表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
25/51

第25話 自分で選んだ暗闇



 雨が上がった翌朝。


 ウィルは目を覚ますと、最初に天井を見た。


 新しい屋根板。


 きれいに塞がれた穴。


 雨漏りを受けるために置いていた桶は、もう床にない。


 昨日まで降り続いていた雨は、家の中へ一滴も入ってこなかった。


「大丈夫だ」


 屋根が一晩で壊れるはずはない。


 それでも、確認せずにはいられなかった。


 ウィルは寝台から起き上がる。


 以前より、身体が軽い。


 ユーカリ森林迷宮を完全攻略したことで、基礎能力は大きく上昇していた。


 生命力:29。


 筋力:24。


 敏捷:16。


 魔力:12。


 疾風のフォレストウルフへ挑んだときより、明らかに強くなっている。


 ただし、すべての力を次の迷宮で使えるわけではなかった。


 ウィルは食卓へ置いた冒険者証を開く。


     ◇


《森林歩行・極》


 森林内の悪路や傾斜による移動阻害を大幅に軽減します。


《森林狩人》


 森林内における索敵、攻撃、回避能力が上昇します。


 森林系魔物へ与えるダメージがわずかに増加します。


     ◇


 どちらも、森林という環境で力を発揮するスキルだ。


 今日から向かうのは森ではない。


 《灰晶洞窟迷宮》


 町から歩いて半日ほどの場所にある、推奨レベル4から7の迷宮。


 狭い岩道。


 暗闇。


 濡れた足場。


 森で身につけた歩き方が、そのまま通用するとは限らない。


 それでも、迷宮完全攻略で得た全基礎能力+5は残っている。


 森で得たものが、すべて失われるわけではなかった。


 ウィルは朝食を取り、装備を身につけた。


 《初心者用片手剣》


 《初心者用円盾+1》


 《初心者用革防具》


 《衝撃緩和の腕輪》


 修理を終えた円盾には、疾風のフォレストウルフが残した牙の跡が残っている。


 傷を完全に消したわけではない。


 削れた木板と革だけが補修され、粘糸索を繋いだ金属環も補強されていた。


 革防具の左肩と脇腹には、新しい革が縫いつけられている。


 《アイテムボックス》の中身も確認した。


 小治癒ポーション。


 体力回復薬。


 低級解毒薬。


 保存食セット。


 投擲用石弾。


 簡易魔石灯。


 携帯砥石。


 そして、《疾風の風晶》。


 薄緑色の結晶は、まだ今の剣には使わない。


 もっと長く使える、一段上の武器を手に入れるまで取っておく。


 ウィルは扉の前で振り返った。


 修復された屋根。


 三脚の椅子が並ぶ食卓。


 棚に置かれた食器。


 以前よりも、家を空けることが少しだけ怖くなっていた。


 失うものがなかった頃とは違う。


 戻りたい場所ができたからだ。


「行ってくる」


 ウィルは扉を閉めた。


     ◇


 食堂の前を通りかかると、裏口からアレナが出てきた。


 手には、小さな布包みを持っている。


「待ってた」


「俺を?」


「今日は洞窟へ行くんでしょ」


「どうして知っている?」


「昨日、父さんに話してた」


 屋根の修理が終わったあと、次は灰晶洞窟迷宮へ向かうつもりだと伝えていた。


 アレナは布包みを、ウィルへ差し出した。


「昼ご飯」


「保存食がある」


「毎回保存食だと飽きる」


「俺は飽きていない」


「私が飽きる」


「アレナは食べないだろう」


「作る方が飽きる」


 よく分からない理由だった。


 ウィルは布包みを受け取った。


 中から、焼いたパンと肉の匂いがする。


「ありがとう」


「エドガーさんの分もある」


「二つ入っているのか?」


「三つ」


「なぜ?」


「足りなかったとき用」


 鉱山刑務所から戻った直後よりも、ウィルの食べる量は増えていた。


 魔物と戦い、レベルが上がるほど、身体が多くの食事を求めるようになっている。


「帰りは遅くなる?」


「今日は迷宮の入口近くにある詰所へ泊まる」


 灰晶洞窟迷宮は町から遠い。


 日帰りでは、往復するだけで探索時間がほとんどなくなってしまう。


 そのため、入口付近には冒険者協会が管理する小さな詰所と宿泊小屋がある。


「明日の夜には戻る予定だ」


「予定?」


「危険なら早く戻る。問題がなくても、最初から奥へは行かない」


 新しい迷宮。


 知らない地形。


 知らない魔物。


 まずは第一階層の入口付近を確認するつもりだった。


「必ず戻るとは言わないんだね」


 アレナが言った。


 ウィルは答えに迷った。


 迷宮へ入る以上、絶対はない。


 戻るつもりで行く。


 だが、何が起きても必ず帰ると約束することはできなかった。


「戻るために、無理をしない」


 少し考えてから答える。


「それでいい?」


 アレナは、しばらくウィルを見た。


「うん」


 小さく頷く。


「帰ってきたら、洞窟の中を教えて」


「何を?」


「どんな形だったか。私が絵を描く」


「分かった」


「モグラがいたら、モグラも」


「まだいるとは決まっていない」


「洞窟にはいる」


 アレナの中では、決まっているらしい。


「見つけたら覚えておく」


「耳の形も」


「戦いながら見るのか?」


「無理なら、倒したあとでいい」


 当然のように言われた。


     ◇


 冒険者協会では、エドガーが受付の前に立っていた。


 背中には古い弓。


 腰には短剣。


 いつもより大きな鞄も持っている。


「遅くないな」


「約束の時間より前だ」


「毎回、同じことを言うつもりか?」


「エドガーが毎回確認するからだ」


 ウィルは受付へ向かった。


「一つ、確認したい」


「灰晶洞窟迷宮についてですか?」


 受付の女性が尋ねる。


「違う」


 ウィルは隣のエドガーを見た。


「前に、次からは臨時ではないと言ったな」


「ああ」


「正式なパーティーという意味か?」


 エドガーの眉が、わずかに動いた。


「今、確認するのか?」


「大事なことだ」


「協会へ来るまでに聞けただろう」


「会ってすぐ聞いている」


「そういう意味ではない」


 受付の女性が口元へ手を当てている。


 笑いをこらえているように見えた。


「違うなら、違うと言ってくれ」


 ウィルが続ける。


「戦利品の分配や、撤退の条件にも関わる」


「分かった」


 エドガーは諦めたように息を吐いた。


「正式なパーティーだ。少なくとも、灰晶洞窟迷宮へ一緒に入っている間はな」


「それが聞きたかった」


「俺は前にも、そう言ったつもりだった」


「臨時ではない、としか聞いていない」


「十分だろう」


「十分ではない」


 受付の女性が、登録用の紙を取り出した。


「では、正式なパーティー登録を行いますね」


「名前が必要なのか?」


 ウィルが尋ねる。


「パーティー名は任意です。今は空欄でも構いません」


「必要ない」


 エドガーが即答した。


「俺も思いつかない」


「無理につける必要はありません」


 登録する構成員は二人。


 ウィル・クロード。


 エドガー・リース。


 戦利品は原則として均等分配。


 特殊素材を一方が希望する場合は、相場の半額をもう一方へ支払う。


 治療費と個人装備の修理費は、それぞれが負担する。


 どちらか一人が撤退を宣言した場合、理由を問わず撤退する。


 ユーカリ森林迷宮で決めた条件を、そのまま登録した。


「これで正式なパーティーです」


 受付の女性が協会の印を押す。


「お二人の冒険者証を重ねてください」


 ウィルとエドガーが、机の上で冒険者証を重ねる。


 淡い光が広がった。


     ◇


パーティーが結成されました。


構成員:2名


ウィル・クロード


エドガー・リース


     ◇


 短い表示が消える。


 身体が強くなったわけではない。


 新しいスキルを得たわけでもない。


 それでもウィルは、もう一度、自分の冒険者証を見た。


「何か変わったか?」


 エドガーが尋ねる。


「構成員が二名と表示されている」


「見れば分かる」


「ああ」


「それだけか?」


「それだけだ」


 エドガーは少しだけ呆れた顔をした。


「灰晶洞窟迷宮について説明します」


 受付の女性が、一般公開されている地図を広げた。


 灰晶洞窟迷宮。


 推奨レベルは4から7。


 現在、三つの階層と最奥区画が確認されている。


「第一階層で多く確認されている魔物は三種類です」


 女性は指を三本立てた。


「地中から襲う《穴掘りモグラ》。群れで飛行する《反響コウモリ》。岩壁へ擬態する《岩肌トカゲ》です」


 アレナの予想が当たっていた。


「穴掘りモグラは、足音や地面の振動へ反応します」


「地中へいる間は、矢が届かないな」


 エドガーが言う。


「地表へ出た瞬間を狙う必要があります。ただし、鼻先と前脚の爪は非常に硬いので、正面から剣を当てるのは避けてください」


「反響コウモリは?」


「高い鳴き声と、その反響で周囲の位置を把握します。暗闇でも正確に飛び、複数で冒険者を囲むことがあります」


「強い光を嫌う?」


 ウィルが尋ねた。


「一時的に怯むことはあります。ただし、群れへ急に強い光を当てると、興奮して無秩序に飛び回る場合があります」


 魔石灯を強くすれば安全になるとは限らない。


「岩肌トカゲは?」


「壁や天井へ張りついています。動かなければ、普通の岩とほとんど見分けがつきません」


「待ち伏せするのか?」


「はい。頭上から落下し、首や肩へ噛みつく例もあります。壁へ手をつく際も注意してください」


 受付の女性が、地図の入口付近を指す。


「森林迷宮とは地面も視界も違います。森での戦いに慣れていても、同じ感覚で進まないでください」


「ああ」


 それは、ウィル自身も分かっている。


 森で役立ったスキルの環境効果は、洞窟では期待できない。


「今日は、どこまで進む予定ですか?」


「入口付近の地形を確認する」


 エドガーが答えた。


「魔物と戦う場合も、一体までを目安にする」


「一体だけ?」


「新しい環境で、最初から数を狙わない」


 受付の女性は安心したように頷いた。


「詰所へ到着したら、現地の管理人へ冒険者証を見せてください。宿泊小屋も利用できます」


「分かった」


「それから、ウィルさん」


「何だ?」


「洞窟へ入って、難しいと感じたら戻ってください」


 女性は、それ以上のことを口にしなかった。


 だが、ウィルには意味が分かった。


 暗闇。


 岩壁。


 反響する音。


 鉱山刑務所に似た場所。


「戻る必要があるなら、戻る」


「約束ですね」


「ああ」


     ◇


 町を出た二人は、北東へ延びる街道を歩いた。


 昨日までの雨で、道の端には水溜まりが残っている。


 空は晴れていた。


 風も弱い。


 エドガーは、ときどき街道の外へ視線を向けている。


 迷宮の中だけではなく、移動中も周囲を警戒していた。


「足が速くなったな」


 歩き始めて一時間ほど経ったころ、エドガーが言った。


「迷宮を完全攻略して、身体能力が上がった」


 詳しい数値までは伝えない。


 エドガーも聞かなかった。


「前より歩幅が広い」


「合わせにくい?」


「逆だ。以前は俺が少し遅く歩いていた」


「言わなかったな」


「言う必要がなかった」


「今は?」


「普通に歩いている」


 敏捷が11から16へ上がった影響は大きい。


 疾風のフォレストウルフほど速く動けるわけではない。


 それでも、以前より足の運びは軽かった。


 長時間歩いても、呼吸が乱れにくい。


 昼前。


 二人は街道脇の大きな木の下で休んだ。


 ウィルは、アレナから受け取った布包みを開く。


 平たいパンに、焼いた肉と野菜が挟まれていた。


 三つ入っている。


「一つはエドガーの分だ」


「頼んでいない」


「アレナが作った」


「なら、断る理由はない」


 エドガーはすぐに受け取った。


「俺が作ったと言ったら?」


「保存食を食う」


「なぜ?」


「お前はスープしか作れないだろう」


「パンへ肉を挟むくらいはできる」


「肉を焦がしそうだ」


 否定できなかった。


 ウィルは一つ目を食べ終えた。


 三つ目を半分に分ける。


「やはり、三つ必要だったな」


 エドガーが言う。


「俺一人で三つ食べるつもりではない」


「少し残念そうだぞ」


「気のせいだ」


     ◇


 灰晶洞窟迷宮の入口へ到着したのは、昼を少し過ぎたころだった。


 低い山の側面。


 灰色の岩壁に、大きな亀裂のような入口が開いている。


 周囲には木が少ない。


 露出した岩肌の一部には、白く濁った結晶が混じっていた。


 陽の光を受け、鈍く輝いている。


 迷宮の入口から少し離れた場所には、石造りの詰所と木製の宿泊小屋があった。


 管理人へ冒険者証を見せ、二人分の寝床を確保する。


「初めてか?」


 管理人の男が尋ねた。


「ああ」


 ウィルが答える。


「中は冷える。灯りを消すな。壁へむやみに手をつくな」


「岩肌トカゲか?」


「指を噛まれた奴が何人もいる」


 冗談ではないらしい。


「入口近くでも穴掘りモグラは出る。地面の柔らかい場所で、長く立ち止まるな」


「分かった」


「日が落ちる前には戻る」


 エドガーが言った。


「戻らなかった場合は?」


「明日の朝、協会へ報告する」


 管理人は、救助へ入るとは言わなかった。


 新しい迷宮では、それが普通なのだろう。


 ウィルは宿泊用の荷物を小屋へ置いた。


 必要な装備だけを持ち、入口へ向かう。


 近づくほど、空気が冷たくなった。


 湿った岩と土の匂い。


 ウィルの足が、ゆっくり止まった。


     ◇


 暗い穴が、目の前にある。


 入口から数歩先までは、外の光が届いている。


 その先は暗い。


 何も見えない。


 洞窟の奥から、水滴の落ちる音が聞こえた。


 ぽつり。


 ぽつり。


 壁へ当たり、何度も反響する。


 その音に、別の音が重なった。


 金属が岩へ当たる。


 つるはし。


 何度も。


 同じ場所へ。


『止まるな!』


 怒鳴り声。


『今日の分が終わるまで、休めると思うな!』


 背中へ走る痛み。


 崩れた岩の下から聞こえた声。


 助けを求めていた。


 だが、誰も作業を止めることは許されなかった。


 ウィルの指が固まる。


 左腕に持った盾が重くなった。


 息が浅い。


「ウィル」


 エドガーの声が聞こえた。


 鉱山の看守ではない。


 隣にいる仲間の声。


「聞こえている」


「入るか?」


 急かされなかった。


 戻るなとも言われない。


「……入る」


「今すぐでなくてもいい」


「今、入る」


 ウィルは胸元の布袋へ触れた。


 母親の手紙が入っている。


 鉱山へ連れていかれた日。


 ウィルに選択肢はなかった。


 手枷をつけられた。


 荷車へ乗せられた。


 暗い穴の中へ押し込まれた。


 だが、今日は違う。


 足に鎖はない。


 背後には、外へ続く道がある。


 戻ろうと思えば戻れる。


 自分で選び、ここに立っている。


 ウィルは《アイテムボックス》から簡易魔石灯を取り出した。


 灯りをつける。


 白い光が、洞窟の中へ広がった。


「行こう」


「ああ」


 二人は並んで、暗闇へ足を踏み入れた。


     ◇


 入口から十歩ほど進むと、外の音が遠くなった。


 洞窟の壁は灰色。


 ところどころに、白く濁った結晶が混じっている。


 魔石灯の光を受け、弱く反射した。


 道幅は、人が三人並べる程度。


 天井も低くない。


 今の場所なら、エドガーが弓を使う余裕もある。


「入口付近は広いな」


「ああ」


 ウィルは、自分の声が反響するのを聞いた。


 一度。


 二度。


 奥から、同じ言葉が返ってくるようだった。


 足元は湿っている。


 小さな石も多い。


 森の地面とは違い、足を置く場所を一歩ずつ選ぶ必要があった。


「右側の壁に亀裂がある」


 ウィルが言う。


「崩れるか?」


「すぐには崩れない。ただ、強く叩かない方がいい」


 エドガーが亀裂を見る。


「分かるのか?」


「岩の色が違う」


 亀裂の周囲だけ、灰色が少し濃い。


 水が染み込み、内側が弱くなっている。


「上から落ちる可能性は?」


「今はない」


「今は?」


「強い衝撃があれば分からない」


 その言葉を口にした直後。


 ウィルの足裏へ、かすかな振動が伝わった。


 足を止める。


「どうした?」


「静かに」


 エドガーも動きを止めた。


 水滴の音。


 遠くで風が抜ける音。


 その下に、何かが土を掻く音がある。


 ざり。


 ざり。


 硬い爪が、小石を押しのけていた。


「下にいる」


 ウィルが囁く。


「敵意を感じたのか?」


「違う」


 《気配察知・小》は反応していない。


 まだ、こちらへ明確な敵意を向けていないのかもしれない。


「地面の振動だ。何かが掘っている」


「穴掘りモグラか」


「おそらく」


 振動が少し強くなる。


 エドガーが弓へ矢をつがえた。


「どこだ?」


 ウィルは地面を見る。


 湿った土。


 小石。


 右側に露出した平たい岩。


 土の一部が、わずかに盛り上がった。


「エドガー、動け!」


 二人が同時に後ろへ跳ぶ。


 地面が弾けた。


 黒褐色の身体が、土の中から飛び出す。


 犬ほどの大きさ。


 丸い胴体。


 前脚には、短剣のように太く鋭い爪が三本ずつ伸びている。


 目は小さい。


 鼻先は硬い灰色の皮膚に覆われていた。


 穴掘りモグラは空中で前脚を振った。


 爪がエドガーの革防具を掠める。


 エドガーが弓を向ける。


 だが、モグラは着地すると同時に地面へ潜った。


「速いな」


「矢を撃つ時間がない」


 土が動く。


 今度はウィルの方へ向かっていた。


「来る!」


 ウィルは円盾を足元へ向けた。


 地面から爪が飛び出す。


 盾へ強い衝撃が当たった。


 金属ではなく、重い槌で叩かれたような感触。


 左腕が持ち上がる。


 穴掘りモグラの頭が地表へ出た。


 ウィルは片手剣を振る。


 刃が灰色の鼻先へ当たった。


 硬い。


 金属を叩いたような音が、洞窟内へ響く。


 浅い傷しかつかない。


 モグラはすぐに土の中へ戻った。


「正面は硬い」


「腹か首を狙うしかないな」


 エドガーが周囲を見る。


「だが、地表へ出ている時間が短い」


 地中にいる間は、弓も剣も届かない。


 出てきた瞬間を狙っても、正面には硬い鼻と爪がある。


 ウィルは足裏へ意識を向けた。


 穴掘りモグラは止まっていない。


 二人の周囲を回っている。


「俺たちの足音を追っている」


「音ではなく、振動か」


「ああ」


「止まれば?」


「さっきは、止まっていても近づいてきた」


「入口から歩いてきた振動を追っているのかもしれない」


 エドガーは弓を構えたまま、足元を見る。


「地上へ引きずり出す方法は?」


 ウィルは周囲を確認した。


 柔らかい土。


 平たい岩。


 右側の壁から、大きな石が突き出している。


 穴掘りモグラは土を掘れる。


 だが、岩の中を同じ速さで進むことはできないはずだ。


「平たい岩へ乗る」


「二人とも?」


「エドガーだけだ」


「お前は?」


「岩の端で待つ」


 ウィルは考えを説明した。


 エドガーが平たい岩の上で足を踏み鳴らす。


 モグラは振動へ向かう。


 だが、岩の真下からは飛び出せない。


 土と岩の境目へ回り、地表へ出るはずだ。


「出てくる場所が分かるのか?」


「地面の動きを見る」


「外したら?」


「盾で受ける」


「俺が囮か」


「嫌なら俺が――」


「やる」


 エドガーは平たい岩へ移動した。


「どのくらい鳴らせばいい?」


「普段歩くより強く」


 エドガーが片足で岩を踏む。


 硬い音が洞窟へ響く。


 一度。


 二度。


 三度。


 足元の振動が変わった。


 穴掘りモグラが、エドガーへ向かっている。


 土の盛り上がりが、平たい岩の手前で止まった。


 すぐに左へ動く。


 岩の下へ入れない。


「左だ!」


 ウィルは岩の左端へ走った。


 穴掘りモグラが土を跳ね上げる。


 硬い鼻先。


 鋭い爪。


 地表へ出た瞬間、ウィルは円盾を横から叩きつけた。


 盾の縁が、モグラの側頭部へ当たる。


 身体が横へ倒れた。


 柔らかい腹部が見える。


「撃つ!」


 エドガーの声。


 ウィルは前へ出ず、身体を低くした。


 矢が頭上を通る。


 穴掘りモグラの後脚へ刺さった。


 地中へ戻ろうとしていた動きが止まる。


「今だ!」


 ウィルは踏み込んだ。


 片手剣を両手で握る。


 硬い鼻先ではない。


 黒褐色の毛に覆われた、頭と胴体の境目。


 片手剣を振り下ろす。


 刃が深く入った。


 穴掘りモグラの身体から力が抜ける。


 黒褐色の身体が、淡い光へ変わっていった。


     ◇


《穴掘りモグラ》を初めて討伐しました。


初回討伐報酬を獲得しました。


ガチャチケット:1枚


所持ガチャチケット:5→6枚


     ◇


灰晶洞窟迷宮の討伐記録が解放されました。


討伐記録:1/10


次回コンプリート報酬獲得まで、あと2種。


     ◇


 表示が消えたあと。


 さらに強い光が、ウィルの身体を包んだ。


     ◇


レベルが上昇しました。


名前:ウィル・クロード


レベル:4→5


生命力:29→31


筋力:24→25


敏捷:16→17


魔力:12→13


     ◇


 身体の奥へ、温かな力が広がる。


 疾風のフォレストウルフを倒した経験。


 ユーカリ森林迷宮で積み重ねてきた戦い。


 そして、一段階上の迷宮で倒した新しい魔物。


 それらが重なり、次のレベルへ届いた。


「レベルが上がったな」


 エドガーが岩から下りてくる。


「ああ。レベル5だ」


「新しい迷宮へ入って、一体目で?」


「前の迷宮で得た経験も残っていたんだと思う」


 ウィルは右手を握った。


 完全攻略ボーナスほど大きな変化ではない。


 それでも、生命力、筋力、敏捷、魔力が伸びている。


「動きを試したそうな顔をしているな」


 エドガーが言った。


「少しだけなら」


「今日はやめろ」


「まだ試すとは言っていない」


「顔に出ている」


 また言われた。


 エドガーは地面に残った魔石を拾い上げる。


 その横には、穴掘りモグラの太い爪が一本残っていた。


「素材か」


「何に使える?」


「掘削道具か、短剣の材料だろうな」


 ウィルは爪を受け取った。


 先端は非常に硬い。


 初心者用片手剣で正面から何度も受ければ、刃こぼれする可能性がある。


 実際、先ほど鼻先へ当てた場所には、小さな欠けができていた。


「新しい剣が必要だな」


「今の剣では倒せなかったか?」


「一体なら倒せた」


「なら、まだ使える」


「だが、洞窟には硬い魔物が多い」


 岩へ擬態するトカゲ。


 さらに下の階層には、もっと硬い魔物がいるかもしれない。


 ウィルは、自分にだけ見える表示を確認した。


 所持ガチャチケット:6枚。


 次の11連ガチャまで、あと4枚。


「前に、一段上の剣が欲しいと言っていたな」


 エドガーが尋ねる。


「ああ」


「お前にだけ見える報酬で、手に入る可能性があるのか?」


「可能性はある」


「必ず出るわけではない?」


「ああ」


「薬や食べ物が出ることも?」


「ある」


「不便な能力だな」


「役に立たない物は、ほとんど出ない」


「だが、欲しい物が出るとは限らない」


「そうだな」


 自分で言いながら、少し不安になる。


 二度目の11連ガチャで、新しい剣が出る保証はない。


 薬。


 食料。


 修理道具。


 便利ではあっても、今すぐ欲しい武器ではない物が出る可能性もある。


「出なければ、素材を売って買う」


「それでいい」


 エドガーは洞窟の奥を見る。


「先へ進むか?」


 ウィルも暗い通路を見る。


 敵意は感じない。


 身体には余裕がある。


 レベルが上がったことで、疲労も少し軽くなっていた。


 それでも。


 今日の目的は、入口付近の地形確認と、新しい魔物との初戦。


 すでに達成している。


「戻る」


 ウィルは答えた。


「もう少し進めるが、地形も魔物もまだ分からない」


「ああ」


「レベルが上がった身体にも慣れたい」


「正解だ」


 二人は魔石と爪を《アイテムボックス》へ収納した。


 来た道を戻る。


 洞窟の入口から、外の光が見えた。


 その光へ向かって歩く。


 鉱山では、一日の作業が終わっても、自分の意思で外へ出ることはできなかった。


 今日は違う。


 暗闇へ入ることも。


 引き返すことも。


 自分で決めた。


     ◇


 詰所へ戻ると、管理人が二人を見た。


「早かったな」


「最初の一体だけ倒した」


 ウィルが答える。


「何が出た?」


「穴掘りモグラ」


「怪我は?」


「ない」


「なら上出来だ」


 管理人は、持ち帰った爪を確認した。


「状態がいい。武器屋なら銅貨20枚前後で買うだろう」


「魔石は?」


「合わせて銅貨35枚ほどだな。町へ戻ってから売る方がいい」


 その場では売却せず、《アイテムボックス》へ戻した。


 宿泊小屋へ入り、二人は装備を外した。


 木製の寝台が四つ。


 薄い毛布。


 小さな机。


 豪華ではないが、風と雨は防げる。


 エドガーが弓の弦を緩め、矢を点検する。


 ウィルも片手剣を抜いた。


 穴掘りモグラの鼻先へ当てた場所に、小さな刃こぼれがある。


「やはり硬い」


 携帯砥石を取り出し、刃を整える。


「次は正面へ当てるな」


 エドガーが言った。


「分かっている」


「今日は浅い欠けで済んだ。何度も当てれば折れるぞ」


「盾で受ける」


「盾も打撃を受け続ければ壊れる」


 森と同じ戦い方を続けるだけでは、装備が先に駄目になる。


 洞窟には、洞窟の戦い方が必要だった。


「明日は反響コウモリか、岩肌トカゲを探す」


「見つけた方だ」


「ああ」


「ただし、コウモリの群れが大きければ戦わない」


「分かっている」


 ウィルは剣を研ぎながら、自分の冒険者証を開いた。


     ◇


名前:ウィル・クロード


レベル:5


生命力:31


筋力:25


敏捷:17


魔力:13


所持ガチャチケット:6枚


次回11連ガチャまで:あと4枚


迷宮完全攻略数:1


灰晶洞窟迷宮討伐記録:1/10


次回コンプリート報酬獲得まで:あと2種


     ◇


 数字が増えている。


 レベル4から5。


 チケット5枚から6枚。


 新しい迷宮の討伐記録も、一つ埋まった。


 森の迷宮では、最初の三種類を倒したときに報酬があった。


 灰晶洞窟迷宮でも同じ仕組みなら、あと二種類。


 ただし、何が得られるのかはまだ分からない。


 誰かへ聞くこともできない。


 これは、ウィルにだけ見える力だった。


「エドガー」


「何だ?」


「今日、俺が洞窟へ入れないと言ったら、どうした?」


「町へ戻った」


「何も言わずに?」


「理由は分かっている」


「次の日も無理だったら?」


「その次の日に聞く」


「ずっと無理だったら?」


 エドガーは矢を一本、矢筒へ戻した。


「別の迷宮へ行く」


「灰晶洞窟迷宮を諦める?」


「迷宮は一つではない」


 迷宮を攻略するために、命や心を壊す必要はない。


 進めない場所があるなら、別の道を探せばいい。


「だが、お前は入った」


「ああ」


「だから明日も入る。それだけだ」


 ウィルは研ぎ終えた剣を、布で拭いた。


 外は、すでに暗くなっている。


 だが、宿泊小屋の暗さと、洞窟の暗さは違った。


 ここには灯りがある。


 隣には仲間がいる。


 扉を開けば、外へ出られる。


 ウィルは寝台の横へ、片手剣を置いた。


 手の届く場所へ武器を置く癖は、まだ消えない。


 それでも今夜、鉱山の夢を見たとしても。


 目を覚ませば、囚人ではない。


 冒険者として。


 自分で選んだ洞窟の入口にいる。


 ウィルは灯りを見つめながら、ゆっくり目を閉じた。




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


本作のKindle版も発売中です。


Kindle版には、本編に加えて、


・エドガー視点――初めてウィルと組んだ日

・アレナ視点――七年ぶりに帰ってきた幼なじみ

・防具職人視点――壊れるための盾

・第24話後日談――三人で囲む食卓


以上の書き下ろし番外編を収録しています。


ウィルたちの物語を、別の視点からも楽しんでいただけたら嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ