第24話 雨の止んだ家
冒険者協会へ戻ったとき。
ウィルは、受付の女性が最初に何を見るのか分かっていた。
「二人とも、こちらへ」
迷宮主の魔石でもない。
美しい灰色の毛皮でもない。
ウィルの左肩と脇腹。
エドガーの防具についた傷。
女性は二人の身体を確認すると、そのまま治療室を指した。
「報告は治療のあとです」
「討伐したかは聞かないのか?」
エドガーが尋ねる。
「持っているものを見れば分かります」
ウィルの《アイテムボックス》には、疾風のフォレストウルフが残した素材が入っている。
だが、女性の表情は喜ぶというよりも、安堵に近かった。
「二人で戻るという約束は守ってくれましたから」
「ああ」
ウィルは短く答えた。
◇
治療師は、ウィルの左肩の革防具を外した。
疾風のフォレストウルフの爪が掠めた場所には、赤紫色の痣と浅い傷が残っている。
「縫うほどではない」
傷を洗いながら、治療師が告げる。
「ただし、今日は剣を振るな」
「今日は?」
「明日もだ」
「二日間?」
「不満そうな顔をするな。肩が上がらなくなってからでは遅い」
冷たい薬を塗られる。
痛みが少し和らいだ。
脇腹の傷も浅い。
牙を受けた右脚には、前回の傷が残っていたが、新しく悪化した様子はなかった。
エドガーも背中と腕を調べられた。
大きな怪我はない。
治療師は二人の間に立ち、交互に顔を見る。
「迷宮主を倒した者に、休めと言っても聞かないことが多い」
「俺は聞く」
ウィルが答えた。
「以前よりはな」
エドガーが言った。
「以前を知らないだろう」
「十分知った」
二人分の治療が終わる。
今回の治療費は、一人につき銅貨12枚だった。
ウィルは自分の分を支払い、服を着直した。
「次に来るときは、治療ではなく顔を見せるだけにしてくれ」
治療師が言う。
「努力する」
「約束しろとは言わん。お前の努力は、ときどき妙な方向へ行く」
防具職人や受付の女性と、同じようなことを言われた。
◇
治療室を出ると、受付の前には数人の冒険者が集まっていた。
ウィルとエドガーが持ち帰った素材について、すでに話が広がっているらしい。
「本当に倒したのか?」
「疾風狼だろ?」
「二人だけで?」
聞こえてくる声に、ウィルの足が止まりそうになる。
以前なら、そのまま協会を出ていたかもしれない。
注目されることには、まだ慣れない。
視線を向けられると、何を言われるのか考えてしまう。
「止まるな」
隣を歩くエドガーが言った。
「分かっている」
「俺ではなく、前を見ろ」
ウィルは受付へ進んだ。
女性が記録用の紙を用意する。
「迷宮主討伐の正式な報告をお願いします」
ウィルは冒険者証を差し出した。
そこには、完成した記録が表示されている。
ユーカリ森林迷宮。
討伐記録:10/10。
女性は一度、表示を確認した。
それから協会の印を記録用紙へ押す。
「ウィル・クロードさん、エドガー・リースさん」
いつもより、少しだけはっきりした声だった。
「疾風のフォレストウルフ討伐、およびユーカリ森林迷宮の完全攻略を確認しました」
周囲から、小さなどよめきが起きた。
誰かが手を叩いた。
一人。
二人。
大きな歓声ではない。
それでも、協会の中へ拍手が広がった。
ウィルは、どうすればいいのか分からなかった。
頭を下げるべきなのか。
手を上げるのか。
エドガーを見る。
「俺を見るな」
「どうすればいい?」
「好きにしろ」
それが分からないから聞いている。
ウィルは、集まっている冒険者たちへ小さく頭を下げた。
拍手が少しだけ大きくなった。
その中には、前回で話を断られた三人組もいた。
大きな盾を持つ男と目が合う。
男は気まずそうに視線を外したあと、もう一度ウィルを見た。
「おめでとう」
短い言葉だった。
「ありがとう」
ウィルも短く返した。
男がウィルの無実を信じたわけではない。
それでも、冒険者として成し遂げたことは認めてくれた。
今は、それでよかった。
◇
素材の鑑定は、協会の奥にある大きな作業台で行われた。
ウィルは《アイテムボックス》から、一つずつ取り出す。
疾風のフォレストウルフの魔石。
灰色の毛皮。
二本の長い牙。
最後に、薄い緑色の結晶。
結晶の内部では、細い光が風のように渦巻いている。
鑑定を担当する男性が、最初に魔石を持ち上げた。
「状態は良好。迷宮主の魔石として、銀貨8枚」
次に毛皮。
「左肩に剣と矢の傷があるが、腹部と背中はきれいだ。銀貨6枚」
牙は二本で銀貨2枚。
魔石、毛皮、牙。
合わせて銀貨16枚。
「こちらの結晶は?」
ウィルが尋ねる。
「《疾風の風晶》だ」
鑑定人は結晶へ灯りを当てた。
内部の光が、さらに速く動き始める。
「疾風のフォレストウルフが、まれに残す特殊素材だ。武器や防具へ風属性の性質を付与できる」
「武器を強くできる?」
「武器そのものの切れ味を上げる素材ではない」
鑑定人が説明する。
「剣へ使えば、振り始めと切り返しが軽くなる。盾なら、構える速度を補助できる。ただし、加工できる鍛冶職人は限られる」
「今の片手剣にも使える?」
「使えなくはない」
鑑定人は、ウィルの腰にある《初心者用片手剣》を見た。
「だが、薦めない。この風晶は銀貨6枚ほどの価値がある。もっと長く使う武器を手に入れてから加工した方がいい」
強い迷宮主を倒した報酬は、完成した強い剣ではなかった。
これから手に入れる武器を、さらに成長させる素材。
ウィルは緑色の結晶を見た。
次にガチャを引けば、今の剣より一段上の武器が出る可能性がある。
その武器へ使えば、洞窟迷宮の奥でも役に立つ。
「これは売らない」
ウィルは言った。
「分配はどうする?」
エドガーが尋ねる。
「俺が買い取る」
風晶の価値は銀貨6枚。
半分は、エドガーの取り分だ。
ウィルが銀貨3枚を支払えば、結晶を自分のものにできる。
「屋根を直す金が必要なんだろう?」
「必要だ」
「なら、今回は――」
「均等分配だ」
ウィルはエドガーの言葉を遮った。
「最初に決めた」
「俺は風晶を使わない」
「売れば金になる」
「頑固だな」
「エドガーもだ」
エドガーは少し考えたあと、頷いた。
「分かった。銀貨3枚で、お前が持て」
魔石、毛皮、牙の売却額は銀貨16枚。
そこへ、迷宮主討伐の協会報酬として銀貨4枚が加わった。
合計、銀貨20枚。
二人の取り分は、銀貨10枚ずつ。
ウィルはその中から、風晶の代金として銀貨3枚をエドガーへ渡した。
ウィルの現金での取り分は銀貨7枚。
エドガーは銀貨13枚。
そしてウィルの手元には、《疾風の風晶》が残った。
銀貨7枚を革袋へ入れる。
重い。
これまで少しずつ貯めてきた屋根の修理資金は、銀貨4枚と銅貨30枚。
合わせれば、銀貨11枚と銅貨30枚になる。
屋根を直せる。
その事実が、迷宮主を倒したときとは違う形で胸へ広がった。
◇
「臨時パーティーは、今日で終了だ」
精算を終えたあと、エドガーが言った。
契約は、ユーカリ森林迷宮の攻略まで。
最初から決めていたことだった。
「分かった」
「それだけか?」
「他に何を言う?」
「知らん」
エドガー自身も、何を期待していたのか分からない顔をしている。
ウィルは少し考えた。
「次の迷宮へ行きたい」
「ああ」
「灰晶洞窟迷宮を考えている」
町から半日ほど離れた場所にある、推奨レベル4から7の迷宮。
森より魔物が強く、暗い洞窟が続く。
穴を掘る魔物。
暗闇を飛ぶ魔物。
岩へ擬態する魔物。
これまでとは違う戦いになる。
「同行してくれるか?」
ウィルは、自分から尋ねた。
第19話では、エドガーから声をかけられた。
今度は違う。
断られる可能性があっても、自分から頼んだ。
「屋根はどうする?」
「先に直す」
「迷宮より家か?」
「ああ」
ウィルは迷わず答えた。
「雨が降れば、また中へ水が入る」
迷宮は逃げない。
だが、壊れた家を放置すれば、次の雨でさらに傷む。
「何日かかる?」
「職人へ聞く」
「修理が終わったら、もう一度声をかけろ」
「それは、同行するという意味か?」
「断るなら、最初から断っている」
エドガーは、いつもの古い弓を肩へ掛けた。
「ただし、洞窟では俺の弓が使いにくい場所もある」
「分かっている」
「森と同じようには戦えない」
「ああ」
「鉱山に似ている場所もあるぞ」
ウィルの指が、わずかに固くなる。
暗い穴。
岩の匂い。
つるはしの音。
怒鳴り声。
考えるだけで、背中の古い傷が痛むような気がした。
「それでも行く」
「そう言うと思った」
エドガーは協会の出口へ向かう。
「ウィル」
足を止め、振り返らずに名前を呼んだ。
「何だ?」
「次からは臨時ではない」
それだけ言い、協会を出ていった。
ウィルは、しばらく扉を見ていた。
「正式なパーティーへのお誘いですね」
受付の女性が言う。
「そうなのか?」
「おそらく」
「本人は、はっきり言わなかった」
「エドガーさんも、そういうことが得意ではないのでしょう」
似ているのかもしれない。
「次に来たとき、確認する」
「確認するんですか?」
「大事なことだ」
女性は笑いをこらえるように口元へ手を当てた。
「それでいいと思います」
◇
家へ戻る前に、ウィルは防具修理店へ寄った。
牙の跡が増えた円盾を作業台へ置く。
職人の眉間に、深い皺が寄った。
「壊れる前に持ってこいと言ったな」
「壊れてはいない」
「金具が曲がっている」
「抜けなかった」
「革帯も裂けかけている」
「外せた」
「そういう問題じゃない」
職人は盾の表と裏を何度も調べた。
牙で削られた木板。
粘糸索に引かれ、わずかに変形した金属環。
それでも、盾の中心部分は残っている。
「迷宮主は?」
「倒した」
職人の手が止まった。
「この盾で?」
「ああ」
「そうか」
短い返事だった。
職人は盾の傷へ指を当てる。
「修理費は銅貨18枚だ。金属環は外すか?」
「残してほしい」
「また罠に使うつもりか?」
「分からない。ただ、役に立った」
「なら補強する」
ウィルは革防具も預けた。
左肩と脇腹の裂けた部分。
修理費は銅貨10枚。
「三日後に来い」
「分かった」
店を出る直前。
「迷宮主討伐、おめでとう」
背中から声が聞こえた。
ウィルは振り返る。
職人はすでに作業台へ向かい、盾を分解し始めている。
「ありがとう」
◇
家へ戻ると、ウィルは床板の下から小さな木箱を取り出した。
屋根の修理資金。
銀貨4枚。
銅貨30枚。
そこへ、今日得た銀貨7枚を加える。
銀貨11枚。
銅貨30枚。
木箱を両手で持ち上げる。
以前より、はっきりと重くなっていた。
七年前。
この家を出たとき、ウィルは何も持っていなかった。
戻ってきたときには、屋根に穴が開き、壁は傷み、家具には埃が積もっていた。
母親もいなかった。
父親もいなかった。
残っていたのは、錆びた剣と手紙だけだった。
今は違う。
食卓には、アレナから借りた食器がある。
壁には魔石灯がついている。
棚には保存食と薬がある。
そして、屋根を直すための金がある。
「明日だな」
ウィルは木箱を閉じた。
明日。
アレナの父親へ相談する。
◇
翌朝。
食堂の開店前に訪ねると、アレナの父親は裏口で野菜の箱を運んでいた。
「おはようございます」
「おう。肩はどうした?」
「迷宮主を倒しました」
「迷宮主を倒すと肩を怪我するのか?」
「今回は」
説明が足りなかった。
アレナの父親は箱を地面へ置く。
「中で聞こう」
食堂へ入る。
アレナは椅子を机の上から下ろしていた。
ウィルの肩へ巻かれた布を見る。
「また怪我した」
「浅い傷だ」
「毎回そう言う」
「本当に浅い」
ウィルは迷宮主を倒したことを伝えた。
アレナの手が止まる。
「一人で?」
「エドガーと二人で」
「帰ってきた?」
「ここにいる」
「そうじゃなくて」
アレナは少しだけ眉を寄せた。
「二人で帰ってきた?」
「ああ」
「なら、よかった」
受付の女性と同じことを言った。
「それで、屋根を直したい」
ウィルは銀貨の入った革袋を机へ置いた。
「銀貨11枚と銅貨30枚ある」
アレナの父親は袋の中身を確認した。
「全部使うつもりか?」
「必要なら」
「全部は使うな。次の仕事まで食えなくなるぞ」
「食料はある」
「薬や装備の修理もあるだろう」
防具職人にも、すでに代金を支払う必要がある。
「前に見た状態なら、屋根を全部剥がす必要はない」
アレナの父親が紙を取り出した。
木材。
防水布。
屋根板。
釘。
職人への工賃。
「傷んだ部分を交換して、残せるところは残す。銀貨10枚と銅貨80枚くらいだ」
「足りる」
「ああ」
「頼みたい」
「分かった。知り合いの職人へ話してみる」
ウィルは銀貨10枚と銅貨80枚を数えた。
残るのは銅貨50枚。
木箱にあった重みが、ほとんど消える。
だが、不安ではなかった。
金がなくなったのではない。
屋根へ変わる。
「俺も手伝う」
「肩を怪我しているだろ」
「軽いものなら運べる」
「治ってからだ」
「二日で――」
「治療師は何日休めと言った?」
「二日」
「なら二日休め」
どこへ行っても、同じことを言われる。
「私も手伝う」
アレナが言った。
父親が娘を見る。
「お前は店があるだろう」
「終わってから行く」
「屋根に登るなよ」
「登らない」
「前に倉庫の屋根へ登って、下りられなくなっただろう」
「あれは道が分からなくなっただけ」
「屋根の上で迷うな」
ウィルは、どのように迷ったのか想像できなかった。
◇
屋根の修理は、三日後に始まった。
朝早くから、二人の職人が家へ来た。
アレナの父親もいる。
傷んだ屋根板が外される。
腐った木材。
雨を吸い、黒く変色した部分。
穴を塞いでいた応急処置の板も取り外された。
青空が、家の中から見えた。
最初に帰ってきた日と同じだった。
だが、今日は壊れているから空が見えるのではない。
直すために、一度開いている。
ウィルは地上で、外された板を運んだ。
肩に負担をかけないよう、一枚ずつ。
「無理するなよ」
屋根の上から、アレナの父親が声をかける。
「していない」
「それを決めるのは、お前じゃない」
「誰が決める?」
「見ている人間だ」
理不尽な気もした。
だが、鉱山の看守が言っていた「働け」とは違う。
今の言葉は、壊れるまで動くなという意味だった。
昼過ぎ。
アレナが食事を持ってきた。
籠の中には、白いパンと肉の入ったスープ。
職人たちの分もある。
「休憩」
アレナが言った。
「もう少し運んでから」
「今」
「まだ――」
「今」
父親とよく似ていた。
ウィルは板を地面へ置いた。
全員で家の前へ座り、食事を取る。
職人の一人が、屋根を見上げた。
「今日中には板を載せられる。仕上げは明日だな」
「雨が降っても大丈夫になりますか?」
「明日の夕方まで待て。防水材が乾けば問題ない」
ウィルは屋根を見上げた。
新しい木材が組まれている。
傷んでいない古い部分は残され、その隣に新しい板が並んでいた。
すべてを新しくするわけではない。
残せるものは残す。
壊れたところだけを直す。
自分の身体と似ていると思った。
古い傷は消えない。
七年間も、なかったことにはならない。
それでも、傷んだ場所へ新しいものを加えれば、もう一度使うことができる。
「何を見ているの?」
アレナが尋ねた。
「屋根」
「それは分かる」
「直っている」
「直しているから」
「そうだな」
当たり前のことだった。
だが、その当たり前が嬉しかった。
◇
二日目の夕方。
最後の屋根板が固定された。
防水材を塗り、隙間を確認する。
職人が梯子から下りてくる。
「終わったぞ」
ウィルは家の中へ入った。
天井を見上げる。
光は差し込んでいない。
新しい木の匂いがする。
壁や床は、まだ傷んでいる。
家具も少ない。
それでも、上を見るたびに見えていた穴は消えていた。
「確認してみろ」
アレナの父親が、屋根へ水をかけた。
桶一杯。
二杯。
三杯。
屋根を流れる水の音がする。
ウィルは家の中で待った。
いつも水が落ちていた場所。
床へ置いていた桶。
そこへ、何も落ちてこない。
一滴も。
「どうだ?」
外から声がする。
「大丈夫です」
「聞こえないぞ」
ウィルは少し声を大きくした。
「雨漏りしていません!」
「なら完成だ!」
外から、職人たちの笑い声が聞こえた。
◇
その夜。
アレナと父親を、家の中へ招いた。
ウィルが自分から人を家へ呼ぶのは、戻ってきてから初めてだった。
食卓の椅子は三つ。
一つは古い。
一つは食堂から借りたもの。
もう一つは、アレナの父親が直してくれたものだった。
食卓には、野菜スープ。
白いパン。
焼いた肉。
ウィルが作った料理だけではない。
アレナが持ってきたものも並んでいる。
「今日は祝いだから」
アレナが言った。
「屋根の?」
「迷宮攻略も」
「それは昨日、協会で――」
「私たちは祝ってない」
「そうか」
ウィルは三人分の器へ、野菜スープを注いだ。
母親がよく作っていたもの。
まだ同じ味にはならない。
少し薄い。
野菜の切り方も揃っていない。
それでも、最初に作ったときよりはよくなっていた。
アレナが一口飲む。
「前よりおいしい」
「塩を減らした」
「前は多かった」
「少しだけだ」
「少しじゃなかった」
父親もスープを飲んだ。
「悪くない」
「本当ですか?」
「アレナよりは慎重に作っている」
「私も作れる」
「鍋を焦がしただろ」
「あれは火が強かった」
「火を強くしたのは誰だ」
親子の会話を聞きながら、ウィルもスープを飲んだ。
家の中に声がある。
食器の音がする。
天井には穴がない。
風も入らない。
食事を終えたころ。
屋根の上で、小さな音が鳴った。
雨だった。
弱い雨が、次第に強くなる。
以前なら、すぐに桶を並べていた。
床へ布を敷き、濡れてはいけないものを移動させた。
今日は誰も動かなかった。
三人で、雨音を聞く。
天井から水は落ちてこない。
アレナが上を見た。
「降ってる」
「ああ」
「漏れてない」
「ああ」
「よかったね」
ウィルは、すぐには答えられなかった。
迷宮主を倒したとき。
冒険者たちから拍手されたとき。
銀貨を受け取ったとき。
そのどれとも違うものが、胸の奥へ広がっていた。
七年間。
自分には帰る場所がないと思っていた。
家が残っていても、誰もいない。
屋根も壊れている。
ただ過去だけが置かれている場所。
そう思っていた。
だが今は、雨を防ぐ屋根がある。
食卓には人がいる。
明日になれば、エドガーへ次の迷宮の話をしに行く。
ウィルは小さく息を吐いた。
「うん」
アレナを見る。
「よかった」
それだけ言うと、アレナは少し笑った。
◇
二人が帰ったあと。
ウィルは食器を洗い、食卓へ冒険者証を置いた。
ユーカリ森林迷宮。
討伐記録:10/10。
完全攻略によって獲得した《森林狩人》の詳細を開く。
◇
《森林狩人》
ユーカリ森林迷宮完全攻略報酬。
森林内における索敵、攻撃、回避能力が上昇します。
森林系魔物に与えるダメージがわずかに増加します。
迷宮完全攻略ボーナスが適用されます。
全基礎能力+5。
◇
数字が切り替わる。
◇
名前:ウィル・クロード
レベル:4
生命力:24→29
筋力:19→24
敏捷:11→16
魔力:7→12
◇
ウィルは、何度か表示を見直した。
「全部、5……」
生命力だけではない。
筋力。
敏捷。
魔力。
すべてが上がっている。
レベルが上がったときよりも、大きな変化だった。
右手を握る。
筋力が増えたからといって、急に腕が太くなったわけではない。
それでも、身体の内側に以前より強い力を感じる。
耳を澄ます。
雨音が、少しはっきり聞こえた。
椅子から立ち上がる。
身体が軽い。
疾風のフォレストウルフへ挑む前の自分とは、明らかに違う。
迷宮を完全攻略する。
その意味を、ウィルは初めて理解した。
レベルによる成長。
ガチャによる装備。
迷宮完全攻略による、確定した大きな強化。
この三つを積み重ねれば、もっと強くなれる。
それでも、頭に浮かんだのはゲイルではなかった。
次の迷宮。
暗い洞窟。
そこで待つ、新しい魔物。
そして、いつかガチャから出るかもしれない新しい剣。
ウィルは《アイテムボックス》から、《疾風の風晶》を取り出した。
薄い緑色の結晶。
内部で風のような光が揺れている。
「まだ使わない」
今の初心者用片手剣ではない。
もっと長く使える剣。
その剣を手に入れたとき、この結晶を使う。
ウィルは風晶を収納した。
冒険者証を閉じる。
雨は、まだ降っている。
だが、家の中へは一滴も入ってこなかった。
ウィルは灯りを消し、修復された屋根の下で横になった。
手の届く場所に剣を置く癖は、まだ消えていない。
大きな音がすれば、身体は強張る。
古い傷も残っている。
それでも。
この家は、もう壊れたままではなかった。
ウィルの人生も。
まだ、直し始めたばかりだった。
◇
第1章 七年ぶりの帰還 完
◇
【第1章終了時ステータス】
名前:ウィル・クロード
年齢:23歳
職業:冒険者
レベル:4
生命力:29
筋力:24
敏捷:16
魔力:12
迷宮完全攻略数:1
所持ガチャチケット:5枚
次回11連ガチャまで:あと5枚
【固有能力】
《ダンジョンガチャ》
魔物の初回討伐、同種魔物の一定数討伐、迷宮主の再討伐などにより、ガチャチケットを獲得する。
《装備統合》
同名装備を吸収し、基礎性能を強化する。
【習得スキル】
《アイテムボックス》
《小治癒》
《ダンジョン転移》
《気配察知・小》
《毒耐性・小》
《森林歩行・極》
《森林狩人》
【《森林狩人》完全攻略ボーナス】
全基礎能力+5
森林内での索敵能力上昇
森林内での攻撃・回避能力上昇
森林系魔物への与ダメージ微増
【装備】
武器:《初心者用片手剣》
盾:《初心者用円盾+1》
防具:《初心者用革防具》
装飾品:《衝撃緩和の腕輪》
※盾と防具は修理済み。
【主な所持品】
《疾風の風晶》
小治癒ポーション×1
体力回復薬×1
低級解毒薬×1
保存食セット×1
投擲用石弾×4
低級魔石×2
簡易魔石灯
※低級魔石一個を装着中。
携帯砥石
【攻略済み迷宮】
《ユーカリ森林迷宮》
推奨レベル:1〜4
討伐記録:10/10
完全攻略済み。
◇
【比較対象・第1章終了時】
名前:ゲイル
年齢:28歳
称号:《雷槍》
所属:王国槍騎士団副団長
レベル:72
生命力:342
筋力:396
敏捷:371
魔力:458
迷宮核出力:10/10
【主なスキル】
《雷槍術・極》
《雷属性魔法・極》
《雷装》
《迅雷突撃》
《身体強化・大》
《魔力循環・大》
《英雄の威圧》
《迷宮核同調》
【読者のみ閲覧可能な情報】
迷宮核同調率:100%→98%
※ゲイル本人は、力の変化に気づいていない。
◇
ウィル・クロード。
レベル4。
ゲイル。
レベル72。
その差は、いまだ圧倒的だった。
けれど。
七年前から一度も縮まらなかった距離が、初めて動き始めていた。




