第31話 光る胞子
《疾風の鋼剣》を手に入れてから、二日が経った。
初日は、家の裏で剣を振り続けた。
大きく振らない。
剣先を止める位置を決め、短く振る。
風の補助は強力だが、俺の動きを勝手に正してくれるわけではない。
力を入れすぎれば、剣に引っ張られる。
逆に、動きを小さくすれば、今までよりも速い斬撃を放てる。
家の裏に置いた薪へ向け、何度も同じ動きを繰り返した。
右から左。
切り返して、左から右。
最後に突き。
最初は刃が予定より先へ進み、薪を置いていた台まで傷つけた。
何度か繰り返すうちに、少しずつ剣の止まる位置が分かるようになった。
まだ完全ではない。
だが、迷宮で使えないほどではなかった。
◇
「昨日は来なかったな」
冒険者協会の待合所で、エドガーが言った。
「剣の練習をしていた」
「一日中か」
「ああ」
「腕は動くのか?」
俺は右腕を曲げ伸ばしする。
肩と肘に、わずかな重さは残っている。
「問題ない」
「その言葉を信用していいか迷うな」
「痛みはない」
「ならいい」
エドガーは立ち上がり、背負っていた弓の位置を直した。
俺の革防具は修理を終えている。
岩殻サソリの毒針に裂かれた部分へ、ガチャで手に入れた修理用革を重ねた。
円盾の縁にも、修理用鉄板の一部を使っている。
完全に元通りではない。
だが、鉱喰いネズミにつけられた歯形の上へ鉄板を当てたことで、以前よりは安心して使える。
「今日は第二階層の先へ進む」
「ああ」
「ただし、剣の感覚がおかしければ戻る」
「分かってる」
「新しい魔物を見つけても、無理に戦わない」
「分かってる」
エドガーが俺の顔を見る。
「本当に分かっている顔だな」
「最近、それをよく言われる」
「以前は分かっていない顔をしていたんだろう」
自分の顔の違いは分からない。
俺たちは人目を避けて町を出ると、《ダンジョン転移》を使った。
◇
転移後、エドガーが数秒間その場へ立ち止まる。
以前よりも顔色は変わらなくなった。
「慣れたか」
「少しな」
「歩けるか」
「最初から歩けている」
「前は止まっていた」
「あれは念のためだ」
俺たちは周囲の安全を確認し、灰晶洞窟迷宮へ入った。
第一階層を抜ける。
第二階層へ下りると、岩壁に残していた赤い布を目印に進んだ。
鉱喰いネズミと戦った通路。
岩殻サソリを倒した狭い道。
前回より先へ進む。
赤い布を新たな岩壁へ結び、地図へ道を書き足していく。
しばらく歩いたところで、前方がわずかに明るくなった。
簡易魔石灯の光ではない。
淡い青緑色の光が、洞窟の奥から漏れている。
エドガーが右手を上げた。
俺は足を止める。
「誰かいるのか」
「人間の灯りには見えんな」
簡易魔石灯なら、一定の白い光を放つ。
前方の光は、ゆっくりと強くなったり、弱くなったりしていた。
まるで何かが呼吸しているようだ。
エドガーが弓を構え、俺は円盾へ手を添えた。
音を立てずに進む。
通路の先には、天井の高い空洞があった。
青緑色に光るキノコが、床や岩壁から無数に生えている。
小さなものは指先ほど。
大きなものは、人間の頭ほどの傘を持っていた。
その中央に、一際大きなキノコが立っている。
高さは、俺の胸ほど。
太い柄のような胴体から、二本の細い腕が伸びている。
足はない。
代わりに、何本もの根が床の亀裂へ潜り込んでいた。
「《発光キノコ人》だ」
エドガーが声を落とす。
「知っているのか」
「姿だけはな。戦ったことはない」
発光キノコ人の大きな傘が、一定の間隔で明滅している。
周囲に生えた小さなキノコも、それに合わせて光っていた。
「毒は」
「報告では、胞子を吸うと目眩や咳が出る。長時間吸えば、意識を失うこともあるらしい」
「根から離れないのか」
「そこまでは知らん」
俺は空洞の床へ目を向けた。
発光キノコ人から伸びた細い根が、周囲の岩の隙間へ広がっている。
床を覆うほどではない。
だが、どこまで伸びているのかは分からなかった。
発光キノコ人の傘が、強く光った。
俺たちに気づいたらしい。
細い腕が持ち上がる。
「来るぞ」
エドガーの言葉と同時に、足元から低い音がした。
ゴゴッ。
岩床が震える。
俺は反射的に後ろへ跳んだ。
直前まで立っていた場所から、鋭い石の杭が突き出した。
「土魔法か」
「根を通して使っているのかもしれん」
発光キノコ人が腕を動かす。
再び床が鳴った。
今度は、エドガーの足元だ。
エドガーは横へ転がり、突き出した石杭を避けた。
すぐに膝立ちになり、矢を放つ。
矢は発光キノコ人の傘へ突き刺さった。
次の瞬間。
傘の傷口から、青白く光る粉が噴き出した。
「下がれ!」
俺たちは通路へ向かって後退する。
だが、胞子の方が速い。
青白い光の粒が、空洞いっぱいに広がっていく。
俺は《疾風の鋼剣》を抜いた。
風で吹き飛ばせる。
大きく横へ振る。
刀身の緑色の線が光り、風が巻き起こった。
広がっていた胞子が、一斉に舞い上がる。
俺たちの前から胞子が消えた。
そう思ったのは、一瞬だけだった。
岩壁へぶつかった胞子が渦を巻き、空洞全体へ広がっていく。
通路の中にまで、青白い粉が流れ込んできた。
「広げただけだ!」
エドガーが口元を腕で覆う。
俺も息を止め、通路の奥へ走った。
しばらく進み、胞子の光が見えなくなったところで足を止める。
「……悪い」
「剣の風は便利だな」
「ああ」
「敵にとっても」
反論できなかった。
エドガーが革袋から水を出し、布へ染み込ませた。
「口と鼻を覆え」
俺も水で布を濡らし、顔の下半分へ巻く。
完全に胞子を防げるとは思えない。
それでも、何もしないよりはましだ。
「傘を射るのは駄目だな」
エドガーが言った。
「傷から胞子を出す」
「胴体は?」
「柔らかそうに見えるが、正面から入れば石杭に狙われる」
俺は空洞で見た根を思い出した。
発光キノコ人は、その場から一歩も動かなかった。
足がないからではない。
根を岩床へ伸ばし、周囲へ土魔法を放っている。
「石杭を出す前に、床が鳴った」
「ああ」
「根が伸びている場所からしか出せないなら、攻撃できる範囲が決まっているかもしれない」
「確かめる方法は?」
俺は《アイテムボックス》から、投擲用石弾を一つ取り出した。
「これを投げる」
「石に反応すると思うか」
「分からない。だが、足音や振動を感じているなら反応するかもしれない」
「穴掘りモグラと同じか」
「同じとは限らない」
「試す価値はあるな」
俺たちは空洞の入口へ戻った。
胞子はまだ残っている。
青白い光の粒が、ゆっくりと空中を漂っていた。
発光キノコ人は、先ほどと同じ場所に立っている。
傘に刺さった矢は抜け落ちていた。
傷口は閉じていない。
だが、胞子の噴出は止まっている。
俺は石弾を握り、空洞の右側へ投げた。
石弾が岩床へ落ちる。
カンッ。
高い音が響いた。
発光キノコ人の傘が強く光る。
石弾が落ちた場所の近くから、石杭が突き出した。
「反応した」
「ああ。目ではなく、振動を見ているらしい」
発光キノコ人の傘の下には、目らしいものがない。
根から伝わる振動で、獲物の位置を把握しているのかもしれない。
「根を切れば、土魔法を止められるか」
「近づければな」
胞子が漂う空洞。
足元からは石杭。
正面から走れば、途中で止められる。
俺は《疾風の鋼剣》を見る。
先ほどのように、大きく振れば胞子を広げる。
だが、風そのものが使えないわけではない。
家の裏で練習した、小さな斬撃。
風が起きる範囲も小さくなる。
「広く吹き飛ばすのは駄目だった」
「ああ」
「なら、進む場所だけ風を通す」
「できるのか?」
「やってみる」
「できなければ、すぐ下がれ」
俺はうなずいた。
エドガーが投擲用石弾を受け取る。
「俺が右へ投げる。石杭が出たら、お前は左から進め」
「ああ」
「根を切ったら、すぐ離れろ。傘を斬れば、また胞子が出る」
「分かってる」
俺は円盾を前へ構え、《疾風の鋼剣》を右手へ持った。
エドガーが石弾を投げる。
空洞の右側で、石が跳ねた。
発光キノコ人の傘が光る。
右側の床から石杭が突き出した。
同時に、俺は左へ走った。
胞子が顔の周りへ集まる。
剣を短く振る。
刀身の前に、小さな風が生まれた。
広く吹き飛ばさない。
自分が通る場所だけ、胞子を左右へ押し退ける。
一歩。
もう一歩。
発光キノコ人が、俺の振動に気づいた。
足元が鳴る。
ゴッ。
《洞窟歩行》が、岩床のわずかな変化を伝えてくる。
右足を引く。
目の前から石杭が突き出した。
円盾で受ければ、盾ごと持ち上げられる。
俺は石杭の横を抜けた。
だが、二本目が来る。
左側の床が盛り上がった。
避けきれない。
俺は円盾を斜めに構えた。
石杭の先端が、盾の縁へぶつかる。
修理用鉄板が、鈍い音を立てた。
衝撃が腕へ伝わる。
盾ごと押し上げられそうになるが、真正面からは受けない。
身体を回し、石杭の力を横へ流す。
盾の縁を滑った杭が、肩の横を通り過ぎた。
発光キノコ人まで、あと数歩。
足元には、太い根が見えている。
俺は剣を振り下ろした。
風が刀身を押す。
緑色の線を引きながら、刃が根へ食い込んだ。
柔らかな感触。
その奥に、石のような硬さがある。
根の表面は柔らかい。
だが、中心に鉱石のような芯が通っていた。
一撃では切れない。
発光キノコ人の細い腕が、俺へ向けられる。
足元が震えた。
「ウィル!」
エドガーの矢が飛ぶ。
今度は傘ではない。
細い腕へ突き刺さった。
発光キノコ人の腕が大きく逸れた。
足元の振動が止まる。
俺は剣を引く。
切り返し。
風が戻る動きを助ける。
同じ根へ、反対側から斬り込んだ。
硬い芯が割れる。
根が切断された。
発光キノコ人の身体が傾く。
周囲に生えた小さなキノコの光が、一斉に弱くなった。
「もう一本だ!」
エドガーが叫ぶ。
反対側に、もう一本太い根がある。
発光キノコ人が腕を振り回す。
空洞の床が、連続して鳴った。
石杭が出る。
俺は発光キノコ人のすぐ近くへ踏み込んだ。
遠くへ逃げれば、足元を狙われる。
根元なら、発光キノコ人自身も石杭に巻き込まれるかもしれない。
予想どおり、石杭は少し離れた場所から突き出した。
俺は二本目の根へ剣を向ける。
発光キノコ人の傘が、強く明滅した。
傷口から、再び胞子が噴き出す。
青白い粉が、顔へ迫る。
大きく振らない。
短い斬撃。
刃の周囲に生まれた風で、顔の前だけ胞子を押し退ける。
根へ一撃。
硬い芯へ刃が当たる。
切り返して、二撃目。
芯が砕けた。
二本目の太い根が切れる。
発光キノコ人の身体が、岩床から離れた。
土魔法の振動が止まる。
「離れろ!」
俺は後ろへ跳んだ。
同時に、エドガーの矢が発光キノコ人の胴体へ突き刺さる。
一本。
二本。
柔らかな胴体を、矢が貫いた。
発光キノコ人が細い腕を伸ばす。
だが、根を失った身体は、自分の重さを支えられない。
傘が大きく傾く。
俺は胞子を避けるため、傘ではなく胴体を狙った。
短く踏み込み、横へ斬る。
《疾風の鋼剣》が、青白い光を切り裂いた。
胴体が半ばまで断たれる。
発光キノコ人が岩床へ倒れた。
傘の光が、ゆっくりと弱くなっていく。
周囲の小さなキノコも、順番に光を失った。
俺は距離を取り、剣を構え直す。
エドガーも矢をつがえたまま、倒れた魔物を見ている。
動かない。
「終わりか」
「近づくな。胞子が残っている」
「ああ」
そのとき、視界へ文字が浮かんだ。
《発光キノコ人》を初めて討伐しました。
ガチャチケットを1枚獲得しました。
所持ガチャチケット:1枚
灰晶洞窟迷宮討伐記録:6/10
6種類の魔物を討伐しました。
報酬を獲得します。
《土魔法耐性・小》
土属性魔法による衝撃と損傷を、わずかに軽減します。
六種類目。
これで、灰晶洞窟迷宮の半分を超えた。
「新しい報酬か」
エドガーが尋ねる。
「ああ。《土魔法耐性・小》を得た」
「今の石杭には役立ちそうだな」
「攻撃を受けても平気になるわけじゃない」
「分かっているならいい」
俺たちは胞子が落ち着くまで、空洞の入口で待つことにした。
濡らした布を口元へ巻いたまま、周囲を警戒する。
数分が経った。
青白い胞子が、少しずつ床へ落ちていく。
「素材は傘か」
エドガーが言った。
「触って大丈夫なのか?」
「分からん。協会へ持ち帰るなら、袋を二重にした方がいい」
俺は《アイテムボックス》から防水布を取り出した。
ガチャで得た物だ。
発光キノコ人の傘を直接包み、その上からもう一枚の布を巻けば、胞子が漏れるのを抑えられるかもしれない。
倒れた魔物へ近づこうとした瞬間。
足元が、小さく震えた。
「待て」
俺は動きを止める。
発光キノコ人は倒れている。
光も消えている。
だが、空洞の奥にある大きなキノコが、ゆっくりと明滅し始めていた。
一つではない。
岩壁の近くで、二つ目の大きな傘が持ち上がる。
「もう一体いたのか」
周囲の小さなキノコに紛れ、光を消していたらしい。
二体目の発光キノコ人が根を伸ばす。
俺たちの足元が鳴った。
「下がれ!」
石杭が突き出す。
避けるのが遅れた。
杭の先端が、俺の左脚を掠めた。
硬い衝撃。
身体が横へ弾かれる。
だが、予想していたほどの痛みはない。
革防具の上に白い傷が残っている。
《土魔法耐性・小》。
確かに、衝撃がわずかに弱くなっている。
それでも、まともに受ければ骨を折られる。
「動けるか!」
「ああ!」
俺は立ち上がった。
二体目は、まだ胞子を放っていない。
「さっきと同じだ」
エドガーが石弾を取り出す。
「右へ投げる」
「俺は左から根を切る」
「今度は一度で切れるか」
「二度かかる」
「なら、その間は腕を止める」
エドガーが石弾を投げた。
岩床へ当たる。
発光キノコ人が右側へ石杭を出す。
俺は左から走った。
胞子は少ない。
足元の振動を感じる。
一本目の石杭を避ける。
二本目は、円盾で横へ流す。
先ほどより速い。
何が起きるか分かっているだけで、動きに迷いがない。
発光キノコ人の腕へ、エドガーの矢が刺さる。
土魔法が止まった。
俺は太い根へ《疾風の鋼剣》を振り下ろす。
一撃。
切り返し。
二撃。
硬い芯が割れる。
反対側の根へ移る。
発光キノコ人が胞子を噴き出す。
俺は剣を短く振り、顔の前へ風の通り道を作った。
一撃。
二撃。
二本目の根が切れる。
身体が傾く。
エドガーの矢が胴体へ突き刺さった。
俺は踏み込み、胴体を斜めに斬り上げる。
発光キノコ人の身体が、二つに分かれた。
傘が岩床へ落ちる。
今度は、すぐに近づかない。
周囲に三体目がいないことを確認する。
空洞の奥。
岩壁。
天井近くの亀裂。
動くものはない。
「今度こそ終わりだな」
「ああ」
《発光キノコ人》を討伐しました。
発光キノコ人討伐数:2体
次回ガチャチケット獲得まで:あと8体
同じ魔物は、十体倒さなければ次のチケットを得られない。
現在のチケットは一枚。
次の11連までは、まだ遠い。
だが、ガチャレベルは2へ上がっている。
次に何が出るのか。
以前よりも少しだけ、楽しみにしている自分がいた。
◇
胞子が落ち着くまで待ち、二体分の傘と根の一部を防水布で包んだ。
発光キノコ人の根の中心には、石のような芯が通っている。
土魔法を使うための素材かもしれない。
「今日は戻るぞ」
俺が言うと、エドガーがうなずいた。
「異論はない。胞子を吸っていないか、治療所でも確認した方がいい」
「ああ」
「素直だな」
「毒や胞子は、後から症状が出る」
「受付に言われ続けて、学んだか」
「最初から知っていた」
「知っていることと、実行することは別だ」
それも、最近よく言われる気がする。
俺たちは空洞を出た。
帰り道では、赤い布を一つずつ回収しながら進む。
《疾風の鋼剣》は、もう俺の身体を強く引っ張らなかった。
剣が弱くなったわけではない。
俺が、少しだけ使い方を覚えたのだ。
最初の一度は、風で胞子を広げた。
だが、二度目は必要な場所にだけ風を通せた。
新しい力を得ても、最初から使いこなせるわけではない。
失敗して。
考えて。
次は、少しだけうまく使う。
それでいい。
灰晶洞窟迷宮の討伐記録は、6/10。
残りは四種類。
腰の剣へ手を添える。
先へ進む準備は、少しずつ整っていた。




