私が水社一心を助けた理由
ふっと浮上するような感覚の後、私たちは軍の屯所に戻っていた。記憶的には暮日村から河原、そして屯所という経路だが、私たちの身体はずっとこの屯所に在ったのだろう。伊能局長だけが飛び出るように位置し、相模局長が私と水社一心の傍にいる。そして野狐禅がぽつんと立っていた。
「分かった? 輝宮寺啓介が、どうして私に、化けていいって言ったのか」
野狐禅は繰り返す。
「分かりません」
伊能局長が即答した。
「どうして? 人間でしょう?」
「同族であっても、相手の選択に至った心情の正解なんて出せないからです。それに……人が人の気持ちを完全に分かる世界なら、この世界はここまで醜くない」
伊能局長はさらに続けるが、悪役の台詞かと疑った。完全に敵サイドの発想じゃん。私もそう思うけど。普通に、この世界は薄汚くて醜いから。
ただ、私の視界だけかもしれないとも思っているし、この世界がとても美しく素晴らしいものに思える人間については、否定しない。
私も、お姉様や水社一心含む水社家、そして管理局の人間を見ていると、この世界はとても綺麗なんじゃないかと、信じそうになるから。そういう人たちだけを見ていたら、きっと世界そのものを好きになるだろうが、そういう人は私がその人たちだけを見たりその人たち以外を排除することを良しとしないので、世界は醜いで落ち着いている。
「あなたはこの世界を、醜いと思っているの?」
「醜いじゃないですか。犯罪はなくならないし、犯罪に至らずとも人は人を傷つける。子供に関心がないどころか、異能や霊力を理由に蔑む親だっている」
伊能局長は拳を握りしめた。
輝宮寺啓介の親について言っているのだろう。
「満場一致だの、間違いがないだの、くだらない価値観を押し付けて、それを正しいと決めないと動けない、気持ち悪いったら無いですよ」
「貴方は人間が嫌いなの?」
「大嫌いです」
伊能局長が先ほどよりずっと早く返答した。
「なぜ?」
「馬鹿だから」
「ならなぜ、人を守るの?」
「分かりません。そうしたいと思うからです。弱い人間が痛めつけられているのを見ると腹が立つ。明日も何とか頑張ろう、自分に出来ることはないかなと、なんとか生きようとしていた人間を死ぬまで認めなかった親を見たり、自己愛が肥大化して、誰かを助けることを学ばないまま出世した可哀そうな上層部を見ていると、こんな世界滅んでしまえと思う。でも、確かに……そうじゃない人間もいる。一人でもいるなら、僕は……この世界を守りたいと思う。なんでかは、分からないですけど」
似てると思った。
自分と。
輝宮寺と……輝宮寺に化けた野狐禅とお姉様がカフェに行ったとき、態度の悪い男たちが女給に絡んでいるのを見て、不愉快に思った。だからボコボコにした。
お姉様が傷つけられているのを見ても、水社一心が怪我をしているのを見ても腹が立つけど、それぞれ、何でそうなるのかよく分からない。
したいから、する。
「自分のことなのに、分からないの?」
そんな曖昧な感情を、野狐禅は突く。
「分かりませんよ。あやかしは分かりませんけど、人間だって、自分の感情全部を説明出来て言語化できる人間は少ない。だから……誰かの気持ちが知りたいなら、自分で考え続けていくしかない。ましてや、貴女が求めているのは正解でしょう?」
「そうよ。だって、彼が考えていたことを知りたいの」
「ならば本人に聞く。それ以外に手段なんてない」
「でも、輝宮寺啓介は死んだ」
「はい、病気でした。だから僕の返事は想像でしかない。正解じゃないんです。輝宮寺啓介が死んだ以上、正解を知ることは出来ない。それに貴女は輝宮寺啓介を大切に思っているのかもしれないが、輝宮寺啓介の顔を使って民間人を襲った。被害者と、輝宮寺啓介の名誉を傷つけた。輝宮寺啓介の最期を、冒涜した」
「そうなの?」
「はい。輝宮寺啓介が懸命に生きていたのなら、そんな彼に最後の最後に」
伊能局長がキッパリ看破すると、野狐禅の瞳が動揺に揺れた。
「私はそんなつもりない……彼に、悪意はないわ……」
「そんなつもりなくても、事実、そうしたんです。貴女が」
伊能局長は柔らかく告げた。野狐禅を刺激しないようにしているのもあるし、おそらく、野狐禅の動揺がこちらを化かすためではなく、本物だからだろう。
「輝宮寺啓介は、どう思うの?」
「分かりません。想像することしかできない。死んだ人間は、生き返らない。ただ……事実として、輝宮寺啓介は自分の余命を知っていました。兄弟は地域局で働いていて、あやかしの脅威は知っていました。家族の悪意にさらされた暮らしをしていて、経営者である以上、外からの悪意に無頓着でもない。調査局の調査結果としては、何も知らず貴女に騙されたとは、考えづらい。それだけです」
伊能局長は共感せず事実を重ねていく。野狐禅は迷子のように視線をさまよわせた後、水社一心に目を向けた。
「貴方の異能があれば、心が、読める?」
ふっと野狐禅が水社一心に向かっていく。
私はすぐに水社一心の前に立ちはだかった。
「えっ──」
何故動けるのかと野狐禅は驚いているが、これはもうミヤシロ様の一件と刀の合わせ技だ。
私はミヤシロ様の一件でよく分からない異空間に飛ばされるのを経験している。そして当時、おそらく私の身体は消滅しているのではなく昏倒していて、身体はそのままに意識だけ飛ばされていたと事前知識があった。
そして野狐禅の金縛りはピンポイント霊力照射によるもの。指先程度ならギリ動かせる。特に輝宮寺と野狐禅のやり取りを強制的に鑑賞させられている間は、野狐禅はそちらに注意がいっている。
なので、抜刀済の刀の刃に少しずつ触れ、身体にかかる野狐禅の霊力を全て刀に流したのだ。結果は大成功。金縛り霊力パワーは吸引済みで刀も絶好調である。
私は野狐禅に向かって刀を構える。しかし、野狐禅共々影が差した。一瞬太陽が沈んだのかと疑うが、違う──、
今まで見た巨大なあやかしよりもずっと大きく──まんまるとしたボールみたいな鶏が降って来た。
「富山先輩の式神だ。助けに来てくれたんだ」
相模局長が鶏を見上げながら呟くが、すぐに伊能局長が「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ相模先輩相模先輩新人新人新人撤退、助けるじゃない、とどめ‼ 無理無理無理無理」と叫びだした。私は刀を鞘に納め、やむを得ず相模局長に刀をぶつけた。金縛りが解けたのか、相模局長が体勢を崩す。
「そうかこの刀霊力を──」
相模局長は水社一心に鞘を当てた。すると水社一心も金縛りが解けたようだ。伊能局長はさっきの質疑応答の為に野狐禅から術を解かれているみたいだし、あとは撤退するだけだが野狐禅は思い詰めたように「なんで」と、空を見上げている。
私は意を決して野狐禅に向かった。
そのまま野狐禅を抱えると、巨大鶏から逃れるように走っていく。
「おいっ」
後ろを振り返ると水社一心が叫んでいたが、相模局長に抱えられ別方向に撤退している。
そのまま背後で轟音が響き、砂埃が吹き荒れた。式神鶏の着地だ。小惑星の落下と変わらない。一番最初の頃、小さいあやかし──パグ狛犬が出たとき、真原さんが戦力を悲観し「もう駄目だ死ぬ」みたいなこと言ってたけど、このパターンを見たことがないのかもしれない。
大きいほうが死ぬじゃん。殺されるじゃん。
しかもゆめかわユニコーンドリルだって殺傷力高そうだし。
なんか局長の式神、来歴がアレだけから絶妙にコメントしづらいけど、攻撃手段が全部怖い。刀を見つけた時、巨大あやかしが出たときは式神が轢き殺していた。ゆめかわユニコーンは貫通、今は圧死。
パグ狛犬だけ無害そうだったけどこういうの見てるとあの狛犬パグも戦闘になったら相当なものだったのでは。一昨年の兎だってとんでもない兎だったんじゃないか。
巨大ボール鶏を前に呆然としていると、抱えていた野狐禅が「なぜ」と呟く。
「どうして助けたの」
私は返事をしなかった。異能の温存があるから。
「そいつは、そういうやつだからだ‼」
水社一心が叫ぶ。
「俺もずっと考えてる。そいつに対して、ずっとだ‼ それでも、答えなんかずっと分からない‼」
「心が読めても……?」
野狐禅は水社一心をから私に視線を移す。今、私の右手には血がついている。なぜなら、刀に野狐禅の霊力を吸わせるために刀に触れていたが、幻覚に囚われていた時に無理くりやったので、切れた。暗闇の中で包丁を使ってはいけない理由を無意識に体現してしまった。
私は右手を隠しつつ、すぐに野狐禅を地面におろす。その瞬間、真後ろで声がした。
「枯賀二等兵は僕と一緒に相模先輩の傍にいたかもしれない」
伊能局長だ。局長が私の背中に触れた瞬間、ヴゥンと身体が一気に後ろに吹き飛ばされた感覚がして、気付けば相模局長のそば──野狐禅からかなり離れていた。
いつの間にか周囲には軍人たちが集まり野狐禅を囲っている。
「分からない──」
野狐禅はゆったりと辺りを見渡すと──くるりと身体を回転させ──消えたのだった。




