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第15話 第三階層の毒牙



 翌朝。


 ウィルは家の庭に立ち、《初心者用円盾+1》を左腕へ装着していた。


 昨日まで使っていた盾より、縁がわずかに厚くなっている。大きさや形はほとんど変わらないが、持ったときの重みは少しだけ増していた。


 左手首には、《衝撃緩和の腕輪》をつけている。


 ウィルは右手に持った薪を、盾の表面へ打ちつけた。


 がんっ。


 硬い音が庭へ響く。


 左腕へ衝撃が伝わった。


 完全に消えたわけではない。だが、肘や肩へ届く力が、以前よりわずかに弱く感じられる。


「盾も、少し硬い」


 薪を当てた場所には、新しい傷がついていなかった。


 《装備統合》と《衝撃緩和の腕輪》。


 どちらの効果も小さい。


 牙猪の突進を正面から受け止められるほどではないだろう。


 それでも、角ウサギや大針蜂の攻撃を何度も防ぐ場合には、この小さな差が身体を守ってくれる。


 ウィルは盾を下ろした。


 今日の目的は、第三階層への道を探すことだった。


 第一階層の魔物は三種類。


 第二階層も三種類。


 迷宮討伐記録は、現在6/10。


 残っているのは、第三階層の通常魔物三種類と、迷宮の最奥にいる魔物だと考えられる。


 第二階層をすべて歩いたわけではない。


 昨日までの探索で見つけた場所や、水の流れる方向を思い返す。


 第二階層では、遠くから水音が聞こえていた。


 水は低い場所へ流れる。


 階層の奥へ向かう道があるなら、水の流れを追うことで見つけられるかもしれない。


 ウィルは食卓へ戻り、装備を確認した。


 初心者用片手剣。


 初心者用円盾+1。


 初心者用革防具。


 衝撃緩和の腕輪。


 腰の革袋には、投擲用石弾を三つ入れてある。


 《アイテムボックス》には、小治癒ポーションが二本。


 体力回復薬が一本。


 保存食が三日分。


 簡易魔石灯。


 携帯砥石。


 第二階層までなら、灯りを使う必要はなかった。


 だが、第三階層も同じとは限らない。


 ウィルは装備を身につけ、胸元の布袋へ触れた。


 母親の手紙も入っている。


「行ってくる」


 家へ声をかけ、扉を閉めた。


     ◇


 冒険者協会へ入ると、受付の女性はウィルの円盾を見た。


「盾を買い替えたんですか?」


「同じ盾を手に入れて、今までの盾へ重ねた」


「重ねた?」


「説明しにくい」


「二枚を一枚にしたということですか?」


「だいたい、そんな感じだ」


 受付の女性は盾の縁を見た。


 傷跡は残っている。


 だが、牙猪の攻撃で歪んでいた部分は滑らかになっていた。


「魔法による装備強化でしょうか」


「たぶん」


「ご自分の能力について、もう少し詳しく調べた方がいいと思いますよ」


「俺も、そう思っている」


 《ダンジョンガチャ》には、まだ分からないことが多い。


 ガチャから出る品。


 装備統合。


 迷宮コンプリート報酬。


 どれも、実際に条件を満たすまで詳しい説明は表示されなかった。


「今日は第三階層を探すんですよね?」


「ああ」


「第二階層の北側に、水が流れている場所があります」


「そこへ行こうと思っていた」


「水音に気づいていたんですね」


「鉱山では、水の音に注意していた」


 坑道の奥から水が流れる音が聞こえた場合、その先に地下水が溜まっている可能性がある。


 壁を不用意に崩せば、大量の水が流れ込む。


 逃げ遅れた囚人もいた。


 水音の大きさ。


 流れてくる空気の湿り気。


 足元の土に含まれる水分。


 鉱山で生き残るためには、目に見えないものにも注意しなければならなかった。


「第三階層へ続く道は、滝の裏側にあります」


 受付の女性が、第二階層の簡単な地図を机へ広げた。


「ただし、滝へ近づくまでに大針蜂や樹上猿の縄張りを通る可能性があります」


「戦わずに通れる道は?」


「決まった道はありません。魔物は移動しますから」


 女性の指が、地図の北側をなぞる。


「水の流れに沿って進めば、小さな滝へ着きます。その横に、古い石段があります」


「滝の裏ではないのか?」


「正確には、滝の横です。昔の冒険者が、分かりやすく滝の裏と呼び始めたそうです」


「紛らわしいな」


「迷宮の呼び名は、そういうものが多いんです」


 受付の女性は地図を閉じた。


「第三階層へ入るなら、これを読んでください」


 新しい資料が渡される。


 表紙には、《ユーカリ森林迷宮・第三階層》と書かれていた。


 最初の頁を開く。


 平たい身体をした、大型のトカゲが描かれている。


 背中は深い緑色。


 皮膚には苔のような模様があり、森の地面へ伏せれば見分けにくそうだった。


「《毒牙トカゲ》です」


「毒を持っているのか」


「はい。牙に弱い毒があります」


 《毒耐性・小》を獲得した理由が分かった。


 第三階層へ進むための準備だったのだろう。


「俺には《毒耐性・小》がある」


「それでも、噛まれないでください」


「弱い毒なら軽減できる」


「軽減するだけです。無効化ではありません」


 受付の女性は、強い口調で言った。


「毒牙トカゲに噛まれると、傷口の周囲から痺れが広がります。毒が回れば、手足が動かしにくくなります」


「どのくらいで治る?」


「毒の量と体格によります。軽ければ数時間。大量に入れば、呼吸が苦しくなることもあります」


「解毒薬は?」


「協会で販売しています。一本、銅貨35枚です」


 安くはない。


 だが、命と比べる金額ではなかった。


「買っておいた方がいいか?」


「第三階層へ入るなら、一本は持ってください」


 ウィルは革袋から銅貨を取り出した。


 受付の女性が、小さな青い瓶を机へ置く。


「低級解毒薬です。弱い毒には効果がありますが、強い毒には効きません」


「毒牙トカゲには?」


「噛まれてすぐに飲めば、ほとんどの場合は効果があります」


「すぐ、というのは?」


「痺れを感じた時点で使ってください。もったいないからと我慢しないこと」


 ウィルは青い瓶を《アイテムボックス》へ収納した。


「攻撃方法は噛みつきだけか?」


「主に噛みつきと、尾による攻撃です」


 資料の絵を見る。


 毒牙トカゲの尾は、身体と同じくらい長い。


「尾を振り回して体勢を崩し、倒れた相手へ噛みつきます」


「速い?」


「短い距離なら速いです。ただし、角ウサギのように長く走り続けることはできません」


「木へ上るか?」


「低い木や岩には上ります。頭上にも注意してください」


 第一階層では、主に地面を見ていた。


 第二階層では、空や枝の上も見る必要があった。


 第三階層では、地面に隠れている魔物まで探さなければならない。


「ほかの二種類は?」


 ウィルが次の頁を開こうとすると、受付の女性が資料を閉じた。


「今日は毒牙トカゲだけにしてください」


「また一種類ずつか」


「一種類を倒せるかどうかも、まだ分かりません」


「姿だけでも知っておきたい」


「知れば、探したくなるでしょう?」


 否定できなかった。


「第三階層を確認して、毒牙トカゲと戦えるなら一体だけ。傷を負ったら、すぐに帰ってください」


「分かった」


「解毒薬を買ったからといって、噛まれてもいいわけではありません」


「ああ」


「毒耐性があるからといって――」


「噛まれてもいいわけではない」


 受付の女性が、わずかに目を細めた。


「先に言えるなら、守ってください」


「努力する」


「約束してください」


「噛まれないようにする」


「少し弱いですね」


「噛まれるつもりで戦う奴はいない」


「そうなのですが……」


 受付の女性は諦めたように息を吐き、冒険者証を返した。


「行ってらっしゃい」


「行ってきます」


     ◇


 第一階層では、魔物との戦闘を避けた。


 スライムを一匹見つけたが、遠回りして通り過ぎる。


 角ウサギの気配もあった。


 今日の目的は討伐数を増やすことではない。


 体力と装備を温存し、第三階層へ進む。


 第二階層へ下りる。


 湿った空気。


 濃い草木の匂い。


 頭上を覆う枝葉。


 ウィルは水音の聞こえる方向へ歩いた。


 《気配察知・小》が、頭上に弱い敵意を知らせる。


 樹上猿だった。


 枝の間から、灰色の顔がこちらを見ている。


 手には石を持っていた。


 ウィルは盾を上げず、太い木の陰へ入った。


 樹上猿が石を投げる。


 木の幹へ当たり、乾いた音を立てた。


 ウィルは反撃しなかった。


 木から木へ移動しながら、猿との距離を広げる。


 しばらく追ってきたが、縄張りから離れると、それ以上は石を投げてこなかった。


 さらに進む。


 水音が大きくなった。


 足元の土も、少しずつ柔らかくなっている。


 細い水の流れを見つけた。


 幅は、ウィルの足より少し広い程度。


 透き通った水が、森の奥へ向かって流れている。


「こっちか」


 水の流れに沿って歩く。


 しばらくすると、木々の隙間から白い水飛沫が見えた。


 小さな滝だった。


 高さは、人間二人分ほど。


 岩の上から流れ落ちた水が、浅い池を作っている。


 滝の右側には、蔓と苔に覆われた石壁があった。


 近づいて見ると、石壁ではない。


 古い階段だった。


 階段の上へ太い木の根が伸び、入口の半分を隠している。


 石段は、地下へ向かって続いていた。


「第三階層」


 ウィルは簡易魔石灯を取り出した。


 側面の留め具を動かす。


 淡い白色の光が生まれた。


 灯りを腰へ下げる。


 両手が自由になることを確かめ、円盾と片手剣を構えた。


 石段を下りる。


     ◇


 第三階層は、第二階層より暗かった。


 頭上は枝葉ではない。


 巨大な木の根が、天井のように重なっている。


 その隙間から、わずかな光が差し込んでいた。


 簡易魔石灯がなければ、足元を見るのも難しい。


 地面には、湿った苔が広がっている。


 浅い水溜まり。


 腐りかけた倒木。


 黒い泥。


 空気は重く、甘いような、腐ったような匂いがした。


 ウィルはその場で立ち止まった。


 すぐには進まない。


 《気配察知・小》へ意識を向ける。


 近くに、強い敵意はない。


 それでも、何かに見られているような感覚があった。


 ウィルは周囲を見回した。


 地面。


 倒木。


 大きな岩。


 動くものはない。


 一歩進む。


 足元の苔が沈んだ。


 滑りやすい。


 《森林歩行》がなければ、普通に歩くだけでも転びそうだった。


 ウィルは足を置く場所を選びながら進む。


 途中で、細長い跡を見つけた。


 苔の上を、何かが這った跡だ。


 人間の脚より太い。


 倒木の下へ続いている。


 ウィルは盾を前へ出した。


 すぐには近づかない。


 腰の革袋から、投擲用石弾を一つ取り出す。


 倒木の手前へ投げた。


 石が地面へ当たる。


 苔と泥が跳ねた。


 何も動かない。


 もう一つ。


 今度は、倒木の側面へ当てる。


 硬い音。


 その直後。


 倒木の下にある苔が動いた。


「そこか」


 苔だと思っていた緑色の塊が、ゆっくりと身体を起こす。


 毒牙トカゲ。


 平たい身体。


 太い四本の脚。


 長い尾。


 背中の模様は、湿った苔とほとんど同じ色をしていた。


 目だけが黄色く光っている。


 口が開く。


 細く鋭い牙が見えた。


「シャアッ!」


 毒牙トカゲが地面を蹴った。


 想像より速い。


 低い位置から、ウィルの脚へ向かってくる。


 ウィルは円盾を地面へ近づけた。


 毒牙トカゲの頭が盾へぶつかる。


 衝撃は、牙猪よりずっと軽い。


 《初心者用円盾+1》が攻撃を止める。


 左腕へ伝わった衝撃も、《衝撃緩和の腕輪》のおかげか強くない。


 ウィルは剣を振り下ろした。


 毒牙トカゲが横へ跳ぶ。


 刃が背中を掠めた。


 硬い鱗へ当たり、浅い傷しかつかない。


「硬いな」


 毒牙トカゲは地面へ伏せ、長い尾を振った。


 ウィルは盾を身体の横へ動かす。


 尾が盾へ当たった。


 鋭さはない。


 だが、横から押される力が強い。


 ウィルの左足が、湿った苔の上を滑った。


 身体が傾く。


 毒牙トカゲが、すぐに飛び込んできた。


 口が大きく開く。


 狙いは右脚。


 ウィルは剣を振る余裕がなかった。


 右足を後ろへ引く。


 毒牙トカゲの牙が、革のすね当てへ当たった。


 表面を滑る。


 牙は皮膚へ届かない。


 ウィルは盾の縁で、毒牙トカゲの頭を押した。


 地面へ押さえつけようとする。


 だが、相手の身体は低く、横へ逃げる力も強かった。


 盾の下から抜ける。


 そのまま倒木の陰へ入った。


 姿が見えなくなる。


「逃げた?」


 ウィルは追わなかった。


 毒牙トカゲが隠れた倒木へ近づけば、また足元を狙われる。


 剣と盾を構えたまま、周囲へ意識を向ける。


 敵意は消えていない。


 倒木の向こうから感じる。


 だが、どこから出てくるかは分からない。


 ウィルは後ろへ下がった。


 足元の状態を確かめる。


 右側は泥が深い。


 左側には、大きな木の根がある。


 根の上なら、苔より滑りにくい。


 ウィルは左へ移動した。


 木の根へ足を載せる。


 その瞬間、倒木の反対側から緑色の身体が飛び出した。


 正面ではない。


 右側。


 ウィルの盾がない方向だった。


「っ!」


 身体を捻る。


 円盾を間へ入れようとする。


 間に合わない。


 毒牙トカゲの牙が、右腕の革防具へ食い込んだ。


 鋭い痛み。


「ぐっ!」


 革が破れる。


 牙の先が、皮膚へ入った。


 ウィルは右腕を引かなかった。


 無理に引けば、傷口が広がる。


 盾を持った左腕を、毒牙トカゲの身体へ押しつける。


 地面と盾の間へ挟んだ。


 毒牙トカゲが暴れる。


 尾がウィルの脚へ何度も当たった。


 右腕へ噛みついたまま離れない。


 ウィルは剣を握っている右手へ力を込めた。


 指が動く。


 まだ痺れてはいない。


 毒牙トカゲの首元を狙う。


 鱗の向きを見る。


 背中は硬い。


 だが、頭と胴体の間には、鱗の小さな隙間がある。


 ウィルは手首だけを動かし、剣先を隙間へ向けた。


「離せ……!」


 剣を突き刺す。


 刃が首元へ入った。


 毒牙トカゲの顎から力が抜ける。


 ウィルは右腕を引き抜いた。


 すぐに一歩下がる。


 毒牙トカゲは、まだ動いていた。


 首から血を流しながら、再び地面へ伏せる。


 尾を振る。


 ウィルは円盾で受けた。


 今度は足元が滑らない。


 木の根へ体重を載せている。


 尾を弾いた直後、盾の縁を毒牙トカゲの背中へ押しつけた。


 低い身体を地面へ固定する。


 左腕へ力を込める。


 つるはしを振り続けた腕。


 重い鉱石を持ち上げ続けた肩。


 毒牙トカゲが逃げようと暴れる。


 ウィルは盾を離さない。


 右手の剣を持ち上げる。


 先ほど傷つけた首元へ、もう一度突き刺した。


 毒牙トカゲの身体が大きく震えた。


 尾の動きが止まる。


 やがて、緑色の身体が淡い光へ包まれた。


 光の粒子へ変わり、暗い森へ溶けていく。


 地面には、小さな魔石と二本の牙が残された。


 毒牙トカゲを初めて討伐しました。


 初回討伐報酬を獲得しました。


 ガチャチケット:1枚


 所持ガチャチケット:1枚


 毒牙トカゲ討伐数:1体。


 迷宮討伐記録:7/10。


「倒せた……」


 ウィルは剣を下ろした。


 その直後。


 右腕の傷口が熱を持った。


 指先が、わずかに痺れる。


「毒か」


 《毒耐性・小》を持っている。


 それでも、毒は消えていない。


 傷口の周囲から、鈍い痺れが広がり始めていた。


 ウィルはすぐに《アイテムボックス》を開く。


 青い瓶。


 低級解毒薬を取り出した。


 銅貨35枚。


 一度しか使えない。


 だが、迷う理由はなかった。


 栓を外し、中身を飲む。


 苦い。


 舌が痺れるような味だった。


 しばらくすると、右腕へ広がっていた熱が弱くなる。


 指先の感覚も、少しずつ戻ってきた。


「耐性があっても、これか」


 もし《毒耐性・小》がなければ、もっと早く毒が回っていたのかもしれない。


 だが、耐性があったから助かったのか、解毒薬が効いたから助かったのかは分からない。


 少なくとも、噛まれても問題ない能力ではなかった。


 ウィルは右腕の傷を見る。


 二本の牙が入った、小さな穴がある。


 出血は多くない。


 だが、毒牙トカゲがいた地面は泥と苔に覆われていた。


 傷口へ汚れが入っている可能性がある。


 ウィルは小治癒ポーションを一本取り出した。


 魔法の《小治癒》を使うこともできる。


 しかし、毒の影響が残っている状態で魔力まで消費する必要はない。


 瓶の中の薄緑色の液体を飲む。


 傷口が淡い光に包まれた。


 開いていた二つの穴が、ゆっくりと塞がっていく。


 痛みは残る。


 完全に元どおりではない。


 それでも、出血は止まった。


「今日は終わりだ」


 まだ第三階層へ入ったばかり。


 先へ進めば、新しい魔物を見つけられるかもしれない。


 ガチャチケットも増える。


 迷宮コンプリートにも近づく。


 だが、右腕には毒の痺れがわずかに残っている。


 剣を握る手だ。


 次の戦闘で動かなくなれば、命に関わる。


 ウィルは周囲を確認した。


 新しい敵意はない。


 魔石と毒牙を《アイテムボックス》へ収納する。


 投げた石弾も拾えるものだけ回収した。


 第三階層の奥を、一度だけ見る。


 簡易魔石灯の光が届かない場所には、深い闇が広がっていた。


「次は、噛まれない」


 倒す方法は分かった。


 盾で身体を押さえることもできる。


 だが、姿を見失ったあと、横から攻撃された。


 次に戦うときは、倒木や岩の陰へ逃げ込ませない位置を選ぶ必要がある。


 ウィルは石段へ戻った。


     ◇


 冒険者協会へ戻ると、受付の女性がウィルの右腕へ目を向けた。


 革の腕当てには、牙が入った二つの穴が残っている。


「噛まれましたね」


「浅かった」


「解毒薬は?」


「飲んだ」


「痺れは残っていますか?」


「少しだけ」


「こちらへ来てください」


 受付の女性は、返事を待たずに立ち上がった。


 協会の奥にある、小さな治療室へ案内される。


 白い服を着た老齢の治療師が、ウィルの右腕を確認した。


「毒牙トカゲか」


「はい」


「解毒薬を飲んだのは、噛まれてからどのくらいだ?」


「倒した直後です」


「すぐに飲んだなら問題ないだろう」


 治療師はウィルの指を一本ずつ動かした。


「痛みは?」

「あります」

「感覚は?」

「触られているのは分かります」

「力を入れてみろ」


 ウィルが指を握る。


 完全な力は入らない。


 それでも、すべての指が動いた。


「耐性も持っているのか?」


「《毒耐性・小》があります」


「それなら、毒の回りが遅かったはずだ。だが、小程度の耐性では毒は消えん」


「受付でも言われました」


 治療師が、受付の女性を見る。


「言われても噛まれたらしい」


「戦っている最中だった」


「魔物は、忠告を聞いて手加減してくれんからな」


 治療師は小さな瓶から透明な液体を布へ垂らし、傷の周囲を拭いた。


 傷自体は、ポーションで塞がっている。


「今日はもう剣を握るな。毒は抜けても、噛まれた場所の筋肉が固くなることがある」


「明日は?」


「朝になって、痺れも痛みもなければ構わん。残っているなら休め」


 治療費は銅貨12枚だった。


 ウィルは金を払い、治療室を出る。


 受付の女性が腕を組んで待っていた。


「噛まれないと約束しましたよね?」


「噛まれないようにすると言った」


「そうでした。約束はしていませんでしたね」


 声が冷たい。


「次は、先に約束してもらいます」


「次は噛まれない」


「そう言う人ほど、また噛まれます」


「戦い方は分かった」


「一匹目を倒しただけですよ」


「二匹目なら、もっと上手くできる」


「その考え方が危険なんです」


 受付の女性は深く息を吐いた。


「ですが、毒を我慢せず、すぐに解毒薬を使った判断は正しかったです」


「銅貨35枚を惜しむところではない」


「そう思えない冒険者もいます。薬代を惜しんで、治療費が銀貨になる人もいますから」


「死んだら、屋根を直せない」


「屋根?」


「家の屋根だ」


 受付の女性は、少しだけ表情を緩めた。


「それなら、なおさら無事に帰ってください」


「ああ」


「第三階層の残り二種類は、腕が治ってからです」


「分かった」


「約束です」


「……約束する」


 今度は、はっきりと言った。


     ◇


 買取所へ毒牙トカゲの魔石と牙を持ち込む。


 買取所の男は、牙を直接触らず、金属製の道具で持ち上げた。


「毒が残っているのか?」


「牙の根元に、わずかに残ることがある」


「危険だな」


「だから、素手で触るなよ」


 迷宮で拾ったときは、何も考えずに手で持っていた。


 毒は牙の内部にある。


 皮膚へ触れただけで毒を受ける可能性は低いが、手に傷があれば危険かもしれない。


「次から布で包む」


「そうしろ」


 男は牙と魔石の状態を確認した。


「魔石と牙二本で、銅貨48枚だ」


「解毒薬と治療費で、ほとんど残らないな」


「噛まれなければ残る」


「簡単に言うな」


「噛まれるたびに赤字になるなら、戦い方を変えるしかない」


 正しい。


 今回は銅貨48枚を得た。


 解毒薬が銅貨35枚。


 治療費が銅貨12枚。


 残った利益は銅貨1枚だけだった。


 小治癒ポーションも一本使っている。


 金を稼ぐ戦いとしては、完全な失敗だった。


「初めて倒したなら、授業料だと思え」


「授業料?」


「次から噛まれずに倒せば、今日の損は取り返せる」


 ウィルは銅貨48枚を受け取った。


「毒牙は薬の材料になります。傷をつけずに持ち帰れば、値段は下がりません」


「身体は?」


「皮や毒袋が残れば、もっと高い。だが、低確率だ」


 素材を残すために戦い方を変えるつもりはない。


 まずは安全に倒す。


 余裕ができてから考えればいい。


     ◇


 食堂の前を通ると、アレナが店先の看板を拭いていた。


 ウィルの姿を見つけ、すぐに右腕を見る。


「また怪我したの?」


「少し噛まれた」


「何に?」


「毒のあるトカゲ」


 アレナの手が止まった。


「毒?」


「解毒薬は飲んだ。協会の治療師にも診てもらった」


「腕、動く?」


 ウィルは指を握った。


「少し痺れているが、問題ない」

「問題があるから痺れてるんでしょう」


 アレナが近づいてくる。


 右腕の革防具に残った、二つの穴を見る。


「店に入って」

「治療は終わった」

「食事は?」

「保存食がある」

「毒を受けた日に、固いパンと干し肉だけ食べるの?」

「白いパンだ」

「色の問題じゃない」


 アレナは店の扉を開けた。


「今日は、消化のいいスープがあるから」

「金は払う」

「銅貨8枚」

「分かった」


 最初に食堂へ入ったときより、足は止まらなかった。


 店内にいる客の何人かが、ウィルを見る。


 すぐに視線を戻す者。


 小声で何かを話す者。


 以前と同じように、露骨に顔をしかめる者もいる。


 それでも、話し声が完全に止まることはなかった。


 ウィルは壁際の席へ座った。


 アレナが運んできたのは、細かく切った野菜と鶏肉を柔らかく煮たスープだった。


 白いパンも添えられている。


「毒に効くのか?」


「効かない」

「なら、普通の食事だな」

「身体が弱っているときは、食べやすいものの方がいいの」

「俺の身体は弱っていない」

「右手で匙を持てる?」


 ウィルは右手で木の匙を持った。


 指先に痺れが残っている。


 匙が、わずかに揺れた。


「持てる」

「揺れてる」

「落としていない」

「左手で食べたら?」

「慣れていない」

「ゆっくり食べればいい」


 ウィルは右手の匙を置いた。


 左手へ持ち替える。


 うまくスープをすくえず、少しだけ食卓へこぼれた。


 アレナは何も言わず、布で拭いた。


「笑わないのか?」

「どうして?」

「下手だから」

「怪我をしてる人を笑わない」


 当然のように答えられた。


 ウィルは、もう一度スープをすくう。


 今度は、こぼさなかった。


「美味い」

「それだけ?」

「左手でも食べられる味だ」

「味は右手と関係ない」

「食べにくくても美味いということだ」

「褒め方が下手」


 アレナは呆れたように言った。


 だが、少しだけ口元が緩んでいた。


     ◇


 夕方。


 家へ戻ったウィルは、右腕の革防具を外した。


 二つの穴が開いている。


 身体の傷は塞がっているが、防具は自然には直らない。


 ガチャで手に入れた補修用革は、防具職人へ預けてある。


 明日、腕の状態がよければ修理へ持っていくつもりだった。


 ウィルは食卓へ座り、冒険者証を開いた。


 レベルは上がっていない。


 それでも、迷宮討伐記録は一つ進んだ。


 第三階層へ到達。


 毒牙トカゲを初めて討伐。


 ガチャチケットも一枚手に入れた。


 今日得たものは、それだけではない。


 《毒耐性・小》があっても、毒は受ける。


 解毒薬を惜しんではいけない。


 毒牙トカゲは、姿を隠して横から攻撃する。


 背中の鱗は硬いが、首元には刃が入る。


 一度噛まれたことで分かったことは多い。


 だが、次も噛まれて覚える必要はない。


「次は、無傷で倒す」


 ウィルは右手を握った。


 指先の痺れは、かなり弱くなっている。


 明日の朝には消えているかもしれない。


 家の修理代を入れた木箱を開く。


 銀貨2枚。


 銅貨20枚。


 今日は、治療費と解毒薬でほとんど利益が残らなかった。


 木箱へ入れられる金はない。


 昨日より、屋根の修理には近づいていない。


 それでも、生きて帰った。


 毒牙トカゲの戦い方も分かった。


 次に噛まれず倒せれば、その分だけ金を残せる。


 ウィルは木箱の蓋を閉じた。


「進まない日もあるか」


 鉱山では、どれだけ石を掘っても、自分には何も残らなかった。


 今日は金を増やせなかった。


 だが、経験は残った。


 選べる戦い方も、一つ増えた。


 それだけでも、あの頃とは違う。


     ◇


【作者より】


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


ウィルは第三階層へ進み、初めて毒を持つ魔物と戦いました。


装備やスキルが増えても、すべての攻撃を無効にできるわけではありません。


失敗し、学び、少しずつ戦い方を変えながら、これからも前へ進んでいきます。


続きが気になると思っていただけましたら、♡やフォロー、★で応援してもらえると、とても励みになります。


     ◇


第15話終了時点・ウィルの現在情報


基本情報


 名前:ウィル・クロード

 年齢:23歳

 職業:冒険者

 レベル:3

 生命力:22

 筋力:18

 敏捷:10

 魔力:7


現在の装備


 武器:《初心者用片手剣》

 レアリティ:N


 初心者でも扱いやすい片手剣。現在の主武器。

 盾:《初心者用円盾+1》


 レアリティ:N

 同名装備を一度統合済み。通常の初心者用円盾より、防御力と耐久力がわずかに上昇している。


 次回統合まで、同名装備があと1個必要。

 装備進化まで、同名装備があと2個必要。


 防具:《初心者用革防具》

 レアリティ:N

 胸当て、腕当て、すね当てなどで構成された初心者向けの軽装防具。複数回の補修を受けている。

 現在、右腕の腕当てに毒牙トカゲの牙による穴が二つ開いている。


 装飾品:《衝撃緩和の腕輪》

 レアリティ:R

 盾で攻撃を防御した際、腕や身体へ伝わる衝撃をわずかに軽減する。

 特殊効果は、ウィルが装備した場合のみ発動する。


 特殊装備:父の錆びた剣


 固有スキル《ダンジョンガチャ》が目覚めるきっかけとなった剣。通常の戦闘では《初心者用片手剣》を使用し、父の剣は《アイテムボックス》に保管している。


所持スキル


 《ダンジョンガチャ》


 魔物の初回討伐や一定数討伐などでガチャチケットを獲得できる。

 チケット10枚で11連ガチャを実行可能。

 11枠目はレアリティR以上が確定する。


 《アイテムボックス》

 装備、素材、道具、食料などを収納できる。


 《小治癒》

 魔力を消費し、浅い傷を治療する。

 使用すると疲労や頭痛が発生する場合がある。


 《ダンジョンワープ》

 自宅と、一度訪れた迷宮の入口を移動できる。

 連続使用すると魔力を大きく消耗する。


 《森林歩行》

 森の中で足を取られにくくなる。

 木の根、落ち葉、湿った地面などを歩く際の安定性が上昇する。


 《気配察知・小》

 近くに存在する弱い敵意を感知できる。

 正確な姿や攻撃方法まで分かるわけではない。


 《毒耐性・小》

 弱い毒の影響と、毒が身体へ広がる速度を軽減する。

 毒を完全に無効化することはできず、必要に応じて解毒や治療を受ける必要がある。


装備関連能力


 《装備統合》


 同名装備を統合し、基礎性能を強化できる。

 一回目の統合で、性能がわずかに上昇。

 二回目の統合で、性能が上昇。

 三回目の統合で、名称、形状、性能が変化し、上位装備へ進化する。

 素材として使用した装備は消滅する。


 《適性排出》

 ガチャの武器・防具枠からは、ウィルが現在扱える装備が優先して排出される。

 現在の主な対象は、片手剣、円盾、軽装防具。


所持している主な道具

 小治癒ポーション:1本

 体力回復薬:1本

 保存食セット:3日分

 低級魔石:3個

 投擲用石弾:残り8個

 簡易魔石灯:1個

 携帯砥石:1個

 修繕用釘:50本

 小型金槌:1本

 補修用革:防具職人へ預けている

 低級解毒薬:使用済みのため、現在0本


ガチャ情報


 所持ガチャチケット:1枚

 次の11連ガチャまで:あと9枚

 11連ガチャ実行回数:1回


迷宮攻略状況


 迷宮名:《ユーカリ森林迷宮》

 到達階層:第三階層

 迷宮討伐記録:7/10

 第一階層討伐済み:3/3

 第二階層討伐済み:3/3

 第三階層討伐済み:1/3


 最奥の魔物:未討伐

魔物討伐記録


 スライム:30体

 角ウサギ:10体

 森ゴブリン:2体


 大針蜂:2体

 樹上猿:1体

 牙猪:1体


 毒牙トカゲ:1体


迷宮コンプリート報酬

 3種類討伐報酬:

 《森林歩行》

 《気配察知・小》


 6種類討伐報酬:

 《毒耐性・小》


 次回報酬獲得条件:


 迷宮の魔物を9種類討伐する。


家の修理状況


 屋根:応急修理済み

 本格修理に必要な金額:銀貨10枚以上

 現在の屋根修理資金:銀貨2枚、銅貨20枚

 所持修繕資材:釘50本、小型金槌


 壁、床、庭などは未修理。


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