第3話 初回特典ガチャ
「……ガチャ?」
ウィルは、目の前に浮かぶ光の文字を見つめた。
聞いたことのない言葉だった。
魔術の一種なのか。
あるいは、父親の剣に隠されていた力なのか。
確かめようと剣を見る。
だが、赤茶色に錆びた刃は、先ほどまでと何も変わっていなかった。
『固有スキル《ダンジョンガチャ》の起動が完了しました』
再び、頭の中へ声が響く。
同時に、光の文字が切り替わった。
《ダンジョンガチャ》
所有者:ウィル・クロード
ガチャチケット:一枚
初回特典:受取可能
ウィルは表示を睨んだ。
魔物を倒した直後に現れたものだ。
罠の可能性もある。
不用意に触れるべきではない。
そう考えていると、さらに新しい文字が浮かび上がった。
『初めて討伐した魔物一種類につき、ガチャチケットを一枚獲得できます』
『同一種の魔物を十体討伐するごとに、ガチャチケットを一枚獲得できます』
『ガチャチケット十枚を消費し、十一回の抽選を行うことができます』
『十一枠目からは、レアリティR以上の獲得物が確定します』
「……一枚では使えないのか」
ウィルの呟きに答えるように、表示の一部が強く光った。
通常ガチャ:チケット不足
初回特典ガチャ:抽選可能
初回特典には、チケットが必要ないらしい。
表示の下に、二つの文字が浮かんでいる。
《抽選する》
《抽選しない》
ウィルは迷った。
正体の分からない力だ。
だが、今の自分が持っているのは、錆びた剣一本だけだった。
新しい剣を借りる金さえない。
このまま探索を続ければ、次に現れた魔物へ勝てる保証もなかった。
危険なのは、この力だけではない。
何も持たずにダンジョンを進むことも、十分に危険だった。
「抽選する」
ウィルが口にすると、《抽選する》の文字が光った。
目の前に、円形の魔法陣が広がる。
白い光が渦を巻き、その中心へ集まっていった。
ウィルは反射的に剣を構える。
だが、魔物が現れる気配はない。
魔法陣の中央から、一つの光球が浮かび上がった。
光球はゆっくりと回転しながら、六つに分裂する。
『初回特典ガチャを開始します』
『獲得内容は《冒険者初心者セット》で固定されています』
「固定……?」
抽選ではないのではないか。
そう思ったが、今さら止めることはできなかった。
一つ目の光が弾ける。
『片手剣を獲得しました』
魔法陣の上に、鞘へ収められた剣が現れた。
装飾の少ない、実用的な片手剣だった。
鞘から少しだけ引き抜くと、曇りのない刃が見える。
父親の剣とは比べものにならない。
ウィルが軽く振ってみると、手によく馴染んだ。
今まで一度も持ったことがないはずなのに、不思議なほど扱いやすい。
続いて、二つ目の光が弾けた。
『円盾を獲得しました』
現れたのは、左腕で扱える大きさの丸い盾だった。
表面には金属板が張られ、縁も頑丈に補強されている。
派手さはない。
だが、スライムの体当たり程度なら、十分に受け止められそうだった。
三つ目の光が弾ける。
『革防具一式を獲得しました』
胸当て。
肩当て。
腕と脚を守る革製の防具。
そのすべてが、魔法陣の上へ重なるように現れた。
新品の革の匂いがする。
協会で見た新人冒険者たちも、よく似た防具を身につけていた。
少なくとも、薄い普段着だけで戦うよりは安全だ。
「これを、全部……?」
新品の片手剣だけでも、銀貨数枚では買えないだろう。
盾と防具を合わせれば、今のウィルには到底手が届かない金額になる。
警戒よりも困惑の方が大きくなっていく。
四つ目の光が弾けた。
『スキル《アイテムボックス》を獲得しました』
今度は、道具が現れなかった。
小さな光がウィルの胸へ飛び込み、そのまま身体の中へ溶けていく。
「っ……!」
思わず胸を押さえた。
痛みはない。
その代わり、今まで知らなかったはずの感覚が、頭の中へ流れ込んでくる。
目の前に、新たな表示が現れた。
《アイテムボックス》
所有物を特殊空間へ収納できます。
収納した物は、所有者の意思によって取り出すことができます。
生物は収納できませんが、死亡した生物は収納できます。
収納中の重量を所有者が感じることはなく、収納物同士が触れることもありません。
ただし、一つの物として収納できる大きさと、全体の収納容量には上限があります。
「収納……」
ウィルは魔法陣の上に置かれた革防具へ手を触れた。
収納したい。
そう意識する。
次の瞬間、革防具が光に包まれた。
音もなく、その場から消える。
ウィルは驚いて周囲を見回した。
どこにも落ちていない。
盗まれたわけでもなさそうだ。
頭の中へ意識を向けると、何もない暗い空間に革防具が収められているのが分かった。
「戻せるのか……?」
取り出したいと考える。
目の前に光が集まり、消えたはずの革防具が再び現れた。
ウィルはしばらく防具を見つめた。
鉱山刑務所では、わずかな私物さえ自由に持つことができなかった。
すべてを看守に預け、許可された物だけを使う。
その暮らしを七年も続けてきた。
誰にも触れられない場所へ、自分の物を保管できる。
それだけで、妙な安心感があった。
ウィルは円盾と新しい片手剣にも触れ、《アイテムボックス》へ収納した。
魔法陣の上から、二つの装備が消える。
代わりに、父親の錆びた剣を見た。
もう、この剣を戦いに使う必要はない。
だが、捨てるつもりもなかった。
「これも頼む」
剣へ触れると、錆びた剣も光に包まれた。
《アイテムボックス》の中へ、静かに収められる。
父親の形見を安全な場所へ入れられたことに、ウィルは小さく息を吐いた。
五つ目の光が弾ける。
『スキル《治癒・小》を獲得しました』
再び光が胸へ入り込む。
今度は、言葉と魔力の使い方が頭の中へ刻まれた。
《治癒・小》
軽度の傷を治療する初級治癒魔法。
詠唱を必要とします。
消費する魔力は、治療する傷の状態によって変動します。
「魔法……」
魔力六。
受付で表示された、自分の能力値を思い出す。
魔術師としては低い数値だと言われた。
それでも、魔法を一つも使えないという意味ではなかったらしい。
ウィルは自分の左腕を見る。
先ほどスライムの体当たりを受けた場所が、少し赤くなっていた。
大した傷ではない。
放っておいても、すぐに治るだろう。
だが、魔法を試すにはちょうどいい。
頭の中に浮かんだ詠唱を口にする。
「癒やしの光よ、小さき傷を塞げ――《治癒・小》」
右手から、淡い光が生まれた。
光は左腕を包み、赤くなっていた肌へ染み込んでいく。
わずかな熱を感じた。
光が消えたあとには、痛みも赤みも残っていなかった。
「本当に、治った……」
胸の奥が少し重くなる。
軽い倦怠感もあった。
鉱山で長時間働いたときの疲労とは違う。
身体ではなく、頭の内側が疲れたような感覚だ。
これが、魔力を消費するということなのだろう。
小さな傷を一度治しただけなら、動けなくなるほどではない。
だが、何度も使えば危険だ。
ウィルは忘れないよう、感覚を頭へ刻んだ。
最後の光が弾ける。
『スキル《ダンジョンワープ》を獲得しました』
三度目の光が、ウィルの中へ入っていく。
《ダンジョンワープ》
登録された地点へ転移できます。
現在の転移先は、以下の二か所です。
自宅。
《ユーカリ森林迷宮》入口。
使用には詠唱と魔力を必要とします。
戦闘中は使用できません。
ウィルは目を見開いた。
「自宅に、帰れるのか?」
ここから家までは、歩けば一時間以上かかる。
それを一瞬で移動できるとすれば、探索はずっと楽になる。
怪我をしても、入口まで戻ることができれば、自宅へ帰れる。
家から迷宮の入口へ来ることもできるらしい。
ただし、戦闘中には使えない。
魔物を前にして逃げるための力ではないということだ。
何より、魔力の消費量が分からない。
魔力の低い自分が使えば、一度で倒れる可能性もある。
今すぐ試す気にはなれなかった。
『《冒険者初心者セット》の獲得が完了しました』
『獲得物は、所有者のみ特殊効果を発揮します』
『他者が装備した場合、通常の装備品として使用できます』
最後の文字が消える。
魔法陣も薄くなり、森の空気へ溶けるように消えていった。
あとに残ったのは、ウィル一人だけだった。
森の中は静かだ。
先ほどまでの光景が、幻だったように思える。
だが、頭の中には三つのスキルが存在している。
《アイテムボックス》を意識すると、収納した装備も確認できた。
夢ではない。
ウィルは革防具を取り出した。
木の陰へ移動し、傷んだ上着の上から身につけていく。
胸当ては重すぎず、身体を動かしても邪魔にならない。
腕当てと脚当ても、なぜかウィルの身体に合っていた。
最後に新しい片手剣を腰へ下げ、左腕へ円盾を装着する。
先ほどまでとは、まるで違った。
剣が折れるかもしれないという不安がない。
身体を守る物もある。
治癒魔法まで使える。
自分が急に強くなったわけではない。
剣の使い方を覚えたわけでもない。
臆病な性格も、戦うことへの恐怖も、そのままだ。
それでも、進むための道具は手に入った。
ウィルは足元に残されていた、小さな魔石を拾った。
最初に倒したスライムが落とした物だ。
これも《アイテムボックス》へ収納する。
頭の中に、別の表示が現れた。
《ユーカリ森林迷宮・討伐記録》
スライム:初討伐達成
角ウサギ:未討伐
森ゴブリン:未討伐
第二階層:未到達
第三階層:未到達
階層主:未討伐
討伐種類数:一種類
全十種類。
ウィルは表示を見つめた。
「十種類……」
このダンジョンには、十種類の魔物がいる。
すべてを倒せば、何かが起きるのだろうか。
表示の下に、小さな文字が続いていた。
次回報酬まで、あと二種類。
詳しい内容は書かれていない。
だが、魔物を三種類倒せば、何かを獲得できるらしい。
装備はガチャによって手に入る。
そのためには、チケットを集めなければならない。
そして討伐した魔物の種類を増やせば、別の報酬も得られる。
何も持たずに家へ帰ってきたウィルにとって、初めて示された明確な道だった。
魔物を倒す。
魔石を売る。
金を稼ぐ。
家を直す。
この迷宮を少しずつ攻略していく。
ゲイルのことを考え続けるより、ずっと単純だった。
草むらが揺れた。
ウィルはすぐに円盾を構える。
先ほどよりも、身体が早く動いた。
現れたのは、もう一匹のスライムだった。
緑色の身体を震わせ、ウィルへ向きを変える。
最弱の魔物。
それでも、恐怖がなくなったわけではない。
心臓が速くなる。
剣を握る右手にも、力が入った。
だが、今度は逃げなかった。
スライムが身体を縮める。
体当たりの前触れだ。
ウィルは円盾を前へ出した。
スライムが飛び上がる。
緑色の身体が、盾の中央へぶつかった。
鈍い音が響く。
衝撃で左腕が押し戻された。
だが、足は動かなかった。
鉱山で鍛えられた身体が、正面から衝撃を受け止める。
「このくらいなら……!」
盾を押し返す。
弾かれたスライムが地面へ落ちた。
ウィルは右足を踏み込み、片手剣を振り下ろす。
先ほどの錆びた剣とは違い、刃は抵抗なくスライムの身体へ入った。
一撃だった。
スライムが二つに裂け、光の粒子へ変わる。
あとに、小さな魔石が残された。
「……倒せた」
一匹目よりも、ずっと落ち着いて戦えた。
装備が変わった影響は大きい。
だが、それだけではない。
一度、怖くても剣を振った。
その経験が、わずかに身体へ残っていた。
目の前に表示が現れる。
スライム討伐数:二体
次回チケット獲得まで、あと八体。
ウィルは二つ目の魔石を拾い、《アイテムボックス》へ収納した。
チケットを一枚持っている。
あと八体のスライムを倒せば、もう一枚増える。
角ウサギと森ゴブリンを初めて倒しても、それぞれ一枚ずつ手に入る。
十枚集めるには、まだ遠い。
それでも、どうすればいいのかは分かる。
七年間の鉱山労働では、どれだけ石を砕いても、自分の人生が前へ進んでいるとは思えなかった。
命じられた場所を掘り。
決められた時間に食べ。
眠り。
また同じ日を繰り返す。
だが、ここでは違う。
一匹倒すたびに、数字が増える。
一つ進むたびに、次の目標が見える。
誰かに命じられたからではない。
自分で選び、自分の足で進んでいる。
ウィルは森の奥へ目を向けた。
木々の間には、細い道が続いている。
何がいるのか分からない。
角ウサギか。
森ゴブリンか。
あるいは、複数のスライムかもしれない。
怖くないわけではなかった。
無理をすれば、簡単に死ぬ。
だから、焦らない。
今日は第一階層だけ。
日が暮れる前には帰る。
危険だと思えば逃げる。
それでも、もう少しだけ進んでみる。
ウィルは盾を構え直し、新しい剣を握った。
胸元には、母親の手紙。
《アイテムボックス》の中には、父親の錆びた剣がある。
奪われた七年は戻らない。
失ったものも、消えた信用も、簡単には取り返せない。
だが、今日手に入れたものは、確かにウィル自身のものだった。
ウィルは木漏れ日の差す道へ、一歩を踏み出した。
七年ぶりに始まった人生の、二歩目だった。




