所持ガチャチケット:4枚


灰晶洞窟迷宮討伐記録:9/10


9種類の魔物を討伐しました。


報酬を獲得します。


《洞窟歩行》が上位能力へ進化します。


《洞窟歩行・極》


洞窟内における地形把握能力が大きく上昇します。


岩場、傾斜、濡れた地面、崩れやすい足場による移動阻害が大幅に軽減されます。


足元や岩壁を伝わる振動から、周囲の地形変化を把握しやすくなります。


 表示が消える。


 その瞬間、足の裏から伝わる感覚が変わった。


 岩床の硬さ。


 亀裂の深さ。


 体重をかけても崩れない場所。


 さっきまでは注意深く見なければ分からなかったものが、足を置いただけで伝わってくる。


 俺は一歩進んだ。


 転岩甲獣の周囲には、砕けた石が散らばっている。


 それでも、足を取られない。


 どこへ置けば安定するのか、身体が先に理解している。


「どうした」


「《洞窟歩行》が進化した」


「九種類目の報酬か」


「ああ。《洞窟歩行・極》になった」


「何が変わった」


「足場が、前より分かる」


 俺は近くにあった細い岩の上へ足を置いた。


 表面は斜めになっている。


 以前なら、ゆっくり乗らなければ滑っただろう。


 今は、どこへ力をかければいいのか自然に分かった。


「便利そうだな」


「洞窟の中だけだ」


「十分だ。この迷宮で死ぬ原因は、魔物だけじゃない」


 そのとおりだった。


 崩落。


 亀裂。


 濡れた岩。


 足を滑らせただけで、戦えなくなることもある。


 《洞窟歩行・極》があっても、岩が落ちてこなくなるわけではない。


 だが、危険へ気づく可能性は高くなる。


「素材を回収しよう」


 転岩甲獣から、大きな魔石を取り出す。


 背中の岩殻は硬い。


 すべてを持ち帰ることはできないため、比較的小さなものを二枚だけ外した。


 腹部の傷口近くには、灰色の結晶が埋まっていた。


「魔石とは違うな」


 エドガーが言った。


「岩殻を作るための核かもしれない」


 念のため、結晶も持ち帰る。


 円盾は転岩甲獣の口から回収できた。


 金属縁には新しい歯形が残っている。


 ベルクの顔が浮かんだ。


「また怒られるな」


「盾として使った」


「前にも聞いた」


「今回は噛ませただけだ」


「余計に悪い」


     ◇


 素材を回収したあと、俺は第三階層の奥へ目を向けた。


 さっきまで転岩甲獣の振動に隠れていた、別の感覚がある。


 ごく弱い空気の流れ。


 足元から伝わる、広い空洞の反響。


「この先に、大きな場所がある」


「見えるのか?」


「見えてはいない。だが、岩の向こうが広い」


 《洞窟歩行・極》によって、足元や壁を伝わる振動を以前より細かく感じ取れる。


 俺は通路の奥へ進んだ。


 途中で、道が二つに分かれている。


 右側は下り坂。


 左側は、崩れた岩で塞がれているように見える。


 俺は右へ進もうとして、足を止めた。


「右は行き止まりだ」


「分かるのか」


「空気が動いていない。足音の返りも近い」


 エドガーが小石を右側へ投げた。


 すぐに、壁へ当たる音が返ってきた。


「本当だな」


 左側の崩れた岩へ近づく。


 完全に塞がっているように見える。


 だが、岩の隙間から、わずかに冷たい風が流れていた。


「こちらだ」


 二人で、動かせそうな岩だけを慎重にどける。


 無理に崩せば、上の岩まで落ちてくる。


 《洞窟歩行・極》で重さのかかり方を確かめ、支えになっていない石を選んだ。


 五つ目の岩を外したとき、人が通れるほどの隙間が現れた。


 その先から、広い空間の匂いが流れてくる。


 俺たちは隙間を抜けた。


 通路の先に、巨大な空洞があった。


 簡易魔石灯の光では、反対側の壁まで届かない。


 床には、古い石柱が何本も倒れている。


 中央には、円形の石扉があった。


 人間の家よりも大きい。


 表面には、渦を巻くような模様が刻まれている。


「最奥区画か」


 エドガーの声が、広い空洞へ響いた。


 石扉の向こうから、低い音が返ってくる。


 呼吸。


 あるいは、眠っている何かが身体を動かした音。


 討伐記録は、9/10。


 残るのは、あと一種類。


「迷宮主がいる」


「ああ」


 エドガーが石扉を見たまま答える。


「今日は入らないぞ」


「分かってる」


「即答したな」


「九種類目を倒した。怪我もしている。情報もない」


「正しい判断だ」


 俺たちは石扉の位置を地図へ記録し、近くの岩柱へ赤い布を結んだ。


 ここまで来た。


 残るのは、迷宮主だけだ。


 それでも、今すぐ戦う必要はない。


 戻って。


 傷を治し。


 素材を調べ。


 準備を整えてから、もう一度来ればいい。


 石扉へ背を向ける。


 その瞬間。


 扉の向こうから、重い音が一度だけ響いた。


 ドンッ。


 空洞全体が震える。


 倒れていた石柱から、細かな砂が落ちた。


 俺は足元へ力を入れる。


 《洞窟歩行・極》が、揺れる岩床の中から崩れない場所を伝えてくれた。


 もう、以前のように足を取られない。


 腰の《疾風の鋼剣》へ手を添える。


 強い剣。


 新しい能力。


 信頼できる仲間。


 準備は少しずつ整っている。


 だが、まだ足りない。


「帰ろう」


「ああ」


 俺たちは最奥区画をあとにした。


 次にこの石扉の前へ立つときは、迷宮主を倒しに来る。


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