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第10話 十匹目の角ウサギ



 翌朝。


 ウィルは寝台から起き上がると、左肩をゆっくりと回した。


 鈍い痛みが残っている。


 昨日、角ウサギの突進を盾で受け続けたせいだろう。


 鉱山で働いていた頃は、身体のどこかが痛むのが当たり前だった。


 腕が上がらなくても、腰が曲がらなくても、作業を休むことは許されない。


 痛みを訴えれば、看守から返ってくる言葉は決まっていた。


 ――動けるなら働け。


 今は違う。


 休むかどうかも、自分で決められる。


 ウィルは左腕を上げ、指を握った。


 傷は浅い。


 肩にも力が入る。


「今日は行ける」


 誰に命じられたわけでもない。


 自分で確かめ、自分で決めた。


 机の上には、昨日買った石鹸と爪用のブラシが置かれている。


 ウィルは桶へ水を汲み、両手を洗った。


 手のひらを覆う硬いまめは消えない。


 黒く変色した二本の爪も、そのままだ。


 それでも、爪の隙間に新しい汚れは残っていなかった。


 布で手を拭いたあと、修理した革防具を身につける。


 胸当てと腕当てには、新しい革が重ねられていた。


 元の部分とは色が違う。


 屋根と同じだった。


 直した跡は残る。


 だが、使える。


 ウィルは《アイテムボックス》から白いパンを取り出した。


 昨日、帰りに買ったものだ。


 薄く切り、残っていた野菜スープと一緒に食べる。


 ニンジンは、前より柔らかくなっていた。


 塩も、木の匙で量を測った。


「悪くない」


 アレナが食べれば、何か一つは文句を言うだろう。


 それでも、最初に作ったスープよりはましだった。


 食事を終え、冒険者証を確認する。


 角ウサギの討伐数は4体。


 あと6体倒せば、10体討伐の報酬としてガチャチケットを獲得できる。


 現在のチケットは5枚。


 今日の目標を達成すれば、6枚になる。


 一日で6体すべてを倒せるとは限らない。


 傷が増えれば帰る。


 防具が壊れそうになっても帰る。


 ウィルは父親の剣を腰へ下げ、家の外へ出た。


「行ってくる」


 扉を閉める前に、家へ声をかける。


 昨日より、少しだけ自然に言えた。


     ◇


 冒険者協会へ入ると、受付の女性がウィルの防具へ目を向けた。


「きれいに修理されていますね」

「店を教えてもらった」

「腕の傷は?」

「問題ない」

「見せてください」

「昨日、衛兵にも防具屋にも見せた」

「私は見ていません」

「アレナにも同じことを言われた」


 口にしてから、余計なことを言ったと気づく。


 受付の女性が、わずかに眉を上げた。


「アレナさん?」

「幼馴染だ」

「なるほど」

「何がなるほどなんだ?」

「何でもありません」


 女性は書類へ視線を戻した。


「今日は、角ウサギをあと6体ですか?」

「なぜ、それも分かる?」

「討伐記録を見れば分かります」

「一日に6体は多いか?」

「戦い方によります」


 受付の女性は、角ウサギの資料を机へ置いた。


「昨日は3体を一匹ずつ倒したんですよね?」

「ああ」

「今日は複数で現れる可能性も考えてください」

「角ウサギは群れるのか?」

「大きな群れは作りません。ただ、食べ物がある場所には複数集まることがあります」


 資料には、森の草を食べる角ウサギが描かれている。


 魔物とはいえ、普段から冒険者へ突進しているわけではないらしい。


「2匹に同時に狙われた場合、どうすればいい?」

「戦わないでください」

「倒し方を聞いたんだが」

「安全な倒し方は、1匹ずつ相手にすることです」


 受付の女性は真顔だった。


「2匹を見つけたら、一度離れる。片方だけが追ってきた場合に戦う。両方が追ってきたら、そのまま逃げてください」

「木を使って分断するのは?」

「できるなら有効です。ただし、失敗すれば左右から突進されます」

「盾で片方を受ける」

「もう片方が、盾を持っていない側へ来たら?」

「避ける」

「同時だったら?」

「避けられません」


 言い切られた。


 ウィルも、反論できなかった。


 敏捷は9。


 一匹の突進を避けるだけでも、まだ余裕はない。


「数を目標にすると、人は無理をします」


 受付の女性が言った。


「あと6体だから、もう一匹だけ。あと3体だから、今日中に。そう考え始めると、帰る判断が遅れます」

「気をつける」

「昨日も聞きました」

「今日は、できるだけ守る」

「できるだけでは困ります」

「危険なら帰る」

「約束できますか?」

「ああ」


 受付の女性は、ウィルの顔をしばらく見た。


「分かりました。行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 ウィルは冒険者証を受け取り、協会を出た。


     ◇


 森林迷宮へ入ってから、最初の角ウサギを見つけるまでに、それほど時間はかからなかった。


 《気配察知・小》が、茂みの先にある敵意を知らせる。


 ウィルは足を止め、周囲を確認した。


 反応は一つ。


 角ウサギは、低い草を食べていた。


 まだ、こちらに気づいていない。


 右側には太い木がある。


 左側は開けている。


 地面に大きな根はない。


 戦いやすい場所だった。


 ウィルは剣を抜く。


 金属音に反応し、角ウサギが顔を上げた。


「キィッ!」


 額の角を向け、身体を沈める。


 突進の構え。


 ウィルは円盾を前へ出した。


 避けるのではなく、受け流す。


 角ウサギが地面を蹴る。


 白い身体が、一気に距離を詰めた。


 角が盾へ当たる直前、ウィルは左腕をわずかに外側へ動かした。


 正面から止めない。


 相手の力を、横へ逃がす。


 鋭い角が盾の表面を滑った。


 角ウサギの身体が、ウィルの左側へ流れる。


 前脚が地面へ触れた瞬間、ウィルは剣を振った。


 刃が首元へ入る。


 一撃だった。


 角ウサギの身体が光へ変わる。


 魔石と、欠けていない白い角が残された。


 角ウサギ討伐数:5体。


 次回チケット獲得まで、あと5体。


「前より、速い」


 角ウサギではない。


 自分の反撃が、昨日より速くなっていた。


 同じ攻撃を何度も受けたことで、身体が動きを覚え始めている。


 ウィルは周囲を確認してから、魔石と角を拾った。


 倒した直後も気を抜かない。


 それも、少しずつ習慣になっていた。


     ◇


 2匹目は、倒木の近くにいた。


 周囲に別の反応はない。


 ウィルは慎重に距離を詰める。


 角ウサギが突進する。


 今度は、右へ半歩動いて避けた。


 角の先端が、胸当ての横を通り過ぎる。


 すぐには攻撃しない。


 無理に剣を振れば、姿勢を崩す。


 角ウサギが着地し、振り返る。


 2度目の突進。


 ウィルは盾を構えた。


 角が当たる。


 力を流す。


 横へ崩れた角ウサギへ、剣を振り下ろす。


 刃は脇腹へ入った。


 浅い。


 角ウサギは傷を負ったまま、距離を取った。


 3度目。


 動きが、わずかに遅くなっている。


 ウィルは盾を使わず、左へ避けた。


 角ウサギの身体が通り過ぎる。


 負傷した脚が着地した瞬間、身体が傾いた。


 ウィルは一歩踏み込み、剣を振る。


 首元へ刃が入った。


 角ウサギ討伐数:6体。


 次回チケット獲得まで、あと4体。


 傷はない。


 盾にも、新しい傷は増えていなかった。


 順調だった。


 だからこそ、ウィルはその場で一度立ち止まった。


「順調なときほど、慎重に」


 受付で言われたわけではない。


 鉱山で覚えたことだった。


 石を掘っていると、急に柔らかい場所へ当たることがある。


 つるはしが簡単に入る。


 作業が速く進む。


 だが、その先に空洞があれば、天井ごと崩れる。


 楽に進める場所ほど、周囲を確認しなければならない。


 ウィルは水を飲み、少し休んでから歩き始めた。


     ◇


 《気配察知・小》が、二つの敵意を捉えた。


 ウィルはすぐに足を止める。


 茂みの向こうに、角ウサギが2匹いた。


 一匹は白い毛。


 もう一匹は、少し灰色が混じっている。


 互いに近い場所で草を食べていた。


 こちらには、まだ気づいていない。


 戦わずに離れる。


 受付の言葉を思い出す。


 ウィルは音を立てないよう、ゆっくり後ろへ下がった。


 そのとき、踵が小さな枝へ触れた。


 乾いた音が鳴る。


 2匹の角ウサギが、同時に顔を上げた。


「キィッ!」


「キッ!」


 敵意が強くなる。


 ウィルは背を向けて走った。


 正面から戦うつもりはない。


 《森林歩行》のおかげで、木の根が多い場所でも足を取られにくい。


 背後から、草を蹴る音が聞こえる。


 2匹とも追ってきていた。


 ウィルは走りながら、周囲を見る。


 前方に、二本の木が並んでいる。


 人間一人が通れるほどの隙間。


 角ウサギも通れる。


 だが、横に並んだままでは通れない。


 ウィルは木の間を走り抜けた。


 すぐに振り返る。


 2匹の角ウサギが、同時に隙間へ入ろうとした。


 身体がぶつかる。


 一匹が前へ出て、もう一匹が後ろへ押された。


 先頭の角ウサギだけが、木の間を抜ける。


 ウィルは盾を構えた。


 突進を受け流す。


 角ウサギの身体が横へ流れる。


 剣を振る。


 刃が背中へ入った。


 一撃では倒れない。


 角ウサギが跳び、距離を取る。


 その向こうでは、もう一匹が木の間を抜けようとしていた。


 時間がない。


 負傷した一匹を追えば、もう一匹に背中を向けることになる。


 ウィルは追わなかった。


 盾を構え、後ろへ下がる。


 2匹が並ぶ前に、再び木を間へ挟む。


 灰色の角ウサギが、先に突進してきた。


 木を避けるため、進路がわずかに曲がる。


 速度が落ちる。


 ウィルは右へ避けた。


 角ウサギの身体が横を通り過ぎる。


 後ろから、負傷した角ウサギが近づいている。


 一度に両方を見ることはできない。


 ウィルはさらに走った。


 逃げる。


 位置を変える。


 また一匹ずつに分ける。


 鉱山で大きな岩を動かすときも、力任せには持ち上げなかった。


 一度に動かせないなら、少しずつ向きを変える。


 木の棒を差し込む。


 小さな石を下へ入れる。


 自分の力だけで動かそうとしない。


 ウィルは斜めに生えた木の横を通った。


 負傷した角ウサギが、先に追いついてくる。


 後ろ脚へ傷を負っているため、もう一匹より速度が遅いはずだった。


 だが、距離が近かった。


 ウィルは木を背にして盾を構える。


 角ウサギが突進する。


 直前で半歩ずれた。


 角が木の幹へ突き刺さる。


「キィッ!」


 角ウサギが暴れる。


 前回と同じ状況だ。


 ウィルは首元へ剣を振り下ろした。


 白い身体が光へ変わる。


 角ウサギ討伐数:7体。


 次回チケット獲得まで、あと3体。


 魔石を拾う時間はない。


 もう一匹の気配が近づいている。


 ウィルは木の陰から離れ、盾を構え直した。


 灰色の角ウサギが姿を現す。


 仲間が消えた場所を見ても、止まらなかった。


 そのままウィルへ突進する。


 今度は、一匹だけだ。


 ウィルは正面から盾で受けた。


 衝撃が左腕へ伝わる。


 角を外側へ流す。


 灰色の身体が横へ崩れる。


 剣を振った。


 刃が肩口へ入る。


 角ウサギは地面を転がったが、すぐに起き上がった。


 再び距離を取る。


 ウィルは追わない。


 呼吸を整える。


 左腕が痺れている。


 盾を持てないほどではない。


 角ウサギが身体を沈めた。


 2度目の突進。


 ウィルは避ける方向を先に決めた。


 左。


 角ウサギが地面を蹴る。


 ウィルは半歩動いた。


 灰色の身体が、胸のすぐ横を通り過ぎる。


 着地した前脚が、湿った地面で滑った。


 ウィルは剣を両手で握る。


 厚くなった手のひらが、柄を強く掴んだ。


 つるはしを振り下ろすときと同じように、肩と背中の力を刃へ乗せる。


「はあっ!」


 剣が首元へ入った。


 角ウサギの身体が光へ変わる。


 角ウサギ討伐数:8体。


 次回チケット獲得まで、あと2体。


 その直後。


 ウィルの身体を、淡い光が包んだ。


「これは……」


 視界の前に、文字が浮かび上がる。


 レベルが上昇しました。


 名前:ウィル・クロード


 レベル:2→3


 生命力:20→22


 筋力:17→18


 敏捷:9→10


 魔力:6→7


 光が身体へ吸い込まれていく。


 左腕に残っていた痺れが、少しだけ軽くなった。


 呼吸も整う。


 傷が完全に治ったわけではない。


 疲れが消えたわけでもない。


 それでも、身体の奥に新しい力が増えたことは分かった。


「レベル3……」


 ウィルは両手を握る。


 筋力が1。


 敏捷も1上がった。


 魔力も、初めて増えている。


 だが、残りはあと2体だ。


 レベルが上がった直後だからといって、無理をするつもりはない。


 ウィルは周囲を確認した。


 新しい敵意はない。


 2匹分の魔石と角を拾い、《アイテムボックス》へ収納する。


 それから木の根元へ座り、水を飲んだ。


 レベルが上がっても、休息が不要になるわけではない。


     ◇


 5匹目――通算9体目の角ウサギを見つけたのは、休憩からしばらくたったあとだった。


 緩やかな坂の下。


 角ウサギは、ウィルより低い位置にいた。


 前回とは逆だ。


 自分が高い場所にいる。


 このまま戦えば、剣を振り下ろしやすい。


 だが、角ウサギが坂を上って突進するため、途中で速度が落ちる可能性もある。


 ウィルは剣と盾を構えた。


 角ウサギが、こちらへ気づく。


 身体を沈めた。


 坂を駆け上がってくる。


 予想どおり、平地より少し遅い。


 レベルが上がり、敏捷も10になった。


 動きが、昨日よりはっきり見える。


 ウィルは右へ避けた。


 角ウサギの身体が通り過ぎる。


 以前なら、避けたあとに攻撃する余裕はなかった。


 今は違う。


 着地する前の角ウサギへ、剣を横から振る。


 刃が脇腹へ入った。


「キィッ!」


 角ウサギが坂を転がる。


 起き上がろうとしたところへ、ウィルは駆け下りた。


 湿った土。


 木の根。


 傾いた足場。


 それでも、《森林歩行》が身体を支える。


 角ウサギが立ち上がる前に、剣を振り下ろした。


 光の粒子が、坂の上へ舞い上がる。


 角ウサギ討伐数:9体。


 次回チケット獲得まで、あと1体。


 あと一匹。


 その文字を見た瞬間、ウィルの胸に焦りが生まれた。


 今日中に達成できる。


 チケットが手に入る。


 次の一匹を探そう。


 すぐに歩き出しかけて、足を止める。


『あと一匹だから、もう少しだけ』


 受付の女性が警告していた考え方そのものだった。


 ウィルは盾を確認した。


 新しい傷が、三本増えている。


 腕当てにも、細い擦れ跡があった。


 身体の状態は悪くない。


 魔力も残っている。


 周囲に強い敵意もない。


「一匹だけ探す」


 ただし、複数なら戦わない。


 遠い場所まで追わない。


 日が傾く前に見つからなければ帰る。


 ウィルは、自分で条件を決めた。


     ◇


 最後の角ウサギは、すぐには見つからなかった。


 森の中を歩く。


 《気配察知・小》が捉えるのは、スライムの弱い反応ばかりだった。


 以前なら、見つけた魔物をすべて倒していたかもしれない。


 だが、今日は角ウサギとの戦闘で腕を使っている。


 余計な戦いは避けた。


 しばらく進むと、木々の間に見慣れない場所が現れた。


 地面へ、古い石が並んでいる。


 自然にできたものではない。


 石畳だった。


 落ち葉と土に覆われているが、森の奥へ続いている。


 ウィルは足を止めた。


 これまで探索していた場所には、土と草しかなかった。


 石畳の先から、冷たい空気が流れてくる。


 《気配察知・小》へ意識を向ける。


 弱い敵意が一つ。


 その奥には、別の何かがある。


 細かく震えるような気配。


 まだ遠い。


 ウィルは石畳を進んだ。


 前方の茂みが揺れる。


 白い角ウサギが姿を現した。


 通算10体目。


 だが、その個体はすぐに突進してこなかった。


 ウィルとの距離を保ち、左右へ小さく跳ねる。


 これまでの角ウサギより警戒心が強い。


「来ないのか?」


 ウィルが一歩進む。


 角ウサギが身体を沈めた。


 突進する。


 そう思い、盾を構えた。


 だが、角ウサギは地面を蹴らなかった。


 身体を起こし、横へ跳ぶ。


「……誘っている?」


 ウィルが盾を動かすのを見てから、位置を変えた。


 偶然かもしれない。


 それでも、これまでの個体とは動きが違う。


 ウィルは無理に近づかなかった。


 角ウサギも、一定の距離を保つ。


 先に焦れた方が負ける。


 鉱山で岩へつるはしを入れるときも、硬い場所を力任せに叩き続ければ、刃が欠ける。


 亀裂を探す。


 音を聞く。


 少しずつ崩れやすい場所を見つける。


 ウィルは角ウサギの動きを観察した。


 左右へ跳ねる。


 身体を沈める。


 こちらが盾を動かすと、突進を止める。


 盾を持つ左側を警戒している。


 ならば。


 ウィルは円盾を、少しだけ下げた。


 左側を空ける。


 角ウサギの身体が沈む。


 今度は止まらなかった。


 地面を蹴る。


 狙いは、盾を下げた左側。


 ウィルは盾を上げなかった。


 直前まで待つ。


 角が身体へ届く寸前、左足を後ろへ引いた。


 身体を半身にする。


 角ウサギの突進が、胸当ての表面を掠めた。


 完全には避けられない。


 革が裂ける音がした。


 鋭い痛みが、脇腹へ走る。


「ぐっ!」


 それでも、角ウサギはウィルの横を通り過ぎた。


 半身になったことで、正面から受けるより傷は浅い。


 ウィルは右手の剣を振る。


 刃が角ウサギの背中へ入った。


 白い身体が地面へ落ちる。


 だが、まだ動く。


 すぐに起き上がり、距離を取った。


 ウィルは左脇腹へ触れた。


 指先に血がつく。


 胸当ての端を、角が抜けたらしい。


 深くはない。


 だが、次の攻撃を同じ場所へ受ければ危険だ。


 角ウサギが、再び左右へ跳ねる。


 ウィルは盾を構えた。


 今度は誘わない。


 正面から受け流す。


 角ウサギが身体を沈める。


 ウィルは動かなかった。


 角ウサギも動かない。


 互いに相手を見ている。


 森の中に、風が通る。


 葉が揺れた。


 その瞬間、角ウサギが突進した。


 先ほどより速い。


 ウィルは盾を出す。


 角が当たる。


 衝撃が左腕へ伝わった。


 力を外側へ流す。


 だが、角ウサギは身体を捻った。


 盾の縁へ角を引っかける。


 円盾が大きく弾かれた。


 左腕が開く。


 角ウサギの身体が、ウィルの懐へ入り込んだ。


 逃げる時間はない。


 ウィルは盾を捨てた。


 空いた左手で、角ウサギの首元を掴む。


 硬くなった指が、白い毛へ食い込んだ。


 角が胸へ近づく。


 ウィルは腕へ力を込めた。


 鉱山で石を持ち上げ続けた腕。


 つるはしを何千回、何万回と振り下ろした肩。


 身体全体を使い、角ウサギの向きを横へ変える。


「おおっ!」


 持ち上げるのではない。


 突進の力を利用し、進む方向だけを変える。


 角ウサギの身体が、石畳へ叩きつけられた。


 ウィルは左手を離す。


 右手の剣を両手で握り直した。


 起き上がろうとする角ウサギの首元へ、刃を振り下ろす。


 剣が深く入った。


 角ウサギの動きが止まる。


 白い身体が、淡い光へ変わった。


 石畳の上へ、魔石と白い角が落ちる。


 角ウサギ討伐数:10体。


 討伐報酬を獲得しました。


 ガチャチケット:1枚


 所持ガチャチケット:6枚


 ウィルは、その場へ膝をついた。


「10体……」


 達成した。


 だが、簡単ではなかった。


 最後の一匹には、脇腹を傷つけられた。


 盾も手放した。


 レベルが上がっていなければ、角ウサギの向きを変えられなかったかもしれない。


 ウィルは傷へ手を当てた。


 魔力を集中させる。


「小治癒」


 淡い光が、左脇腹を包む。


 鋭い痛みが、少しずつ引いていく。


 傷口が塞がる。


 完全に元どおりではない。


 身体の奥に、疲労が残る。


 それでも、出血は止まった。


 魔力が7へ上がったためか、以前より光を保ちやすかった。


 頭痛も軽い。


 ウィルは落とした盾を拾う。


 縁に新しい傷が増えていた。


 使えないほどではない。


 だが、今日の探索は終わりだ。


 魔石と角を収納したあと、ウィルは石畳の先を見た。


 木々の向こうに、下へ続く石段がある。


 その奥は暗い。


 入口の上には、古い文字が刻まれていた。


 第二階層。


 石段の奥から、羽音のようなものが聞こえる。


 これまで戦った魔物とは違う気配。


 角ウサギを倒すだけなら、この場所まで来る必要はなかった。


 だが、石畳を進んだことで、次の階層への道を見つけた。


 ウィルは石段へ近づかなかった。


 防具には新しい裂け目がある。


 傷も治療したばかりだ。


 未知の場所へ、今の状態で入るつもりはない。


「次は、ここか」


 迷宮の記録を開く。


 ユーカリ森林迷宮。


 討伐済み魔物:3種類。


 迷宮コンプリート:3/10。


 次の階層で、さらに3種類を倒せば、新しいコンプリート報酬を獲得できる。


 現在のチケットは6枚。


 最初の11連ガチャまで、あと4枚。


 ウィルは石段の位置を覚え、来た道を引き返した。


     ◇


 買取所へ持ち込んだものは、角ウサギ6体分の魔石と角だった。


 最後の一匹の角は、少しだけ先端が欠けている。


 買取所の男は、一つずつ確認した。


「今日は多いな」

「6体です」

「一人でか?」

「ああ」

「昨日は3体だっただろう。急に倍か」

「2匹同時に出た」

「よく無事だったな」

「逃げて、分けた」

「それが正解だ」


 男は欠けた角を手に取った。


「これは少し値段が下がる。ほかの5本は状態がいい」

「全部でいくらになる?」

「銀貨1枚と銅貨32枚だ」


 初めて、自分の稼ぎだけで銀貨を受け取った。


 小さな銀色の硬貨。


 日本円に置き換えれば、約1万円に相当する。


 ウィルは手のひらへ載せた。


 鉱山刑務所では、どれだけ石を掘っても賃金はなかった。


 朝から夜まで働いても、与えられるのは硬い黒パンと薄いスープだけ。


 この銀貨は違う。


 自分で選んだ仕事で、自分が倒した魔物の対価だった。


「問題があるか?」

「いや」


 ウィルは銀貨と銅貨を革袋へ入れた。


「ありがとう」

「角ウサギを狩りすぎて、角を折られるなよ」

「気をつける」


 買取所を出たあと、防具修理店へ向かった。


 昨日直してもらったばかりの胸当てに、新しい傷がついている。


 職人へ見せると、呆れた顔をされた。


「昨日の今日だぞ」

「角ウサギを6体倒した」

「防具を使うのはいいが、使い潰せとは言っていない」


 職人は裂け目を確認する。


「傷は端だけだ。銅貨5枚で直せる」

「お願いします」

「夕方までには終わる。次は、もう少し間を空けて持ってこい」

「努力します」

「努力するところが違う」


 職人はため息をつきながら、防具を店の奥へ持っていった。


     ◇


 防具の修理を待つ間、ウィルは家へ戻った。


 《ダンジョンワープ》を使えば、町から歩くより早い。


 ただし、今日はすでに《小治癒》を使っている。


 魔力は増えたが、連続して魔法を使えば疲労する。


 ウィルは目を閉じ、家の中を思い浮かべた。


「ダンジョンワープ」


 足元に淡い光が広がる。


 景色が揺れた。


 次の瞬間、ウィルは自宅の前へ立っていた。


 軽い頭痛はある。


 だが、以前ほど強くない。


 魔力が6から7へ上がった効果なのだろう。


 家の中へ入り、食卓へ革袋を置く。


 中から銀貨を一枚取り出した。


 陽の光を受け、鈍く輝いている。


 屋根を本格的に直すには、銀貨10枚以上必要だ。


 まだ十分の一。


 実際には食費や防具の修理代も必要になるため、もっと稼がなければならない。


 それでも、初めての一枚だった。


 ウィルは空の木箱を一つ用意した。


 母親が、糸や布の切れ端を入れていた小さな箱だ。


 中をきれいに拭き、銀貨を一枚入れる。


「屋根の金」


 箱の蓋を閉じた。


 すべてを一度には直せない。


 今日稼いだ一枚を入れる。


 次に稼いだときも、少しずつ入れる。


 壊れた家も。


 失った時間も。


 一つずつ積み重ねるしかない。


 ウィルは椅子へ座り、冒険者証を確認した。


 レベル3。


 角ウサギ10体。


 ガチャチケット6枚。


 そして、第二階層への道。


 次の魔物は、石段の奥にいる。


 羽音のような気配を思い出す。


 空を飛ぶ魔物かもしれない。


 角ウサギとは、まったく違う戦いになる。


 父親の剣を握る。


 厚く硬くなった手のひらが、柄へ馴染んだ。


 鉱山で変わったこの手で、今日も一つ前へ進めた。


 ウィルは木箱へ視線を向ける。


 中に入っているのは、たった銀貨一枚。


 だが昨日までは、何も入っていなかった。




【作者より】


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

ウィルも少しずつレベルが上がり、角ウサギ10体討伐を達成しました。

家の修理も、冒険者としての成長も、まだ始まったばかりです。

続きが気になると思っていただけましたら、♡やフォロー、★で応援してもらえると、とても励みになります。


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