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第26話 反響する羽音



 翌朝。


 ウィルは、硬い寝台の上で目を覚ました。


 薄い毛布。


 木の天井。


 手を伸ばせば届く場所に、片手剣がある。


 一瞬だけ、自分がどこにいるのか分からなかった。


 岩を叩く音が聞こえた気がした。


 何度も。


 一定の間隔で。


 けれど、耳を澄ますと違った。


 宿泊小屋の外で、管理人が薪を割っている音だった。


 ウィルはゆっくり息を吐く。


 足に鎖はない。


 扉は閉じられているだけで、鍵はかかっていない。


 隣の寝台では、エドガーがすでに起きていた。


 古い弓へ弦を張り、指で軽く弾いている。


「起きたか」


「ああ」


「眠れた?」


「少し夢を見た」


「鉱山か?」


「ああ」


 エドガーは、それ以上聞かなかった。


 無理に励ますこともない。


 弓を確認しながら、静かに言う。


「今日は昨日より奥へ入る。無理なら言え」


「分かった」


「本当に分かった顔ではないな」


「入る前から決めつけるな」


「なら、入ってから見る」


 ウィルは寝台から立ち上がった。


 昨日、レベルが4から5へ上がった。


 生命力:31。


 筋力:25。


 敏捷:17。


 魔力:13。


 迷宮完全攻略による全能力上昇ほど、大きな変化ではない。


 それでも、立ち上がる動作や足の運びが少し軽くなっていた。


 宿泊小屋の外にある水場で顔を洗う。


 冷たい水が、眠気を流した。


 朝食は、管理人が用意した麦の粥と干し肉だった。


 一人、銅貨4枚。


 簡素だが、温かい。


 保存食だけで済ませるよりも、身体が目覚めるのを感じた。


「今日は何を探す?」


 粥を食べながら、ウィルが尋ねる。


「見つけた魔物だ」


「反響コウモリか、岩肌トカゲ」


「ああ。ただし、穴掘りモグラが出た場合も避けるとは限らない」


「新しい魔物を優先したい」


「お前にだけ見える報酬のためか?」


「ああ」


 ウィルは詳しい内容を説明していない。


 魔物を初めて倒したときや、同じ魔物を一定数倒したとき、自分にだけ見える報酬がある。


 エドガーへ伝えているのは、そこまでだった。


 現在のガチャチケットは6枚。


 次の11連ガチャまで、あと4枚。


 欲しいのは、今の《初心者用片手剣》より一段上の武器だ。


「剣が手に入ると決まっているのか?」


「決まっていない」


「薬や食べ物が出ることもある?」


「ああ」


「不便な能力だな」


「役に立たない物は、ほとんど出ない」


「だが、欲しい物が出るとは限らない」


「そうだな」


 分かっている。


 二度目の11連ガチャで、剣が出る保証はない。


 それでも、引かなければ何も始まらない。


     ◇


 灰晶洞窟迷宮へ入る。


 昨日と同じ、冷たい空気。


 湿った岩と土の匂い。


 足音が壁へ当たり、何度も返ってくる。


 ウィルは簡易魔石灯を腰へ下げた。


 光量は低く抑えている。


 足元と、数歩先の壁が見える程度。


「昨日の場所までは、地形を覚えている」


 ウィルが言う。


「先頭を歩けるか?」


「ああ」


 森では、エドガーが足跡や折れた枝を見て、進む道を選ぶことが多かった。


 洞窟では違う。


 ウィルは岩壁の亀裂を見る。


 地面へ落ちている小石を見る。


 天井から染み出している水を見る。


 忘れたいと思っていた鉱山での知識。


 それが今は、仲間と安全に進むために役立っていた。


「左へ寄る」


 ウィルが言った。


「右は?」


「地面の色が濃い。水を吸っている」


「沈むのか?」


「深くはない。ただ、下に空洞があるかもしれない」


 二人は左側を歩く。


 数歩進んだところで、右側の地面に細い亀裂が走っていた。


 土の下に隙間がある。


「よく分かるな」


「鉱山では、足元を見ない者から怪我をした」


「誰かに教わったのか?」


「最初はいなかった」


 ウィルは前を見たまま答えた。


「何人か落ちたあとで、見るようになった」


 エドガーは何も言わなかった。


 同情されたいわけではない。


 ただ、事実を伝えただけだった。


     ◇


 昨日、穴掘りモグラを倒した場所を越える。


 そこから先は、まだ歩いたことのない道だった。


 洞窟が二つに分かれている。


 左は、人が二人並んで歩けるほど広い。


 右は少し狭く、天井から垂れた灰色の結晶が、魔石灯の光を反射していた。


「どちらへ行く?」


 エドガーが尋ねる。


 ウィルは魔石灯を右の通路へ向けた。


 奥から、弱い風が流れてくる。


「右は、広い場所へ続いている」


「左は?」


「風がない。行き止まりか、下へ続いているかもしれない」


 エドガーが地面へしゃがむ。


 右側の通路には、小さな黒いものがいくつも落ちていた。


「糞だな」


「何の?」


「飛ぶ魔物だろう。地面に足跡がない」


「反響コウモリか」


「おそらく」


 二人は右の通路を選んだ。


 先頭はウィル。


 エドガーは三歩ほど後ろを歩く。


 弓を使うための空間を確保していた。


 進むほど、天井が高くなる。


 風も少し強くなった。


 やがて、細い音が耳へ届く。


 キィ。


 短い鳴き声。


 続いて、別の方向から同じ音が返ってくる。


 キィ。


 キィ。


 ウィルは足を止めた。


「聞こえた」


「ああ」


 エドガーが頭上を見る。


 魔石灯の光が届く範囲には、何もいない。


「数は?」


「分からない」


 森で聞いた大針蜂の羽音とは違う。


 反響しているため、どこから聞こえているのか判断しにくかった。


 正面から聞こえたと思えば、次は背後から返ってくる。


 右。


 左。


 頭上。


「俺たちには、もう気づいているか?」


「足音を聞いているならな」


 また細い鳴き声。


 今度は近い。


 キィィッ。


 頭上から風が落ちてきた。


「上!」


 ウィルは円盾を持ち上げた。


 黒い影が、魔石灯の光へ入る。


 翼を広げれば、子供の背丈ほどある。


 細い身体。


 大きな耳。


 口から突き出た、小さな牙。


 反響コウモリが円盾へ爪を当てた。


 軽い衝撃。


 すぐに翼を広げ、頭上へ離れる。


 ウィルは剣を振らなかった。


 速すぎる。


 無理に振れば、刃を岩壁へ当てる。


「次が来る」


 エドガーが弓を引く。


 細い鳴き声。


 今度は二つ聞こえた。


「右、一!」


 エドガーが矢を放つ。


 黒い影が、空中で急に向きを変えた。


 矢が翼の端を掠め、岩壁へ当たる。


「避けた?」


「矢の音を聞いたのかもしれん」


 反響コウモリは、ただ飛び回っているわけではない。


 鳴き声を壁や天井へ当て、返ってくる音で周囲の形を捉えている。


 弦の音。


 空気を切る矢の音。


 それすら察知している可能性があった。


「見てから撃つのでは遅い」


 エドガーが二本目の矢をつがえる。


「来る場所を決める」


「どうやって?」


「お前が前へ出ろ」


 ウィルは一歩進んだ。


 すぐに高い鳴き声が響く。


 右上。


 反響コウモリが、ウィルの顔を狙って急降下してきた。


「右!」


 ウィルは盾を右へ向ける。


 爪が円盾へ当たった。


 その瞬間、エドガーが矢を向ける。


 だが、ウィルの盾が射線を塞いでいた。


「近すぎる!」


 エドガーが叫ぶ。


 反響コウモリは盾を蹴り、再び頭上へ戻った。


「俺が低く受ける」


「顔を狙われるぞ」


「盾を斜めにする」


 次の鳴き声。


 左。


 ウィルは膝を曲げた。


 盾を頭の上ではなく、左斜め前へ置く。


 黒い影が飛び込んでくる。


 爪が盾へ当たった。


 反響コウモリの身体が、円盾の表面に沿って横へ流れる。


 エドガーの射線へ入った。


「撃つ!」


 ウィルは、さらに身体を低くした。


 矢が頭上を通る。


 反響コウモリの翼へ深く刺さった。


 黒い身体が地面へ落ちる。


 片方の翼を引きずり、口を大きく開いた。


「キィィィィッ!」


 耳の奥へ突き刺さるような声。


 洞窟の壁が、何度も音を返す。


 ウィルの視界が揺れた。


 地面が傾いたように感じる。


「鳴かせるな!」


 エドガーの声も遠い。


 ウィルは倒れそうになる身体を、円盾で支えた。


 反響コウモリが、もう一度口を開く。


 踏み込む。


 片手剣を振り下ろす。


 刃が細い首へ入った。


 黒い身体が、淡い光へ変わる。


     ◇


《反響コウモリ》を初めて討伐しました。


初回討伐報酬を獲得しました。


ガチャチケット:1枚


所持ガチャチケット:6→7枚


     ◇


灰晶洞窟迷宮討伐記録:1/10→2/10


次回コンプリート報酬獲得まで、あと1種。


     ◇


 表示が消えても、耳鳴りは残っていた。


「大丈夫か?」


 エドガーが近づく。


「少し、地面が揺れている」


「地面は動いていない」


「分かっている」


 鳴き声によって、平衡感覚を乱されたらしい。


「一体でこれか」


 エドガーが天井を見上げた。


 最初の一体だけではない。


 暗闇の奥から、複数の鳴き声が聞こえてくる。


 キィ。


 キィィ。


 キキィ。


 倒された仲間の声に集まってきている。


「下がるぞ」


 エドガーが言う。


「狭い通路まで?」


「ああ。広い場所では囲まれる」


 二人は来た道へ戻ろうとした。


 その瞬間。


 奥の暗闇から、いくつもの黒い影が飛び出した。


 一体。


 二体。


 さらに三体。


 少なくとも五体。


「走れ!」


 ウィルとエドガーは狭い通路へ向かう。


 背後から高い鳴き声が追ってきた。


 音が重なる。


 右から聞こえた声が、左から返ってくる。


 何匹が、どこにいるのか分からない。


 一体がエドガーの背中へ近づいた。


「後ろ!」


 ウィルが円盾を振る。


 盾の縁が反響コウモリの翼へ当たった。


 黒い身体が壁へぶつかる。


 だが、倒れない。


「先へ行け!」


「お前は?」


「盾がある!」


 エドガーが狭い通路へ入る。


 ウィルも後ろへ下がりながら続いた。


 通路は、二人が並べる程度の幅しかない。


 広場のように、左右から回り込まれる危険は減る。


「ここで止める!」


 ウィルは振り返り、円盾を構えた。


 黒い影が三体、正面から飛んでくる。


 残りは天井近くを旋回していた。


「灯りを強くする」


 ウィルは簡易魔石灯へ意識を向けた。


「待て!」


 エドガーが止めるより先に、光量を上げた。


 白い光が、洞窟内へ広がる。


 反響コウモリたちが一斉に鳴いた。


 強い光に驚き、翼を大きく広げる。


 一体は壁へ。


 一体は天井へ。


 残りは向きを失ったように、狭い通路の中を激しく飛び回った。


「キィィィッ!」


「キキィッ!」


 黒い影が、予測できない方向から来る。


 ウィルの盾へ一体がぶつかった。


 別の一体が、エドガーの肩を爪で掠める。


「ぐっ!」


「エドガー!」


「光を落とせ!」


 ウィルは、すぐに魔石灯を弱くした。


 だが、群れはすでに興奮している。


 天井。


 壁。


 地面すれすれ。


 互いにぶつかりながら、無秩序に飛び回っていた。


「失敗した」


「反省はあとだ!」


 エドガーが短剣を抜いた。


 狭い場所では、弓を十分に引けない。


 近づいた反響コウモリを、短剣で払う。


 刃が翼へ触れるが、浅い。


 反響コウモリがエドガーの腕へ噛みつこうとする。


 ウィルは盾を間へ入れた。


 牙が革張りの表面へ食い込む。


「一体、止めた!」


「そのまま押せ!」


 ウィルは円盾を壁へ押しつけた。


 反響コウモリが、盾と岩壁の間へ挟まれる。


 エドガーが短剣を首元へ刺す。


 黒い身体が光へ変わった。


 反響コウモリ討伐数:2体。


 残った影が、二人の頭上を飛び回る。


 再び、耳を刺すような鳴き声。


 ウィルは歯を食いしばった。


 視界が揺れる。


 足元の位置が分かりにくい。


 洞窟で平衡感覚を失えば、戦うことも逃げることもできない。


「音を返している」


 ウィルは岩壁を見る。


「何?」


「鳴き声を壁へ当てて、自分たちの位置を見ている」


「それは分かっている!」


「別の音を返す」


 鉱山では、遠くにいる者へ合図を送るため、つるはしで岩を叩くことがあった。


 声は反響し、方向が分からなくなる。


 だが、金属が岩へ当たる鋭い音は、崩落や危険を知らせる合図として使われていた。


 ウィルは片手剣を鞘へ戻した。


「何をする?」


「耳を塞げ!」


 右手で剣の柄を握る。


 刃ではない。


 柄頭を、円盾の金属縁へ強く叩きつけた。


 甲高い金属音が響く。


 キィン――!


 狭い通路。


 灰晶を含んだ壁。


 音は何度も反射し、重なった。


 反響コウモリの動きが乱れる。


 一体が天井へぶつかった。


 もう一体は、急に羽ばたきを弱めて地面近くまで落ちる。


「効いている!」


 エドガーが弓を構え直した。


「もう一度!」


 ウィルは盾を叩く。


 キィン――!


 自分たちの耳にも痛い。


 だが、どこから音が返ってくるのか分からなくなったのは、反響コウモリも同じだった。


 一体が空中で止まりかける。


「右上!」


 エドガーが矢を放つ。


 今度は避けられない。


 矢が黒い身体を貫き、岩壁へ縫い止める。


 反響コウモリ討伐数:3体。


 残る二体が、奥へ逃げようとする。


「一体、下がってくる!」


 ウィルは円盾を構えた。


 金属音から逃れようとした一体が、二人の方へ飛んでくる。


 鳴き声はない。


 大きな耳を頭へ伏せ、視界だけで進もうとしていた。


「俺が受ける!」


 爪が盾へ当たる。


 ウィルは、すぐに押し返さなかった。


 反響コウモリが盾の縁へ掴まる。


 身体が一瞬だけ止まる。


「左へ流す!」


 ウィルは円盾を左へ振った。


 黒い身体が、エドガーの前へ入る。


 エドガーは弓を使わなかった。


 短剣を逆手に持ち、首元へ突き上げる。


 反響コウモリの身体が、光へ変わった。


 反響コウモリ討伐数:4体。


 最後の一体は、広場の奥へ逃げていった。


 鳴き声が遠ざかる。


 やがて洞窟内には、水滴の音だけが残った。


     ◇


 ウィルは、円盾を地面へついた。


 耳鳴りがひどい。


 自分の呼吸音まで、遠くから聞こえるようだった。


「怪我は?」


 エドガーが尋ねる。


「ない。エドガーは?」


「肩を掠められた」


 革防具の表面に、細い爪の跡がある。


 皮膚にも浅い傷がついていた。


 血は少ない。


「治療する?」


「《小治癒》を使うほどではない」


 エドガーは布を取り出し、傷を押さえた。


「それより、お前の耳は?」


「聞こえている」


「俺の声が?」


「ああ」


「なら、しばらく休めば戻る」


 二人は狭い通路の壁際へ座った。


 ウィルは魔石灯の光量を最低まで落とす。


「受付で言われていた」


 ウィルが言った。


「強い光を当てると、無秩序に飛ぶ」


「ああ」


「忘れていたわけではない」


「分かっていて使ったのか?」


「怯めば、奥へ逃げると思った」


「結果は?」


「俺たちへぶつかってきた」


「次は?」


「急に強い光を当てない」


「それでいい」


 失敗した。


 それでも、誰も大きな怪我をしていない。


 生きて戻れば、次の戦いへ生かせる。


「盾を叩いた音は使える」


 エドガーが言う。


「俺たちの耳にも悪い」


「耳へ布を詰めれば、少しは防げる」


「コウモリの鳴き声にも効く?」


「完全には無理だろう。だが、平衡感覚を失うまでの時間は延ばせる」


 次からは、耳を守る道具を準備する。


 金属音を使うなら、先に合図も決める。


「群れ相手に弓は使いにくいな」


 エドガーが自分の弓を見る。


「一体を狙っている間に、別の一体が近づく」


「狭い通路なら、正面から来る数は減らせる」


「ああ。だが、もっと大きな群れなら止められない」


「強い光も使いにくい」


「大きな火も危険だ。煙が逃げない場所もある」


 洞窟内で酸素が薄くなれば、自分たちも動けなくなる。


「一度に複数を止める方法が必要だ」


 ウィルが言う。


「魔法か」


 エドガーが答えた。


 広い範囲へ攻撃できる魔法使い。


 複数の敵を同時に動けなくする魔法。


 今は、二人で進める場所まで進めばいい。


 だが、洞窟の奥へ進めば、二人だけでは足りない場面が来るかもしれない。


「必要になったら、仲間を探す」


 ウィルが言った。


「ああ」


 エドガーは反対しなかった。


 自分の役割だけで、何でも解決できるとは考えていない。


「そろそろ戻るか?」


 ウィルは自分の状態を確かめた。


 怪我はない。


 体力にも余裕がある。


 だが、耳鳴りは残っていた。


 音の方向を正確に判断できない。


 この状態で穴掘りモグラへ襲われれば、地面の振動へ気づくのが遅れるかもしれない。


「戻る」


「新しい魔物を一種類倒しただけだぞ」


 エドガーが、わざと尋ねる。


「反響コウモリは四体倒した」


「だが、初めて倒した種類は一つだ」


「耳が戻っていない」


「正解だ」


「試したのか?」


「ああ」


 ウィルは少し顔をしかめた。


「毎回するつもりか?」


「自分で判断できるようになるまではな」


「今はできた」


「なら、次は聞かない」


 エドガーが立ち上がった。


 二人は来た道を戻り始める。


     ◇


 分かれ道の近くまで戻ったとき。


 ウィルは足を止めた。


「どうした?」


「壁が違う」


 左側の岩壁。


 昨日通ったときには気づかなかった場所だった。


 灰色の岩の中に、少しだけ色の濃い部分がある。


 横に長い。


 周囲と同じ岩のように見えるが、表面の筋が不自然だった。


「亀裂か?」


「違う」


 魔石灯を向ける。


 色の濃い岩が、わずかに膨らんだ。


 呼吸するように。


 ウィルは片手剣へ手をかけた。


 その瞬間。


 岩の中央に、細い黄色の線が開いた。


 目だった。


「岩肌トカゲ」


 ウィルが囁く。


 岩壁へ張りついた魔物が、二人を見ている。


 《気配察知・小》は、わずかに反応していた。


 こちらを獲物として認識し始めたらしい。


「戦うか?」


 エドガーが小さく尋ねた。


 岩肌トカゲを倒せば、灰晶洞窟迷宮で三種類目の初討伐となる。


 森の迷宮では、三種類を揃えたときに報酬があった。


 この迷宮でも、同じ仕組みなら。


 ガチャチケットも7枚から8枚へ増える。


 目の前にいる。


 あと一体。


 ウィルは耳を澄ました。


 水滴の音。


 自分の呼吸。


 エドガーがいる方向。


 まだ、わずかに曖昧だった。


「今日は戻る」


 ウィルは剣から手を離した。


「場所を覚えておく」


「逃げるかもしれんぞ」


「また探す」


「目の前にいるのに?」


「ああ」


 今の状態で戦い、頭上や背後から別の魔物が近づいても気づけない。


「次は、耳が戻った状態で倒す」


 エドガーが頷いた。


「行くぞ」


 二人は岩肌トカゲへ背中を向けず、ゆっくり距離を取った。


 魔物は追ってこなかった。


     ◇


 詰所へ戻ったころには、耳鳴りはかなり弱くなっていた。


 管理人がエドガーの肩の傷を確認する。


「反響コウモリか」


「ああ」


「何匹?」


「四匹倒した」


「初めてで四匹なら十分だ」


「群れが大きければ危険だな」


「第二階層へ近づくほど数が増える。十匹以上が一度に来る場所もある」


 ウィルとエドガーは顔を見合わせた。


 今日の群れでも、かなり苦戦した。


「二人で奥まで行くなら、音への対策を考えろ」


 管理人が言う。


「耳当ては売っている?」


「詰所には簡単な布製だけだ。町なら、魔物の鳴き声を弱める耳栓を売っている」


「値段は?」


「一組、銅貨40枚前後だな」


 二人分で銅貨80枚。


 安くはない。


 だが、反響コウモリと今後も戦うなら必要になる。


「町へ戻ったら買う」


 ウィルが言った。


「今日の素材で足りるだろう」


 反響コウモリは、四個の魔石のほかに、薄い耳の一部を二枚残していた。


 音を扱う魔道具の素材になるらしい。


     ◇


 翌朝。


 二人は町へ戻った。


 冒険者協会で、穴掘りモグラと反響コウモリの素材を売却する。


 穴掘りモグラの魔石と爪。


 反響コウモリ四体分の魔石。


 薄い反響耳膜が二枚。


 合計、銀貨1枚と銅貨12枚。


 二人で均等に分け、ウィルの取り分は銅貨56枚になった。


「耳栓を買えば、ほとんど残らないな」


 エドガーが言う。


「怪我をするよりいい」


「俺も買う。自分の分は自分で払う」


「ああ」


 受付の女性が、提出された素材と報告書を確認した。


「反響コウモリの群れと戦ったんですね」


「五体来た。四体倒して、一体は逃げた」


「怪我は?」


「エドガーの肩に浅い傷だけだ」


「ウィルさんは?」


「怪我はない。ただ、鳴き声で耳鳴りが残った」


「すぐに戻ったんですね」


「ああ」


「それがいいと思います」


 女性は、討伐した数やウィルの固有能力には触れなかった。


 ただ、二人が無理をせず戻ったことを確認する。


「岩肌トカゲも見つけた」


 ウィルが報告する。


「戦わなかったんですか?」


「音の方向が、まだ正確に分からなかった」


「正しい判断です。岩肌トカゲは、壁や天井から襲います。聴覚に異常がある状態では、接近に気づくのが遅れます」


 目の前に未討伐の魔物がいても、進まなかった。


 それを受付の女性は評価していた。


「次は耳栓を準備してから行く」


「装着した状態では、エドガーさんの声も聞こえにくくなります」


「合図を決める」


「先に試してから、迷宮へ入ってください」


「ああ」


 ウィルは、自分にだけ見える冒険者証の表示を開いた。


     ◇


名前:ウィル・クロード


レベル:5


生命力:31


筋力:25


敏捷:17


魔力:13


所持ガチャチケット:7枚


次回11連ガチャまで:あと3枚


灰晶洞窟迷宮討伐記録:2/10


次回コンプリート報酬獲得まで:あと1種


反響コウモリ討伐数:4体


次回チケット獲得まで:あと6体


     ◇


 数字は増えている。


 それ以上に、洞窟での戦い方が一つ分かった。


 強い光は、必ず反響コウモリを追い払うわけではない。


 弓は、群れに囲まれれば使いにくい。


 金属音で反響を乱すことができる。


 そして、耳を守る道具が必要だった。


 失敗したからこそ、次に準備するものが見えた。


「明日は休むか?」


 エドガーが尋ねる。


「耳栓を買う。盾と剣も確認する」


「その次は?」


「岩肌トカゲを倒す」


 次の初回討伐で、ガチャチケットは8枚。


 そして、洞窟迷宮で三種類目の討伐記録が埋まる。


 何が得られるのかは、まだ分からない。


 誰かへ尋ねることもできない。


 それでも。


 ウィルは次の報酬が、洞窟の奥へ進むための力になることを期待していた。


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