表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
19/48

第19話 背中を預ける練習



 《疾風のフォレストウルフ》から逃げ帰って、3日が過ぎた。


 脇腹の傷は塞がっている。


 噛みつかれた円盾も修理を終え、裏側には腕を固定するための革帯が追加されていた。


 それでも、身体を捻ると傷の奥が痛む。


 冒険者協会へ入ると、受付の女性が俺の姿を見つけた。


 彼女は何も言わず、俺の脇腹へ視線を向ける。


「もう迷宮へ行くおつもりですか?」


「ああ」


「治療師から、激しい戦闘は避けるように言われませんでしたか?」


「迷宮主とは戦わない」


「質問への答えになっていません」


 受付の女性が、深く息を吐いた。


 怒っているというより、呆れているらしい。


「座ってください。お話があります」


「依頼を確認したい」


「依頼より先です」


 断っても話を進めそうだった。


 俺は受付前の椅子へ座る。


 彼女は前回提出した報告書を机へ置いた。


 報告書には、疾風のフォレストウルフの特徴がまとめられている。


 風をまとった突進。


 速い方向転換。


 牙と爪。


 こちらが傷つけば、血の匂いに強く反応すること。


「まず、無事に戻ったことについては安心しました」


「ああ」


「ですが、単独で迷宮主へ挑んだことは褒めません」


「倒せるか確かめる必要があった」


「そして、倒せなかった」


「ああ」


 否定はできない。


「逃げられたのは、判断が早かったからです。ただ……次も同じように逃げられるとは限りません」


 受付の女性が、報告書に描かれた狼の絵を指で叩く。


「迷宮主は、あなたより速い。正面から戦えば、盾で受けるしかない。ですが、一人では死角を補えません」


「分かっている」


「本当に分かっている方は、3日後に同じ迷宮へ戻ろうとはしません」


「迷宮主とは戦わないと言った」


「新しい戦い方を試すだけ、などと言って、最奥区画へ近づくつもりではありませんか?」


 答えなかった。


 受付の女性の目が細くなる。


「やはり」


「見るだけだ」


「見るだけで済まなかった結果が、その傷です」


 脇腹へ手を当てる。


 痛みは残っている。


 次に同じ場所を噛まれれば、立っていられないかもしれない。


「ウィルさん」


 受付の女性の声が、少し柔らかくなった。


「あなたが強くなりたい理由を、すべて聞くつもりはありません」


 彼女には、俺の固有能力について一部を話している。


 三種類目の魔物を倒し、《森林歩行》と《気配察知・小》を得たあとだった。


 俺にだけ見える個人討伐記録。


 新しい種類を倒すことで記録が埋まり、一定の条件を満たすと能力を得られること。


 そして、その根幹に《ダンジョンガチャ》という固有能力があること。


 冒険者協会には、特殊な能力を非公開で申告する制度がある。


 情報を見ることができるのは、担当受付と協会の責任者だけ。


 本人の許可なく外部へ漏らせば、協会員であっても重い処罰を受ける。


 それでも、俺はすべてを話してはいない。


 ガチャチケットの枚数。


 排出された装備。


 正確な報酬条件。


 自分の能力値。


 そこまでは伝えていなかった。


「協会が記録している迷宮の討伐情報と、あなたに見えている記録は別のものです」


 受付の女性が、俺に確認するように言った。


「ああ」


「協会の記録は、冒険者から集めた情報です。誰がどの魔物を倒したか、どこまで探索したか、迷宮主が討伐されたか」


 彼女が報告書を持ち上げる。


「一方、あなたの《個人討伐記録》は、固有能力によるもの。報酬を受け取れるのも、今のところあなただけです」


「ああ」


「なら、その記録を進めるために、一人で命を捨てる必要はありません」


「捨てるつもりはない」


「捨てるつもりのある方は、ほとんどいません」


 言葉に詰まる。


 死ぬつもりで戦ったわけではない。


 だが、あの狼の速さを見たあとも、一撃だけなら受けられると考えた。


 結果として、脇腹を噛まれた。


「一人での攻略に限界を感じているなら、協力者を探すべきです」


「知らない人間へ能力を話すつもりはない」


「すべて話す必要はありません」


 受付の女性が、協会の奥へ視線を向けた。


「それに、秘密を聞かなくても、余計な詮索をしない方はいます」


「誰だ」


「あなたが来たら声をかけるよう、頼んであります」


 勝手に話が進んでいた。


「断るかもしれない」


「もちろんです。ですが、会う前に断るのはやめてください」


 受付の女性が立ち上がり、奥の休憩スペースへ向かう。


 少しして、一人の男を連れて戻ってきた。


 年齢は40歳前後。


 日に焼けた顔。


 短く切られた茶色の髪には、白いものが混じっている。


 背中には弓。


 腰には矢筒と短剣。


 男は俺の前へ来ると、椅子には座らず、修理した円盾を見た。


「それが狼に噛まれた盾か」


「ああ」


「よく持ち帰ったな」


「盾を置いてくれば、俺が持ち帰られなかった」


 男の口元が、少しだけ動いた。


 笑ったらしい。


「エドガー・リースだ。弓を使う」


「ウィル・クロード」


「知っている」


「どこまで聞いた」


「一人で迷宮主へ挑んで、尻尾を巻いて逃げた若い剣士がいる、と」


 受付の女性が目を見開いた。


「そのような言い方はしていません」


「意味は同じだ」


「違います」


 エドガーは気にした様子もなく、俺の脇腹を見る。


「怒らないのか」


「事実だ」


「そうか」


 男が、初めて椅子へ座った。


 左手を机へ置く。


 小指の先がなかった。


 古い傷らしく、すでに塞がっている。


「俺も群れるのは好きじゃない」


 エドガーが言う。


「なら、なぜ来た」


「一人で迷宮主へ近づく奴を見ていると、昔の仲間を思い出す」


 それ以上は話さなかった。


 受付の女性も、続きを促さない。


「正式なパーティーを組めとは言いません」


 彼女が俺たちを交互に見る。


「まずは一度、浅い階層で共同探索をしてください。お互いの戦い方を確認するだけです」


「俺は迷宮主まで行かない」


 エドガーが先に言った。


「今日はな」


「俺も行くつもりはない」


 受付の女性が疑うように俺を見る。


「本当に?」


「ああ」


「エドガーさん。ウィルさんが最奥区画へ向かおうとしたら、止めてください」


「止められなかったら?」


「連れて帰ってください」


「俺は荷物ではない」


「怪我人です」


「もう治っている」


「完全には治っていません」


 エドガーが立ち上がる。


「話は迷宮で聞く。ここで続けていたら、日が暮れる」


 受付の女性はまだ何か言いたそうだった。


 だが、最後には諦めたように息を吐く。


「必ず二人で戻ってきてください」


「善処する」


 エドガーが答える。


「善処ではなく、約束してください」


「分かった。二人で戻る」


 エドガーが俺を見る。


「お前も言え」


「二人で戻る」


 受付の女性が、ようやく少し安心した顔になった。


     ◇


 迷宮へ入る前に、協会の訓練場へ向かった。


 エドガーは背中から弓を下ろし、矢を一本抜く。


 先端には鏃ではなく、丸い木がついていた。


「盾を構えろ」


「俺を撃つのか」


「戦闘中、お前の近くへ矢を通すことになる。今のうちに慣れろ」


「外したら?」


「痛い」


「それだけか」


「運が悪ければ、もっと痛い」


 人間を安心させる話し方ではない。


 俺は円盾を構えた。


「正面ではなく、少し左へ向けろ」


「なぜだ」


「右手の剣が死ぬ」


 言われたとおり、盾の角度を変える。


 エドガーが弓を引いた。


 弦が鳴る。


 矢が盾の中央へ当たった。


 軽い衝撃。


「次は、盾の横を通す」


「どちらだ」


「教えたら練習にならん」


 再び弦が鳴った。


 矢が、顔の右側を通り過ぎる。


 思わず肩が動いた。


 矢は背後に置かれた木の標的へ刺さる。


「今、目を閉じたな」


「閉じていない」


「瞬きにしては長かった」


 鉱山刑務所では、背後から物が飛んでくることがあった。


 石。


 道具。


 ときには、看守が振るう棒。


 音がすれば、先に身体を縮める。


 考えるより前に身についた癖だった。


「もう一度だ」


 エドガーが矢をつがえる。


「必要ない」


「必要だからやる」


「当たらないと分かっている」


「頭ではな」


 反論する前に、矢が放たれた。


 今度は左側。


 耳の近くを風が通る。


 身体は動いた。


 それでも、目は閉じなかった。


「少しましだ」


「褒めているのか」


「俺はあまり人を褒めない」


「なら、分かりにくい」


「慣れろ」


 エドガーが弓を背負う。


「次は迷宮だ」


     ◇


 《ユーカリ森林迷宮》の第一階層。


 湿った土。


 木々の間から差し込む光。


 何度も歩いた道だ。


 だが、後ろに人間がいるだけで、普段とは違って感じる。


 エドガーは俺から五歩ほど離れて歩いていた。


 近すぎず、遠すぎない。


 俺が急に止まっても、ぶつからない距離。


「後ろが気になるか」


「ああ」


「正直だな」


「見えない場所に人がいるのは好きじゃない」


「俺も、前に盾がいない戦いは好きじゃない」


 エドガーが枝の上を見る。


「嫌いなもの同士、少し我慢しろ」


 進む方向を手で示す。


 声を出さずに意思を伝える合図。


 止まれ。


 右。


 二体。


 エドガーの指が動く。


 《気配察知・小》にも反応があった。


 倒木の向こう。


 小さな足音。


 森ゴブリンが三体いる。


 一体は木の棒。


 一体は錆びた短剣。


 最後の一体は、拾ったらしい石を持っていた。


「三体だ」


 小声で伝える。


「右の石持ちを先に射る」


「残りは俺が止める」


「止めるだけでいい。追うな」


「ああ」


 エドガーが矢をつがえる。


 弦が鳴った。


 石を持っていた森ゴブリンの肩へ、矢が刺さる。


「ギャッ!」


 残る二体がこちらを向いた。


 俺は倒木を越え、前へ出る。


 木の棒を持った森ゴブリンが振り下ろす。


 円盾で受ける。


 同時に、短剣を持った一体が横へ回り込もうとした。


 剣を抜き、正面の森ゴブリンへ突く。


 相手が後ろへ下がった。


 追わない。


 盾を身体の近くへ戻す。


 右側から短剣。


 金属音。


 円盾の縁で受ける。


「左へ一歩!」


 エドガーの声。


 考える前に左へ動く。


 背後から矢が飛んだ。


 俺の右肩があった場所を通り、短剣を持つ森ゴブリンの胸へ刺さる。


 近い。


 訓練場の矢よりも、さらに近かった。


 身体が強張る。


 正面の森ゴブリンが、そこを狙って棒を振る。


「前を見ろ!」


 エドガーの声。


 盾を上げる。


 棒が当たった。


 衝撃で腕が下がる。


 森ゴブリンが、歯を見せて笑った。


 俺は盾を前へ押し出す。


 相手の身体が崩れる。


 踏み込み。


 剣を横へ振った。


 首へ刃が入る。


 森ゴブリンが地面へ倒れた。


 最初に矢を受けた一体が、肩を押さえながら逃げようとしている。


 足が一歩動いた。


「追うな」


 エドガーが静かに言った。


 止まる。


「まだ武器を持っている」


 森ゴブリンが振り返った。


 負傷したふりをしていた。


 肩に刺さった矢を抜き、石をこちらへ投げる。


 円盾で受ける。


 直後、エドガーの二本目の矢が喉へ刺さった。


 森ゴブリンが仰向けに倒れる。


 それでも、すぐには近づかない。


 エドガーは新しい矢をつがえたまま、倒れた三体を見ていた。


「確認するまで武器を下ろすな」


「ああ」


 石弾を一つ取り出し、倒れた森ゴブリンへ投げる。


 反応はない。


 エドガーがようやく弓を下ろした。


「今の一歩は危なかった」


「分かっている」


「逃げる敵を追いたくなるのは普通だ。だから死ぬ」


 エドガーは、喉に矢が刺さった森ゴブリンを見た。


「傷ついた魔物が、弱っているとは限らない」


 声が少しだけ変わった。


 さきほど受付で話しかけた、昔の仲間。


 関係があるのかもしれない。


 だが、聞かなかった。


「助かった」


 俺が言う。


 エドガーがこちらを見る。


「何がだ」


「横から来た一体だ。俺だけなら、短剣を受けていた」


「そのために来た」


「ああ」


「もう一度言わせるな。聞こえている」


「礼を言っただけだ」


「分かっている」


 エドガーは背を向け、矢の回収を始めた。


 耳が少しだけ赤い。


 褒められるのも、礼を言われるのも苦手らしい。


     ◇


 魔石を回収したあと、少し離れた場所で休憩した。


 エドガーは木の根へ腰を下ろし、水筒を開ける。


 俺は向かい側へ座った。


「さっきの戦い方なら、迷宮主へ挑めると思うか」


「思わん」


 返事が早い。


「二人でもか」


「前よりはましだ。だが、足りない」


 エドガーが指を一本立てる。


「まず、お前は俺の矢を気にしすぎる」


 二本目。


「俺は、お前がどこまで盾で耐えられるのか分からん」


 三本目。


「狼の速さも、実際に見ていない」


「なら、次は最奥区画へ行く」


「今日は行かないと言った」


「次の探索だ」


「その前に、あと何度か一緒に戦う」


 エドガーが水を飲む。


「一度助けたくらいで、背中を預けたつもりになるな」


「預けたつもりはない」


「それでいい」


 少しだけ間が空いた。


 風が木々を揺らす。


 人と二人きりで休むことに、まだ慣れない。


 何を話せばいいのか分からなかった。


 エドガーも沈黙を気にしていないらしい。


 無理に質問してこない。


 それがありがたかった。


「一つ話しておく」


 俺から口を開いた。


 エドガーが水筒を閉じる。


「何だ」


「俺には、倒した魔物の種類が記録として見える」


 エドガーの表情は変わらない。


「協会の記録とは別か」


「ああ。俺にだけ見える個人の記録だ」


「それで?」


「新しい種類を倒すと記録が進む。一定数に達すると、能力を得ることがある」


 《森林歩行》。


 《気配察知・小》。


 《毒耐性・小》。


 すべて、その記録から得たものだ。


「受付の女は知っているのか」


「一部だけ話した。秘密として登録されている」


「ガチャという能力も?」


「ああ。ただし、詳しい条件や手に入れた物までは話していない」


「俺には、どこまで話す」


「今話したところまでだ」


 エドガーは少し考えたあと、鼻から息を吐いた。


「妥当だな」


「もっと聞かないのか」


「聞いてほしいのか?」


「違う」


「なら聞かん」


 簡単に終わった。


「驚かないのか」


「珍しい能力は、迷宮の数だけある」


 エドガーが左手を開く。


 欠けた小指が見えた。


「他人の秘密へ首を突っ込んで、指が戻ってくるなら聞くがな」


「戻らない」


「なら価値がない」


 冗談なのか、本気なのか分からない。


 だが、少しだけ肩の力が抜けた。


「なぜ俺に話した」


「一緒に戦うなら、理由を隠したくない」


「新しい魔物を優先する理由か」


「ああ」


「分かった。俺は、お前が妙な獲物を追い始めたら、その記録のためだと考える」


「危険なら止めてくれ」


「止めて、お前が聞かなければ?」


「そのときは撤退する」


「口約束は信用しない」


 エドガーが手を差し出した。


「どちらか一人が撤退を宣言したら、理由を問わず戻る」


 その条件は厳しい。


 あと一撃で倒せそうでも。


 欲しい素材が見えていても。


 記録がもう少しで埋まりそうでも。


 一人が危険だと判断すれば帰る。


「分かった」


 手を握る。


 エドガーの手は硬かった。


 弓を引き続けた人間の手だ。


「戦利品は均等」


「ああ」


「個人装備の修理費と治療費は各自」


「ああ」


「女を巡って揉めた場合は?」


「何の話だ」


「念のためだ」


「揉めない」


「ならいい」


 エドガーが手を離す。


 口元が、また少しだけ動いていた。


「正式なパーティーではない」


 俺が言う。


「まだな」


「迷宮主を倒すまでの共同探索だ」


「それでいい」


 エドガーが立ち上がる。


「背中を預けるというのは、命を丸ごと相手へ渡すことじゃない」


 弓を背負う。


「後ろに誰かいると分かったうえで、前を見られることだ」


「今日は、まだ後ろを見た」


「ああ。何度もな」


「次は減らす」


「ゼロにしろとは言わん。俺も間違える」


 エドガーが歩き始める。


「だが、矢が飛んだ音を聞くたびに振り返るな。お前の前にいる敵は、待ってくれん」


「ああ」


 俺も立ち上がる。


 帰り道。


 エドガーは、また俺の五歩後ろを歩いた。


 完全に気にならなくなったわけではない。


 枝を踏む音。


 弓と矢筒が擦れる音。


 背後に人間がいるだけで、肩へ力が入る。


 それでも。


 一度だけ、振り返らずに歩けた。


 その間、エドガーも何も言わなかった。


 背中を預けるには、まだ早い。


 今は、その練習を始めただけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
迷宮討伐記録で報酬を貰えるのは主人公の能力ですか? それともダンジョン入った人なみんな貰えるものなのですか? 主人公だけのものならエドガーが知ってるのは変だし 受付嬢とかがその辺に言及してくるのも変…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ