第33話 白く浮かぶ道
結晶蜘蛛の糸が絡みついた円盾を受付台へ置くと、受付の女性はしばらく無言になった。
盾の金属縁から、白く硬化した糸が何本も伸びている。
途中には剥がれた岩片までついていた。
「これは、盾ですか?」
「盾だ」
「岩を育てているように見えます」
「育ててはいない」
「では、どうして岩がついているんですか?」
「床から外すとき、一緒に剥がれた」
受付の女性は円盾を持ち上げようとした。
だが、予想より重かったらしい。
わずかに腕を下げたあと、何事もなかったように元の位置へ戻す。
「結晶蜘蛛の糸へ、盾ごと固定されたということですね」
「ああ」
「身体には絡みませんでしたか?」
「触れていない」
「本当に?」
「投擲用石弾で先に確かめた」
受付の女性が、少しだけ驚いた顔をした。
「……学習していますね」
「俺を何だと思っている」
「確かめるためなら、毒針や胞子にも近づく人です」
「好きで近づいたわけではない」
隣にいたエドガーが、結晶蜘蛛から回収した素材を受付台へ置いた。
透明な背中の殻。
糸を作る器官。
そして、硬化前の状態で保存した数本の糸だ。
「糸の性質を調べたい」
エドガーが言った。
「火、水、油。何で弱くなるのか分かれば、第三階層を進みやすくなる」
「協会にも古い記録はありますが、詳しい加工方法までは残っていません」
受付の女性が、保存容器の中にある透明な糸を見る。
「素材を扱える職人へ持ち込む方が早いと思います」
「ベルクでいいか」
「鍛冶師のベルクさんですか?」
「ああ」
俺が答えると、受付の女性は少し考えた。
「金属や鉱物性素材には詳しい方です。結晶蜘蛛の糸も、硬化後は鉱石に近い性質を持つとされています」
「なら、行ってみる」
「その前に報告書を書いてください」
「エドガーが書く」
「今回はウィルさんにも書いていただきます」
「どうしてだ」
「結晶蜘蛛の糸を発見したとき、どのように対処したかを確認したいからです」
「口で説明した」
「正式な記録として残します」
紙と炭筆が、俺の前へ置かれた。
エドガーが横から紙を見る。
「俺が書こうか」
「俺が書く」
「そうか」
「今、少し安心した顔をしなかったか」
「していない」
俺は炭筆を持った。
結晶蜘蛛。
透明な糸。
硬化。
円盾を固定された。
必要なことだけを書けばいい。
しばらくして、受付の女性へ紙を渡す。
彼女は一行目を見た。
次に紙を傾けた。
反対側へ傾ける。
「……エドガーさん」
「俺が清書する」
「頼みます」
「読めるだろう」
二人とも答えなかった。
◇
ベルクの鍛冶場へ円盾を持ち込むと、最初に大きなため息をつかれた。
「剣を直した翌日に、今度は盾か」
「壊してはいない」
「これを壊れていないと言うなら、俺の鍛冶場もまだ新品だ」
鍛冶場の壁には煤がつき、床には何年分か分からない傷が残っている。
新品には見えない。
だが、反論すると話が進まなくなりそうだった。
「結晶蜘蛛の糸だ」
エドガーが保存容器を渡す。
ベルクは透明な糸を一本だけ取り出した。
指先で軽く引っ張る。
細い糸が伸びた。
「今は柔らかいな」
「強く引くか、何かにぶつかると硬くなる」
「やってみろ」
ベルクから糸を渡される。
俺は両手で持ち、少し強く引いた。
透明だった糸が、白く変わる。
パキッ。
小さな音を立て、細い結晶の棒のように固まった。
ベルクが固まった糸を受け取り、金槌で軽く叩く。
高い音が鳴った。
「糸というより、細い鉱石だな」
「切れるか」
「やってみる」
ベルクは作業台へ硬化した糸を固定し、古い短剣を押し当てた。
刃を前後に動かす。
白い粉がわずかに落ちたが、糸は切れない。
「剣で無理に切れば、刃を傷める」
「火は?」
エドガーが尋ねる。
ベルクは糸の端を金属の挟み具でつかみ、炉の近くへ持っていった。
炎へ直接入れる。
最初は変化がない。
しばらくすると、白い糸の表面へ細かな亀裂が入った。
ベルクが金槌で叩く。
今度は、簡単に砕けた。
「熱には弱い」
「使えるか?」
「一本を焼くのに、この時間が必要だ。迷宮で火を当て続けるつもりなら、蜘蛛の方が先にお前たちを食う」
「火で進路を作るのは難しいか」
「ああ。それに、洞窟で大量に燃やせば、煙や空気の方が問題になる」
ベルクは次に、新しい糸を水へ沈めた。
変化はない。
油へ入れても同じだった。
「水も油も駄目だな」
エドガーが言った。
「結局、見つけて避けるしかないのか」
俺は作業台の上に残った透明な糸を見る。
光が当たる角度によって、わずかに輝く。
だが、洞窟では簡単に見失う。
《疾風の鋼剣》の風を使えば揺らすことはできた。
しかし、見えるのは動いている間だけだ。
「色をつけられないか」
俺が言うと、ベルクがこちらを見た。
「糸にか?」
「ああ。切れないなら、見えるようにすれば避けられる」
「塗料を一本ずつ塗るのか」
「その前に触れる」
「なら、粉だな」
ベルクは作業台の隅にあった黒い石炭の粉をつまみ、透明な糸へ落とした。
粉の大半は下へ落ちた。
だが、一部が糸の表面へ残る。
透明だった線が、黒く浮かび上がった。
「細かい粉ならつく」
俺は《アイテムボックス》を開いた。
中から、ガチャで手に入れた《洞窟用白墨》を取り出す。
「これでもいいか」
「削ってみろ」
白墨の表面を小刀で削る。
白い粉が作業台へ落ちた。
透明な糸の上へ振りかける。
粉が表面へ付着し、糸の位置がはっきりと見えるようになった。
「使えるな」
エドガーが言った。
「ああ」
白墨は本来、洞窟の岩壁へ目印を書くためのものだ。
十本もある。
一本を粉にしても、残りは十分に使える。
「どうやって広げる」
ベルクが尋ねた。
「手で投げれば、一か所に固まるぞ」
俺は《疾風の鋼剣》へ手を置いた。
「風を使う」
「大きく振るなよ」
「分かってる」
「お前は完成した日に、剣に振り回されていた」
「今は少し慣れた」
「少ししか慣れていないなら、なおさら大きく振るな」
ベルクは念を押したあと、円盾へ絡んだ硬化糸を見た。
「盾は預かる。糸を熱して砕き、金属縁を調整する」
「いつできる」
「明日の昼だ」
「今日中には」
「その剣を返してもらいたいのか?」
「明日の昼に来る」
ベルクが満足そうにうなずいた。
◇
町外れの空き地で、白墨の粉を使う練習をした。
エドガーが、二本の木の間へ細い糸を張る。
結晶蜘蛛の糸ではない。
普通の糸だ。
俺は砕いた白墨を手のひらへ乗せた。
「剣で直接粉を打つな」
エドガーが少し離れたところから言う。
「分かってる」
「大きな風も駄目だ。粉が全部こっちへ来る」
「分かってる」
俺は《疾風の鋼剣》を短く振った。
刀身の緑色の線が光る。
小さな風が、手のひらの白い粉を運んだ。
粉は二本の木の間へ広がった。
張られた糸へ白墨が付着する。
「見えたな」
「ああ」
成功した。
そう思った直後。
遅れて流れてきた粉が、エドガーの顔へかかった。
髪。
眉。
頬。
黒や灰色だった部分が、白く変わっている。
「……大きな風は使っていない」
「向きを考えろ」
「糸は見えた」
「俺も見えやすくなったな」
「ああ」
「否定しろ」
エドガーが顔についた粉を払う。
俺は笑っていない。
そのつもりだったが、口元がわずかに動いたらしい。
「お前、今笑ったか」
「笑っていない」
「そうか」
「ああ」
「なら、もう一度やるぞ。今度は風下に俺を立たせるな」
次は、風の向きを確認してから剣を振った。
白い粉だけが前へ流れる。
糸へ付着し、何もなかった空間へ細い線が浮かび上がった。
一度に広げられる範囲は狭い。
だが、通路を進む前に少しずつ確認するなら使える。
糸を切る必要はない。
どこにあるのか分かれば、避けて通れる。
◇
翌日。
修理を終えた円盾を受け取り、俺たちは灰晶洞窟迷宮へ向かった。
盾の金属縁には、結晶蜘蛛の糸が残した細い傷がある。
だが、動かすのに問題はない。
ベルクは、ついでに縁へ当てていた修理用鉄板も調整してくれた。
「また糸に取られるなよ」
鍛冶場を出るとき、そう言われた。
今度は取られない。
たぶん。
《ダンジョン転移》で迷宮入口へ移動する。
第一階層と第二階層を抜け、第三階層へ続く下り道へ入った。
結晶が混じる岩壁。
乾いた冷たい空気。
以前、結晶蜘蛛を倒した場所へ到着する。
俺は白墨を砕いた小袋を取り出した。
袋の口を少しだけ開く。
《疾風の鋼剣》を短く振った。
弱い風が白い粉を運ぶ。
何もなかった通路に、何本もの線が浮かび上がった。
足元。
胸の高さ。
天井近く。
透明な糸が、想像していた以上に張り巡らされている。
「これだけあったのか」
エドガーが声を落とす。
「前回、よく触れなかったな」
「盾は触れた」
「身体の話だ」
白い糸の間に、人一人が通れる隙間がある。
俺たちは身体を横向きにし、慎重に進んだ。
広い場所へ出るたびに白墨を使う。
風で粉を運ぶ。
糸が白く浮かぶ。
糸のない場所へ赤い布を結び、安全な道として残していく。
途中、天井に結晶蜘蛛を一体見つけた。
白墨の粉が脚へ付着し、透明だった身体が浮かび上がったのだ。
結晶蜘蛛は、こちらが糸へ触れるのを待っていた。
だが、場所が分かれば奇襲にはならない。
エドガーが矢を放つ。
前脚の関節へ命中した。
結晶蜘蛛が天井から落ちる。
俺は糸のない道を進み、《疾風の鋼剣》で腹部を斬った。
一撃では倒れなかった。
だが、前回のように姿を見失うこともない。
エドガーの二本目の矢が腹部へ刺さり、俺が短い突きを加えた。
結晶蜘蛛が動かなくなる。
《結晶蜘蛛》を討伐しました。
結晶蜘蛛討伐数:2体
次回ガチャチケット獲得まで:あと8体
「粉があるだけで、ずいぶん違うな」
「ああ」
「ガチャから出た白墨だったか」
「最初は、地図の目印に使うだけだと思っていた」
「役に立たない物は出ないんだったな」
「そのとき欲しい物が出るとは限らないが」
「今回は、先に出ていてよかったな」
俺たちは結晶蜘蛛の素材を回収し、さらに奥へ進んだ。
◇
通路が広がっている。
左右の壁まで、十歩以上はある。
天井も高い。
地面には砕けた結晶と、薄い石の板が何枚も落ちていた。
白墨の粉を流す。
透明な糸が、床の近くへ何本か張られている。
だが、通路の中央だけは空いていた。
「不自然だな」
エドガーが言った。
「ああ」
結晶蜘蛛が糸を張ったのなら、獲物が通りやすい中央を空ける理由がない。
何かが通ったことで、糸が切れたのかもしれない。
岩床を調べる。
細長い傷が、いくつも残っていた。
左右へ並んでいる。
「脚の跡か」
「多いな」
傷は十本や二十本ではない。
さらに奥へ続いている。
そのとき、暗闇の向こうから硬い音が聞こえた。
カリッ。
カリッ。
鉱喰いネズミが鉱石を削る音とは違う。
何十本もの細い爪が、一斉に岩床を引っ掻いている。
エドガーが弓を構えた。
俺も円盾と剣を持つ。
暗闇の中で、細長い影が動いた。
最初に見えたのは、二本の長い触角。
続いて、平たい頭。
背中には何枚もの岩の板が重なっている。
身体は、俺の身長の倍近い。
何十本もの脚を動かしながら、巨大なムカデが現れた。
《岩甲ムカデ》
視界へ名前が浮かぶ。
岩甲ムカデは俺たちを見ると、頭を低くした。
背中の岩板が擦れ合い、鈍い音を立てる。
「背中は硬そうだな」
エドガーが言った。
「腹か脚の付け根を狙う」
「腹を見せると思うか?」
「思わない」
「なら、見せてもらうしかないな」
岩甲ムカデが走り出した。
速い。
何十本もの脚が岩床を蹴り、長い身体が一気に迫る。
俺は円盾を構えた。
「正面で受けるな!」
分かっている。
これほど長く重い身体を、盾だけで止められるはずがない。
俺は横へ動いた。
岩甲ムカデの頭が、円盾の表面を掠める。
重い衝撃。
完全には避けられず、身体ごと横へ押された。
岩甲ムカデの身体が、目の前を通り過ぎる。
俺は《疾風の鋼剣》を振った。
背中ではない。
岩板の隙間。
刃が食い込む。
硬い。
火花が散り、剣が弾かれた。
「深く入らない!」
エドガーの矢が、岩甲ムカデの頭へ飛ぶ。
矢は目の近くへ当たったが、岩のような殻に弾かれた。
岩甲ムカデが身体を曲げる。
長い胴体が半円を描き、再びこちらへ向いた。
「後ろへ下がるぞ!」
俺たちは糸の少ない道へ後退する。
岩甲ムカデが追ってくる。
壁際に張られていた結晶蜘蛛の糸へ、何本もの脚が触れた。
透明な糸が白く硬化する。
だが、岩甲ムカデは止まらない。
力任せに糸を引きちぎった。
「糸でも止まらないか」
「一本や二本ならな」
エドガーの言葉で、俺は周囲を見る。
白墨によって浮かび上がった糸。
床の近くに、何本も残っている。
一本では止まらない。
だが、同時に何本も絡めば。
「エドガー。あいつを右へ誘導できるか」
右側には、結晶蜘蛛の糸が集中している場所がある。
人間が通れる隙間はない。
だから避けるつもりだった。
「あそこへ入れるのか」
「ああ」
「方法は?」
「俺が前に立つ」
「また危険な方法だな」
「正面では受けない」
俺は《アイテムボックス》から投擲用石弾を取り出した。
岩甲ムカデが身体を曲げ、こちらへ向きを変える。
「俺が左へ石を投げる」
エドガーが言った。
「音へ反応すれば、右から回り込むはずだ」
「その先で俺が誘う」
「糸へ入ったら、脚の関節を狙え」
「ああ」
エドガーが石弾を左側へ投げた。
カンッ!
岩床へ当たり、音が響く。
岩甲ムカデの触角が動いた。
頭が左へ向く。
だが、すぐに俺たちへ戻った。
「音だけでは駄目か」
「なら、こっちだ!」
エドガーが矢を放つ。
矢は岩甲ムカデの左側の脚へ当たった。
傷にはならない。
それでも、岩甲ムカデは刺激を受けた側から離れるように右へ身体を曲げた。
糸が多い場所へ近づく。
俺はその先へ走った。
白墨で見えている糸の隙間を抜ける。
岩甲ムカデとの距離が縮まる。
「来い」
言葉が通じるはずはない。
それでも、俺は剣を円盾へ打ちつけた。
甲高い音が鳴る。
岩甲ムカデが頭を持ち上げた。
そして、まっすぐに俺へ向かってくる。
俺は待った。
早く避ければ、岩甲ムカデも進路を変える。
何十本もの脚が岩床を叩く。
平たい頭が迫る。
あと数歩。
俺は右へ跳んだ。
岩甲ムカデの頭が、身体の横を通り過ぎる。
そのまま、白い糸が密集した場所へ突っ込んだ。
一本。
二本。
何本もの糸が脚へ絡む。
強く引かれた糸が、一斉に硬化した。
白い線が、岩甲ムカデの身体を縛る。
前方の脚が止まった。
後ろの脚は動き続ける。
長い身体が曲がり、岩床へ横倒しになった。
「今だ!」
俺は踏み込んだ。
岩甲ムカデが暴れる。
硬化した糸が、次々と音を立てる。
長くは持たない。
背中の岩板を避け、脚の付け根へ剣を振る。
短い斬撃。
風が刃を押す。
一本目の脚が落ちた。
すぐに切り返す。
二本目。
岩甲ムカデの身体が大きく揺れる。
糸の一本が砕けた。
「腹が見える!」
エドガーの矢が飛ぶ。
横倒しになった身体の下。
岩板に守られていない腹部へ、矢が突き刺さった。
岩甲ムカデが長い身体を反らす。
糸がさらに砕ける。
頭が俺へ向いた。
二本の大顎が開く。
俺は円盾を差し込んだ。
大顎が盾の縁を噛む。
金属が軋む。
岩甲ムカデが頭を振った。
腕ごと持っていかれそうになる。
「ぐっ……!」
盾を引かない。
逆に、前へ押す。
大顎が開かないよう、円盾を食い込ませる。
「エドガー!」
「分かっている!」
矢が、頭と胴体の境目へ突き刺さった。
一度では止まらない。
二本目。
同じ場所へ刺さる。
岩甲ムカデの動きが鈍った。
俺は円盾から左手を離した。
盾は大顎に噛まれたままだ。
《疾風の鋼剣》を両手で握る。
岩甲ムカデの首元。
二本の矢が刺さった隙間へ、剣先を向ける。
突き。
風が背中から刃を押した。
剣が、硬い殻の隙間へ入る。
奥で何かに当たった。
岩甲ムカデが暴れる。
俺は柄を離さない。
さらに一歩進む。
切っ先が、硬いものを突き破った。
岩甲ムカデの脚が、岩床を激しく引っ掻く。
やがて、一つずつ動きを止めていった。
長い身体から力が抜ける。
俺は剣を引き抜き、すぐに後退した。
エドガーが矢をつがえたまま、岩甲ムカデを見ている。
動かない。
「終わったな」
「ああ」
視界へ文字が浮かんだ。
《岩甲ムカデ》を初めて討伐しました。
ガチャチケットを1枚獲得しました。
所持ガチャチケット:3枚
灰晶洞窟迷宮討伐記録:8/10
八種類目。
残りは、あと二種類。
俺は岩甲ムカデに噛まれた円盾を引き抜いた。
縁に、新しい傷が増えている。
「ベルクに怒られるな」
エドガーが言った。
「壊れてはいない」
「昨日、直してもらったばかりだ」
「盾として使った」
「正しい使い方だが、説明して納得すると思うか?」
「思わない」
俺たちは顔を見合わせた。
どちらからともなく、小さく息を吐く。
◇
岩甲ムカデから、大きな魔石と背中の岩板を二枚回収した。
岩板は見た目より軽い。
盾や防具の補強に使えるかもしれない。
何本もの脚の先には、黒い爪がついていた。
これも素材として持ち帰る。
「今日は戻るぞ」
俺が言うと、エドガーがうなずいた。
「八種類目を倒した。十分だ」
白墨で浮かび上がった糸を確認しながら、来た道を戻る。
結晶蜘蛛の糸は、切ることができなかった。
火で壊すことも、迷宮内では現実的ではない。
それでも、見えるようにすれば道を選べた。
避けるだけではなく、岩甲ムカデを止めるためにも使えた。
ガチャから出た一本の白墨。
最初は、ただ壁へ印をつけるための道具だと思っていた。
だが、使い方を考えれば、透明な罠を見つけることができる。
強い剣だけが、俺を先へ進めるわけではない。
白墨。
投擲用石弾。
赤い布。
小型ハンマー。
どれも、それだけでは魔物を倒せない。
だが、必要な場所で使えば命を守ってくれる。
灰晶洞窟迷宮討伐記録は、8/10。
九種類目を倒せば、《洞窟歩行・極》を得られる。
残る一種類と、迷宮主。
第三階層のさらに奥から、低い音が響いた。
ゴゴゴ……。
岩が動くような、重い音。
俺たちは足を止め、暗闇の先を見る。
何も見えない。
だが、地面へ置いた足の裏に、わずかな振動が伝わっていた。
「次は、ムカデより重そうだな」
エドガーが言った。
「ああ」
俺は腰の《疾風の鋼剣》へ手を添えた。
今日、確かめに行く必要はない。
準備をしてから戻ればいい。
急がず。
一つずつ。
俺たちは、白く浮かんだ安全な道をたどり、迷宮の入口へ戻った。




