第20話 十匹目の森ゴブリン
翌朝。
ウィルは食卓へ冒険者証を置き、現在の記録を確認した。
レベル:3。
生命力:22。
筋力:18。
敏捷:10。
魔力:7。
所持ガチャチケット:3枚。
迷宮討伐記録:9/10。
残っているのは、疾風のフォレストウルフだけだった。
昨日はエドガーと角ウサギを相手に連携を練習した。
一人が敵を止め、もう一人が攻撃する。
味方の姿を確認するために振り返らず、声を信じて自分の役割を果たす。
最初は失敗した。
二度目は、少しだけできた。
それでも、迷宮主を相手にするには足りない。
ウィルは討伐記録を開いた。
スライム:30体。
角ウサギ:15体。
森ゴブリン:2体。
大針蜂:2体。
樹上猿:1体。
牙猪:1体。
毒牙トカゲ:1体。
糸吐き蜘蛛:1体。
鎧甲虫:1体。
森ゴブリンをあと8体倒せば、合計10体になる。
同じ魔物を10体討伐した報酬として、ガチャチケットを一枚得られるはずだ。
「迷宮主の前に、こっちだな」
森ゴブリンは角ウサギよりも賢い。
武器を使う。
複数で行動し、仲間と連携することもある。
エドガーとの戦い方を練習する相手としても適していた。
さらに、討伐を続ければレベルが上がる可能性もある。
疾風のフォレストウルフの速さを思い出す。
敏捷が1上がっただけで追いつけるとは思わない。
それでも、盾を向ける速度。
剣を振る速度。
攻撃を避ける一歩。
小さな差が、命を分けるかもしれない。
ウィルは野菜スープと白いパンを食べた。
昨日アレナから、塩が少し薄いと言われたため、今日は木の匙の先へ少量だけ加えている。
一口飲む。
「……少し濃いな」
足しすぎたらしい。
次は、今日の半分でいい。
失敗しても、次に変えればいい。
戦いも、料理も同じだった。
ウィルは装備を身につけた。
《初心者用片手剣》
《初心者用円盾+1》
《初心者用革防具》
《衝撃緩和の腕輪》
円盾の裏側には、片手で革帯を外せる留め具が追加されている。
昨日、何度も操作を練習した。
迷うことなく外せる。
再び固定することもできる。
投擲用石弾は、残り5個。
小治癒ポーションは1本。
体力回復薬も1本。
低級解毒薬もある。
ウィルは胸元の布袋へ触れた。
「行ってくる」
◇
冒険者協会へ入ると、エドガーは昨日と同じ席へ座っていた。
古い弓の弦を指で弾き、張りを確かめている。
「時間どおりだな」
「ああ」
「先に言っておく」
エドガーは弓を膝へ載せた。
「今日は迷宮主へ行かない」
昨日は、今日挑むと言っていた。
ウィルは理由を尋ねる。
「なぜ?」
「一晩考えた」
「勝てないと思った?」
「今のお前と俺では、予定が一つ崩れただけで連携も崩れる」
エドガーは、はっきりと言った。
「昨日は角ウサギ二匹だ。迷宮主とは違う」
「分かっている」
「分かっていても、昨日のお前は最初に俺を見た」
「ああ」
「二度目はできた。だが、できたのは一度だけだ」
一度成功したから、次も成功するとは限らない。
迷宮主は、同じ動きを繰り返してくれる相手ではない。
「俺も、お前の動きを一日見ただけだ」
エドガーが続ける。
「剣を振る速さ。盾を向ける癖。攻撃を受けたあと、どちらへ下がるか。まだ全部は分からん」
「では、今日は何をする?」
「森ゴブリンを狩る」
ウィルは、冒険者証に表示されていた討伐数を思い出した。
「俺も、そう考えていた」
「理由は?」
「あと8体で、合計10体になる」
ガチャチケットのことは言わない。
「きりのいい数まで倒したい」
「冒険者は、妙に十という数字を気にするな」
「悪いか?」
「いや。目標が分かりやすいのは悪くない」
エドガーは立ち上がった。
「森ゴブリンは武器を使う。仲間を助ける。逃げるふりもする。連携の練習には、角ウサギより向いている」
「8体すべて、今日倒す?」
「無理なら途中で帰る」
「分かった」
「それと、最後に倒すのはお前だ」
ウィルはエドガーを見る。
「なぜ?」
「十体まで倒したいのは、お前なんだろう?」
「素材の分配は?」
「いつもどおり半分だ。誰が止めを刺したかは関係ない」
エドガーは、ウィルが討伐数にこだわる理由を知らない。
それでも、最後の一撃を譲るつもりらしい。
「助かる」
「礼は全部終わってからにしろ」
◇
受付の女性へ、今日の予定を伝える。
「迷宮主ではなく、森ゴブリンですか?」
「ああ」
「安心しました」
女性は隠そうともせずに言った。
「そこまで安心されると、俺が無謀だったように聞こえる」
「無謀でした」
「まだ挑んでいない」
「一日だけ連携を練習して挑もうとしていました」
反論できない。
「森ゴブリンは、第一階層の西側に多く出ます」
受付の女性が簡単な地図を広げた。
「壊れた石壁がある場所を知っていますか?」
「知らない」
「昔の監視所跡です。森ゴブリンが武器や食料を集めていることがあります」
「巣ではない?」
「巣と呼べるほど大きくはありません。数体が一時的に集まる場所です」
「何体くらいいる?」
「二体から五体ほどです。ただし、一度にすべてと戦わないでください」
「分けて倒す」
「エドガーさんが一緒なら、私が言う必要はなさそうですね」
「こいつは言わないと、自分で全部考え始めるぞ」
エドガーが答えた。
「考えるのは悪くない」
「相談せずに考えるのが悪い」
受付の女性が頷く。
「そのとおりです」
また二人の意見が一致した。
「今日は森ゴブリンを八体倒したい」
ウィルが言う。
「数を目標にすると――」
「無理をしやすい。危険なら途中で帰る」
「先に言われましたね」
「何度も聞いた」
「覚えてくれているなら、守ってください」
「約束する」
受付の女性は二人の臨時パーティー登録を確認した。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
◇
第一階層へ入る。
エドガーが先に地面を見た。
「三人分の足跡だ」
「ゴブリン?」
「靴を履いていない。足の幅も小さい」
ウィルには、土の上に残った窪みしか見えない。
エドガーは足跡の向きと、折れた草を確認する。
「西へ向かっている。まだ新しい」
「追う?」
「風下から回る」
「匂いに気づかれる?」
「森ゴブリンは狼ほど鼻がよくない。だが、焚き火や人間の匂いには反応する」
二人は足跡を真っすぐ追わず、少し遠回りした。
《森林歩行・極》のおかげで、ウィルの足音は以前より小さい。
落ち葉を踏んでも、大きな音が鳴らない。
やがて、低い話し声が聞こえてきた。
「ギャッ」
「ギギッ」
木々の間に、三体の森ゴブリンがいた。
一体は木の棒。
一体は石斧。
最後の一体は、錆びた短剣を持っている。
石斧を持ったゴブリンが、地面へ座って何かを食べていた。
残りの二体は周囲を見ている。
「三体」
ウィルが小声で言う。
「見張り二、休憩一だ」
エドガーは弓へ矢をつがえた。
「俺が右の短剣を止める。お前は左の棒から倒せ」
「石斧は?」
「休んでいる。立ち上がるまで少し遅い」
「短剣が矢を避けたら?」
「前へ出さない。お前は自分の二体を見ろ」
「二体?」
「棒を倒したあと、石斧がお前へ来る」
エドガーは、すでに相手の動きを予想していた。
「始めるぞ」
矢が放たれる。
短剣を持ったゴブリンの足元へ刺さった。
「ギャッ!」
三体が一斉に動く。
ウィルは木の陰から飛び出した。
棒を持つゴブリンが、驚きながら武器を振る。
円盾で受け止める。
衝撃は弱い。
盾を外側へ動かし、棒ごと腕を押し流す。
胴体が開いた。
片手剣を横へ振る。
刃が脇腹へ入った。
森ゴブリンが光へ変わる。
森ゴブリン討伐数:3体。
石斧を持つゴブリンが、食べ物を投げ捨てて立ち上がった。
斧を両手で持ち、頭上へ振り上げる。
「右へ!」
エドガーの声。
ウィルは右へ動いた。
石斧が地面へ当たる。
土が跳ねた。
ウィルは剣を振る。
ゴブリンが斧の柄で受けた。
刃と木がぶつかる。
柄へ深い傷が入るが、切断はできない。
森ゴブリンが斧を押し返す。
ウィルも剣へ力を込めた。
「押し合うな!」
エドガーの声。
ウィルは力を抜いた。
急に抵抗がなくなり、ゴブリンの身体が前へ傾く。
ウィルは半歩横へ動いた。
勢いのまま、森ゴブリンが前へ出る。
背中が見えた。
剣を振り下ろす。
刃が首元へ入った。
森ゴブリン討伐数:4体。
「左、来るぞ!」
短剣を持ったゴブリンが、エドガーの矢を避けて走ってくる。
エドガーは二本目の矢を構えていた。
だが、射線上にはウィルがいる。
ウィルは左へ移動する。
短剣が腹部へ向けられた。
円盾を下げる。
短剣の先が盾へ当たり、横へ滑った。
森ゴブリンがすぐに腕を引く。
ウィルは追わなかった。
敵の後ろを見る。
逃げ道には木の根がある。
森ゴブリンは、ウィルから距離を取るように見せながら、根のない場所を選んでいた。
「逃げるふりか」
ウィルが追えば、急に振り返って短剣を突き出すつもりなのかもしれない。
ゴブリンが一歩下がる。
さらに一歩。
ウィルは動かない。
「ギ……?」
森ゴブリンの足が止まった。
エドガーの矢が、ゴブリンの右肩へ刺さる。
「ギャアッ!」
短剣を落とした。
「今だ」
ウィルは距離を詰める。
森ゴブリンが左手で短剣を拾おうとする。
その前に、剣を振った。
森ゴブリン討伐数:5体。
残ったのは、三つの魔石と、錆びた短剣だった。
木の棒と石斧は、魔物と一緒に光へ変わっている。
「短剣だけ残ったな」
「売れるほどのものではない」
エドガーが刃を確認する。
「研ぎ直せば、解体用には使えるかもしれん」
ウィルは素材を《アイテムボックス》へ収納した。
「今の戦いは?」
「最初の二体は悪くない」
「最後は?」
「逃げるふりに気づいたのはいい。だが、俺が矢を撃つまで、お前はその場で止まった」
「追わない方がいいと思った」
「追わなくていい。だが、止まる必要もない」
「どうすれば?」
「左へ動いて、俺の射線を空けろ」
ウィルが同じ場所に立っていたため、エドガーは矢を撃つ位置を探す必要があった。
「敵だけではなく、後ろにいる仲間の攻撃する場所も考える」
「見えない」
「見えなくても、俺がいる方向は分かるだろう」
背中へ目はない。
それでも、戦う前に位置を決めている。
「次は動く」
「そうしろ」
◇
二つ目の群れは、壊れた石壁の近くにいた。
受付の女性が教えた、古い監視所跡だ。
腰ほどの高さまで残った石壁。
崩れた木の柱。
苔に覆われた床。
そこに、四体の森ゴブリンが集まっていた。
「四体か」
ウィルが囁く。
「見えるのは三体だ」
エドガーが答えた。
「一体、壁の陰にいる」
《気配察知・小》へ意識を向ける。
確かに、石壁の裏に弱い敵意がある。
「待ち伏せ?」
「おそらくな」
表にいる三体は、わざと無防備に見せているのかもしれない。
ウィルたちが近づけば、壁の裏にいる一体が横から襲う。
「どうする?」
ウィルは、先にエドガーへ尋ねた。
「お前は表の二体。俺が壁裏と残り一体を見る」
「二体を倒すまで、壁の裏は任せる?」
「ああ」
「助けが必要なら?」
「名前を呼ぶ」
昨日の角ウサギ戦と同じだ。
エドガーの姿を見ない。
声を聞く。
「石を投げて、こちらへ誘う」
ウィルは投擲用石弾ではなく、地面に落ちていた小石を拾った。
石壁の手前へ投げる。
音に反応し、三体の森ゴブリンが顔を上げた。
棍棒。
錆びた剣。
木製の小さな盾。
「ギャッ!」
三体が走ってくる。
壁の裏の一体は動かない。
待っている。
「前、三!」
「二体を取れ!」
ウィルは円盾を構えた。
棍棒と錆びた剣を持つ二体が近づいてくる。
小盾を持つゴブリンは、少し後ろ。
最初に棍棒が振られる。
盾で受ける。
同時に、錆びた剣が右側から来た。
ウィルは剣を合わせなかった。
身体を半歩引く。
錆びた刃が胸当ての前を通り過ぎる。
棍棒のゴブリンを盾で押す。
二体の間へぶつける。
森ゴブリン同士の肩が当たった。
動きが止まる。
ウィルは棍棒を持つ方へ剣を振った。
刃が胸元へ入る。
森ゴブリン討伐数:6体。
錆びた剣を持つゴブリンが、仲間の光を突き抜けて攻撃してくる。
低い突き。
狙いは腹ではなく、太腿だった。
ウィルは円盾を下げる。
金属同士がぶつかった。
ゴブリンは剣を引かず、盾へ押しつける。
後ろから、小盾を持ったゴブリンが近づいていた。
二体で挟むつもりだ。
「一歩、前!」
エドガーの声。
ウィルは前へ出た。
錆びた剣を持つゴブリンとの距離が近くなる。
剣を振る空間はない。
代わりに、円盾を相手の胸へ押し当てた。
身体ごと押す。
後ろから近づいていた小盾のゴブリンへ、仲間の背中がぶつかった。
二体が重なる。
エドガーの矢が、小盾の上を通る。
後ろのゴブリンの脚へ刺さった。
「ギャッ!」
ウィルは錆びた剣を持つゴブリンへ、盾の縁をぶつけた。
顔を守ろうと腕が上がる。
胴体が空いた。
片手剣を横へ振る。
森ゴブリン討伐数:7体。
残る小盾のゴブリンは、脚へ矢を受けている。
それでも木製の盾を前へ出し、ウィルへ突進した。
ウィルは正面から剣を振らない。
小盾の表面へ円盾を当てた。
盾同士がぶつかる。
腕力では、ウィルの方が上だった。
木製の盾が横へ押される。
森ゴブリンの身体が開く。
剣を振り下ろした。
森ゴブリン討伐数:8体。
その直後。
「ウィル!」
エドガーの声。
ウィルは振り返らない。
「左へ下がれ!」
指示どおり、左後方へ下がる。
石壁の裏から、最後の森ゴブリンが飛び出してきた。
手には、先端を尖らせた木の槍。
ウィルがいた場所へ突き出される。
だが、すでにそこにはいない。
エドガーが弓を構えている。
矢が、木槍を持つ腕へ刺さった。
「今だ!」
ウィルは前へ出る。
森ゴブリンは槍を落とさず、左手へ持ち替えようとした。
ウィルは円盾で槍の柄を地面へ押さえた。
片手剣を首元へ振る。
森ゴブリン討伐数:9体。
次回チケット獲得まで、あと1体。
ウィルは周囲を確認した。
新しい敵意はない。
「あと一体」
思わず口に出る。
「疲れは?」
エドガーが尋ねた。
「まだ戦える」
「腕は?」
「問題ない」
「脚は?」
「昨日の傷も痛まない」
エドガーはウィルの呼吸を見た。
「少し休むぞ」
「あと一体なら――」
「だから休む」
受付の女性から言われていたことを思い出す。
あと一体。
その言葉が、帰る判断や休む判断を遅らせる。
「分かった」
二人は石壁の内側へ入り、周囲を確認してから座った。
◇
ウィルは保存食の袋を開いた。
白い固焼きパン。
干し肉。
乾燥果実。
エドガーは自分の鞄から、黒に近い色の固焼きパンを取り出した。
それを見た瞬間、ウィルの手が止まる。
鉱山刑務所の食事。
硬い黒パン。
囚人同士で奪い合うほど少ない量。
水へ浸しても、口の中を傷つける硬さ。
「食わないのか?」
エドガーの声で、意識が戻る。
「食べる」
ウィルは自分の白いパンを噛んだ。
硬い。
だが、味がある。
嫌な苦味はない。
誰かに取られることもない。
エドガーが黒いパンを見た。
「これが気になるのか?」
「鉱山で、似たものを食べていた」
「七年間?」
「ああ」
エドガーは何も言わず、自分のパンを鞄へ戻した。
代わりに干し肉を取り出す。
「気にしなくていい」
「俺が食いたくなくなっただけだ」
「そのために戻したのか?」
「そうだ」
エドガーは干し肉を噛んだ。
「お前は、どうして森ゴブリンを十体倒したい?」
ウィルは少し考えた。
《ダンジョンガチャ》について話すつもりはない。
エドガーが信用できないからではない。
まだ、自分でもすべてを理解していない力だからだ。
「同じ魔物を倒し続けると、報酬がある」
「協会の討伐報酬か?」
「俺だけが確認できるものだ」
完全な説明ではない。
だが、嘘でもなかった。
「話せない能力か」
「ああ」
「なら、聞かない」
エドガーは、それ以上追及しなかった。
「ただし、能力のために無理をするなら、俺は組まない」
「危険なら帰る」
「それならいい」
「エドガーは、自分の能力を全部話しているのか?」
「話していない」
「なら、同じだな」
「必要なことは伝える」
「俺もそうする」
戦闘に必要な情報まで隠すつもりはない。
だが、自分のすべてを話す必要もない。
信じることと、何もかも明かすことは別だった。
◇
最後の一体は、なかなか見つからなかった。
監視所跡を離れ、森の奥へ進む。
《気配察知・小》へ意識を向ける。
弱い敵意。
前方に一つ。
「前、一」
ウィルが告げる。
エドガーは地面へしゃがんだ。
「足跡は二体分ある」
「気配は一つだけだ」
「一体は、敵意を向けていないかもしれん」
森ゴブリンが眠っている。
こちらに気づいていない。
あるいは、さらに遠くにいる。
「一体だと思って近づくな」
エドガーは周囲を確認した。
二人は木の陰から進む。
小さな窪地に、森ゴブリンが一体いた。
背中を向け、地面に落ちている何かを拾っている。
武器は腰に差した石の短刀だけ。
「もう一体は?」
ウィルが小声で尋ねる。
「上だ」
エドガーが、目だけを動かした。
太い枝の上に、もう一体の森ゴブリンがいた。
手には大きな石。
下にいる仲間を餌にして、近づいた相手へ落とすつもりらしい。
《気配察知・小》が捉えなかったのは、枝の上のゴブリンがウィルを見ていなかったからだ。
「どうする?」
「上は俺が落とす。下はお前」
「矢を撃ったら、下も気づく」
「同時に動け」
「合図は?」
「石が落ちたらだ」
エドガーが弓へ矢をつがえる。
枝の上の森ゴブリンは、下にいる仲間だけを見ている。
ウィルは片手剣を抜いた。
円盾を構える。
矢が放たれた。
枝の上のゴブリンが持つ石へ当たる。
石が手から外れた。
地面へ落ちる。
鈍い音が鳴った。
ウィルは走った。
下にいた森ゴブリンが振り返る。
石の短刀を抜く。
ウィルとの距離は、まだある。
ゴブリンは戦わず、背を向けた。
逃げる。
「追うな!」
エドガーの声。
ウィルは足を止めた。
森ゴブリンが数歩走ったところで、急に方向を変える。
腰を低くし、短刀を突き出した。
追ってくる相手の腹へ刺すつもりだった。
だが、ウィルは追っていない。
「ギッ……!」
森ゴブリンの動きが止まる。
「右へ動け!」
ウィルは右へ走った。
エドガーの射線を空ける。
矢が、森ゴブリンの左脚の前へ刺さった。
逃げ道が塞がれる。
ゴブリンは反対へ跳ぶ。
そこにはウィルがいた。
短刀を振る。
円盾で受け流す。
森ゴブリンは、すぐに左手で腰の袋へ触れた。
中から灰を掴み、ウィルの顔へ投げる。
「目を閉じろ!」
エドガーの声。
ウィルは顔を円盾の後ろへ隠した。
灰が盾へ当たり、白く広がる。
視界を奪われることはなかった。
森ゴブリンが、その隙に横へ逃げる。
「前、二歩!」
ウィルはエドガーの声だけを信じた。
一歩。
二歩。
「左!」
身体を左へ向ける。
円盾へ衝撃。
逃げたはずの森ゴブリンが、再び短刀で襲ってきていた。
姿が見えなくても、盾で止められた。
ウィルは円盾を強く押す。
ゴブリンの短刀を持つ腕が外側へ流れる。
右手の剣を振る。
刃が森ゴブリンの胴体へ入った。
小さな身体が光へ変わる。
森ゴブリン討伐数:10体。
討伐報酬を獲得しました。
ガチャチケット:1枚
所持ガチャチケット:4枚
その表示が消えるより先に、ウィルの身体を淡い光が包んだ。
◇
レベルが上昇しました。
名前:ウィル・クロード
レベル:3→4
生命力:22→24
筋力:18→19
敏捷:10→11
魔力:7
◇
身体の奥へ、温かな力が広がる。
呼吸が少し楽になる。
腕や脚に残っていた疲労も、わずかに軽くなった。
ウィルは右手を握る。
力が増えている。
だが、鉱山で傷めた指の関節が、急に元へ戻ったわけではない。
背中の古い痛みも残っている。
レベルが上がっても、七年間の傷が消えるわけではなかった。
それでも、以前より強くなったことは分かる。
「レベルが上がったか?」
エドガーが尋ねる。
「分かるのか?」
「身体が光った」
「ああ。レベル4になった」
「能力は?」
「生命力と筋力と敏捷が上がった。魔力は変わらない」
エドガーは、ウィルの全身を見た。
「すぐに動きを試すなよ」
「なぜ?」
「急に身体の感覚が変わる。いつもと同じ力で踏み込んだつもりでも、前へ出すぎることがある」
力が増えた直後ほど、慎重に身体を慣らす必要があるらしい。
「今日は帰るぞ」
「枝の上のゴブリンは?」
「もう逃げた」
エドガーが頭上を見る。
矢で石を落とされた森ゴブリンの姿は、すでになかった。
「あと一体倒せたかもしれない」
「目標は十体だったんだろう?」
「ああ」
「達成した。レベルも上がった。これ以上は欲だ」
ウィルは冒険者証を確認した。
森ゴブリン:10体。
ガチャチケット:4枚。
レベル:4。
十分な成果だった。
「分かった。帰ろう」
◇
買取所へ、森ゴブリン八体分の魔石と錆びた短剣を持ち込んだ。
買取所の男は短剣を確認し、首を横へ振る。
「武器としては売れんな」
「解体用なら使えると聞いた」
「研ぎ直す費用の方が高い。鉄材としてなら銅貨4枚だ」
「それでいい」
八個の魔石と短剣。
合わせて銅貨84枚になった。
ウィルとエドガーで半分ずつ分ける。
一人、銅貨42枚。
「止めを刺したのは全部お前だが、いいのか?」
エドガーが尋ねる。
「一人では八体倒せなかった」
「一人でも倒せたかもしれん」
「今日中には無理だった」
エドガーが敵を止めた。
逃げ道を塞いだ。
ウィルが見ていない場所からの攻撃を知らせた。
最後の一体は、エドガーの声がなければ灰を顔へ受けていた。
「半分でいい」
「なら、受け取る」
エドガーは銅貨を革袋へ入れた。
「明日は迷宮主へ行く?」
「まだだ」
ウィルは少し驚いた。
「レベルは上がった」
「数字だけだ」
エドガーは答える。
「お前は今日、俺の声を聞いて動けた。だが、迷宮主はもっと速い」
「何が足りない?」
「合図を減らす」
「減らす?」
「今日の最後は、『前へ二歩』『左』と二度言った。迷宮主相手に、そこまで長く指示する時間はない」
右。
左。
前。
下がれ。
撃つ。
今だ。
退け。
短い言葉だけで動く必要がある。
「それと、レベル4の身体に慣れろ」
「明日、訓練する?」
「ああ。迷宮主へ入る前に、第一階層で動きを確認する」
「また角ウサギ?」
「今度は俺が矢を撃たない」
エドガーの支援を減らし、声だけで連携する。
迷宮主戦で矢が外れた場合も考えるためだ。
「それができたら?」
「最奥区画へ行く」
「分かった」
急いでいない。
迷宮討伐記録は9/10のまま。
それでも、今日のウィルは昨日より強い。
数字だけではない。
見えない場所から聞こえる声を信じて動くこともできた。
◇
冒険者協会へ戻る。
受付の女性は、ウィルの冒険者証を確認した。
「レベル4になったんですね」
「ああ」
「森ゴブリンも10体ですか」
「8体倒した」
「一日で?」
「二人で戦った」
受付の女性は、エドガーを見る。
「無理はさせませんでしたか?」
「途中で休ませた」
「あと一体のところで、休んだ」
ウィルが補足する。
「それは大事です」
「俺も分かっている」
「少しずつ、本当に分かるようになってきましたね」
以前なら、あと一体だからと進み続けていたかもしれない。
今は、誰かから休むように言われれば、従える。
「明日、少し練習してから迷宮主へ向かう」
受付の女性の表情が、再び引き締まった。
「本当に明日ですか?」
「今日よりは準備できている」
「一度でも連携に失敗した場合は?」
「迷宮主へ行かない」
エドガーが先に答えた。
「ウィルさんも、それでいいですか?」
「ああ」
「迷宮主の前まで行ったあとでも、エドガーさんが撤退を言ったら?」
「戻る」
「迷宮主が負傷していても?」
「戻る」
受付の女性は頷いた。
「では、明日の朝、装備を確認します」
◇
家へ戻る。
ウィルは、今日の取り分である銅貨42枚のうち、40枚を屋根の修理資金へ入れた。
銀貨4枚。
銅貨30枚。
昨日まで銀貨3枚と銅貨90枚だったため、銅貨100枚を銀貨一枚へまとめた。
木箱の中には、銀貨が四枚並んでいる。
本格的な屋根修理に必要な金額は、銀貨10枚以上。
まだ半分にも届いていない。
それでも、空だった箱には確かな重みが生まれていた。
ウィルは食卓へ冒険者証を置く。
名前:ウィル・クロード。
レベル:4。
生命力:24。
筋力:19。
敏捷:11。
魔力:7。
所持ガチャチケット:4枚。
次の11連ガチャまで、あと6枚。
森ゴブリン:10体。
迷宮討伐記録:9/10。
ガチャチケットが増えた。
レベルも上がった。
だが、疾風のフォレストウルフへ勝てると表示されたわけではない。
敏捷が10から11へ上がっても、狼の方が速い。
筋力が1増えても、剣が自動で当たるわけではない。
生命力が増えても、喉を噛まれれば死ぬ。
数字は、勝利を保証しない。
それでも、数字が一つ上がったことで助かる場面はある。
盾を間に入れる一瞬。
剣を振る一歩。
攻撃を受けても立ち続ける力。
そして、今日得たものは数字だけではなかった。
最後の森ゴブリンと戦ったとき、灰で視界を奪われかけた。
ウィルは、エドガーの姿を見ていない。
それでも、声を信じた。
前へ二歩。
左。
その言葉だけで動き、敵の攻撃を防いだ。
ウィルは円盾の留め具へ指を置いた。
一度押す。
革帯が外れる。
もう一度固定する。
「退け」
どちらかが、その言葉を口にしたら戻る。
迷宮主が弱って見えても。
あと一撃に見えても。
約束を守る。
レベルが上がることも、装備が強くなることも大切だ。
だが、誰かの言葉を信じて退くことは、ガチャから出る装備より手に入れにくい力なのかもしれない。
ウィルは冒険者証を閉じた。
迷宮主へ挑む前に必要だった遠回りは、無駄ではなかった。




